どうもご無沙汰しております。
しばらく黙っていなくなっていたumiです。
2003年から一日も休まず続いていた更新ですが、2019年9月30日で一区切りとなっております。
別に事故があってかけなくなったとか、そういうことではありませんが
更新内容がただのボヤキになってきたり、生活に追われてうまくモチベーションが保てなくなったのが原因です。
あわせて写真も撮らなくなっております。
今年の初日の出は初の見送りとなりました。
もしかしたら少し気が弱ってるのかもしれません。
とはいえいつもどおり生活しております。
また気が向いたら始めようかな。
たぶんきっと充電期間中なのです。
これはどうした事だ
投稿が完了していなかった
その上間違って消してまったじゃないか
初めてだな
追記
とりあえず大丈夫、しっかり投稿されてた。寝ぼけてるだけか…
このブログも今日で13年を迎えました。
今のところ休みなく続いております。
13年と言えば、2003年に生まれた子は13歳ですよ?(当たり前!
昔から写真を撮るのが好きだった訳ですが、携帯機能付きカメラを手に入れてから世界が変わりました。
HPをかじり始め、ぴーぴるぴる… とテレホタイムが始まる夜11時からパソコンに張り付いていた時代です。
そりゃもう朝までネットざんまいですよ。
ただ、フィルム写真はどうあがいてもデータ化することは出来なかったわけですよ。厳密に言えばスキャナとかフィルムスキャナとかは売られてましたが、店屋のガラスによだれを垂らしながら眺めてた時代です。
そんな時に出てきたカメラ付きの携帯電話。ただ、初期の初期は外部メモリなんていう概念もなく、本体のみに保存が出来るとか、まだまだ画質が荒いとか、なんともピンとこなかったのを覚えていいます。
さて、そうやって指をくわえてみているとD505iなんていう素敵な携帯が出てるじゃないですか!
http://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/showcase_top/14111.html (しかしこんなページちゃんと残ってるんだな)
「二つ折りを開いてカメラを起動させて撮る」という現代にも繋がるスタイル全盛時に、背面液晶をディスプレイにして「畳んだまま撮れる」という無茶な方式。構えてる形は携帯じゃなくて、もうデジカメじゃないか!
飛びついたのは言うまでもありません。
さて、携帯機能付きカメラを手に入れたはいいが、これで何をしよう。写真だけじゃ面白く無いから詩でも付けてみようかな? なんてことを考えながら、その時はブログという概念があったかなかったかよく覚えてませんが、携帯からでも投稿ができる”魔法のiらんど”だったかな。そのあたりの掲示板型で投稿しておりました。
せっかくそんな掲示板を作ったんだから、毎日更新してみよう。出来なきゃそれまでだったってことさ…
そんな軽い気持ちで始めてしまったのが運の尽き。その時は「その日撮った写真」ってとこまでは考えてなくて、ありものに言葉をつければいいかとも思ってましたが、ふと思い直し今の「今日撮った写真」のスタイルになりました。
だからたまにハズレが出てきます(笑
一度続き始めるともう後戻りはできません。雨が降っても槍が降っても更新は続けます。
だって、終わってしまったらそこで終わりじゃないですか。
たまに何も書けないこともあるけれど、今日出来たんだから明日も出来る、明日もできたんなら明後日も出来る。明後日もできたら… なんていう無茶な理論ですが、一日は24時間もあってその中のたった5分ほどを使えば出来るんです。繋がるんです。
一ヶ月が経って、二ヶ月が経って、「何だまだ続いてるじゃないか!」そんなことを繰り返しているうちにいつのまにか一年間続いておりました。
そんな頃に「ブログ」なんていう面白いツールを見つけ飛びついたのがここですね。
一年続いたらどんどん欲が出てきます。まだ続けてみよう。
そんな「まだ続けてみよう」が続いたままここに至ります。
ただ、ここまで続いてくるとやめるのが逆に難しくなってきます。半分ライフワークでも、毎日締め切りに追われてるような気もします。
出来ないこと、無理なことはしないタイプなので負担にならない程度に細々とやってます。
きっと続けるにはこれくらいがいいんだと思います。
実は「努力」という言葉があまり好きではありません。無茶なことを言えば、それは口だけでなんとでもなるんです。
作業は一瞬でも「努力しました」といえば努力したことになっちゃいますが、「継続」ならどうでしょうか。
「一週間続けました」「一ヶ月続いてます」はどうでしょう。決して口だけではない「継続」がそこにはあります。
三日坊主なんて言葉もありますが、続けることは努力よりも強いと思ってます。
ただ、続けるためには頑張らないことも必要かもしれません。
頑張ってしまったためにバテて立ち止まってしまったらもう歩けません。本末転倒です。
たまに息抜きをしながらのんびり行けばきっとどこへでも続いていけるような気がします。
無駄に長い文章になっちゃいました。たまにはいいよね。
さて、最後に一つ目標だけ描いておきます。
「久遠更新100万日!(ミリオンナイツ)」を目指しております。数字の理由は語ると長くなるので割愛します。DJアカサカー!
単純計算で27年ほど続いてりゃなんとかなるでしょう。たぶん。
これからも久遠の絃は「久遠」の名に恥じぬよう続いていきますので、たまには覗いてみてください。
うみのこきょう
今のところ休みなく続いております。
13年と言えば、2003年に生まれた子は13歳ですよ?(当たり前!
昔から写真を撮るのが好きだった訳ですが、携帯機能付きカメラを手に入れてから世界が変わりました。
HPをかじり始め、ぴーぴるぴる… とテレホタイムが始まる夜11時からパソコンに張り付いていた時代です。
そりゃもう朝までネットざんまいですよ。
ただ、フィルム写真はどうあがいてもデータ化することは出来なかったわけですよ。厳密に言えばスキャナとかフィルムスキャナとかは売られてましたが、店屋のガラスによだれを垂らしながら眺めてた時代です。
そんな時に出てきたカメラ付きの携帯電話。ただ、初期の初期は外部メモリなんていう概念もなく、本体のみに保存が出来るとか、まだまだ画質が荒いとか、なんともピンとこなかったのを覚えていいます。
さて、そうやって指をくわえてみているとD505iなんていう素敵な携帯が出てるじゃないですか!
http://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/showcase_top/14111.html (しかしこんなページちゃんと残ってるんだな)
「二つ折りを開いてカメラを起動させて撮る」という現代にも繋がるスタイル全盛時に、背面液晶をディスプレイにして「畳んだまま撮れる」という無茶な方式。構えてる形は携帯じゃなくて、もうデジカメじゃないか!
飛びついたのは言うまでもありません。
さて、携帯機能付きカメラを手に入れたはいいが、これで何をしよう。写真だけじゃ面白く無いから詩でも付けてみようかな? なんてことを考えながら、その時はブログという概念があったかなかったかよく覚えてませんが、携帯からでも投稿ができる”魔法のiらんど”だったかな。そのあたりの掲示板型で投稿しておりました。
せっかくそんな掲示板を作ったんだから、毎日更新してみよう。出来なきゃそれまでだったってことさ…
そんな軽い気持ちで始めてしまったのが運の尽き。その時は「その日撮った写真」ってとこまでは考えてなくて、ありものに言葉をつければいいかとも思ってましたが、ふと思い直し今の「今日撮った写真」のスタイルになりました。
だからたまにハズレが出てきます(笑
一度続き始めるともう後戻りはできません。雨が降っても槍が降っても更新は続けます。
だって、終わってしまったらそこで終わりじゃないですか。
たまに何も書けないこともあるけれど、今日出来たんだから明日も出来る、明日もできたんなら明後日も出来る。明後日もできたら… なんていう無茶な理論ですが、一日は24時間もあってその中のたった5分ほどを使えば出来るんです。繋がるんです。
一ヶ月が経って、二ヶ月が経って、「何だまだ続いてるじゃないか!」そんなことを繰り返しているうちにいつのまにか一年間続いておりました。
そんな頃に「ブログ」なんていう面白いツールを見つけ飛びついたのがここですね。
一年続いたらどんどん欲が出てきます。まだ続けてみよう。
そんな「まだ続けてみよう」が続いたままここに至ります。
ただ、ここまで続いてくるとやめるのが逆に難しくなってきます。半分ライフワークでも、毎日締め切りに追われてるような気もします。
出来ないこと、無理なことはしないタイプなので負担にならない程度に細々とやってます。
きっと続けるにはこれくらいがいいんだと思います。
実は「努力」という言葉があまり好きではありません。無茶なことを言えば、それは口だけでなんとでもなるんです。
作業は一瞬でも「努力しました」といえば努力したことになっちゃいますが、「継続」ならどうでしょうか。
「一週間続けました」「一ヶ月続いてます」はどうでしょう。決して口だけではない「継続」がそこにはあります。
三日坊主なんて言葉もありますが、続けることは努力よりも強いと思ってます。
ただ、続けるためには頑張らないことも必要かもしれません。
頑張ってしまったためにバテて立ち止まってしまったらもう歩けません。本末転倒です。
たまに息抜きをしながらのんびり行けばきっとどこへでも続いていけるような気がします。
無駄に長い文章になっちゃいました。たまにはいいよね。
さて、最後に一つ目標だけ描いておきます。
「久遠更新100万日!(ミリオンナイツ)」を目指しております。数字の理由は語ると長くなるので割愛します。DJアカサカー!
単純計算で27年ほど続いてりゃなんとかなるでしょう。たぶん。
これからも久遠の絃は「久遠」の名に恥じぬよう続いていきますので、たまには覗いてみてください。
うみのこきょう
どうにも前から不思議なものを拾う癖がある様で今回もこんな風船を拾ってしまった。
風船は割れてしまってたけれど、海岸沿いの手すりに引っかかってて、拾い上げてみるとメッセージカードがついていました。
どっから来たのかと読んでみようと思いましたが、全く読めない。
どこをどう読んでいいのかどっちが上か下かもわからない。
それもそのはず。おかんがよく見ている韓国ドラマに出てくる文字ハングル語でした。
途方に暮れながら事務所に帰り考える。ネットで翻訳をかけようにもどうやって打てばいいのかわからない。
グルグルと頭を回して一つの答えにたどり着きました。
ツイッターで聞いてみよう!
メッセージを写真に取り早速アップ。
ツイートはリツイートにリツイートを重ね、ものの1,2時間で翻訳が届きました。なんて早さだ!
……ネットは広大だわ。なんてどこかの少佐の言葉が頭を貫きます。
内容としては
”家族のみんなが健康でありますように。
アヨン(娘さんかな?)が健やかに育ちますように。
入札がうまくいきますように。”
との想いと願いの詰まったメッセージでした。
正月早々になんだか縁起のいいものを拾ってしまった気がします。
せっかくなのでここでも幸せのおすそ分け。
この2015年が皆様とともにいい年でありますように。
うみのこきょう
風船は割れてしまってたけれど、海岸沿いの手すりに引っかかってて、拾い上げてみるとメッセージカードがついていました。
どっから来たのかと読んでみようと思いましたが、全く読めない。
どこをどう読んでいいのかどっちが上か下かもわからない。
それもそのはず。おかんがよく見ている韓国ドラマに出てくる文字ハングル語でした。
途方に暮れながら事務所に帰り考える。ネットで翻訳をかけようにもどうやって打てばいいのかわからない。
グルグルと頭を回して一つの答えにたどり着きました。
ツイッターで聞いてみよう!
メッセージを写真に取り早速アップ。
ツイートはリツイートにリツイートを重ね、ものの1,2時間で翻訳が届きました。なんて早さだ!
……ネットは広大だわ。なんてどこかの少佐の言葉が頭を貫きます。
内容としては
”家族のみんなが健康でありますように。
アヨン(娘さんかな?)が健やかに育ちますように。
入札がうまくいきますように。”
との想いと願いの詰まったメッセージでした。
正月早々になんだか縁起のいいものを拾ってしまった気がします。
せっかくなのでここでも幸せのおすそ分け。
この2015年が皆様とともにいい年でありますように。
うみのこきょう
父が旅立ってから4ヶ月くらい経ったようです。
日に日に父の影が遠ざかっていくような、そんな感じがします。
入院中に車の車検の時期が来て、次はいつ乗れるのかわからない。
そんな状況の中、当たり前のように父は車検を通しました。
もちろん帰って乗るつもりだったんでしょう。
それが励みになればとも思いましたが、それも叶わず遺品という形で残りました。
時々乗ってやってくれとよく言ってましたが、足となる自分の車はあるし、
母親は免許がなく乗ることができません。
近くに必要な人がいれば譲るつもりでもありましたが、
車が無くては生活の出来ない地域で、必要としている人も特にいません。
ただ、もっと広く声をかけても良かったんでしょうが、
気持ち的なものでどうにも決心がつきませんでした。
来年3月くらいまでは税金も払い込んでるので、そこまで持っているつもりでしたが、
自動車保険の更新が近づいてきて、
さすがに保険も無しに乗るわけにもいかず、今日引き取りに来てもらいました。
昨日更新した写真がその車です。
仕事を早めに切り上げて、洗ってみました。
しばらく洗っていない車はホコリだらけでしたが、見違えるようにピカピカに見えました。
その後母とその車で買い物に出かけ、いつもの車庫に入れた時の写真です。
なんとか車には価値がついたようで、買った時に比べれば雀の涙のようなお札が帰って来ました。
ぼくが乗ってる車のホイールの購入資金にでもしようかと思ってます。
それがいいのか悪いのかはよくわかりませんが、形を変えても走ることが出来るなら
それでいいのかもしれません。この辺は気持ちの問題ですがね。
いつもの車庫に父親の車がなく、ぼくの車が入りました。
庭がいつも以上に広くなりました。
なんだか色々変わっていくようです。
喉元過ぎれば熱さも忘れるようですが、舌はしっかりやけどしてます。
この景色に慣れるまでもう少し時間がかかるようです。
日に日に父の影が遠ざかっていくような、そんな感じがします。
入院中に車の車検の時期が来て、次はいつ乗れるのかわからない。
そんな状況の中、当たり前のように父は車検を通しました。
もちろん帰って乗るつもりだったんでしょう。
それが励みになればとも思いましたが、それも叶わず遺品という形で残りました。
時々乗ってやってくれとよく言ってましたが、足となる自分の車はあるし、
母親は免許がなく乗ることができません。
近くに必要な人がいれば譲るつもりでもありましたが、
車が無くては生活の出来ない地域で、必要としている人も特にいません。
ただ、もっと広く声をかけても良かったんでしょうが、
気持ち的なものでどうにも決心がつきませんでした。
来年3月くらいまでは税金も払い込んでるので、そこまで持っているつもりでしたが、
自動車保険の更新が近づいてきて、
さすがに保険も無しに乗るわけにもいかず、今日引き取りに来てもらいました。
昨日更新した写真がその車です。
仕事を早めに切り上げて、洗ってみました。
しばらく洗っていない車はホコリだらけでしたが、見違えるようにピカピカに見えました。
その後母とその車で買い物に出かけ、いつもの車庫に入れた時の写真です。
なんとか車には価値がついたようで、買った時に比べれば雀の涙のようなお札が帰って来ました。
ぼくが乗ってる車のホイールの購入資金にでもしようかと思ってます。
それがいいのか悪いのかはよくわかりませんが、形を変えても走ることが出来るなら
それでいいのかもしれません。この辺は気持ちの問題ですがね。
いつもの車庫に父親の車がなく、ぼくの車が入りました。
庭がいつも以上に広くなりました。
なんだか色々変わっていくようです。
喉元過ぎれば熱さも忘れるようですが、舌はしっかりやけどしてます。
この景色に慣れるまでもう少し時間がかかるようです。
Googleアースひでぇ…自宅の住所検索したら写真付きで表示されやがった… プライバシーのかけらもないな…
先に書いた通り、図らずも鹿を観察しているといろいろなことが見えてくる。
基本的に雄鹿は姿を見せない。
姿を見せる時は決まって9月~11月くらいの発情期の辺りだろう。
メスを誘いに来るのかよくメスと子供の群れに遊びに来ている。
メスは去年生まれた子どもと、今年生まれた子供をつれてよく遊びに来る。
そのグループに角が生えかけた雄鹿が居たりするので間違い無いだろう。
また、”こじかのバンビ”に代表される体の斑点模様だけど、あれは夏用の色であって冬になると黒っぽくくすんだ色に変わる。
ちなみに冬に近づくにつれメスのおしりはほわほわと白い毛で覆われる。
その頃になると夜な夜な山の方から「キャー」という夜をつんざく悲鳴が聞こえる。
基本的に草的なものならなんでも食べる。
とりあえず人間が植えたものはなんだって食べていくので、全国的に困っている。
青々と茂った場所が、次の日には「ごちそうさまでした」状態になってるのもよくあること。
ヒラヒラしたものが嫌いだという噂がある。(あくまでもうわさ)
鹿の角は人でいう爪のようなもので皮膚のようなもの。
固く出来上がるとそれ以上成長しないので、春になると落ちる。
また、鹿が木に角をこすりつけ「みがく」のは男を上げるためとも言われるが、単に”かゆい”だけだという人もいる。
その辺は鹿に聞いてみないとわからない。
雄と雌の違いは角があればすぐに分かるが、角がないといまいちわからない。
ただ、顔が短く首が太いイメージがあるとオスの可能性が高い。と思う。
メスはオスより若干面長でおっとりとした顔をしている。目がパチクリしているイメージが強い。
基本的に人間に対しては攻撃してくるようなことはない。
野生だと奈良のように寄ってくることはないが、ある程度まで近づくと逃げる。
基本的に何組もグループがあるらしく、”美味しくない”と一口だけ食べて残していったらしい庭の植物が、
次の日にまた一口だけかじられていることがある。
別のグループが来てやっぱり”おいしくない”と食べ残していったような気がする。
落ちていたり、道の駅で売っている鹿の角の根本を見ると、切り取った跡があるものと、ガサガサとザラザラしたものがある。
切った跡があるものは猟師がとって切り落とした角。ザラザラしたのは自然にポロリと落ちたものを拾ってきたものである。
同じ所で両方の角が落ちることは珍しく、ザラザラしたものを二本とも揃えようとするとかなり大変だと思う。
春になると子鹿が生まれるが、これがまたやんちゃで、他の鹿にちょっかいを出してはつつかれたり、しかられたり。
見ていて微笑ましい。
と思い当たるシカの生態をポロポロと書きだしてみました。
特に参考になることはないでしょうが、観察できるほど鹿が出るようになりました。
まぁ、場所柄お客さんには好評なのですが、ポロポロとおみやげ(業界用語でいうチョコボール)が残ってるので困ります。
ちなみに、いわば草の塊なので燃料にならないかと燃やしてみたりしますが、ポロポロとこぼれ落ち、
その上やたらと獣臭いのでおすすめしません。
間違っても燃やさないようにしてください。
基本的に雄鹿は姿を見せない。
姿を見せる時は決まって9月~11月くらいの発情期の辺りだろう。
メスを誘いに来るのかよくメスと子供の群れに遊びに来ている。
メスは去年生まれた子どもと、今年生まれた子供をつれてよく遊びに来る。
そのグループに角が生えかけた雄鹿が居たりするので間違い無いだろう。
また、”こじかのバンビ”に代表される体の斑点模様だけど、あれは夏用の色であって冬になると黒っぽくくすんだ色に変わる。
ちなみに冬に近づくにつれメスのおしりはほわほわと白い毛で覆われる。
その頃になると夜な夜な山の方から「キャー」という夜をつんざく悲鳴が聞こえる。
基本的に草的なものならなんでも食べる。
とりあえず人間が植えたものはなんだって食べていくので、全国的に困っている。
青々と茂った場所が、次の日には「ごちそうさまでした」状態になってるのもよくあること。
ヒラヒラしたものが嫌いだという噂がある。(あくまでもうわさ)
鹿の角は人でいう爪のようなもので皮膚のようなもの。
固く出来上がるとそれ以上成長しないので、春になると落ちる。
また、鹿が木に角をこすりつけ「みがく」のは男を上げるためとも言われるが、単に”かゆい”だけだという人もいる。
その辺は鹿に聞いてみないとわからない。
雄と雌の違いは角があればすぐに分かるが、角がないといまいちわからない。
ただ、顔が短く首が太いイメージがあるとオスの可能性が高い。と思う。
メスはオスより若干面長でおっとりとした顔をしている。目がパチクリしているイメージが強い。
基本的に人間に対しては攻撃してくるようなことはない。
野生だと奈良のように寄ってくることはないが、ある程度まで近づくと逃げる。
基本的に何組もグループがあるらしく、”美味しくない”と一口だけ食べて残していったらしい庭の植物が、
次の日にまた一口だけかじられていることがある。
別のグループが来てやっぱり”おいしくない”と食べ残していったような気がする。
落ちていたり、道の駅で売っている鹿の角の根本を見ると、切り取った跡があるものと、ガサガサとザラザラしたものがある。
切った跡があるものは猟師がとって切り落とした角。ザラザラしたのは自然にポロリと落ちたものを拾ってきたものである。
同じ所で両方の角が落ちることは珍しく、ザラザラしたものを二本とも揃えようとするとかなり大変だと思う。
春になると子鹿が生まれるが、これがまたやんちゃで、他の鹿にちょっかいを出してはつつかれたり、しかられたり。
見ていて微笑ましい。
と思い当たるシカの生態をポロポロと書きだしてみました。
特に参考になることはないでしょうが、観察できるほど鹿が出るようになりました。
まぁ、場所柄お客さんには好評なのですが、ポロポロとおみやげ(業界用語でいうチョコボール)が残ってるので困ります。
ちなみに、いわば草の塊なので燃料にならないかと燃やしてみたりしますが、ポロポロとこぼれ落ち、
その上やたらと獣臭いのでおすすめしません。
間違っても燃やさないようにしてください。
久しぶりに旨いものを食って、いい酒が飲めたので最近の動向を報告します。
7月23日10時19分に父が旅立って行きました。
腎臓と前立腺がんを患い、手のつけようがない状態で入院してから一ヶ月半ほど入院しておりました。
進行が遅いと言われる前立腺がんですが、一番たちの悪いものだったらしく進行が早く、
それも全身に転移したようでしばらく痛みとの戦いでした。
ただ入院してからは痛み止めで痛みはなくなったようですが、食べるものが満足に食べられずに苦労をしておりました。
お医者様からは”いつでも駆けつけることが出来るように”と言われていた次第です。
点滴をやめることも叶わず、腎臓と前立腺の関係で体の水分を排出することが出来ず日々むくんでいく足と手、顔を眺めておりました。
旅立つ3日前までは意識も言葉もほどほどにしっかりしていて、ぼくの帰り際には「安全運転でな」と声をかけてくれました。
まだそこにいるはずなのに、帰り道のトンネルでなぜだか涙と声が漏れてしまいました。
22日の日曜日の朝に母から連絡があり、病院に駆けつけました。
心電図を付けられ、酸素マスクをした父の姿がそこにありました。
ただ大きく息を吸いながら、ときどき喉にたんを絡ませて眠るような姿でありました。
ときどき話しかけると、あーとかうーとかそんな言葉が帰ってくるようでした。
深夜を過ぎると眠ったように肩で息をしていた呼吸が、少し落ち着いたような気がします。
そのうち血圧が下がり始め、朝を迎えます。
入院した頃から覚悟はしていたとはいえ、それを目の前にするとどうしようもない不安が涙となってこぼれます。
病気と痛みを押してここまで生きながらえた体に”がんばれ”と声をかけることも出来ず、見守ることしか出来ません。
朝10時を過ぎたころ、がばっと目を見開いた後静かに旅立って行きました。
今まで祖父も祖母も旅立って行きましたが、どちらも看取ることができませんでした。
父親の旅立ちに立ち会えたのが、息子として誇りに思います。
仕事が終わった後病院に顔を出す日々。
夏を前に忙しくなっていく仕事と、見舞いの日々。だんだんと悪くなっていく容態。
時が許せば発狂したくなったようなこともあったような気がします。
心臓が止まった後”ありがとう”と”おやすみなさい”をつげて、いろいろな人の力を借りて家に帰った次第です。
ここで報告するのも、友人関係に報告するのも、色々ためらいました。
ためらって報告できずにいる友人関係も多々ありますが、事が事でしたのでご容赦ください。
また、出来ましたらこの記事に関するコメントはお控えください。
ここにコメントを残すくらいなら、今いる大切な人を大事にしてあげてください。
体に違和感があるのに病院に行きたがらない人がおりましたら、ひっぱたいてでも連れってあげてください。
医者が笑うほど健康であればそれが何よりです。
”寝たら治る”なんて考えちゃいけません。寝ても治らなかったら確実に病気と考えてください。
本人の体調は本人にしかわかりません。痛みを代わってあげられるわけでもありません。
医者に笑ってもらえる健康こそが全てなんだと思います。
最後に今年の一月に家族で出かける機会がありました。
思わず家の前で家族写真を撮りました。
家族みんなで、夫婦で、父親だけの写真で。父親にはないしょでしたが、余命の宣告なんてものも頂いておりました。
薄々気づいていたのかもしれませんが、せっかくなので撮っておきました。
ただ、それが本当になるなんてその時は少しも思いませんでした。
カメラを構えるものとして光栄なことではありますが、
来た人が口々につぶやく”いい写真だ”という言葉になんともいえない違和感と不安感。心地よさと罪悪感。申し訳なさと誇らしさ。
いろいろな感情が混ざってどうしていいのかわからなくなりました。
何が良いのか悪いのか、それで本当に良かったのか悪かったのか、それは今になってもわかりません。
ただ、葬式や後の手続きなどに追われる母を見ていると、旅立った父を差し置いてでもフォローしていかないといけないような気がします。
肩を落とす暇もなかった日常と、ふと思い出す父の背中。
まだ超えていくには早かったはずなんだけどな。
7月23日10時19分に父が旅立って行きました。
腎臓と前立腺がんを患い、手のつけようがない状態で入院してから一ヶ月半ほど入院しておりました。
進行が遅いと言われる前立腺がんですが、一番たちの悪いものだったらしく進行が早く、
それも全身に転移したようでしばらく痛みとの戦いでした。
ただ入院してからは痛み止めで痛みはなくなったようですが、食べるものが満足に食べられずに苦労をしておりました。
お医者様からは”いつでも駆けつけることが出来るように”と言われていた次第です。
点滴をやめることも叶わず、腎臓と前立腺の関係で体の水分を排出することが出来ず日々むくんでいく足と手、顔を眺めておりました。
旅立つ3日前までは意識も言葉もほどほどにしっかりしていて、ぼくの帰り際には「安全運転でな」と声をかけてくれました。
まだそこにいるはずなのに、帰り道のトンネルでなぜだか涙と声が漏れてしまいました。
22日の日曜日の朝に母から連絡があり、病院に駆けつけました。
心電図を付けられ、酸素マスクをした父の姿がそこにありました。
ただ大きく息を吸いながら、ときどき喉にたんを絡ませて眠るような姿でありました。
ときどき話しかけると、あーとかうーとかそんな言葉が帰ってくるようでした。
深夜を過ぎると眠ったように肩で息をしていた呼吸が、少し落ち着いたような気がします。
そのうち血圧が下がり始め、朝を迎えます。
入院した頃から覚悟はしていたとはいえ、それを目の前にするとどうしようもない不安が涙となってこぼれます。
病気と痛みを押してここまで生きながらえた体に”がんばれ”と声をかけることも出来ず、見守ることしか出来ません。
朝10時を過ぎたころ、がばっと目を見開いた後静かに旅立って行きました。
今まで祖父も祖母も旅立って行きましたが、どちらも看取ることができませんでした。
父親の旅立ちに立ち会えたのが、息子として誇りに思います。
仕事が終わった後病院に顔を出す日々。
夏を前に忙しくなっていく仕事と、見舞いの日々。だんだんと悪くなっていく容態。
時が許せば発狂したくなったようなこともあったような気がします。
心臓が止まった後”ありがとう”と”おやすみなさい”をつげて、いろいろな人の力を借りて家に帰った次第です。
ここで報告するのも、友人関係に報告するのも、色々ためらいました。
ためらって報告できずにいる友人関係も多々ありますが、事が事でしたのでご容赦ください。
また、出来ましたらこの記事に関するコメントはお控えください。
ここにコメントを残すくらいなら、今いる大切な人を大事にしてあげてください。
体に違和感があるのに病院に行きたがらない人がおりましたら、ひっぱたいてでも連れってあげてください。
医者が笑うほど健康であればそれが何よりです。
”寝たら治る”なんて考えちゃいけません。寝ても治らなかったら確実に病気と考えてください。
本人の体調は本人にしかわかりません。痛みを代わってあげられるわけでもありません。
医者に笑ってもらえる健康こそが全てなんだと思います。
最後に今年の一月に家族で出かける機会がありました。
思わず家の前で家族写真を撮りました。
家族みんなで、夫婦で、父親だけの写真で。父親にはないしょでしたが、余命の宣告なんてものも頂いておりました。
薄々気づいていたのかもしれませんが、せっかくなので撮っておきました。
ただ、それが本当になるなんてその時は少しも思いませんでした。
カメラを構えるものとして光栄なことではありますが、
来た人が口々につぶやく”いい写真だ”という言葉になんともいえない違和感と不安感。心地よさと罪悪感。申し訳なさと誇らしさ。
いろいろな感情が混ざってどうしていいのかわからなくなりました。
何が良いのか悪いのか、それで本当に良かったのか悪かったのか、それは今になってもわかりません。
ただ、葬式や後の手続きなどに追われる母を見ていると、旅立った父を差し置いてでもフォローしていかないといけないような気がします。
肩を落とす暇もなかった日常と、ふと思い出す父の背中。
まだ超えていくには早かったはずなんだけどな。