詩人の茨木のり子さん死去 (朝日新聞) - goo ニュース
詩を読む。なんて高尚な趣味はないけれど名前だけは知っていて
今は子供達の国語の教材にも使われていた「茨木のり子さん」
戦中 戦後を生き抜いたという感じの詩が結構好きで
やっぱり一番好きなのは詩集『見えない配達夫』に収められたあの有名な作品
「わたしが一番きれいだったとき」だろうか。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
(略)
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた
(略)
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのよう
ね
言葉って不思議だなと とっても実感した詩。
読んでいると戦後の焼け野原の荒涼とした風景とかが
なんだか頭に出てくる。たった言葉で それも短文で
頭に映像を送れるって いいなあと思ったのが上記の詩である。
学生時代 確か国語の授業で先生が配付した以下の詩。
これは結構 自分が大好きで何度も読み返したもの。
きっと誰もが一回くらいは「読んだ事ある!」という
感じではないだろうか。
それは濱口國雄さんの「便所掃除」。
濱口さんは旧国鉄の職員だったそうで 当時はこんなトイレが
あったのは想像出来るけど よっぽど掃除しながら頭に
言葉が走馬灯のように浮かんだのではないかなと思わせる詩。。。
扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明の空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわっています
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません
最後の4行が一番好きなフレーズ。
何が?とかどうして?じゃなく なーんか心にひっかかって
それが心地良いひっかかりというか。。。。
詩というのは単純にそういうものなのだろうなと感じた詩。
理屈じゃなく「なんかいい!」
そんなものを無から生み出せるのが 芸術家って事なんでしょうか。
才のある人達が羨ましい・・・・
今日は少しトイレでも綺麗にして「綺麗な心」でも
拾える事を願う・・・
茨木さんの詩・・・・もっと読みたかった。残念です。
詩を読む。なんて高尚な趣味はないけれど名前だけは知っていて
今は子供達の国語の教材にも使われていた「茨木のり子さん」
戦中 戦後を生き抜いたという感じの詩が結構好きで
やっぱり一番好きなのは詩集『見えない配達夫』に収められたあの有名な作品
「わたしが一番きれいだったとき」だろうか。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
(略)
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた
(略)
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのよう
ね
言葉って不思議だなと とっても実感した詩。
読んでいると戦後の焼け野原の荒涼とした風景とかが
なんだか頭に出てくる。たった言葉で それも短文で
頭に映像を送れるって いいなあと思ったのが上記の詩である。
学生時代 確か国語の授業で先生が配付した以下の詩。
これは結構 自分が大好きで何度も読み返したもの。
きっと誰もが一回くらいは「読んだ事ある!」という
感じではないだろうか。
それは濱口國雄さんの「便所掃除」。
濱口さんは旧国鉄の職員だったそうで 当時はこんなトイレが
あったのは想像出来るけど よっぽど掃除しながら頭に
言葉が走馬灯のように浮かんだのではないかなと思わせる詩。。。
扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明の空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわっています
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません
最後の4行が一番好きなフレーズ。
何が?とかどうして?じゃなく なーんか心にひっかかって
それが心地良いひっかかりというか。。。。
詩というのは単純にそういうものなのだろうなと感じた詩。
理屈じゃなく「なんかいい!」
そんなものを無から生み出せるのが 芸術家って事なんでしょうか。
才のある人達が羨ましい・・・・
今日は少しトイレでも綺麗にして「綺麗な心」でも
拾える事を願う・・・
茨木さんの詩・・・・もっと読みたかった。残念です。