ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ

青山繁晴個人HP、メイン・コーナー

Our World Time

問い合わせがありますから、報道を補足しておきます

2014年07月29日 | Weblog
▼逝去しましたわが母は、キリスト教徒(プロテスタント)でしたから、葬儀はキリスト教でおこないます。
 牧師さんは、母ゆかりの日本キリスト改革派恵泉教会(神戸市垂水区)から遠路、東京へ来てくださいます。


▼仏式ではなくキリスト教ですから、お通夜でなく前夜祭と言います。
 これは8月1日金曜の午後6時から7時です。

 葬儀・告別式は8月2日土曜の午前10時から11時です。


▼場所は、報道通りの桐ケ谷(きりがや)斎場です。
(東京都品川区西五反田5-32-20  TEL 03-3491-0213)


▼供花は、お気持ちだけ頂きます。
 ただ、どうしてもと仰るかたは、東葬(とうそう)祭典(FAX 03-3334-6466 TEL 03-334-6448)で受け付けています。
 供花などは、キリスト教の形式に合わせる必要はありません。


▼喪主は異例ですが、次男・末っ子ながら、不肖ぼくが務めることで間違いありません。


…みなみなさま、あまりお気遣いなきよう。
 こころから、感謝しています。
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遺志

2014年07月28日 | Weblog
 母は、ぼくを産んだ月と日と、そして時刻までぴたりと合わせて、死去しました。
 7月25日金曜の午後3時59分のことでした。

 ぼくが子供の頃から、母はいつも「繁晴は7月の暑い日、25日の午後4時ごろに生まれたんや。生まれてすぐ、たらいに立って、うんちしたんで、みんな、元気な子やとびっくりしたん」と繰り返し、話していました。
 立ったというのは、なにかの思い違いかもしれませんが、ぼくもこの「夏の午後4時ごろ」が頭に刻まれていたので、医師の確定した死亡時刻を知って、いくらか驚きました。

 その日の夜7時半ごろに、ようやくぼくは、出張先の京都から東京・高井戸の浴風会病院に着きました。
 病床にいるのはすでに、わが母、青山喜賜子の抜け殻らしいということは分かりました。

 ただ、病室から霊安室に移ってもなお、母の閉じきらない瞼からみえる黒い瞳には潤いがあり、最期の日々にあってもなお眼の美しかった生涯を象徴するかのようでした。
 そして夜遅くに、青山千春、長男、ぼくの姉と一緒に、葬儀をひらく桐ヶ谷斎場まで、母とともに移りました。

 母は、ぼくの生誕に合わせるだけではなく、まるで「仕事の邪魔は一切、しないよ」と語っているかのようなタイミングを選んで、医師の予測も覆し、さっさと去っていきました。

 ぼくは、その遺志に導かれるように、きょうまで仕事の予定を、ごく自然に何ら変えずに来ました。
 これからも、そうありたいと思います。




*死去の翌日、土曜日には、朝、中東を代表するテレビ局、アル・ジャッジ−ラの英語インタビューを受け、そこからNHKに移動して、BSプレミアムの番組収録に臨みました。
 これは、UFOを主としてアメリカをめぐる文化論として考える番組で、ぼくは後半部分に加わりました。(UFOが実在するかどうかを論じる番組ではありません)
 放送は、8月16日土曜の夜9時から10時半です。


* 死去から2日目、日曜日には、独研(独立総合研究所)が自主開催している独立講演会の第31回を、初めて早稲田大学の大隈講堂を会場に、開きました。
 死の当日に何が起きたか、そして、ぼくの背骨をわが母はいかにして造ったかを、自転車をめぐる話などに託して、すこし述べました。
 独立講演会の2年半ほどの歩みで、いちばん沢山の800人前後が来てくださいました。

 これだけ沢山のひとが参加を予定されていて、「お母さんが亡くなって中止とか延期とかはあるんですか」といった問い合わせが、ほぼ皆無だったことが嬉しいです。
 母も嬉しいと思います。
 ぼくらの生き方を良く分かってくださっていると思いました。


*ちょうど今日から、第32回・独立講演会の募集が始まりました。ここです。
 いつも通り、独研の公式HPから募集要項の一部を転載します。


第32回 独立講演会@神戸

【講演日】
2014年8月31日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 〜 18時00分 予定

【講演内容】
「祖国、アジア、世界を、あなたと一緒にどうするか その5」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804
「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分
詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5,000円 / IDC(インディペンデント・クラブ)会員 4,000円

【申込期間】
2014年7月28日(月)正午〜 2014年8月11日(月)正午 予定
※申込期間内のみ、申し込みを受付致します。

【申込方法】
「申込フォーム」ボタンをクリックし、リンク先のページよりお申込み下さい。(申し込みのボタンは、ここにあります)

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、8月11日(月)申込締切り以降、メールにてご連絡致します。
※会場の規模によって抽選になる場合がございます。

【振込期限】
2014年8月20日(水)15時まで
※期日厳守でお願い致します。

【禁止事項】
※参加資格の譲渡
※講演の撮影・録音・録画
※講演中のパソコンの使用
※事前にお申込をされていない方の入場

【問い合わせ先】
独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独研の総務部では対応しておりません。
(…HPからの一部転載は以上)


*新刊の「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」(ワニプラス、例えばここです)は、敗戦の日には間に合いました。
 しかし、母の命には間に合いませんでした。

 その深い悔いを、今後の執筆活動、物書きへの回帰に活かしていきます。
 前述の独立講演会で、来年の夏までに、母をめぐる本も書きあげて出しますと、約束しました。

 この新刊のサイン会は、東京でも大阪でも、そして恐らくは初めて名古屋でも開きます。
 眼をみて握手しましょう。
 ご希望のかたとは、ハグもしましょう。

 まず東京会場が、明日から、募集開始になります。
 以下をご覧になってください。
 ただ、募集開始はあくまで明日の7月29日火曜からです。電話による受付は、開店10時〜閉店21時までだそうです。


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(新聞記事から)

2014年07月26日 | Weblog
訃報

青山 喜賜子さん(あおやま・きしこ=青山繁晴独立総合研究所社長の母)25日死去、91歳。岡山県出身。葬儀・告別式は8月2日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は次男繁晴(しげはる)氏。
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母の死に関連して

2014年07月25日 | Weblog
 あえて余談を記します。

 インディペンデント・クラブの追加募集は、母の痙攣が始まったなかで、この地味ブログに記しました。
 独研(独立総合研究所)の事務局から「募集を開始しました」という連絡がちょうど、その時間帯にあったからです。

 このインディペンデント・クラブは、ぼくと直接に触れあって、国会や官邸に行ったり、自衛隊の装備に乗ったり、伝統文化に触れたり、一緒に祖国とアジアを考えるためのクラブです。
 入会を希望されているかたは、ぼくらが概ね把握しているだけでも2千人以上、最大では5千人規模でいらっしゃいます。
 そのすべてを受け入れると、会費は集まっても、ぼくと直接に触れあうことができなくなります。
 利益のために運営しているのではありません。母に育んでもらった、生き方のまま、あくまでも、実際にぼくと触れあえる規模にとどめています。
 そのうえで毎年、上記のようなイベントに、お忙しかったり家庭の都合などで一度も参加できず、いったん退会されるかたがいます。
 その分だけを一年に一回、追加募集しています。
 それを、ほんとうに心待ちにしている人たちが、たくさんたくさん、いらっしゃいます。

 募集を開始した以上は、辛抱強く待ってくださった方々に知らせる義務が、ぼくにもあります。だから簡潔にでも、お知らせしました。

 するとすぐに、匿名で嫌がらせの書き込みをしてきた人間がいます。「また募集してる」と書いて、まるでいつも募集を焦っているような嘘を、ご自分ででっち上げて、書き殴ってきました。
 ふだんは、そして、これまでは、こういう卑劣な奴に付き合うことをしませんでした。
 しかし、このタイミングで、自分は安全に隠した嫌がらせを受けて、もはや看過しません。
 匿名も無駄です。必ず、鉄槌を下します。




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解放

2014年07月25日 | Weblog
 きょう7月25日金曜のお昼12時23分に、青山千春博士からEメールがあり、ぼくの実母の青山喜賜子が、入院先で癌の末期症状としての痙攣を起こしたという緊急連絡でした。

 ぼくはその時、京都にいました。
 6分前の12時17分に新幹線が京都駅に着き、京都府全域の町村議会の議長や議員にお話をするために、タクシーで二条城近くの会場へ向かっているところでした。 

 前夜に医師から受けた連絡では、今週末から週明けが山だということでした。
 しかし母の死がたった今、切迫していることを、このEメールで知りました。

 ぼくは家庭教育で父と母に、根っこを造ってもらいました。
 母、青山喜賜子には、こころの背骨を造ってもらいました。
 母が病んでからそれを言うと、母はいつも「しょうもないことを言うな。そんなん、知らん。あんたは自分で努力したんや」と常に厳しい表情で言いました。

 母は『きちんと公務を果たしてから、ここへ来なさい』と言うだろうと思いました。
 京都の地方自治を支える人々に懸命にお話し終えてから、午後3時35分京都発の新幹線に、同行のM秘書とと共に乗りました。

 車中の午後3時42分、青山千春博士から電話があり、「最期の心臓の音を聞いて」と言い、母の心臓のモニター音を聞かせてくれました。
 ぼくは何も言わずに聴き、車内に迷惑はかかりませんでした。
 青山千春博士は、すすり泣いていました。
 ぼくは母と彼女に、永遠の感謝を捧げました。

 午後4時2分、青山千春博士から再び、連絡があり「午後3時59分でした」と言いました。
 ぼくは、やはり、ほとんど何も答えずに聞き、車内に迷惑はかかりませんでした。

 母は、かつてぼくを産んだ、ぴったりその日時、7月25日の午後4時ごろをまるで選んだかのように、魂を肉体から解放しました。
 晩年は、動かない肉体、次第に募る病状に、母は苦しみ抜きました。

 ぼくは末っ子ですが、母の足が動かなくなってからは、あえて長兄でもなく姉でもなく、ぼくのところへ来てもらって青山千春博士、それにふたりの孫(ぼくたちの男の子ふたり)と一緒に介護し、癌が見つかってからは日赤に相談のうえ、浴風会病院に入院してもらいました。
 浴風会病院は緑が多く、母はいつも、車椅子で散歩するとき大きな樹を見上げて感嘆していました。

 ぼくの感受性も責任感もすべて、母が父とともに、幼い頃に育んでくれたものです。
 まもなく新幹線は品川に着きます。
 やっと自由になった母に会いに行きます。


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IDC(インディペンデント・クラブ)の追加募集を始めました…そしてすぐ終わります。

2014年07月25日 | Weblog
今日から8月4日の正午までです。
ここです。
ぼくもたった今、独研(独立総合研究所)の事務局から聞いたばかりです。いま京都へ移動中なので、詳しくは、あとでお話しします。
追加募集は40人です。
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追伸

2014年07月24日 | Weblog
 下掲の「今後の水曜アンカー」というエントリーの含意(がんい)は、「いろいろありましたし、今もありますし、これからもあるでしょう。しかし、少なくとも9月で終わるということは、ありませぬ」ということです。
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今後の水曜アンカー

2014年07月24日 | Weblog
▼来週7月30日水曜は、「青山のニュースでズバリ」のコーナー400回の記念放送です。
 先日の沖縄ロケを中心に、放送します。
 ぼく自身、まったくカケラも予想、期待していなかった奇跡の映像が含まれていますから、できればご覧ください。


▼そのあと8月6日水曜は、いつも通りに放送し、8月13日水曜には、ぼくはお休みします。
 8月13日水曜は敗戦の日の直前ですから、できれば番組に参加しコーナーもやりたいのですが、海外出張です。

 海外出張から戻ってくる8月20日水曜から、また放送を続けていきます。
 こないだ、編集者のかたから「水曜アンカーがいよいよ9月で終わるそうですね。空いた時間と労力をぜひ、すべて原稿に使って、うちにも書いてください」という真剣そのもののお尋ねを頂いたりしました。
 ぼくはネット・サーフィンは一切しませんから、知りませんが、例によって噂か何かになっているのかな?
 9月からも水曜アンカーは続きます。

 一方で、物書きへの回帰は、確かに、加速していきます。


▼海外出張先で、新刊の発売日を迎えます。
 8月12日から、「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニプラス)が主な書店に並び始めます。
 予約は、例えばここです。
 鎮魂の祈りと、祖国を甦らせる誓いを込めて、海の外から、書店で手にされるみなさんを想像します。
 
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生と死を考えたいひとには、すこしだけ参考になるかもしれません。

2014年07月23日 | Weblog


(画像は、ゲラ確認のために編集部から送られてきたものを基に、この地味ブログのアップロード制限内に収まるよう縮小しました。実際の雑誌はもう少し情報量があるだろうと思います。文章やコピーにも、印刷され書店に並ぶものと、いくらか違いがあるかも知れません。これはあくまで、仮のイメージ画像です。
 なお、この画像は、雑誌の表紙ではなく、ぼくをめぐる記事の扉、最初のページです。この写真の表紙で書店に並ぶわけではありませんから、誤解なきよう)


▼ぼくが以前に大腸癌を手術し、そのあとの腸閉塞で死に直面したことは、この地味ブログにお通いのかたなら、ご存じだと思います。
 たとえばイラク戦争で死に直面したときとは違った意味で、生と死の境界を、それと自覚しつつ行ったり来たりしました。

 ぼくの意思や努力でと言うより、天の計らいでたまたま死地を脱して、まだすこし活動しているわけです。
 大病院の医師から癌を告知されたとき、それから信頼する近所の開業医から腸閉塞について「まず小腸から破裂して、まもなく死に至る」と告げられたとき、そのいずれにおいても、おのれの気持ちがぴたりと鎮(しず)まっていて、やるべき仕事、任務を遂行することを気負いなく、いささかの迷いもなく、ただ淡々と優先させている自分が正直うれしかったことを、いちばん、思い出します。
 父と母に受けた家庭教育は、嘘ではなかったと感じました。


▼なぜ、こんなことを突然に記したかというと、先日、「がんサポート」(エビデンス社)という雑誌からインタビューの申し入れがあり、それをお受けしたからです。
 たまに、意外な雑誌などからインタビュー依頼があります。まえに、クルマの雑誌もありましたね。
 今回も、こうしたインタビューを受けることがあるとは思っていませんでした。

 この頃の日程が異常にタイトなので、インタビュー時間はとても短くなってしまって申し訳なかったのですが、送られてきたまとめ原稿を見ると、感心するぐらいきちんとした原稿でした。
 この専門誌のライターや編集者の方々が、さまざまな癌克服の体験に、インタビューを通じて真摯に向かい合ってこられたからではないかと思います。

 関心のある方は、手に取ってみてください。
 ぼくの本ではないので、立ち読みではなくて、買ってあげてください。
 8月16日発売の9月号です。


✶エビデンス社の編集部は…
〒101−0063 東京都千代田区神田淡路町1−11−8淡路町UKビル3F
TEL 03−3526−5022 FAX 03−3526−6303

 担当の編集者は、 白石彩さんです。Eメールアドレスは shiraishi@evidence-inc.jp
 この雑誌のHP はここ、「情報センター」というのはここです。
 
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蒼天の、まさか

2014年07月21日 | Weblog




 沖縄県民と祖国を深く、深く愛した大田實・沖縄方面根拠地隊司令官(帝国海軍少将)の将旗(少将旗)が、なんと70年ぶりに、沖縄の空に翻った!

 この将旗は、アメリカ軍に奪われていたのが、おとどし奇跡のように沖縄に帰り、資料館に保存されていた。
 それを見るだけだと思っていたら、沖縄の側の思いがけない理解と友情を得て、保存ケースから取り出され、広げられ、そしてぼくと沖縄県民三人の手によって、このように掲揚いたしました。
 一般の参観者がすべてお帰りになってからのロケでしたから、もう日暮れ時だったけど、天は最後の日照を残していてくださった。

 これも、まもなく「水曜アンカー」(関西テレビ)で報道されます。
 大田少将は、硫黄島の栗林忠道・帝国陸軍中将らと並んで、日本のというより世界の良心として、かつて敵国だったアメリカにも記憶され、日本では忘れられがちだったひとびと。

 栗林中将と、ふつうの日本国民が2万人も硫黄島で、後世のぼくらのために命を捧げられたことをめぐる新しい本「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス、例えばここです)を、どうにか8月15日の敗戦の日までに上梓できることになった、そのあとに、この太田少将の将旗の奇跡。

 ぼくはきょう沖縄から鎌倉へ向かい、大田少将のご子息に会います。
 この写真と、それから動画をお見せできる。
 まさかの、素晴らしいお土産ができました。
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沖縄で海軍壕、白梅の塔、そして東へ転じて、鎌倉へ

2014年07月20日 | Weblog
▽ゆうべ(7月19日土曜)は、岡山からせっかく、ぼくにしては素晴らしく早い時間の夜7時過ぎに帰宅したのに、小説新作の仕上げが進まず、いや全体が進まないのじゃなくてタイトルを変えようとしていて新タイトルが定まらず、夜中の3時までベッドに近づけなかった。
 あぁ、けっこう寝やすい、お気に入りのベッドなのにナァ。

 午前3時過ぎから、きょう20日日曜の朝6時過ぎまで、それでも3時間はぐっすり眠ったし、もちろん予定通りに、いま羽田空港にいて、これから沖縄に飛ぶ。
 明日は沖縄から鎌倉へ。
 沖縄の海軍壕で自決された大田實海軍少将のご子息に、鎌倉で、インタビューする。
 アンカーでの放送予定は、敗戦の日が近づいてからになりそうだ。


▽きのう岡山空港で起きたことを、もう少しだけ正確に記しておくと、大きなスイッチが降りて主電源が切れるように、体のすべてが機能停止に近づいて、はっきり死を意識した。
 俺はこれほど疲れているのか、と分かったことに加えて、これほどに「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島」(ワニブックス、たとえばここ)を敗戦の日までに世に出すことに力を尽くしきったのか、ということ、それと岡山では「市民文化大学」で講演したけど、実は一回ごとの講演で(下手な講演のわりに)死力を尽くしきっているということも、おのれで、よおく分かった。

 だから、死に神さんの登場は、良い経験だったと思う。
 ちょっと珍しい、面白い感覚だったし。
 あのまま斃(たお)れるのなら、それはそれでよし。

 ちなみに、市民大学のように、成人してから何かを学ぼうとする姿勢は大好きだ。


▼と、ここまでは、個人の庭の個人の呟き。おのれへの記録。

 みなさんへのお知らせを早めに、ひとつ。
「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス、たとえばここ)のサイン会は、とりあえず8月24日の日曜に、東京の八重洲ブックセンターで予定されています。
 募集は、まだです。
 八重洲ブックセンターへの問い合わせは、やめましょうね。書店がパンクしますから。
 募集の時は、ここで確実にお知らせします。
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珍しい体験には違いない

2014年07月19日 | Weblog
 あまりにも印象深い出来事だったので、ありのままに記録しておきたい。
 きょう7月19日土曜の夕刻4時半ごろ、岡山空港で、死に神さんが「ひょっとして、このまま連れて行けるかなぁ」という感じで、ぼくの顔を覗き込み、ずっと横っちょにくっついている感じになった。

 俺はそこまで疲れているのかと、すこしだけ驚きつつ、さして気にせず、機中の人になった。
 飛行機が羽田に着くと、すこし体調が回復し、死に神さんの気配は消えている。

 このごろANAの新しいシートはもの凄く、座りにくい。
 ぼくだけではなく、今の同行秘書Mも「このシート、嫌ですねぇ」と言い、前任のY秘書もほんとうにこのシートを嫌がっていた。(だから人間工学なんて当てにならない)
 その、疲れが溜まるシートで、すこしうとうとしただけで、かなり回復する、それにいちばん驚いた。

 毎日のように飛行機に乗る生活で、ふだん機中でも、離陸のときは新聞か書籍に没頭し、上空ではパソコンを開いて仕事、着陸のときも新聞か書籍、羽田に着いて滑走路からターミナルビルへ地上滑走しているときだけ、うとうとする。
 しかし今日はもう諦めて、何も読まず、パソコンも閉じていた。
 それだけで、戻る。
 だからこそ心身に無理もさせてしまうのだけどね。

 さて、今夜は小説の仕上げをそろりやるだけで、さぁさぁさあ〜、一夜だけでもまともに寝るぞ。
 明日も、朝早くから、飛行機に乗って、沖縄へ。
 ふひ。

 非常に久しぶりに、「水曜アンカー」(関西テレビ)で、ロケをやる。
 かつて、あるひとが番組スタッフ陣にいたときは、ぼくがいくら提案しても決してロケをやらず「アンカーは当面、ロケをしない」と宣言しておきながら、ぼくが独研(独立総合研究所)としての出張で沖縄の仲井眞知事に会うために那覇空港に降り立つと、ほかの人がロケに来ている現場とぶつかって、電話で「なぜだ」と聞いたけど、奇妙な弁解だけだった。
 ただし、こんなのは番組の権限内だから、ぼくはそれ以上は気にせずにいた。

 すこし人事異動があり、今度はむしろ積極的に「青山さん、やりましょう」という姿勢だ。
 明日は、白梅の塔を訪ね、大田實少将の海軍壕に入る。
 海軍壕では、少将らが拳銃で自決なさった司令官室は、ぼくも柵越しにしか見たことがないが、今回、沖縄がが好意的で、初めて部屋の中に入るということだ。

 体力を回復させていないと、この厳しい場所に耐えられないだろう。
 いやぁ、すこしだけは寝ますよ。
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表紙、背文字、裏表紙、そして帯も、勝手に航海、いや公開しちゃおう (*すこし書き足しました)

2014年07月19日 | Weblog


まず、帯付きの表紙です。



帯を取った表紙です。



表紙、背文字、裏表紙です。
下は、帯の全体です。



▼8月12日発刊、すでに予約も受け付け中の(例えばここです)新刊…「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス)について、か〜な〜り長いあいだ、目いっぱいの時間を費やし、力を尽くして取り組んできました。

 けさ7月19日土曜の朝、ゲラ直しの全文の最終部分の60ページほどをようやく編集者に渡し、そのほか、編集者からの質問に答えるメールをまず羽田空港で打ち、それから機内でも打ち、岡山空港に着いて今、車中から送信し、これでようやく、ぼくの手を離れそうです。
 つまり出版社による製本まっしぐらとなり、書店への配本と、進んでいきます。
 正直、苦しかったです。
 ほかの仕事を犠牲にはできず、削るのは、もともと短すぎる睡眠をほぼゼロにし、食事の時間を取らず、「ここでいったん休憩」という場面で休まず…こういうことしかありませんからね。
 この、あまりに極端な戦闘状態が一応、終わりそうです。
 しかし、ホッとする気分にはほど遠いです。

 とっくに終わっているはずだった小説新作の仕上げ、それから、発売が延期されている「そこよみ」こと「祖国は甦る」(扶桑社/ロングセラーの『ぼくらの祖国』の続編)の原稿書き直しが控えています。
 すなわちシンクタンク社長や公職(文科省参与など)、教職(近畿大学客員教授など)の仕事以外に、たいせつな、急ぎの、書きかけの原稿がまだまだ「早くして!」と声をあげながら机の圓棒僂泙譴討い覺兇検⊆尊櫃砲魯僖愁灰鵑涼罎蚤圓辰討い襪里任后


▼ぼくはこれだけ毎日、講演をしていて、講演の内容を主とする本を出すのは初めてです。
 実は、「講演を収録した本を出したい」という出版社や編集者からのオファーはとても多い。
 しかしすべて、お断りしてきました。
 なぜか。
 今回のように、あまりにも大変すぎる作業になると、分かっているからです。

 これは、出版社や編集者の常識とは真逆なのですね。
「青山さんは、作家も本職だけど、ほかの本職、そしてまさしく講演など本職ならざる仕事がとても多い。時間が無いでしょう? だから講演をそのまま本にしませんか」というオファーが、さまざまな出版社、編集者から来ます。
 ちなみに、青山千春博士も同じことを言います。「社長は時間が無いのだから、講演をそのまま本にすれば?」と。

 ぼくにとって、これが違うのです。
 講演は話し言葉です。
 文章とは本質的に違うので、文法をやや外していたり、話の途中で方向転換があったり、同じ事実の表現でも、その場の聴衆の眼を見ながら、柔らかくしたり堅くしたり、省略したり材料を増やしたりします。
 むしろこれが、講演、話し言葉の醍醐味ですね。

 しかし書籍は、あくまで文章です。
 ぼくの本である以上は、ぼくが一字一句、永遠に刻みつけていく「文字による彫刻」です。

 したがって、講演の起こしを本にしていくとき、すでに行った講演そのものを変えないように、文法を微妙に正したり、方向転換をモデレート(穏やか)にしたり、事実関係を確認したり、非常に微妙な作業を、一行一行、延々と続けることになるのです。


▼つまり、ぼくの場合は、最初から文章を新しく書きおろしていく方が、講演録に手を入れるより、ずっと楽、時間も取らないのです。
 かつて一度、講演をもとにした本を出そうとして、あまりも消耗するので、それを途中でやめ、最初から新しく文章を書いていって本にして出版しました。
 それ以来、講演を本にするオファーは全部お断りしてきたのでした。

 世の中には「どうせ講演なんだから」と、そのまま本にしてしまう人はたくさん居ます。
 それはそのひとの生き方なので、批判はしません、。
 しかし、ぼくの生き方とは違います。


▼今回はなぜ、引き受けたか。
 そのまさしく講演で、硫黄島の英霊の方々について話す時間がどんどん無くなっているからです。
 終わらない福島原子力災害、規制緩和だけに傾いていくアベノミクス、移民への油断ならない動きが続く政治家、官僚やメディア、中韓のエスカレートする反日、自民党の腐った部分がのしかかってくる第二次安倍政権、そして直近ではマレーシア航空機撃墜のような突発的な大事件も次々に起きます。
 こうしたことを取りあげていくうちに、講演時間が過ぎていってしまいます。

 だからこそ自主開催で開いている、時間を5時間前後も確保している独立講演会は別です。
 しかし一般の講演では、今のぼくは講演が終わるたびに、硫黄島の英霊や、白梅の少女たちの話が出来なかったと落ち込むことが多いのです。

 新刊は、これに何とか、ひとつだけでも救いの灯火をともそうとするものです。
 思いがけず硫黄島へのクルーズに招かれ、船内放送を合わせると4回も、硫黄島に絞った講演をし、その講演の最後には、これまで明らかにしてこなかった白梅のある真実も話しました。
 ですから、これを本にして残し、一人でもこの話に触れていただくと、硫黄島の英霊と白梅の少女が、わずかにでも、ほんのささやかに、報われることに繋がると考えたからです。
 それを69回目の夏、敗戦の日に、世に問いたかった。


▼現実の作業は、上述の微妙な作業(改稿)を130〜140ページも続け、講演の前後に新たな書き下ろしを執筆し、膨大な写真ファイルを何度も1枚づつ見ていき新刊に載せる写真を選び出し、そのキャプション(写真説明)も一切、編集者らに任せず自分ですべて書き、講演で話した事実関係をもう一度、虚心坦懐に調べ尽くし、確認し尽くし、そして表紙と裏表紙のアイデアを考え、デザイナーが美しくつくってくださったラフを見て、修正部分をたくさん提案し、本の帯も同じようにし…うへへ、参りました。


▼さぁしかし、予定通りに、敗戦の日を前にした8月12日にこの新刊は、港を出発できそうです。
 この試みが、わたしたちが正しく祖国と歴史を見る眼を育んでいくことに、どうか、ちいさき一助となっていきますように。
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初めての京都会場!

2014年07月16日 | Weblog
▼敗戦の日に問う新刊(ここです)のゲラ直しに必死の夜ですが、独研(独立総合研究所)の役員との打ち合わせも同時進行です。
 そのなかで、10月13日月曜・祝日に。独研(独立総合研究所)が自主開催している独立講演会の10月分(第34回)について、初めて京都で開くことが決まりました。

 会場は、あの京都国際会議場です。
 京都駅から、地下鉄で一本、宝ヶ池で降りればOKですから、便利です。分かりやすいです。


▼ぼくは、共同通信の京都支局と、大阪支社経済部の6年間、京都に棲んでいました。
 だから、京の都は、こころの古里のひとつです。
 10月半ばは、京の素晴らしい季節の始まりでもあります。
 できれば、独立講演会のついでに、京の見るところ、触るところ、食べるところ、聴くところを、たくさん愉しんでください。

 …すこし先のことですから、募集はまだです。
 まずは7月27日、これも初めて早稲田大学の大隈講堂で第31回を開き、8月には関西で第32回、9月には東京で第33回を開き、そしてそのあと、第34回が初めて京都です。
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ここは社会に開かれていますが個人の庭です。ご自分の好きな草を植えようとしないでください。

2014年07月16日 | Weblog
▼おまえは何も知らないのだろうから発言を撤回しろという趣旨の書き込みがありましたが、「何も知らないのだろう」というのは、あなたさまの根拠のない勝手な思い込みです。
 公の記録にも基づく事実関係と、少なくない当事者との直接の議論と、信念に基づいて、発言していますから、もちろん撤回など致しませぬ。 ご自分に確固たる信念のある方のようですから、あなたさまの信念やお考えをどうぞ、今後も貫いてください。。

▼「アドバイスした」と繰り返し書き込んでいるひとがいますが、あなたさまにアドバイスを受けた事実は全くありません。
 あなたさまが、ご自分で、申し訳ないけど勝手に、言ってらっしゃるだけです。
 アドバイスを受けたり、求めたりする間柄では、全然ありません。
 ご自分が、ぼくの言動に影響を与えたかのように仰っていますが、そうしたことは、恐縮ながらカケラもありませぬ。
 たくさんのことを誠実にお考えになっているようですから、どうぞ、ご自分の道を進んでください。
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