設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

当たり前の難しさ

2004年10月25日 09時45分16秒 | 独り言
一昨日から地震が多い。
自分が住んでいる東京では 目立った損害は聞かないが
震源地の所では家屋崩壊や負傷者そして亡くなった方まで出てきている。

いつも万が一と聞かされるが グラリとくる恐怖に毎度 オロオロするばかりだ。
結局 自然の威力には人間 何をしても無力だというのを思い知らされる。
それでも 他の生き物よりちょっぴり脳みそが多いものだから どうにかして
この自然の威力をやり過ごそうと考える。

「地震に強い家を」と考えるのも この脳みそがちょっと多い人間にとっては
当たり前の行動なのかもしれない。

「家造り」には この「地震」という話題は毎度切っても切れない。
それほど 皆 万が一を考えている。
裏から見ていて 正直思うのは「絶対絶対 地震に強い 完ぺきだ!」と
言い切れる「家」を造り上げるのは 当たり前のようで結構難しいと個人的に感じる。
専門家でもなく 一個人の考えだが 結局「家」は いろいろな専門家達の
流れ作業の集結作品。設計段階が終われば 施工へと移り その施工の中でも
物凄い細分化で いろいろな専門家が手を加える。
ひょっとしたら その数多い専門家の中で「まあ いいか適当で」という
仕事が「欠陥住宅」に繋がりかねない。
勿論 絶対そうならない為に 我が家のような監理という仕事もあるのだが。

でも そんな現場をしっかりと見る「監理」が「適当でいいよ」であったら?
疑えば疑う程 人間がくだす仕事に「完ぺき」はない。
結局 心のないロボット集団が実際に手を動かして「家」を造っていない。
今にそういう時代も来るかもしれないが いかに機械化が進んできているという
「家造り」であっても まだまだ気持ちのある人間集団が手をくだす。
要は 「きちんと お施主さんの為に仕事をする」そういう気持ちで全ての
「家造り」に携わる専門家達が動けば それだけで「かんぺきな家」に近づける気がする。
やはり それには甘いかもしれないがロボットではない人間集団には「信頼関係」が
不可欠のような気がするのだ。

お施主さん達にとっては「家造り」は 確かに重大な事ではあるが 長い人生の中の
一つのイベントにすぎない。でも 万が一の自然の威力で命を落とす場所に
なってしまうか それとも その場所が自然の威力に最も立ち向かえる安全な場所になるか
それは本当に大きな分かれ道の選択となる。

我が家にとっては個人住宅の仕事は 単なる仕事の中の一つである。
でも 大げさなようであるが 生死の分かれを委ねられてる仕事でもあるような気が
この地震で なんだか感じられ・・・・・

「きちんと仕事をする」
こんな簡単な事が 不透明な建築の世界では うまく出来ない。
それが「欠陥」という問題を毎度生み出すように思える。
せめて 我が家で「設計事務所」という看板を掲げている限り この
「きちんと仕事をする」という基本は 貫き通さなければならない。
なぜなら そういう基本を通す事が どんな仕事でも本来の仕事のような気がするのだ。

裏窓 地震にて 久しぶりに ちょっと考えさせられた一日の始まりであった・・・・