と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

正代の相撲は愉快だった。タノシイのが一番である。見ているぶんには。

2021年01月21日 05時58分30秒 | とーま君の流儀2021
昨日の相撲はおもしろかった。大関正代の相撲である。取り直しがもう一回あるのかと思ってしまった。辛勝であった。相手をしていた隠岐の海が、正代でも大関になれるのなら、オレだって・・・という噂があったらしい。これもまた然りと思ってしまう。正代は、隠岐の海が嫌いらしいのだ。大笑いである。

正直、正代は好きな相撲取りである。キャラが憎めない。欲がないからだ。怖さがない。他人を威嚇しようという意図がない。これが好きな理由なのである。

よくいるではないか。たいした力量もないのに威張り散らすアホが。正代君は、そういうところはまったくない。もしかして、おちゃらけているのかも知れないと思ったからだ。力量はある。しかし、それを表に出さない。これは立派じゃ。見習いたいと思うからである。

そうすると誤解される。評論家の北の富士閣下が、正代のことをぼろくそに言うが、あれは言われてもしょうがない。稽古が足りないというのは、先輩たちの口癖だからだ。北の富士も好きだった。それは時々、負けなくてもいい相撲を取りこぼしていたからである。同時代に、立派な先輩がいくらでもいたから不運だったとも思うのだが。

つまり、勝負は時の運であるということである。実力だけで進軍していくのではないのだ。勝負の神様が、どっちかについているのである。織田信長だって、桶狭間でまさか勝つとは思っていなかっただろうということでもある。思うに、戦国時代はまさにどっちが勝つかわからない時代でもあったのだ。

これは現在の世の中もそうだろう。日々戦っているサラリーマン戦士の生き方もまた運次第であろうと思うからである。

さらにコロナがある。平安時代にも疫病は流行っている。方丈記なんかにもいろいろと書いてある。鎌倉時代でも疫病は流行った。室町時代も戦国時代にも流行した。江戸時代もである。そして、犠牲になったのはいつも庶民。

そういうところから、祈りの文化が出てきた。疫病退散である。ボキもそうだが、庶民は祈るしかなかった。(*_*) マイッタな。


今日はそんなことくらいしか書くことがない。

BYE-BYE!
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今日も外回りのバイト 仕事だからやるしかないけど ううううううううううむ

2021年01月20日 20時19分09秒 | とーま君の流儀2021
今日も外回り営業。

家にいるより疲れますなぁ。

コロナで、運動もできないし、それが若干の不安だ。しかし、家に閉じこもってはいないから体重は維持しているけど。

営業先では二度電話することにしている。入ってくれといわれても、こっちが怖くなる。コロナである。コロナで玄関先でオサラバしてほしいと言われるし。(*_*) マイッタねぇ。

ま、しかしこんな世の中になっても耐えるしかない。バイトだからだ。なにをやっているかは言えない。言う気もない。

今日も疲れた。寝る。

それが一番ですたい。


BYE-BYE


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上から目線の方々 ボキと孫は同等目線(^_^)

2021年01月19日 07時55分13秒 | とーま君の流儀2021
ドクターに多いのが、誰も逆らわないから上から目線という御仁である。ボキのかかりつけのドクターはそうではないが、ねぇ(^_^)。

ボキの高校の同級生にも医者はかなり多いが、どうしてあんな奴が医者できるのかというアホがいる。中には、現役で東北大学医学部に進学していった同級生がいた。応援団長がそうだった。ボキの所属していた組織であった。彼は偉かった。秀才なのに、決していばらない。ボキのようなアホにも数学とかよく教えてくれた。

バンカラを気取っていた高校生だったが、たいしたもんである。今は外科医として大成功をしていると聞いている。

そんなこんなで、漫画の黄昏流星群を地でいっている昨今のボキである。なにしろ黄昏れてきているからである。ただし、この漫画の底流を流れている老いらくの恋というのにはご縁がないがねぇ(^_^)。

しかし、この黄昏流星群はおもしろい。なぜなら、同年代だからである。老人になってどう生きるかというのは、ボキの同時進行形のテーマであるから。中古本店にいって110円くらいのを買ってきて眺めているが、なかなか面白い。

同時進行形だから面白いのだろうよん。こういう現代小説があったら、ボキも買って読みたいモンだが、最近は文芸誌も買わない。買わないから、現代小説にどんなのがあるのかも知らない。流行歌に至っては、歌詞も伝わってこない。やたら絶叫しているだけであるから。こいつ等日本語で歌っているのかねぇと不思議になっちまう。

リズム感だけで勝負しているのだろう。踊り出すような高揚感である。こいつは、昔から日本の庶民は愛好してきた。自然と踊り出すようなリズム感というのは女児の孫を見ていてもそう思う。踊り出すことが多いからだ(^_^)。

タノシイ孫だが、耳が聞こえているのだろうから安心している。孫と一緒に遊んでいると日々タノシイ。

孫とは対等である。孫は、上の人間がジジイだとは思っていない。ただの遊びトモダチである。ま、これもまたよし。


BYE-BYE!
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バイトの帰りにクルマがおかしくなっちまったのだ (*_*) マイッタ

2021年01月18日 19時28分30秒 | とーま君の流儀2021
今日も一日バイトであった。なかなかハードであった。家を7時ちょうどに出かけた。ま、これくらいの労働は、かえって気持ちがいい。まったくハタらかないで、家にいるよりはずっといいからだ。

帰りクルマがおかしくなった。だから買った店にいった。見せに。そしたら、マフラーがおかしかった。3月に部品交換となった。とりあえずは、応急処置。

どうやら、腰の骨折でけっこうな期間乗っていなかったかららしい。

うううううううううううううううううううううううむ。

ちょっとした怪我が怪我を呼ぶ。

そしたら、親しくしている営業の閣下も、ボキと同様に腰を骨折したのだった。ふたりで、骨折のはなしばかりしていた。

明日の朝、また詳しく投稿する。

疲れてしまったから。今日は、これで寝る。


(_ _)
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九十九里浜で生きていると、長生きできまっせ。それくらい快適だから(^_^)

2021年01月17日 08時44分28秒 | とーま君の流儀2021
土・日はNHKのラジオ講座(英語)がない。ないからゆっくり起きる。土・日以外は6:30から7時までラジオの前に拘束される。だからしょうが無い。早く起きる。ま、これも10年も続いている。しかし、まったくモノにならない。アホだからだ。実際に、外国人の方と会ってしゃべれば良いのだが、そういうきっかけもない。

ま、いいか。

今日は起きたら曇っていた。冬の九十九里浜は日本海側が雪だと快晴である。今日は違った。そうすると日本海側が大雪ではないのだろう。安心した。わからないけど。

亡父が言っていたっけ。九十九里浜に住んでいたら、長生きできるなぁとしみじみ言っていた。魚はうまいし、雪も降らない。そりゃそうだ。ボキのふるさと山形は今大雪が降っているからだ。二階の屋根も、外から行けるくらいに降るのである。豪雪と戦っておられる山形の方々に声援を送るしかない。

それにしても人間は自然とどっかで折り合いをつけて生きていかなくちゃならないとしみじみ思う。九十九里浜であっても、東日本大震災で16名の方々が亡くなってしまった。平成天皇陛下もお見舞いに来てくださった。それくらい被害があったのである。

自然をバカにしているとしっぺ返しがくる。ともかく自然もそうだが、他人のことをバカにしたりしていると、どっかで仕返しがくる。舐めていたらアカンのである。オノレ一人が偉くて、他は全部バカだと思っていたら、それは天が見ている。逆の方がいい。他人は全部賢くて偉いと思っているべきである。そして、オノレ一人がアホで悪行三昧の愚者であると。

でないと、グシャグシャになっちまうではないか。

以前の職業のことなんか黙っていればいい。学歴も披露しないことである。世の中から隠れて生きていればいいだけである。自己自慢なんかしていると、ろくなことはないからである。こうーむいんとかガッコのセンセなんかにあてはまるでっせ。偉そうに。

わっははっははっはははっははっははっははっははっはっは。


BYE-BYE!
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クルマの試乗車に乗っていた 夜バイトの前に(^_^)

2021年01月16日 09時49分29秒 | とーま君の流儀2021
昨日は歩きすぎた。腰が痛いのになんちゅうことだ。健康のために動き過ぎて、死んじゃったらどうしようもないではないか。うううううううむ。その傾向はある。ともかく、ストイックなんだよん。アホとも言うけど。

15000歩は歩いてしまった。今日は気をつけようと思う。

昨日は、ライズというクルマまで見にいった。ショッピングセンターからの帰りに、ボキの目の前をトヨタのヤリスクロスが走っていた。だからそのままトヨタの営業所に直行。パンフレットだけいただいこうと思ったのである。しかし実車がなかった。結果、ライズというクルマに試乗してきた。1000ccである。4wd。タノシカッタな。今のクルマがFFで雪道には弱い。怖い。ボキは、スキーもやっていたから、4wdが好きなのだ。安心であるから。

現役の仕事人時代に、あまり通勤に苦労しなかったのは、4wdに乗っていたからである。ヘッドティーチャーをしていたからガッコには早つく必要があったから、雪が積もっていても一番乗りをしていた。それで4wd派になったのである。

でもまぁ、これからはおとなしく生きていこうと思っているから、クルマなんでどうでもいい。80を過ぎたらクルマとはオサラバしていくつもりだから、なんでもいいのだが。

軽でもいいのだがねぇ。

それでも4wdにこだわりたい。

それにしても暇なジジイでありますなぁ。

夜は夜で塾に行っていたけど。

ヒマジンだから。


さ、今日も塾に行く。これから図書館に行って捨て聖一遍の本を借りてくる。ほかにもAmazonから来る。一遍の本である。来年度の履修科目に付け加えてみたいと思っているからである。果たして、ボキも聖とは言わないが、捨てて捨てて捨てまくって生きることができるかどうか。勝負はここにかかっているからだ。

わはっははっははっはははっははっはははっははは。


ライズ!!!!
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値上がり率TOP10の株を買って1ヶ月放置すると爆益になるか検証

2021年01月15日 18時46分12秒 | とーま君の流儀2021
値上がり率TOP10の株を買って1ヶ月放置すると爆益になるか検証
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捨てて捨てて捨てまくって生きていきたい 捨て聖のように むりかもしれないけど(^_^)

2021年01月15日 08時45分25秒 | とーま君の流儀2021
東大といえば、天下の名門、インテリ集団、天才の別名である。可能ならば、ボキも入りたかった(^_^)。

ま、それは冗談しまくらちよこである。

今日は、その東大の教授だった御仁がいなかの学習塾で教えたことのなかった中高生の講師をやっているという話である。ふとしたことから知ってしまったのだが、なかなか出来ない決断であろう。しかも、天下の東大である。よくまぁ決断できたものである。これ以上は書かない。

そこでふと中根東里先生を思い出したからである。自分の実績とか、論文とか、地位も名誉もみんな捨てて、亡くなった実姉の娘と一緒に生涯を過ごした僧侶である。大好きなお坊さんである。江戸時代に中国語ぺらぺらであったのだ。しかも飛行機でちょっと中国に出かけるという時代ではない。つまり学問僧であったのだ。さらにある。貧乏でカネが無くなったら、草履を作って販売もしておられた。

要するに好きなんだよん。

こういう捨て聖みたいな御仁が。

冒頭の御仁も捨て聖みたいなもんだろう。地方の私学ならぜひともうちに来てくだされとスカウトしそうなもんだが、そんなもん、歯牙にもかけない。

一遍上人が捨て聖として有名だが、ここらあたりでボキも捨てなくちゃアカンですなぁ。髪の毛とか、パンツとか。もっとも地位とか名誉は、ボキ、ハナからないから安心だが。

捨てて生きていればトラブルにも巻き込まれない。トラブルの方から逃げ出してしまう。

ボキはゼニも要らない。家人に全部任せっきりである。いくら年金もらっているのかも知らない。バイト代は、学費に使わせてもらっているが。あるいは本を買うために使っている。生きていれば年金が出る。いろいろ工夫しているから、年金評論家にもなれそうだけど(^_^)。

全部、生涯学習に使っているからこういう生き方を選択した。これでいいのである。これで後悔はないからだ。

捨てて、捨てて、捨てまくっていきていきたいもんである。


BYE-BYE!
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起こったことは、宇宙の意思なり=志の輔師匠がそう言っていたっけ(^_^)

2021年01月14日 09時03分06秒 | とーま君の流儀2021
ボキは、どうもヘラヘラしゃべってばかりいる。それでもって自業自得というか、失敗してしまったことは数限りない。要するに性格が明るいのである。つきあいも悪くはない。一人で閉じこもって読書三昧というのもあこがれるが、こいつは病気になってしまう。動かないと人は病むのである。経験上確かである。つまりエコノミークラス症候群になってしまうからである。某大学大学院に通学していたときにかかっちまったからだ。

結果、中退せざるを得なかった。残念だったが、しかたなし。これもまた自分の意思でそうなったわけではなかった。落語家の志の輔師匠ではないが、起こったことは宇宙の意思でそうなったのだと思うことにしているのだ。

酒場でもうこれくらいにしようと思っても、翌日気持ちが悪くなるほど飲んじまう。これもまた自分の意思で飲んでいるのではない。宇宙の意思である。飲みなさい、飲みなさいと誘ってくるのが宇宙意思である(^_^)。

つまり、それでもってオメェのイノチを縮めてやるぜという宇宙の意思である。怖いでんなぁ。

死ぬのもまたこれだ。まだ生きていたいと思っても、突然やってくるのが死。

病気であったり、事故であったりする。

避けがたいことだけど。

それでも飛行機事故だけは嫌だなぁ。死ぬのがはっきりわかってしまうから。もっとも癌で死ぬのもまた意識がはっきりしているから、こっちも怖い。

可能なかぎり生きていきたい。世の中のためになることをしながらである。

こんなボキは、ひたすらオノレを消すことを目標として生きている。最初から消えていたから、消すのは簡単である。材料がすこししかないからだ。ふっと吹き飛ばしてみると、あとかたもなくボキの存在は消えているからだ。それにしがらみもないしねぇ。なんにもないから。

今日は、夜になったら塾に行く。バイトである。これまたタノシミ。


それまでおとなしくしていようっと。


BYE-BYE!
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今朝は寒かったので、クルマの事故を3件も見てしまったのじゃよ

2021年01月13日 19時16分07秒 | とーま君の流儀2021
今日のバイト先に到着するまで、クルマの事故を3件見た。怖いですなぁ。こんな冬の時期に外交をやっていなくちゃならないのだから、ボキも貧乏はしたくないっすねぇ。

しかし、いまさら安全な四駆に取り替えるほどのゼニもないし。

あああああああああああああああああ。

疲れた。

今日はこれでおしまい。

早く寝る。


BYE-BYE!
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はじめてのYouTube使い方講座 初心者・中高年【長野県伊那市 いなわくわくファクトリー】

2021年01月12日 08時01分11秒 | とーま君の流儀2021
はじめてのYouTube使い方講座 初心者・中高年【長野県伊那市 いなわくわくファクトリー】
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雪がふる~~~~~~~~九十九里浜に? まさかとは思うが、警戒はしておこう。

2021年01月12日 07時02分50秒 | とーま君の流儀2021
サムイ。今朝は雪が降ると天気予報で言っていた。九十九里はまだ降っていないが、サムイ。それでも、日本海側は大変なことになっている。あれだけ九十九里に降ったら、おしめえである。九十九里では対処ができないからだ。電車もそうだ。対応ができないように作ってあるのだそうな。家の構造もそうだ。台風には強いかもしれないが、雪はアカン。九十九里では対応できないだろう。

ともかく今日一日平穏であって欲しい。まだ朝だが、さっきまでNHKの英会話講座を聴いていたからなにごとも起こらないことを祈っている。

これで怪我をしたら、目も当てられないから。雪は滑るし。屋根の雪下ろしなんてぇことはもっと危ない。そんなことのないようにと祈るしかない。

ボキは、雪国生まれの雪国育ちだからできるかもしれないが、問題は腰を骨折したことだ。なんとも情けない。不注意きわまる。

柔道四段の免状を返上しなくちゃアカンですなぁ。話にならない。油断があったからだ。エアコンの掃除くらい誰でも出来ると思ったのが、怪我の元。不注意というのは、こういう人生舐めてしまった結果である。

ボキは、それでも人生を舐めているからなぁ。世の中をも、他人をも。全部舐めた態度で生きてきてしまったからだ。武道をやる意味は、安全に生きることができるかできないかにある。勝敗ではない。買った負けたではない。あくまで生きるためにやるのである。もっともボキは、一度も優勝した経験がないからなぁ。負けてばかりの前半生だった。今もそうだ。負けてばかり。

それでも良し。

相手に自信を持たせるために生きているのも一興である。それでいいじゃねえか。それで。そもそも弱いのだから。

それでもって自信たっぷりに生きていけるようになれば、それこそセンコー冥利につきるというもんじゃよ。

BYE-BYE!


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なんも手元に残しておかないようにしようと思う。残されてしまったら、家族が迷惑しちまうから。

2021年01月11日 07時17分58秒 | とーま君の流儀2021
本やDVD,CD等々を手元に残しておくのはやめようと思う。そんなもん、書庫に残しておいても残された家族が迷惑であるからだ。なぜ、残しておくことに拘るのかというと、無くなってしまったらどうするんかぃ?という不安があるからだ。

しかし、考えてみれば本はKindleで読めるし、DVDもCDもインターネットで見て聞ける。落語が良い例である。いつでも好きな落語家に接して聞ける。

良い時代になったもんですよん。

山形の超田舎で生きていたときは、こうじゃなかった。まずは図書館で借りた。そしてどうしても残しておきたいのは、買った。小遣いで。

しかし、そうやって手に入れた書籍は今はまったく家にない。あるのは、新聞配達してやっと買った全集本である。夏目漱石、森鴎外、太宰治、ドストエフスキー、柳田国男、折口信夫、島崎藤村、芥川龍之介、中村幸彦、卒論の対象になった椎名臨三などがある。これらは捨てられない。苦学していたときに、いじけていたボキの精神を支えてくれた作家たちである。実はもっとあるのだが、自慢話になるから省略する。

しかし、捨てるべきモノはもっとある。ボキのこだわりである。くだらないプライドもある。そんなもん、要らない。不要である。

要らないとなると、戒名も要らない。ボキの本名で死にたい。おっとそれだと、家族が墓に入れないと文句を言ってくる可能性がある。自分一人の墓ではないだろうって(^_^)。

しかし、死んだ後のことまで関わっていられない。

遺産もなんもないからなぁ。残すものは、髪の毛だけ。ウソですが。残せないのが髪だから。最初からないので、髪の毛だけは。



昨日、バイトでやっている原稿書きが二本終わった。これで二本分の原稿料が入る。残り一本。これからやる。あるアイディアがあって、スラスラ書けてしまった。なんでもやろうぜ、ホトトギス。

春が来たら、コロナも無くなって欲しい。


BYE-BYE!


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黄昏流星群 うううううううううううううむ ボキも黄昏てきたからなぁ(^_^)

2021年01月10日 08時43分32秒 | とーま君の流儀2021
黄昏流星群というおとなの漫画がおもしろかった。一昨日から読み始めて三冊読了。これ、漫画雑誌では読んでいたがどうも面白くなかったのだ。その当時は。まだ血気盛んな年代だったから、ある意味軽蔑していたのかも知れない。こんな年になってなにを血迷っているのだろう、オレならこうはならないと思っていたのだった。

ある意味、うぬぼれであったのだろう。さらにある。それはまだまだオレは黄昏れてはいないという自負であったろう。ところが、ボキは黄昏れてきた。確実に年をとってきた。要するにジジイになったのである。ワラッチまう。

世の中のためにならないという自覚も十分ある。生涯学習を気取って、大学院彷徨もしている。もう四つめである。学部は一度だけ出ているから、都合五個目の大学生活を送っていた。最初の学部は新聞配達して苦学した。全部たいしたことをやってきたわけではない。ただし、勉強したいというささやかな願いがあっただけである。

勉強したりないという自覚はいつまでもある。知らないこと、忘れてしまったこと、やったことがなかった分野等々いくらでもあるからだ。

したがって、いつも自分だけを責める。偉そうに他人にあるいは若いヒトに文句を言えるかという自覚である。できない。人に説教たれる前に、そういうオメェは人のことを言えるのかという自責の念である。これは永遠に続くであろう。それに人と人とのつながりなんてぇもんも、怪しいモンだ。友人だと思っていても、すぐ切られる。こっちから切ることはないが、切られることはかなりある。年賀状もそうだ。こっちから出しても切られる。人生なんてそんなもんであろうからなぁ。その程度のものである。

夫婦だって離婚する場合があるのだから、人とのつながりなんてぇもんは薄っぺらい関係でしかないのでしょうから。

なんだか、本当のモノってなんだろうかと思う日々である。黄昏流星群というのはそういうものを描いているのかも知れないと思った次第である。

今日も古本チェーンで買ってこよう。なかなか良い漫画であったから。


BYE-BYE!


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同窓会に出ても、語るべきモノなし。自慢することもなんにもない。卑下していたらサミシイから最初から出ない方がよろしい(^_^)

2021年01月09日 07時33分23秒 | とーま君の流儀2021
自分の同窓会に行ったことがない。なぜか。失敗の連続だったからだ。それに、18歳以来成功体験というモンがない。唯一あるか。苦学して大学学部を卒業できたことくらいか。

黄昏流星群を読み始めた。弘兼憲史センセの「やめる生き方」を読んでから興味を持った。つい最近のことだよん。黄昏流星群は見たことがあったが、さして興味がなかった。高齢化して、人生が黄昏れてきたボキと同年配のコキコキしている古希の方々のものがたりが多い。そんなジジイになりたくねぇと抵抗していたからだ。

しかし、「やめる生き方」を読んでから若干変わった。黄昏流星群は、まさに「やめる生き方」実践編であったのだということに気がついたからである。あるいは、やめさせられた生き方であったのかも知れない。

高齢になって同窓会しか興味がないというのも、これはいかがなものか。それに、出席する意味もない。成功者でもなんでもないからだ。自慢話なんかしたところでイマサラである。底が知れている。こんなことをやっているくらいなら、英語の単語でも覚えた方がずっとよい。

あるいは、今在籍している大学院の参考書でも読んでいたほうがいい。親鸞から法然と興味が移ってきたからだ。そうするとやることがいくらでも出てきた。知らないことが多くて参っているからだ。

コロナで海外に行けない。修士論文で、敦煌を扱うつもりだった。詳細は書けないが、実際に行ってみたかった。コロナが解消したらさっそく行くつもりだが。

敦煌から出てきた経典と日本文化の比較である。これは実にタノシイ。日本を見る目が変わってしまったからだ。それでこれからも追求していきたい課題であるから。おっと、これくらいにしましょう。

自分のプランを拙ブログに書いていたらアカン。師匠に叱られてしまうからだ。

で、ここまで打鍵して気がついてしまった。ボキ、地縁がないではないか。産まれもそだちも奥州山形であるからだ。

わははっはははっははっはははっはっはっはは。


(^_^)ノ""""
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/