久しぶりに旨いものを食って、いい酒が飲めたので最近の動向を報告します。
7月23日10時19分に父が旅立って行きました。
腎臓と前立腺がんを患い、手のつけようがない状態で入院してから一ヶ月半ほど入院しておりました。
進行が遅いと言われる前立腺がんですが、一番たちの悪いものだったらしく進行が早く、
それも全身に転移したようでしばらく痛みとの戦いでした。
ただ入院してからは痛み止めで痛みはなくなったようですが、食べるものが満足に食べられずに苦労をしておりました。
お医者様からは”いつでも駆けつけることが出来るように”と言われていた次第です。
点滴をやめることも叶わず、腎臓と前立腺の関係で体の水分を排出することが出来ず日々むくんでいく足と手、顔を眺めておりました。
旅立つ3日前までは意識も言葉もほどほどにしっかりしていて、ぼくの帰り際には「安全運転でな」と声をかけてくれました。
まだそこにいるはずなのに、帰り道のトンネルでなぜだか涙と声が漏れてしまいました。
22日の日曜日の朝に母から連絡があり、病院に駆けつけました。
心電図を付けられ、酸素マスクをした父の姿がそこにありました。
ただ大きく息を吸いながら、ときどき喉にたんを絡ませて眠るような姿でありました。
ときどき話しかけると、あーとかうーとかそんな言葉が帰ってくるようでした。
深夜を過ぎると眠ったように肩で息をしていた呼吸が、少し落ち着いたような気がします。
そのうち血圧が下がり始め、朝を迎えます。
入院した頃から覚悟はしていたとはいえ、それを目の前にするとどうしようもない不安が涙となってこぼれます。
病気と痛みを押してここまで生きながらえた体に”がんばれ”と声をかけることも出来ず、見守ることしか出来ません。
朝10時を過ぎたころ、がばっと目を見開いた後静かに旅立って行きました。
今まで祖父も祖母も旅立って行きましたが、どちらも看取ることができませんでした。
父親の旅立ちに立ち会えたのが、息子として誇りに思います。
仕事が終わった後病院に顔を出す日々。
夏を前に忙しくなっていく仕事と、見舞いの日々。だんだんと悪くなっていく容態。
時が許せば発狂したくなったようなこともあったような気がします。
心臓が止まった後”ありがとう”と”おやすみなさい”をつげて、いろいろな人の力を借りて家に帰った次第です。
ここで報告するのも、友人関係に報告するのも、色々ためらいました。
ためらって報告できずにいる友人関係も多々ありますが、事が事でしたのでご容赦ください。
また、出来ましたらこの記事に関するコメントはお控えください。
ここにコメントを残すくらいなら、今いる大切な人を大事にしてあげてください。
体に違和感があるのに病院に行きたがらない人がおりましたら、ひっぱたいてでも連れってあげてください。
医者が笑うほど健康であればそれが何よりです。
”寝たら治る”なんて考えちゃいけません。寝ても治らなかったら確実に病気と考えてください。
本人の体調は本人にしかわかりません。痛みを代わってあげられるわけでもありません。
医者に笑ってもらえる健康こそが全てなんだと思います。
最後に今年の一月に家族で出かける機会がありました。
思わず家の前で家族写真を撮りました。
家族みんなで、夫婦で、父親だけの写真で。父親にはないしょでしたが、余命の宣告なんてものも頂いておりました。
薄々気づいていたのかもしれませんが、せっかくなので撮っておきました。
ただ、それが本当になるなんてその時は少しも思いませんでした。
カメラを構えるものとして光栄なことではありますが、
来た人が口々につぶやく”いい写真だ”という言葉になんともいえない違和感と不安感。心地よさと罪悪感。申し訳なさと誇らしさ。
いろいろな感情が混ざってどうしていいのかわからなくなりました。
何が良いのか悪いのか、それで本当に良かったのか悪かったのか、それは今になってもわかりません。
ただ、葬式や後の手続きなどに追われる母を見ていると、旅立った父を差し置いてでもフォローしていかないといけないような気がします。
肩を落とす暇もなかった日常と、ふと思い出す父の背中。
まだ超えていくには早かったはずなんだけどな。
7月23日10時19分に父が旅立って行きました。
腎臓と前立腺がんを患い、手のつけようがない状態で入院してから一ヶ月半ほど入院しておりました。
進行が遅いと言われる前立腺がんですが、一番たちの悪いものだったらしく進行が早く、
それも全身に転移したようでしばらく痛みとの戦いでした。
ただ入院してからは痛み止めで痛みはなくなったようですが、食べるものが満足に食べられずに苦労をしておりました。
お医者様からは”いつでも駆けつけることが出来るように”と言われていた次第です。
点滴をやめることも叶わず、腎臓と前立腺の関係で体の水分を排出することが出来ず日々むくんでいく足と手、顔を眺めておりました。
旅立つ3日前までは意識も言葉もほどほどにしっかりしていて、ぼくの帰り際には「安全運転でな」と声をかけてくれました。
まだそこにいるはずなのに、帰り道のトンネルでなぜだか涙と声が漏れてしまいました。
22日の日曜日の朝に母から連絡があり、病院に駆けつけました。
心電図を付けられ、酸素マスクをした父の姿がそこにありました。
ただ大きく息を吸いながら、ときどき喉にたんを絡ませて眠るような姿でありました。
ときどき話しかけると、あーとかうーとかそんな言葉が帰ってくるようでした。
深夜を過ぎると眠ったように肩で息をしていた呼吸が、少し落ち着いたような気がします。
そのうち血圧が下がり始め、朝を迎えます。
入院した頃から覚悟はしていたとはいえ、それを目の前にするとどうしようもない不安が涙となってこぼれます。
病気と痛みを押してここまで生きながらえた体に”がんばれ”と声をかけることも出来ず、見守ることしか出来ません。
朝10時を過ぎたころ、がばっと目を見開いた後静かに旅立って行きました。
今まで祖父も祖母も旅立って行きましたが、どちらも看取ることができませんでした。
父親の旅立ちに立ち会えたのが、息子として誇りに思います。
仕事が終わった後病院に顔を出す日々。
夏を前に忙しくなっていく仕事と、見舞いの日々。だんだんと悪くなっていく容態。
時が許せば発狂したくなったようなこともあったような気がします。
心臓が止まった後”ありがとう”と”おやすみなさい”をつげて、いろいろな人の力を借りて家に帰った次第です。
ここで報告するのも、友人関係に報告するのも、色々ためらいました。
ためらって報告できずにいる友人関係も多々ありますが、事が事でしたのでご容赦ください。
また、出来ましたらこの記事に関するコメントはお控えください。
ここにコメントを残すくらいなら、今いる大切な人を大事にしてあげてください。
体に違和感があるのに病院に行きたがらない人がおりましたら、ひっぱたいてでも連れってあげてください。
医者が笑うほど健康であればそれが何よりです。
”寝たら治る”なんて考えちゃいけません。寝ても治らなかったら確実に病気と考えてください。
本人の体調は本人にしかわかりません。痛みを代わってあげられるわけでもありません。
医者に笑ってもらえる健康こそが全てなんだと思います。
最後に今年の一月に家族で出かける機会がありました。
思わず家の前で家族写真を撮りました。
家族みんなで、夫婦で、父親だけの写真で。父親にはないしょでしたが、余命の宣告なんてものも頂いておりました。
薄々気づいていたのかもしれませんが、せっかくなので撮っておきました。
ただ、それが本当になるなんてその時は少しも思いませんでした。
カメラを構えるものとして光栄なことではありますが、
来た人が口々につぶやく”いい写真だ”という言葉になんともいえない違和感と不安感。心地よさと罪悪感。申し訳なさと誇らしさ。
いろいろな感情が混ざってどうしていいのかわからなくなりました。
何が良いのか悪いのか、それで本当に良かったのか悪かったのか、それは今になってもわかりません。
ただ、葬式や後の手続きなどに追われる母を見ていると、旅立った父を差し置いてでもフォローしていかないといけないような気がします。
肩を落とす暇もなかった日常と、ふと思い出す父の背中。
まだ超えていくには早かったはずなんだけどな。
いろいろなことがあって いろいろなことが過ぎていく
一つのいろいろが終わり 煙草の煙の先に月が見えた
カメラを持たない服は そこにあった月さえも隠してしまう
本当はそこにあるはずなのに 目には映らない心の中の写真
一つのいろいろが終わり 煙草の煙の先に月が見えた
カメラを持たない服は そこにあった月さえも隠してしまう
本当はそこにあるはずなのに 目には映らない心の中の写真