なんの意味があるんだい?と聞かれることがよくある。生涯学習ごっこをやっているからである。この質問は、前提に意味があるかないかということを考えてやっているのかというボキに対する揶揄がある。からかいである。否定的見解の発露である。なにを今さらアホなことをやっているのだい?という馬鹿にした発言である。
ボキは、なんの意味があるのか?という質問には、そういうアンタはどういう意味があって人生を送っているのだい?と聞きたいが聞かない。聞いたら喧嘩になっちまうからだ。相手を否定してしまうからだ。
だから、ボキは他人に意味があるかということを聞かない。それはむしろ自問自答すべき話題だからだ。超越的な存在からの問いかけであったら、考えるけどねぇ。マジに。
フランクルの言ったことはそういうことだったのではないかと思うからである。夜と霧の作者である。アウシュビッツの経験者でもある。なお、訳者は以下のようなことを書いている。
「人間ひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ」
「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は完全なものになるのだ」
「脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ」
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって正しい答えは出される」
この「行動」というやつが大切で、考えるより先に行動することで本物の思想が反対に生まれるということだ。
意識でもって行動を考えるのではないのだ。
「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は完全なものになるのだ」
「脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ」
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって正しい答えは出される」
この「行動」というやつが大切で、考えるより先に行動することで本物の思想が反対に生まれるということだ。
意識でもって行動を考えるのではないのだ。
以上のようなことを書かれている。まさに、生きることの意味を問うことをやめ、ひとえに行動によって人生は是正できるということである。
これはボキの生涯学習ごっこにも当てはまる。行動しているからである。 対象はなんだってよし。まずは学ぶことである。
もし、青春の苦悩によって、意味を問い、勉強なんてやったって無駄であるとか思うんだったら、そのまえに「行動」してみることである。
ま、そんなことを思ったからである。
一生いじけてすごしているよりは良い。
ボキだって他人に誇るものなんかひとつもない。なんにもない。だからそれなりに生きているだけである。
死ぬまでは行動していくつもりなのだ。息ができなくなったらそれでおしめぇだよん。息だって行動の一部ではないかと思うからである。
生涯学習ごっこが無駄だとか、何の意味があるのだと言ってボキをからかっているくらいなら、ちったぁ世のためヒトのためになることをやっていたほうが良いでっせ。
BYE-BYE!