園児2人刺され死亡、別の園児の母逮捕 滋賀・長浜 (朝日新聞) - goo ニュース
こんな事件 以前もあった記憶がある。
以前のは 親絡みの感情が子供に向けられてしまったという
やりきれない でも こういう事件今に起こると思っていたと
感じる母達は多いのではと思わせるものだった。
今回もそうなのだろうか・・・・
今は まだ推測でしか考えられないけれど二人の幼児 しかも
自分の子供と同じ年で しかも自分の子供が一緒にいたところで
正気でない気持ちで刺し殺せる親はいるだろうか。
親絡みか子供絡みか どっちにしろ物凄い心の闇があるような
気がする。
衝動的に発した感情でなく 長年の蓄積の沸々とした感情が
親としての正気をなくしてしまったのだろうか。
今振り返ると 子供が小さければ小さいほど 親同士の
つき合いというのは濃厚になる。
一緒に遊ぶという子供の行為だけなのに 親が付き添う。
そういう場面が多いのもあるし 一般的にフルタイムで
働く母が少ないせいか 母達も子供に付き添いながらの
参加が自分の社会参加のような気持ちになるのだ。
公園デビューなんて言葉から始まって 母と子は
徐々に他人親子達との社会を繋げていく。
親といえども人間。大人同士のつき合いといえども
合う 合わないもある。濃厚なつき合いになればなるほど
精神的に相談し合い 共に育児の力になる時もあれば
時として 物凄い亀裂の生じた関係になってしまう事もある。
それに厄介なのが親としての感情だ。
劣る 劣ってない 優れてる こんな勝手な比べっこも
親達の気持ちの底の底には見え隠れする。
今回の事件が親からみのものじゃないかもしれないが
何かしらの人間関係のこじれの結果である事は絶対だろう。
でも それが最後にこういう結果でしか終われないというのは
やっぱり悲し過ぎる。
「煩わしいけど一人も嫌」
幼稚園に通う子供を持つ知り合いの言葉だ。
自分をきちんと持っている。そう子供に願いながら
親達自身が大人の付き合いに翻弄されているのも事実。
何が原因かは これからはっきりするけれど理不尽な
事情で命がなくなってしまったのは事実。
いつも犠牲者は弱き立場ばかり。
大人達 しっかりしなくては。。。。。
こんな事件 以前もあった記憶がある。
以前のは 親絡みの感情が子供に向けられてしまったという
やりきれない でも こういう事件今に起こると思っていたと
感じる母達は多いのではと思わせるものだった。
今回もそうなのだろうか・・・・
今は まだ推測でしか考えられないけれど二人の幼児 しかも
自分の子供と同じ年で しかも自分の子供が一緒にいたところで
正気でない気持ちで刺し殺せる親はいるだろうか。
親絡みか子供絡みか どっちにしろ物凄い心の闇があるような
気がする。
衝動的に発した感情でなく 長年の蓄積の沸々とした感情が
親としての正気をなくしてしまったのだろうか。
今振り返ると 子供が小さければ小さいほど 親同士の
つき合いというのは濃厚になる。
一緒に遊ぶという子供の行為だけなのに 親が付き添う。
そういう場面が多いのもあるし 一般的にフルタイムで
働く母が少ないせいか 母達も子供に付き添いながらの
参加が自分の社会参加のような気持ちになるのだ。
公園デビューなんて言葉から始まって 母と子は
徐々に他人親子達との社会を繋げていく。
親といえども人間。大人同士のつき合いといえども
合う 合わないもある。濃厚なつき合いになればなるほど
精神的に相談し合い 共に育児の力になる時もあれば
時として 物凄い亀裂の生じた関係になってしまう事もある。
それに厄介なのが親としての感情だ。
劣る 劣ってない 優れてる こんな勝手な比べっこも
親達の気持ちの底の底には見え隠れする。
今回の事件が親からみのものじゃないかもしれないが
何かしらの人間関係のこじれの結果である事は絶対だろう。
でも それが最後にこういう結果でしか終われないというのは
やっぱり悲し過ぎる。
「煩わしいけど一人も嫌」
幼稚園に通う子供を持つ知り合いの言葉だ。
自分をきちんと持っている。そう子供に願いながら
親達自身が大人の付き合いに翻弄されているのも事実。
何が原因かは これからはっきりするけれど理不尽な
事情で命がなくなってしまったのは事実。
いつも犠牲者は弱き立場ばかり。
大人達 しっかりしなくては。。。。。