VSということでもないのですが…。
三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』が読みたい、と思っていたらタイムリーについ最近学研M文庫から三島由紀夫作の戯曲『黒蜥蜴』が出版されました。
赤い表紙に黒い蜥蜴がいる印象的な表紙です。
ストーリーは
さる有名宝石商・岩瀬氏の一人娘、早苗と彼の所有する世界的に有名なダイヤ「エジプトの星」が怪賊「黒蜥蜴」に狙われる。
岩瀬はこの事件を名探偵・明智小五郎に依頼する。
岩瀬氏、早苗、それに付き添う明智がとある一流ホテルに滞在中、ついに黒蜥蜴は早苗誘拐を大胆不敵にも具体的な日時を指定して来る。
ホテルにはその他に岩瀬家と懇意になった美貌の貴婦人、緑川夫人がいる。
この緑川夫人が実は黒蜥蜴で、彼女は予告状ばりに大胆な手口であわや誘拐に成功するところを明智に防がれる。
しかし彼女は諦めず、後日早苗と「エジプトの星」略奪に成功。
ところがそこにも神出鬼没に明智小五郎が活躍し、ついに完膚なきまでに敗北を喫した黒蜥蜴は観念して毒をあおるのだった。
原作乱歩版にしろ、三島版にしろもうひとつの特徴であり、見所は明智と黒蜥蜴の攻防は犯罪のうえでだけではなく、追って追われるふたりの間にいつしか恋愛感情が芽生えているという点。
明智小五郎シリーズの唯一相手が女賊であるというのに加えて唯一の展開だ。
舞台劇という制限の中、三島版はホテルの予告状あたりから始まるがあとはほぼ原作どおり。
通天閣が東京タワーに変わっている。
そして真骨頂は三島独特の華麗な文章。
映画、舞台を見たが心に残る美しい科白。
明智 「今の時代はどんな大事件でも、われわれの隣の部屋で起るような具合に起る。犯罪の着ている着物がわれわれの着物の寸法と同じになった。黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。女でさえブルー・ジーンズを穿く世の中に、彼女は犯罪だけはきらびやかな裳裾を五米も引きずっているべきだと信じている。…」
黒蜥蜴「法律が私の恋文になり」
明智 「牢屋が僕の贈り物になる」
明智 「本物の宝石は、(ト黒蜥蜴の屍を見下ろして)もう死んでしまったからです」
舞台であるという都合上もあってか、全体は独特の様式美を持っている。
そのために小説としての感情移入はあまりできない(舞台を見た場合はまた別ではあると思うけれど)
小説としての緊迫感や、登場人物の気持ちは乱歩版「黒蜥蜴」のほうが臨場感を持っている。
乱歩版ではソファーに閉じ込めた明智を海中に放り込んで殺した黒蜥蜴が、「もう助けは決して来ない」という絶望的で残酷な宣言をわざわざ囚われの身の早苗に告げながら、ふたりで泣きじゃくるという場面があり、最期の場面では毒を煽った後に明智の腕の中で
「…あたし、こんな仕合わせな死に方ができようとは、想像もしていませんでしたわ」
明智はその意味をさとらないではなかった。一種不可思議な感情を味わわないではなかった。しかしそれは口に出して答えるすべのない感情であった。
というセンチメンタルな場面がある。
三島版は自分自身がダイヤモンドのような女という孤高な部分が強く描かれているが、乱歩版では大胆で残酷ではあるがより感情的な部分が描かれているように感じる。
今回両作品を続けて読み返してみて、どちらもそれぞれの魅力を持った名作だと改めて感じました。
三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』が読みたい、と思っていたらタイムリーについ最近学研M文庫から三島由紀夫作の戯曲『黒蜥蜴』が出版されました。
赤い表紙に黒い蜥蜴がいる印象的な表紙です。
ストーリーは
さる有名宝石商・岩瀬氏の一人娘、早苗と彼の所有する世界的に有名なダイヤ「エジプトの星」が怪賊「黒蜥蜴」に狙われる。
岩瀬はこの事件を名探偵・明智小五郎に依頼する。
岩瀬氏、早苗、それに付き添う明智がとある一流ホテルに滞在中、ついに黒蜥蜴は早苗誘拐を大胆不敵にも具体的な日時を指定して来る。
ホテルにはその他に岩瀬家と懇意になった美貌の貴婦人、緑川夫人がいる。
この緑川夫人が実は黒蜥蜴で、彼女は予告状ばりに大胆な手口であわや誘拐に成功するところを明智に防がれる。
しかし彼女は諦めず、後日早苗と「エジプトの星」略奪に成功。
ところがそこにも神出鬼没に明智小五郎が活躍し、ついに完膚なきまでに敗北を喫した黒蜥蜴は観念して毒をあおるのだった。
原作乱歩版にしろ、三島版にしろもうひとつの特徴であり、見所は明智と黒蜥蜴の攻防は犯罪のうえでだけではなく、追って追われるふたりの間にいつしか恋愛感情が芽生えているという点。
明智小五郎シリーズの唯一相手が女賊であるというのに加えて唯一の展開だ。
舞台劇という制限の中、三島版はホテルの予告状あたりから始まるがあとはほぼ原作どおり。
通天閣が東京タワーに変わっている。
そして真骨頂は三島独特の華麗な文章。
映画、舞台を見たが心に残る美しい科白。
明智 「今の時代はどんな大事件でも、われわれの隣の部屋で起るような具合に起る。犯罪の着ている着物がわれわれの着物の寸法と同じになった。黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。女でさえブルー・ジーンズを穿く世の中に、彼女は犯罪だけはきらびやかな裳裾を五米も引きずっているべきだと信じている。…」
黒蜥蜴「法律が私の恋文になり」
明智 「牢屋が僕の贈り物になる」
明智 「本物の宝石は、(ト黒蜥蜴の屍を見下ろして)もう死んでしまったからです」
舞台であるという都合上もあってか、全体は独特の様式美を持っている。
そのために小説としての感情移入はあまりできない(舞台を見た場合はまた別ではあると思うけれど)
小説としての緊迫感や、登場人物の気持ちは乱歩版「黒蜥蜴」のほうが臨場感を持っている。
乱歩版ではソファーに閉じ込めた明智を海中に放り込んで殺した黒蜥蜴が、「もう助けは決して来ない」という絶望的で残酷な宣言をわざわざ囚われの身の早苗に告げながら、ふたりで泣きじゃくるという場面があり、最期の場面では毒を煽った後に明智の腕の中で
「…あたし、こんな仕合わせな死に方ができようとは、想像もしていませんでしたわ」
明智はその意味をさとらないではなかった。一種不可思議な感情を味わわないではなかった。しかしそれは口に出して答えるすべのない感情であった。
というセンチメンタルな場面がある。
三島版は自分自身がダイヤモンドのような女という孤高な部分が強く描かれているが、乱歩版では大胆で残酷ではあるがより感情的な部分が描かれているように感じる。
今回両作品を続けて読み返してみて、どちらもそれぞれの魅力を持った名作だと改めて感じました。