ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ

青山繁晴個人HP、メイン・コーナー

Our World Time

IDC(インディペンデント・クラブ)の追加募集を始めました…そしてすぐ終わります。

2014年07月25日 | Weblog
今日から8月4日の正午までです。
ここです。
ぼくもたった今、独研(独立総合研究所)の事務局から聞いたばかりです。いま京都へ移動中なので、詳しくは、あとでお話しします。
追加募集は40人です。
Comment (0) | 

追伸

2014年07月24日 | Weblog
 下掲の「今後の水曜アンカー」というエントリーの含意(がんい)は、「いろいろありましたし、今もありますし、これからもあるでしょう。しかし、少なくとも9月で終わるということは、ありませぬ」ということです。
Comment (0) | 

今後の水曜アンカー

2014年07月24日 | Weblog
▼来週7月30日水曜は、「青山のニュースでズバリ」のコーナー400回の記念放送です。
 先日の沖縄ロケを中心に、放送します。
 ぼく自身、まったくカケラも予想、期待していなかった奇跡の映像が含まれていますから、できればご覧ください。


▼そのあと8月6日水曜は、いつも通りに放送し、8月13日水曜には、ぼくはお休みします。
 8月13日水曜は敗戦の日の直前ですから、できれば番組に参加しコーナーもやりたいのですが、海外出張です。

 海外出張から戻ってくる8月20日水曜から、また放送を続けていきます。
 こないだ、編集者のかたから「水曜アンカーがいよいよ9月で終わるそうですね。空いた時間と労力をぜひ、すべて原稿に使って、うちにも書いてください」という真剣そのもののお尋ねを頂いたりしました。
 ぼくはネット・サーフィンは一切しませんから、知りませんが、例によって噂か何かになっているのかな?
 9月からも水曜アンカーは続きます。

 一方で、物書きへの回帰は、確かに、加速していきます。


▼海外出張先で、新刊の発売日を迎えます。
 8月12日から、「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニプラス)が主な書店に並び始めます。
 予約は、例えばここです。
 鎮魂の祈りと、祖国を甦らせる誓いを込めて、海の外から、書店で手にされるみなさんを想像します。
 
Comment (0) | 

生と死を考えたいひとには、すこしだけ参考になるかもしれません。

2014年07月23日 | Weblog


(画像は、ゲラ確認のために編集部から送られてきたものを基に、この地味ブログのアップロード制限内に収まるよう縮小しました。実際の雑誌はもう少し情報量があるだろうと思います。文章やコピーにも、印刷され書店に並ぶものと、いくらか違いがあるかも知れません。これはあくまで、仮のイメージ画像です。
 なお、この画像は、雑誌の表紙ではなく、ぼくをめぐる記事の扉、最初のページです。この写真の表紙で書店に並ぶわけではありませんから、誤解なきよう)


▼ぼくが以前に大腸癌を手術し、そのあとの腸閉塞で死に直面したことは、この地味ブログにお通いのかたなら、ご存じだと思います。
 たとえばイラク戦争で死に直面したときとは違った意味で、生と死の境界を、それと自覚しつつ行ったり来たりしました。

 ぼくの意思や努力でと言うより、天の計らいでたまたま死地を脱して、まだすこし活動しているわけです。
 大病院の医師から癌を告知されたとき、それから信頼する近所の開業医から腸閉塞について「まず小腸から破裂して、まもなく死に至る」と告げられたとき、そのいずれにおいても、おのれの気持ちがぴたりと鎮(しず)まっていて、やるべき仕事、任務を遂行することを気負いなく、いささかの迷いもなく、ただ淡々と優先させている自分が正直うれしかったことを、いちばん、思い出します。
 父と母に受けた家庭教育は、嘘ではなかったと感じました。


▼なぜ、こんなことを突然に記したかというと、先日、「がんサポート」(エビデンス社)という雑誌からインタビューの申し入れがあり、それをお受けしたからです。
 たまに、意外な雑誌などからインタビュー依頼があります。まえに、クルマの雑誌もありましたね。
 今回も、こうしたインタビューを受けることがあるとは思っていませんでした。

 この頃の日程が異常にタイトなので、インタビュー時間はとても短くなってしまって申し訳なかったのですが、送られてきたまとめ原稿を見ると、感心するぐらいきちんとした原稿でした。
 この専門誌のライターや編集者の方々が、さまざまな癌克服の体験に、インタビューを通じて真摯に向かい合ってこられたからではないかと思います。

 関心のある方は、手に取ってみてください。
 ぼくの本ではないので、立ち読みではなくて、買ってあげてください。
 8月16日発売の9月号です。


✶エビデンス社の編集部は…
〒101−0063 東京都千代田区神田淡路町1−11−8淡路町UKビル3F
TEL 03−3526−5022 FAX 03−3526−6303

 担当の編集者は、 白石彩さんです。Eメールアドレスは shiraishi@evidence-inc.jp
 この雑誌のHP はここ、「情報センター」というのはここです。
 
Comment (0) | 

蒼天の、まさか

2014年07月21日 | Weblog




 沖縄県民と祖国を深く、深く愛した大田實・沖縄方面根拠地隊司令官(帝国海軍少将)の将旗(少将旗)が、なんと70年ぶりに、沖縄の空に翻った!

 この将旗は、アメリカ軍に奪われていたのが、おとどし奇跡のように沖縄に帰り、資料館に保存されていた。
 それを見るだけだと思っていたら、沖縄の側の思いがけない理解と友情を得て、保存ケースから取り出され、広げられ、そしてぼくと沖縄県民三人の手によって、このように掲揚いたしました。
 一般の参観者がすべてお帰りになってからのロケでしたから、もう日暮れ時だったけど、天は最後の日照を残していてくださった。

 これも、まもなく「水曜アンカー」(関西テレビ)で報道されます。
 大田少将は、硫黄島の栗林忠道・帝国陸軍中将らと並んで、日本のというより世界の良心として、かつて敵国だったアメリカにも記憶され、日本では忘れられがちだったひとびと。

 栗林中将と、ふつうの日本国民が2万人も硫黄島で、後世のぼくらのために命を捧げられたことをめぐる新しい本「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス、例えばここです)を、どうにか8月15日の敗戦の日までに上梓できることになった、そのあとに、この太田少将の将旗の奇跡。

 ぼくはきょう沖縄から鎌倉へ向かい、大田少将のご子息に会います。
 この写真と、それから動画をお見せできる。
 まさかの、素晴らしいお土産ができました。
Comment (0) | 

沖縄で海軍壕、白梅の塔、そして東へ転じて、鎌倉へ

2014年07月20日 | Weblog
▽ゆうべ(7月19日土曜)は、岡山からせっかく、ぼくにしては素晴らしく早い時間の夜7時過ぎに帰宅したのに、小説新作の仕上げが進まず、いや全体が進まないのじゃなくてタイトルを変えようとしていて新タイトルが定まらず、夜中の3時までベッドに近づけなかった。
 あぁ、けっこう寝やすい、お気に入りのベッドなのにナァ。

 午前3時過ぎから、きょう20日日曜の朝6時過ぎまで、それでも3時間はぐっすり眠ったし、もちろん予定通りに、いま羽田空港にいて、これから沖縄に飛ぶ。
 明日は沖縄から鎌倉へ。
 沖縄の海軍壕で自決された大田實海軍少将のご子息に、鎌倉で、インタビューする。
 アンカーでの放送予定は、敗戦の日が近づいてからになりそうだ。


▽きのう岡山空港で起きたことを、もう少しだけ正確に記しておくと、大きなスイッチが降りて主電源が切れるように、体のすべてが機能停止に近づいて、はっきり死を意識した。
 俺はこれほど疲れているのか、と分かったことに加えて、これほどに「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島」(ワニブックス、たとえばここ)を敗戦の日までに世に出すことに力を尽くしきったのか、ということ、それと岡山では「市民文化大学」で講演したけど、実は一回ごとの講演で(下手な講演のわりに)死力を尽くしきっているということも、おのれで、よおく分かった。

 だから、死に神さんの登場は、良い経験だったと思う。
 ちょっと珍しい、面白い感覚だったし。
 あのまま斃(たお)れるのなら、それはそれでよし。

 ちなみに、市民大学のように、成人してから何かを学ぼうとする姿勢は大好きだ。


▼と、ここまでは、個人の庭の個人の呟き。おのれへの記録。

 みなさんへのお知らせを早めに、ひとつ。
「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス、たとえばここ)のサイン会は、とりあえず8月24日の日曜に、東京の八重洲ブックセンターで予定されています。
 募集は、まだです。
 八重洲ブックセンターへの問い合わせは、やめましょうね。書店がパンクしますから。
 募集の時は、ここで確実にお知らせします。
Comment (0) | 

珍しい体験には違いない

2014年07月19日 | Weblog
 あまりにも印象深い出来事だったので、ありのままに記録しておきたい。
 きょう7月19日土曜の夕刻4時半ごろ、岡山空港で、死に神さんが「ひょっとして、このまま連れて行けるかなぁ」という感じで、ぼくの顔を覗き込み、ずっと横っちょにくっついている感じになった。

 俺はそこまで疲れているのかと、すこしだけ驚きつつ、さして気にせず、機中の人になった。
 飛行機が羽田に着くと、すこし体調が回復し、死に神さんの気配は消えている。

 このごろANAの新しいシートはもの凄く、座りにくい。
 ぼくだけではなく、今の同行秘書Mも「このシート、嫌ですねぇ」と言い、前任のY秘書もほんとうにこのシートを嫌がっていた。(だから人間工学なんて当てにならない)
 その、疲れが溜まるシートで、すこしうとうとしただけで、かなり回復する、それにいちばん驚いた。

 毎日のように飛行機に乗る生活で、ふだん機中でも、離陸のときは新聞か書籍に没頭し、上空ではパソコンを開いて仕事、着陸のときも新聞か書籍、羽田に着いて滑走路からターミナルビルへ地上滑走しているときだけ、うとうとする。
 しかし今日はもう諦めて、何も読まず、パソコンも閉じていた。
 それだけで、戻る。
 だからこそ心身に無理もさせてしまうのだけどね。

 さて、今夜は小説の仕上げをそろりやるだけで、さぁさぁさあ〜、一夜だけでもまともに寝るぞ。
 明日も、朝早くから、飛行機に乗って、沖縄へ。
 ふひ。

 非常に久しぶりに、「水曜アンカー」(関西テレビ)で、ロケをやる。
 かつて、あるひとが番組スタッフ陣にいたときは、ぼくがいくら提案しても決してロケをやらず「アンカーは当面、ロケをしない」と宣言しておきながら、ぼくが独研(独立総合研究所)としての出張で沖縄の仲井眞知事に会うために那覇空港に降り立つと、ほかの人がロケに来ている現場とぶつかって、電話で「なぜだ」と聞いたけど、奇妙な弁解だけだった。
 ただし、こんなのは番組の権限内だから、ぼくはそれ以上は気にせずにいた。

 すこし人事異動があり、今度はむしろ積極的に「青山さん、やりましょう」という姿勢だ。
 明日は、白梅の塔を訪ね、大田實少将の海軍壕に入る。
 海軍壕では、少将らが拳銃で自決なさった司令官室は、ぼくも柵越しにしか見たことがないが、今回、沖縄がが好意的で、初めて部屋の中に入るということだ。

 体力を回復させていないと、この厳しい場所に耐えられないだろう。
 いやぁ、すこしだけは寝ますよ。
Comment (0) | 

表紙、背文字、裏表紙、そして帯も、勝手に航海、いや公開しちゃおう (*すこし書き足しました)

2014年07月19日 | Weblog


まず、帯付きの表紙です。



帯を取った表紙です。



表紙、背文字、裏表紙です。
下は、帯の全体です。



▼8月12日発刊、すでに予約も受け付け中の(例えばここです)新刊…「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス)について、か〜な〜り長いあいだ、目いっぱいの時間を費やし、力を尽くして取り組んできました。

 けさ7月19日土曜の朝、ゲラ直しの全文の最終部分の60ページほどをようやく編集者に渡し、そのほか、編集者からの質問に答えるメールをまず羽田空港で打ち、それから機内でも打ち、岡山空港に着いて今、車中から送信し、これでようやく、ぼくの手を離れそうです。
 つまり出版社による製本まっしぐらとなり、書店への配本と、進んでいきます。
 正直、苦しかったです。
 ほかの仕事を犠牲にはできず、削るのは、もともと短すぎる睡眠をほぼゼロにし、食事の時間を取らず、「ここでいったん休憩」という場面で休まず…こういうことしかありませんからね。
 この、あまりに極端な戦闘状態が一応、終わりそうです。
 しかし、ホッとする気分にはほど遠いです。

 とっくに終わっているはずだった小説新作の仕上げ、それから、発売が延期されている「そこよみ」こと「祖国は甦る」(扶桑社/ロングセラーの『ぼくらの祖国』の続編)の原稿書き直しが控えています。
 すなわちシンクタンク社長や公職(文科省参与など)、教職(近畿大学客員教授など)の仕事以外に、たいせつな、急ぎの、書きかけの原稿がまだまだ「早くして!」と声をあげながら机の圓棒僂泙譴討い覺兇検⊆尊櫃砲魯僖愁灰鵑涼罎蚤圓辰討い襪里任后


▼ぼくはこれだけ毎日、講演をしていて、講演の内容を主とする本を出すのは初めてです。
 実は、「講演を収録した本を出したい」という出版社や編集者からのオファーはとても多い。
 しかしすべて、お断りしてきました。
 なぜか。
 今回のように、あまりにも大変すぎる作業になると、分かっているからです。

 これは、出版社や編集者の常識とは真逆なのですね。
「青山さんは、作家も本職だけど、ほかの本職、そしてまさしく講演など本職ならざる仕事がとても多い。時間が無いでしょう? だから講演をそのまま本にしませんか」というオファーが、さまざまな出版社、編集者から来ます。
 ちなみに、青山千春博士も同じことを言います。「社長は時間が無いのだから、講演をそのまま本にすれば?」と。

 ぼくにとって、これが違うのです。
 講演は話し言葉です。
 文章とは本質的に違うので、文法をやや外していたり、話の途中で方向転換があったり、同じ事実の表現でも、その場の聴衆の眼を見ながら、柔らかくしたり堅くしたり、省略したり材料を増やしたりします。
 むしろこれが、講演、話し言葉の醍醐味ですね。

 しかし書籍は、あくまで文章です。
 ぼくの本である以上は、ぼくが一字一句、永遠に刻みつけていく「文字による彫刻」です。

 したがって、講演の起こしを本にしていくとき、すでに行った講演そのものを変えないように、文法を微妙に正したり、方向転換をモデレート(穏やか)にしたり、事実関係を確認したり、非常に微妙な作業を、一行一行、延々と続けることになるのです。


▼つまり、ぼくの場合は、最初から文章を新しく書きおろしていく方が、講演録に手を入れるより、ずっと楽、時間も取らないのです。
 かつて一度、講演をもとにした本を出そうとして、あまりも消耗するので、それを途中でやめ、最初から新しく文章を書いていって本にして出版しました。
 それ以来、講演を本にするオファーは全部お断りしてきたのでした。

 世の中には「どうせ講演なんだから」と、そのまま本にしてしまう人はたくさん居ます。
 それはそのひとの生き方なので、批判はしません、。
 しかし、ぼくの生き方とは違います。


▼今回はなぜ、引き受けたか。
 そのまさしく講演で、硫黄島の英霊の方々について話す時間がどんどん無くなっているからです。
 終わらない福島原子力災害、規制緩和だけに傾いていくアベノミクス、移民への油断ならない動きが続く政治家、官僚やメディア、中韓のエスカレートする反日、自民党の腐った部分がのしかかってくる第二次安倍政権、そして直近ではマレーシア航空機撃墜のような突発的な大事件も次々に起きます。
 こうしたことを取りあげていくうちに、講演時間が過ぎていってしまいます。

 だからこそ自主開催で開いている、時間を5時間前後も確保している独立講演会は別です。
 しかし一般の講演では、今のぼくは講演が終わるたびに、硫黄島の英霊や、白梅の少女たちの話が出来なかったと落ち込むことが多いのです。

 新刊は、これに何とか、ひとつだけでも救いの灯火をともそうとするものです。
 思いがけず硫黄島へのクルーズに招かれ、船内放送を合わせると4回も、硫黄島に絞った講演をし、その講演の最後には、これまで明らかにしてこなかった白梅のある真実も話しました。
 ですから、これを本にして残し、一人でもこの話に触れていただくと、硫黄島の英霊と白梅の少女が、わずかにでも、ほんのささやかに、報われることに繋がると考えたからです。
 それを69回目の夏、敗戦の日に、世に問いたかった。


▼現実の作業は、上述の微妙な作業(改稿)を130〜140ページも続け、講演の前後に新たな書き下ろしを執筆し、膨大な写真ファイルを何度も1枚づつ見ていき新刊に載せる写真を選び出し、そのキャプション(写真説明)も一切、編集者らに任せず自分ですべて書き、講演で話した事実関係をもう一度、虚心坦懐に調べ尽くし、確認し尽くし、そして表紙と裏表紙のアイデアを考え、デザイナーが美しくつくってくださったラフを見て、修正部分をたくさん提案し、本の帯も同じようにし…うへへ、参りました。


▼さぁしかし、予定通りに、敗戦の日を前にした8月12日にこの新刊は、港を出発できそうです。
 この試みが、わたしたちが正しく祖国と歴史を見る眼を育んでいくことに、どうか、ちいさき一助となっていきますように。
Comment (0) | 

初めての京都会場!

2014年07月16日 | Weblog
▼敗戦の日に問う新刊(ここです)のゲラ直しに必死の夜ですが、独研(独立総合研究所)の役員との打ち合わせも同時進行です。
 そのなかで、10月13日月曜・祝日に。独研(独立総合研究所)が自主開催している独立講演会の10月分(第34回)について、初めて京都で開くことが決まりました。

 会場は、あの京都国際会議場です。
 京都駅から、地下鉄で一本、宝ヶ池で降りればOKですから、便利です。分かりやすいです。


▼ぼくは、共同通信の京都支局と、大阪支社経済部の6年間、京都に棲んでいました。
 だから、京の都は、こころの古里のひとつです。
 10月半ばは、京の素晴らしい季節の始まりでもあります。
 できれば、独立講演会のついでに、京の見るところ、触るところ、食べるところ、聴くところを、たくさん愉しんでください。

 …すこし先のことですから、募集はまだです。
 まずは7月27日、これも初めて早稲田大学の大隈講堂で第31回を開き、8月には関西で第32回、9月には東京で第33回を開き、そしてそのあと、第34回が初めて京都です。
Comment (0) | 

ここは社会に開かれていますが個人の庭です。ご自分の好きな草を植えようとしないでください。

2014年07月16日 | Weblog
▼おまえは何も知らないのだろうから発言を撤回しろという趣旨の書き込みがありましたが、「何も知らないのだろう」というのは、あなたさまの根拠のない勝手な思い込みです。
 公の記録にも基づく事実関係と、少なくない当事者との直接の議論と、信念に基づいて、発言していますから、もちろん撤回など致しませぬ。 ご自分に確固たる信念のある方のようですから、あなたさまの信念やお考えをどうぞ、今後も貫いてください。。

▼「アドバイスした」と繰り返し書き込んでいるひとがいますが、あなたさまにアドバイスを受けた事実は全くありません。
 あなたさまが、ご自分で、申し訳ないけど勝手に、言ってらっしゃるだけです。
 アドバイスを受けたり、求めたりする間柄では、全然ありません。
 ご自分が、ぼくの言動に影響を与えたかのように仰っていますが、そうしたことは、恐縮ながらカケラもありませぬ。
 たくさんのことを誠実にお考えになっているようですから、どうぞ、ご自分の道を進んでください。
Comment (0) | 

アンカーの前に、これだけは申しておきたくて…。

2014年07月16日 | Weblog
▼ことしの敗戦の日( ぼくも学校で教わったのは「終戦記念日」 )に世に送り出す新刊は、ぼくが、この地味ブログで書名と内容を公開するまえに、ぼくの知らないところで出版社がネット書店に手配して予約受付が始まってしまいました。
 そのネット書店で、書名と、それから内容の一端がみなさんに伝わりましたね。 ふひ。


▼この「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」(ワニブックス、たとえばここです)、実は今、まだゲラにぼくが最後の手を入れている最中です。

 それも、今回はふつうのゲラ( 本として印刷し製本する前の、仮印刷 )を出してもらう時間が無くて、ぼくの書いた原稿をただ、出版社が行数と字数を本に合わせてプリントアウトしただけのものです。
 それに、最終的な赤ペン、つまり直しを1行1行、丁寧に読み返しつつ、たった今、入れています。
 今日は大阪で、まもなく「水曜アンカー」(関西テレビ)の生放送ですから、その準備と情報確認にいつもの通り追われつつ、この赤入れもやっていて、それがなんと、あと百数十ページあります。

 今回の本は、豊富な写真という特徴もあるのですが、その写真も、ぼくが大量の写真から選んだ「候補写真」が届いている段階です。
 ここから最終的にもう一度、厳選し、さらにキャプション(写真説明)をいつもよりたっぷり書くという仕事も、残っています。

 これらの作業を、すべて自分ひとりでやります。
 編集者らの手は一切、借りません。それがぼくなりの仕事の流儀です。

 そして、これらをすべて明日の木曜正午までに完成し、編集者に渡して初めて、予定通り、8月12日に書店に並びます。


▼このさなかに何と、「予約しました」という書き込みがどっと驚くほど来ていて、実際、ネット書店で表紙の絵も無いままベストセラーにランキング入りしてしまいました。
 そうでなくても重い責任を感じていますが、今夜もちろん徹夜をして、きっちり間に合わせるだけではなく、最高の仕上がりにしてみせます。

 なぜか。
 財布からお金を出して買って下さる読者への責任がまずあります。これは、物書きとして常に、背負っています。

 それと同時にこの本については、敗戦後の日本でずっと「悪者」とされてきた日本兵のかたがた、事実はぼくらと同じふつうの日本国民が、まだ見ぬ未来の国民、すなわちぼくらのためにも戦ってくださった、最も尊敬されるべき日本国民への、わたしたちの感謝になり、名誉回復になり、祈りになり、それが、ぼくらもまだ見ぬ将来の日本国と国民の名誉と、アジアでの役割をつくっていくことに、ごくごく、ささやかながら、繋がると信じるからです。

 表紙もみないまま予約して下さっているみなさん、すごく励まされます、ありがとうございます、敬礼です。
Comment (0) | 

え!

2014年07月16日 | Weblog
「もうネット書店で予約できるので、さっそく予約しました」という書き込みがありました。
 ぼくは、こういうことを知らないので、かなり驚いて、たとえばここに行ってみると、ほんとだ、確かに、もう値段も決まって8月12日発売となってる!

…「画像はありません」とあるけど、そりゃそうだ、さっき、7月15日火曜夜9時ごろに電話で、表紙と裏表紙を最終的にどうするかを編集者にお願いしたばかりだから。

 書名は「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」です。
 版元は、「希望の現場 メタンハイドレート」(たとえば、ここ)、そして「海と女とメタンハイドレート」(たとえば、ここ)、「反逆の名医…」(たとえば、ここ)とおなじ、ワニブックス(あるいは、その一部門のワニプラス)です。

「ぼくらの祖国」(扶桑社、たとえばここ)の続編ないしは正編の「その時が来る 祖国は甦る」(通称・そこよみ。扶桑社)は原稿を書き直しています。
 年内には出したいと考えています。

 純文学の小説「平成」(文藝春秋社、絶版中、中古本は1万7千円を超えていたりもしますが、一応たとえば、ここ)の続編では全くないけれど、小説の新作として12年の長きにわたって書き続けた物語は、最後の段階に来て、上掲の「死ぬ理由 生きる理由」を敗戦の日に出すことを優先させたので、最終の仕上げがこれからです。
 順調にいけば、これも年内に、世に問います。

 なにせ、書き手が、当然ながらぼくひとりですから、ひとつの出版を急ぐと、ほかが確実に後へずれます。
 発売の延期などで読者にご迷惑をかけていますことを、お詫びします。
 ぺこり。
Comment (0) | 

8月15日へ向けて

2014年07月15日 | Weblog
▼ことしの敗戦の日(一般的には終戦記念日)を機に、新しい本を出せる見通しになりました。

 8月15日金曜はお盆と重なり、取り次ぎ(出版社と書店をつなぐ仕事)が休みで、取り次ぎが休みだと、本を書店に並べることができません。
 そこで、その日の前の8月12日火曜頃に、書店に並び始める予定です。

 今日は7月15日火曜、あと実質1か月を切っています。
 ぼくの原稿の初稿全文が出版社の編集者に入ったのが、きのう7月14日月曜の午後3時でした。
 出版界の常識では、とてもとても間に合いません。
 しかし、69年目のことしの敗戦の日に、どうしても問題提起をしたいという意思が、ぼくと編集者で一致しているので、ぼくはここ数日、何もかも犠牲にして、睡眠や食事、運動はもちろん、ほかの仕事もどうにか延期に延期を重ねて、きのう初稿を上げました。
 編集者は、製本の技術者や校正の専門家、表紙のデザイナーといった専門職のひとたちを励まし、お願いし、体勢を崩さずにいてくれました。


▼何の本かは、次の書き込みで述べます。
 気を持たせるわけではなく、この本の仕上げ…すなわち、ぼく自身のゲラチェック、表紙や裏表紙の決定など、〆切いっぱいいっぱいの仕事がたくさん今も続き、これ以上、ブログに時間を割けないからです。

 ちなみに、ロングセラーになっている「ぼくそこ」こと、「ぼくらの祖国」(扶桑社。19刷。例えばここです)をはじめ、すべてのぼくの書籍は、デザインをぼく自身が提案し、それを書籍デザイナーのプロフェッショナルな手で作図していただいています。
 今回も同じです。
 この新刊の表紙と裏表紙のポイントは、海と船と島です。
Comment (0) | 

深きも深き敬意 (書き加えました)

2014年07月06日 | Weblog
▽この「地味ブログ」に「水曜アンカー」(関西テレビ)のこともすこし記しました。
 すると、胸の底から勇気づけられる書き込みを、信じられないぐらい沢山いただいています。
 みなさん、ありがとうございます、こころから。

▽ただ、「政治を扱っている他の番組より視る人が少なくなっているのだろうから、アドバイスをしてあげる」という趣旨の長い書き込みもやって来たりしますが、それはまるまる、事実に反します。
 政治やニュースを扱っている番組やコーナーよりも、生放送で「水曜アンカー」の「ニュースDEズバリ」コーナーを視ている人が少なかったということは、ただの一度もありません。
 あくまでお相撲か、芸能・芸人に関する話に比べて、のことです。

 そして、生ではなく録画視聴で「水曜アンカー」を視てくださっている方々、すなわち夕方5時前から6時前までは働いたり、学校に行かれている方々は、(相撲や芸能・芸人に関する話も大好きな方々でも)水曜アンカーで政治やニュースを視たいという幅の広いみなさんらしいということは、現段階で分かっています。
 これは、毎週必ず録画視聴なさっている方々の、この地味ブログへの膨大な書き込みでも分かります。
 ご自分の好みや思い込みをもとにした「アドバイス」は、できればご遠慮ください。あなたさまに何かを指示していただく理由もありません。
 櫻井よしこさんが、あなたさまの「葉書によるアドバイス」で話し方を変えたと受け取れる趣旨もお書きになっていますが、櫻井さんにそれを確かめられましたか? ぼくが直に存じあげている限りでは、そのような事実は知りません。
 あなたさまの豊かな感覚を、どうぞ大事になさってください。他者への「アドバイス」よりも、存分に、ご自分自身にこれからも活かしてください。


★それと、この方のおかげでむしろ良く分かったことがあります。
 だからこそ、こうやってエントリーを書き込んでいます。

 誤解があるのですね。
 生放送を視る方々であっても、お相撲や、芸能・芸人に関する話より「水曜アンカー」を視る人の方がずっと多いことも良くありますし、特に「ニュースDEズバリ」のコーナー中は、あんな堅い話なのに、いわば圧倒的にこちらが多いことが普通です。
 生放送を視ている方だけの集計でも、コーナーに入ると、文字通り1分ごとに、視る人が強烈なペースで増えていき、最後には目を見張るほどになっているのが、およそ400回の放送を通じて変わらない基本です。

 またテレビ局の側がぼくに「生放送で視る人が少なくなった」と言ったりすることは、まったくありません。
 あくまで、ぼくが「日本の地上波のテレビがやらずに来たタブーの話を、ここまで毎週やる以上は、沢山の人が視ている客観データがないと、テレビ局にとって、いずれは苦しくなりはしないか。録画視聴でわざわざ視てくださる人たちの意思を活かすためにも、生放送、録画を問わず、視てくださる人をありのままにカウントすべきだ」と勝手に思慮し、テレビ局に提案しているだけのことです。
 テレビ局が視る人の多寡(たか)について、タレントじゃないぼくに何かを言うことは、一度だってカケラもありませんでした。これからも、ないでしょう。それが関西テレビ報道部の諸君の心意気です。
 こうした誤解があるらしいことについては、すべての責任がぼくにあります。


▽そして、深い関心、多くの関心を寄せていただくことに、番組のスタッフたちのためにも、あらためて感謝します。
 ほんらいはローカル番組の、派手さも何もない報道番組の、そしてタレントでもテレビマンでもない不肖ぼくの小さなコーナーが、全国どころか世界中の邦人の方々に、これほどまでに関心を持っていただき、みなさん、苦労もされながら視聴されていることに、驚きつつ、その根っこにある、よりよく生きようとする意思、自分のことだけではなく祖国とアジアと世界をよくするために考えたい、関わりたいという自然な、無理のない、みなさん視聴者、日本国民の姿勢に、本気で申します、海より深い敬意を捧げます。

 あの小さなコーナーを支えてきた、ちいさな志は、もう充分に果たされているという感もあり、一方で、これからこそやるべきことがあるという感もあり、考えどころですね。

▽そして「水曜アンカー」をめぐる書き込みはここで、いったんおしまいにします。
 不肖ぼくは、仕事と生活の中心がテレビ番組への参加では、まったくありません。
 著名人のなかには、もともとはある分野の専門家であるのに、自分がいかにテレビ番組に沢山出ているか、出ようと努力しているかというメールマガジンを沢山、ぼくにも送ってこられる人もいます。
 別の分野の専門家で、実際、何よりもテレビ番組に「出演」することを仕事と生活の中心にいつの間にか据えている人もいます。
 それらは、その人々の選んだ生き方ですね。そのまま尊重します。
 けれども、ぼくの生き方は違います。

 ぼくの仕事と生活の中心は、実務だけを遂行している独立系のシンクタンクの社長・兼・首席研究員であり、ひとりの物書きであることです。
 たとえば週1回の「水曜アンカー」のためにも、非常に多くの時間を割いて情報収集と、いったん入手した情報の確認、確認、また確認をします。しかし、それは正確な情報の把握が、ぼくの仕事全てを通じて本質的に重要でもあるからです。

 ぼくにとってメインの仕事のひとつが、上記のシンクタンク、独研(独立総合研究所)が完全会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR、ここです)であり、独研が自主開催している独立講演会、時間を5時間前後も確保してあらゆる質問を受ける独立講演会(ここです)ですが、これらのための情報収集は、意外かも知れませんが、また視点が違うので、同じ情報収集ではありません。
 しかし当然ながら、通底はしています。

★もっとも大切なことは、テレビを何気なく視たひと、ラジオをたまたま聴いたひとにであっても、ぼくが発信した言葉についてはいつも、死ぬまで、重い責任を負えるだけの確たる、当事者じか当たりの、生きた根拠を持っていることです。
 これは有償でデリバリーしているTCR、独立講演会での情報も、同じです。
 その意味で、根本的に、通底しています。
Comment (0) | 

たとえ何があっても

2014年07月05日 | Weblog
 いま7月5日土曜の夜10時が近づいています。
 母の病床の枕元にいます。
 ここへ来て、3時間ほどになろうとしています。

 この病院から何かの緊急連絡があって来たのじゃなく、仕事の隙間を見つけて、来ただけなのですが、ちょうど修羅場にぶつかりました。
 詳しくは記しません。
 しかし、全身の痛みや、ぼくらでも耐えられないほどの高熱と闘う母の姿は、あまりに辛くもありますが、こころから尊敬する姿でもあります。

 高齢になって、いくらかの呆けもあり、子供に戻ってしまって、わがまま一方の母になったようにも見え、家庭教育で毅然とぼくたち兄弟を育ててくれた母はもう居ないと考えて、それが悲しかったのですが、いや、ここに居ました。

 痛む母の手をさすって、さすって、沢山のことを話しかけました。
 ベッドの脇の無理な姿勢で長時間ですから、スキージャンプの墜落で折った腰の骨が、さすがに痛んだけれど、そして母から一言の答えもなかったけれど、きもちが通じあったた素晴らしい時間だったようにも思います。

 これから何があっても、たとえば独立講演会は、ぼく自身が癌を手術したときと同じく、術後の腸閉塞で死に直面したときと同じく、何も変えずに行います。
 今月は、早稲田大学の大隈講堂へお出でください。
 申し込み(ここです)の〆切は、もう目の前です。
Comment (0) |