チョコレート空間

チョコレートを食べて本でも読みましょう

蛇行する川のほとり(恩田陸/中央公論新社)

2006-11-06 01:01:07 | 
川のほとりにある「船着場のある家」「塔のある家」
小さな天蓋のついた石造りの音楽堂。
真夏のそんな場所を舞台にした少年少女たちだけの数日間の物語。

毬子は美術部の美しいふたりの先輩、香澄と芳野に演劇祭の背景画を仕上げるために香澄の家で夏の合宿をしようと誘われる。
学校でも目立つふたりの美しい先輩に誘われたことで有頂天になる毬子に、親友の真魚子(まおこ)は不穏なものを感じる。
それぞれに美しくて完璧でふたりだけでその完璧さが閉じられているような二人がなぜ毬子を誘ったのか?
香澄の家は両親が避暑に出かけて少女3人だけの合宿になるはずだったが、香澄の崇拝者であり、闖入者の毬子を憎んでいるかのような香澄の従兄弟の月彦と、月彦の幼馴染の暁臣が加わり5人での時間が始まる。
その時間は危ういバランスの上に成り立っていた。
実は香澄が毬子に何かしでかすのではないかと見張っているのだという月彦。
一見人当たりがとても良いけれど何かを探り出そうとしている暁臣。
そして香澄と芳野。
まだ彼らが幼い頃、この「船着場のある家」で女性が絞殺されてボートの上で見つかり、同じ日に音楽堂の屋根から小さな女の子が落ちて死んだ。
その事件に彼らの全員が関係しているらしい。
毬子はその事件に関係があるのか。
その謎が徐々に明らかになったとき、カタストロフィが訪れる。

少年も出てはきますが、これは少女たちの物語です。
恩田ワールドの少女たちが常にそうであるように、彼女たちも美しく潔癖で青春時代の醜さ、汚さは徹底的に持ち合わせていない。
文章自体もそこここに少女の潔癖さがちりばめられている。
「どんなに綺麗な女の子でも、アイドルは、アイドルになった時点で、もう汚されている。大勢の見知らぬ男の子のために笑うことを承知するなんて、どうしてそんなことに彼女たちは耐えられるのだろう」
「少女というのは無残なものだ。
 あたしは、学校ですれ違う彼女たちを見ていると、いつも弔いをしているような気分になる。いっぱいの笑顔と喚声で短い時間を駆け抜けてゆき、自分が何者かも知らぬうちに摘み取られて腐っていく少女たち。」

とても非現実で残酷な美しい空間が読んでいて心地良い世界でした。
しかし読み始めたらあっという間に、ちょっと惜しいくらいあっという間に読み終わってしまいました。
本書はまさにそうですが、恩田作品には川や海など水が出てくるものがけっこうあります。
水路に囲まれた水郷の町が舞台の『月の裏側』
船で死者の甦る島へ渡る『ネクロポリス』
タイトルですが『麦の海に沈む果実』『図書室の海』など…。
水を渡ることで非現実世界へ連れて行かれる感覚がより、増すということもあるのかも知れません。