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青山繁晴氏 テレビご参加のお知らせ

2017年01月08日 | 青山繁晴さん
青山繁晴氏のブログを転載します。
転載始め
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2017-01-08 07:55:01

おはようございます。

▼久しぶりに、かつての大阪の定宿ホテルで起床しました。
 きのう関西テレビの「胸いっぱいサミット」の収録があり、大阪に入っていました。
 収録は、トランプさんと中国の対決から始まり、オスプレイのこと、天皇陛下のご譲位のこと、さらには全自動運転のことまでびっくりの幅広さでした。
 そして、拉致問題について、ぼくはこれまでより踏み込んだ発言をしました。

 12日から京都の画廊「大雅堂」で開く現代アートの個展への追い込みで、徹夜で制作したあとだったので、頭の切れも話しぶりもかなり不調だったのですが、この拉致問題については、収録中に胸の裡(うち)で決心して、「もう言った方がいい」と思うことを話しました。
 14日土曜の正午に放送されます。

▼この番組は今、月1回のペースでゲスト参加しているのですが、ふだんはもちろん日帰りです。
 だけど昨日は、収録のあとにスタッフと焼き鳥屋で飲み会があり、泊まったわけです。

 実は、この番組のスタッフとは特別なご縁があります。
 去年の6月、ぼくがお断りしていた参院選への出馬について、安倍総理から「出てくれれば外務省、経産省、自民党議員が変わる」という意外な電話をもらって、生まれてからいちばん迷っているとき、それとは知らずにこの「胸いっぱいサミット」のスタッフの面々が番組参加の打ち合わせのために、講義前のぼくを近畿大学へ訪ねてこられたのです。

 スタッフの口の堅さを信頼していたのと、出馬となると番組には選挙が終わるまで出られないので迷惑をかけてもいけないから、近畿大学の授業のあと、関テレの近くでみんなでごはんを食べました。
 そして率直に実情を話して、ひとりひとりに意見を聴いたのです。

「胸いっぱいサミット」のスタッフは全員が反対でした。
「それより番組に出て欲しい」という意見、「青山さんはずっと独立独歩でやって来たので、これからもそうあってほしい」という意見などが今も印象に残っています。
 ぼくは「独立は変わらない」と答えつつ、反対意見もしっかり胸に刻みました。

 賛成したのは、関西テレビの側ではただ一人、かつての報道番組「水曜アンカー」のディレクターだったOさんだけ、そして同席していた清水麻未、当時の独研 ( 独立総合研究所 ) 秘書室第二課の秘書でした。
 Oさんは「番組に出て欲しい気持ちもとても強いけど、いま国難のときに国政に直接、働きかけるべきだと思います」という趣旨の意見でした。
 その真っ当な感覚に感嘆しました。
 清水秘書は「国益のために出るべきです」という彼女らしい、しっかりした明言を終始一貫、変えませんでした。

▼さて、そのあとにぼくはこうして参議院議員、ぎーんになったわけですが、今回それから半年が経って、反対の人も賛成の人も「出馬して、よかったね」という話になり、いわば打ち上げをやったのです。

 この会もめちゃ愉しかったのですが、傑作だったのは、店に行く途中の道すがらの出来事です。
 関テレから、賑(にぎ)やかな天満の商店街のあたりを歩いて行ったのですが、何人かの人から「青山さん、もう一回、アンカーをやって」、「もっとテレビに出て」と声を掛けていただくのはいつも通りなのですが、そのなかでずーぅと、かなりの距離を付いてこられた男性が、最後にこう仰いました。

「青山さん、あんた、選挙に出るべきや。国会に行ってよ」

 スタッフ爆笑、そして昨日の同行担当だった政策秘書の太(ふとし)は、かねてぼくから「関西のみなさんは、ぼくが選挙に出たことも、ぎーんになったこともまだご存じない人が多いよ」と聞いていたのが、ホントにホントだったことが分かり、すこし茫然。
 ぼくが、この善意のかたまりの素敵なおじさんに「はい、実は、もうなってます」と答えると、このひとは「え~! ほんま! わしはずっとそう思ってたんや。それなら一票入れたのに」と叫ばれました。

 大丈夫、今ぼくのこの胸に、あたたかなこころの一票が入りましたよ。
 ありがとう、大阪!
 素敵だぞ、関西!
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転載終わり


では、また明日。
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります様に…。
と言うよりも、
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります。
(それが必ず実現される為に、”祈り”ではなく、”そうである”と断言しました。)



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