と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

これが生涯学習をやる者の宿命

2013年08月11日 17時59分11秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 毎日暑い日々である。

 こういう日々であっても、働いている方々は多くいるのだ。だから応援させていただくのである。今日も光町の図書館に行った。夏休みもなにも公的図書館は無い。ここは成田空港と一緒に作った民俗芸能のDVDが完備していて、実にありがたいのである。だから本当は、毎日日参したいくらいである。大学の図書館も20日まで閉鎖だし、逆に好都合だ。あちこちの図書館を放浪できるからである。申し訳ないけどそういうことである。


 
 その代わり、オレにはお盆休暇も、夏期休暇もない。年次有給休暇というのもない。ないないづくしである。当たり前だ。もう用済みで計算外であるのだから。あとは、大学でひたすら年若いご学友たちについていくしかないのだ。どんなに笑われようと、邪険にされようとだ。あはははははである。そもそも無意味な存在なのだから。よくもまぁオレのようなじじいを受け入れてくださったものだ。大学も、少ないクラスメイトたちも。つまり、「孤独なままに歩むしかない」という点においてである。通信教育が主体とこれまではなっていたから、誰かに相談するということもなかなか困難であるし。そういう環境でやるしかない。インターネットで、つまりメールで相談する以外手段が無かったからである。中には、得がたい友人もできたけれども。中央仏教学院もそうであったし、放送大学大学院や武蔵野大学大学院もそうであったから。

 これが生涯学習をやる者の宿命であろうと思っている。仕方ないではないか。ふつうの学生さんとは、(院生さんとは)違っているのだから。しかし、修士をとらせていただいた時の、86才のクラスメイトには、教えていただくこと多かったなぁ。名古屋の人で、凄い人であったよ。あの人と出会わなかったら、今のオレの生涯学習はない。修士をとった時点で、どっかに再就職していただろうから。いろいろウチに来て働いてみないかというお誘いも随分いただいたのだった。感謝している。しかし、オレにはもっと凄い見本がいたのだった。86才になって、修士論文を書いているのだから。本当にこころから尊敬しちゃったよ。真っ赤なTシャツを着て、オレ等のようなガキを相手に、議論にもなんも全部積極的挑んでくるのだから。これはこれは、なんともはや・・・。スーパーマンである。
 

 オレもこういうおじーさんになりたいのだ。

 ぼけてる暇がねーってもんだ。

 奥様を五〇代半ばで亡くされてから、生涯学習をスタートさせたのだ。未だに、一人暮らしである。料理も得意、掃除もできる、ギターに至っては、七〇代から始めて、今は老人ホームに慰問に行かれるのだ。後輩の老人を慰問にいくのだ。これは痛快である。実に痛快!

  暇だからと行って、他人の悪口ばかり言って、近所つきあいもせず、朝から酒ばかり呑んで、女房とけんかして・・・・そんな後半生ではしょうもないではないか。むろん生涯学習には終わりがないから、今通学している城西国際から去っても、オレは別の機会をとらえてまたまたどっかで学んでいるだろう。要するに、学歴を利用しようとしていないのだ。そもそも、そういうスケベ根性がないのだ。だからオレは偉くなれねぇのだな。

(>_<)ゞ

  次の生涯学習は、あまりカネのかからないところに行くつもりだ。通信教育がいい。なんでもいいのだ。これまでも通信教育はいろいろとやってきたしなぁ。千葉県内には放送大学というのもあるし。なかなか快適ですよん。

  で、郷土史の分野で得たものを贈与することもできるし。これまた幸いである。ま、オレのような馬鹿ものとちょっとしゃべってみたいという方も若干ながらおられるから、それは拒まない。議論にはいくらでも応じることにしている。あるいは、教授法を講義しているので、若い研究者とか、学者様のたまごっちには、特に丁寧に応じている。當然だ。それが、オイラの義務でござんしょ?だからですよん。
 
  今日からは寺院縁起の分析にかかっている。一二種類ある資料を比較しながら、駄文を書いている。楽しいものだ。それしかオレにはやることがねぇからなぁ。

 

 

 (^_-)-☆

 

 

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8月10日(土)のつぶやき その2

2013年08月11日 05時16分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

家人の外に避けて居るのは、神の來訪あるが爲である

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先ほど、アテネから帰国しました。この大会の目玉だったハーバーマスの講演内容は以下(英語)で読むことができます。→wcp2013.gr/files/items/6/…

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読み始めたら、止まらない面白さ。佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』(中公文庫、1974年)。ここ数日の、私の北畠親房ツイートは、ほとんどこの本の影響です。また大河ドラマ『太平記』を見直したくなってきますなー。 pic.twitter.com/qUtmJyovYv

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森浩一さん死去:大胆仮説で考古学リード…庶民派貫き mainichi.jp/select/news/20…

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インターネットを使った犯罪防止ということを今朝のNHKがやっていた。小学生の女子が標的にされているらしい。困ったもんだ。SNSってつまりそういう事も可能なのだということなのか。なんたることだ。#fb


そもそもマスコミも、犯罪に手を貸している企業もよくないですなぁ。ちょっと待て、君のその手が、間違いのもと!っていうような禁止キャンペーンをやってほしいくらいだ。女の子の孫ができたら、オレはホンマに心配になるからだ。
#fb


RT @pre_online: 「体罰は指導効果ゼロ」4つの合理的理由: 「プレッシャーで……」「もっと信頼されていると思っていたのに……」体罰等の欠点を裏返すと、効果的に叱る、4つの条件が見えてくる。 bit.ly/13SD0CA

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>ある程度のエキスパートは、強みを褒められても、改善への道が全く見えてこない、ということなのだろう。
これはたゆまぬ自己向上を願っている人には、効果的。特に女性に多い。男はダメ。褒めるしかない。一部の男を除いては。#fb


これから「風立ちぬ」を見に行く。エライ評判がいいそうだから。それにクラスメイトにも勧められたし。堀辰雄は、オレが17歳の時に、奥羽本線の夜行列車で読了したっけ。そんなことを思い出した。 #fb


 菜穂子さんにも、二郎さんにも優しさがある。優しさがないと、生きる価値はないようにもオレには思われた。オレにはない美徳であるからである。仕事、仕事... blog.goo.ne.jp/tym943/e/ac4ac…


日本語学会電子情報委員会です。これから日本語学会ホームページの新着情報を発信していきます。

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諸存在が有している一箇の同一性は永遠に「先だち」、歴史の成就に先だっている。時が巡り終える前、つまり時間がなお存在している間は、諸存在は確かに互いに関係の内にあるけれども、その関係は自己を起点としているのであって、全体性を起点としているのではない。-全体性と無限-

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私たちは、ほんとうは神の愛の共労者なのです。神の愛の運び手なのです。特に人々が、神は”いた”としてしまうこんな時代には、あなたや私が、私たちの愛する心、生活の純粋さ、私たちの深い思いやりの心を通して、世界に証明するのです。神は”今もいらっしゃる”ということを。

と~ま君さんがリツイート | 10 RT

足がいてえので、家にいるしかない。明日あたりから、上半身だけでも鍛えにいこうっと。今日も随分、いろいろとPersonal Computerとお友達をやっていた。おかげで、寺院縁起の入力完了した。さ、明日からは、その構成と比較だ。まったくなんのおもしろみもねぇじーさまだわい。#fb


千葉県の民俗舞踊のDVDも面白かったなぁ。念仏踊りなんか特に。もう伝承されていないのもあるから残念だけど。これも怪我の功名だわい。#fb


本日サマーイベント「打上花火」開催です!
ホテル中庭よりご覧ください。

実施日:8/10、13、15、17
時間 : 21:00~5分間程度

※天候等により予告なく日程の変更・中止になる場合がございます。... fb.me/2nJVhS8xN

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浦和学院と仙台育英の高校野球を見ながら、涼んでいる。いいなぁ、高校球児の表情は。オレは、野球大好きなんだ。実は。中学校で野球部の監督もしたことがあるし。部活の生徒は実にかわいいのだ。夕日が落ちる頃に、生徒達と語りあうのも楽しみだった。純なのだ。彼らは。両方頑張れ! #fb


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8月10日(土)のつぶやき その1

2013年08月11日 05時16分09秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

希望は常に若い世代にある。自分のようなおじさん世代は、変化に付いていけないならば、若者の邪魔にならないように、消え去るのみだな。

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姉は、人を拒む夜の故に、母を宿さなかつた

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母神(御祖神(ミオヤガミ))が地上に降つたのは、偶然にも新甞の夜であつた

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聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見て取るところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙吊りにされてしまう。-全体性と無限-

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新甞の夜に神のおとづれを聽いた證據は、歌に止まらないで、東の古物語にも殘つて居た

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だから、訪問する義の語自體が、神を外にして出來なかつたことが知れるのである

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人々への思いやりの心をもちましょう。私たちが心の底から思いやりを感じるためには、祈りが必要です。特に、貧しい人たちを優しく愛しましょう。私たちは貧しい人たちにたくさんのことをしている、と勘違いしがちです。しかし、ほんとうはそうではなく私たちを豊かにしてくれるのは彼らの方なのです。

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祭りの夜に神の來て、ほと/\と叩くおとなひに、豐かな期待を下に抱きながら、恐怖と畏敬とに縮みあがつた邑落幾代の生活が、産んだ語であつた

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能の理解深めよう、佐渡・金井(新潟日報8/8) niigata-nippo.co.jp/news/local/201… 「能など佐渡の伝統文化に親しむ『ふるさと芸能体験』が10日、佐渡市中興の金井能楽堂で開かれる…参加者は能の衣装や面を着けて実際に舞台で演技をしたり、和楽器に触れたりできる」

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音を語根とした「音を立てる」を本義とする語が、戸の音にばかり聯想が偏倚して、訪問する義を持つ樣になつたのは、長い民間傳承を背景に持つて居たからである

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人の家を訪問する義を持つた語としては、おとなふ・おとづるがある

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ヴェルサイユ宮殿 壁面だけでなく、天井も抜かりがありません!絵画と彫刻で完全武装です! pic.twitter.com/jPUFZZSOwt

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とふはこたふの對で、言ひかけるであり、たづぬはさぐるを原義として居る

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戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎ取られ、かくて無条件的な命法すら暫定的に無効となるのである。戦争状態がありうることで、人間の行為の上に予めその影が投げかけられている。-全体性と無限-

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「戸おそふる」と言ひ、「外(ト)に立つ」と謠うたのは、戸を叩いて其來訪を告げた印象が、深く記憶せられて居たからである

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其神に扮した神人である

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諸存在が有している一箇の同一性は永遠に「先だち」、歴史の成就に先だっている。時が巡り終える前、つまり時間がなお存在している間は、諸存在は確かに互いに関係の内にあるけれども、その関係は自己を起点としているのであって、全体性を起点としているのではない。-全体性と無限-

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其は刈り上げの供を享ける神である

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かうした夜の眞のおとづれ人は誰か

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歴史の総体を裁きながら、しかも歴史の終末をしるしづける戦争そのものに対しても外部的であることで、終末論的なものは、それぞれの瞬間それ自体において、その瞬間各々の十全な意味を回復させる。つまり、一切の事案は、時が満ちて審理に付されていることになるのである。-全体性と無限-

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來訪者を懸想人としたのは、民謠なるが爲であるに過ぎないが、かうしたおとづれ人を豫期する心は、深い傳承に根ざして居たのである

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此等の民謠は、新甞の夜の民間傳承が信仰的色彩を失ひ始めた頃に、民謠特有の戀愛情趣にとりなして、其樣子を潤色したのである

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ヘラクレイトスの暗い断片を引き、存在は哲学的思考にとって戦争として啓示されることを明かすまでもない。戦争は、最も明白な事実として哲学的な思考を侵しているだけではない。現実的なものの明白さそのものとして-或いは真理として-哲学的思考を侵しているのである。-全体性と無限-

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唐招提寺梵天・帝釈天像:本来、本尊の盧舎那仏の左右に安置されていたもので、向かって右に梵天、左が帝釈天である。古代インドの護法神で、一対で造像される。両像とも鎧の上に裳をまとい、沓を履き、梵天は、さらに袈裟をつけた姿となっている。twitpic.com/9h52p0

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/