ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

明石海峡大橋

2009-11-13 05:00:00 | 神戸にて
以前、明石大橋を紹介した際、明石海峡大橋のあるJR舞子の駅にも降り立ってみようと言っていました。その思いを実現するため、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで西明石駅から170円の切符を買って、舞子駅で降りたのでした。

当日は天気は良かったものの、遠くが霞んで見え、大橋の先にある淡路島もくっきりとは見えません。

             

これが何だか解りますか。お花畑ではありませんよ。蜂の巣に色を塗ったものでもありません。

             

離れて見ると、全体は丸いのです。
この写真で右上の高架は明石海峡大橋で、左の建物は『橋の科学館』です。

             

これは大橋を吊っているワイヤーですね。何本あるのか判りませんが、六角に束ねたワイヤーをまた丸く束ねたのではありませんね。見てくれのいいように後でペンキを塗ったのでしょう。

             

『橋の科学館』は有料なので入館はしませんでした。だからあのワイヤーは何本束ねてあるのかとか、大橋の詳しいことは判りません。

             

舞子駅から大橋の袂一帯へ行く途中の歩道橋からの明石海峡大橋の眺めです。
この写真では人が写っていませんが、観光客や修学旅行の学生と思われる人で賑わっていたのですよ。

          

この辺りの案内図、きれいですが何が書いてあるのか判りませんね。

             

前述の歩道橋の上から西方面を眺めたもの、明石市が写っているものと思います。

            gooリサーチモニターに登録!

山神社

2009-11-12 05:00:00 | 神戸にて
西明石駅の西側の踏切を紹介しましたが、現在の仕事場はそこより西側にあたる西明石西町という所、といっても明石市の西の果てではありません。この街の中心辺りに寂れた神社がありました。

             

神社というと入口に鳥居があって、三方は樹木で囲まれていて鬱蒼としたようなイメージがあるのですが、この神社は後方に僅かばかりの木がある以外、閑散としていて陽の光が当たり放題で、妙に明るいのです。

             

神額には『山神社』とありますが、近くには山はありません。何故にこのような名前を付けたのか・・・いくら考えても結びつくような答えに至りません。

             

拝殿に向かって左側の突拍子なところに百度石が建ち、何処からどうやってお百度を踏むのかも判りづらいのです。バックにある色とりどりのコスモスの花がやたらに目立ちます。

             

拝殿の裏にあった燈篭や小さな祠、あったというより放置されているような取り扱いに見えます。工事をしている様子はありませんが、この神社はこれから整備されようとしているのかも知れません。

             

この拝殿とその正面だけがやたらと立派です。一対の燈篭、ヒバの木、そして狛犬も揃っています。

          

狛犬の前に刺してある一対の棒は何を意味するのでしょう。庇を支えている円柱も凝っているように見えます。

             

拝殿前から来た方を望むと、山陽新幹線の高架が見えます。

            gooリサーチモニターに登録!

横転

2009-11-11 05:00:00 | 大阪にて
先日の日曜日の朝、未だ陽も昇っていない6時前ごろでしたか、外でドン!という鈍くて結構大きな音がしました。私の家はマンションの10階、下界は国道26号線が走っています。

「何かあったんかな」と思いつつも、外を覗いてみようともしなかった私ですが、暫くしてパトカーのサイレンが鳴って、近くに停まったようでした。それでもドンとした音のことなど忘れていたので、未だ外を眺めたわけではありません。

そしてもう暫くすると、ピッピッ!と警官が車を誘導するような笛の音、こんな時間に検問でもしてるのかと、ドンという音のことなど忘れていた私は、いつものことと思っていたのでした。

             

不意にドンとした音のことを思い出した私は、「事故でもあったんかいな?」とやっと重い腰を上げたのが7時前ごろでした。一目見て「車が転がってるやん、どんな運転してたんかいな?」と思っていたのですが、これを写真に撮っておこうとは思いませんでした。

             

転がっている車の前は交番です。よく見ると木にぶつかっているのですが、木が無かったら、交番にぶつかっていますね。

これを見てから部屋に入り、三男に「車が転がってるで」と教えたのですが、起きてこようともしないので、「あぁ、写真撮っとこ、ネタ、ネタ」と思いつつデジカメを取り出したのでした。

             

1時間ほどしてから、「どうなったんかいな」と思いつつ、外を見てみると、レッカー車がやってきて、横転した車はどうにか立ち直らされていました。自力で走れるのかどうかは判りません。

救急車は来なかったので、ケガ人は出なかったのでしょう。

             

どのような事情でこんな事故になったのか・・・手前に曲がり角があり、行き過ぎたので急なハンドルを切ったのか、居眠りなのか、酔っ払い運転なのか、よく判りませんが、事故を起こした本人が一番ビックリしたんでしょうね。

            gooリサーチモニターに登録!



今回の釣りのおまけ

2009-11-10 05:00:00 | 田舎
今回釣り上げた魚のうちで、私が持ち帰ったのは結局マルハゲ1枚だけでしたが、いろんな魚が釣れたし、3回も糸を切られ、ウキも2つ流してしまいました。樫野の磯はいつ行っても何か楽しませてくれます。

阿野木漁港は寒くなるとダメ、干潮近くの潮でもダメということが解ってきましたが、寒くなっても満潮時ならイガミはどうでしょう。今回は干潮時だったので、イガミをかけたポイント辺りをじっくり見ましたが、「こんな所にあんな大きなイガミがおったんやなぁ」と思えるような磯でした。次回満潮時を狙って、もう一度試してみる価値がありそうです。

2日は私だけが持ち帰っていると思っていたのですが、Y君も塩焼きサイズを2匹持ち帰っていました。一応記念写真です。

             

結構頑張って引いてくれたマルハゲ君、定規の目盛りは100mmから400mmの少し手前まであります。これは翌日大阪に帰って、夕方にいただきました。

             

Y君が持ち帰っていた大きい方のグレ、25cmぐらいですね。言ってくれておれば私も1枚それぐらいのサイズのグレを釣っていたので、スカリに入れておいたのですがね。

             

この日は昼を過ぎて急に前(北)からの風に変り、見る見るうちに風の影響で三角波が立ち始め、磯も波を被るようになってきましたが、避難しなければならないほどでもなかったので、同じ場所で釣り続けました。

             

私の座っていたコンクリートの杭の根元も、帰る頃には波で洗われるようになっています。よく見ると『S59.11』と刻まれているのが判ります。4半世紀前にわざわざこの磯にこしらえてくれた人がいたのですね。

             

夕方、古谷魚店へ食事に出かけようとすると、東の山の彼方に満月が出ていました。この日は大潮の真ん中の日だったのです。

             

九龍島・鯛島の上にかかる満月、国道から見ていますが、実は串本へはバスで出かけたのです。姫駅前・17時31分発・潮岬行、最終の便です。串本へ行くにはその前なら16時30分ごろか、その後なら18時10分の電車しかありません。いかにも田舎ですね。

             

古谷魚店での食事、食べる前に撮っておくのを忘れたのですが・・・何を食べたか判りますか?

             

鍋物です。はて何の鍋でしょう?

             

残骸です。カニではありません。イセエビの鍋でした。1人前5000円でしたが、来た日に食事したのと、今回の飲み代も含めて、二人で10,000円ポッキリでやってもらいました。あぁ美味しかった。

            gooリサーチモニターに登録!

11/2の釣果

2009-11-09 05:00:00 | 田舎
今回の釣行では芳しくない成果の連続となる私です。3日目は再び樫野へとリベンジ、満潮が5時半、干潮が11時ごろの潮です。釣り場に着いたのが8時前、2時ぐらいの納竿を目途に釣りを開始しました。

駐車場には釣り師のものと思われる車が数台置かれていて、先を越された感がありましたが、磯に着いてみると誰の姿もありません。どのポイントを取ろうが自由です。

             

Y君は一昨日より先端、その日カゴ釣りの人が入っていたポイントで釣りを始めました。ここは5月に来た際、Y君が50cmオーバーのグレを釣り上げたのを見たというポイントだと思います。私は一昨日私の左側で釣りをしていた方のところで始めました。何と言っても船を繋いでおくコンクリート状の杭があり、その上に座って釣ることが出来るので楽そうだからです。

                  

一昨日ここで釣りをされていた方は、この杭にバッカンを載せて、ご自身は立って釣りをされていましたが(そうすることによって、手返しはいいと思う)、この日は写真で言うと左からの風が強く、杭の上にバッカンを置くと風で飛ばされそうになるので、このような状態で私は杭の上に座って釣っていたのでした。

             

自分の釣り座から左を見た風景ですが、5月に来た時は、私はこの先で釣っていたし、Y君は今回の私のポイントで釣っていたのでした。

             

まず大きく竿を曲げ、結構な引きを堪能させてくれたのがこのマルハゲ、家に帰って測ると27cmありました。随分と引くので上がってくるまでマルハゲとは思えませんでした。

             

次にヒメジ、通称オジサンです。口の下に髭のようなものがあるので、そう呼ばれています。小さいのでリリースです。

             

これはサンバソウ、石鯛の子供です。写真で見れば判りませんが、とても小さいのでちゃんと海へ返してあげます。大きくなったのを誰かが釣るでしょう。その時は私に感謝して欲しいものです。

             

これまでに2度大きな魚と思われるものをかけましたが、どちらも道糸が切れてしまいました。ウキも流してしまうし、大損です。道糸を長めに切って再チャレンジしましたが、以来大きなアタリはありませんでした。

これなど25cmを十分越えていますが、海へ返してあげるのが慈悲深いというものです。釣ったからといって、ナンデモカンデモ持ち帰ったらええというものではありません。

            gooリサーチモニターに登録!

11/1の釣果

2009-11-06 05:00:00 | 田舎
2日目の天気予報は昼から雨、しかし朝起きると晴天です。昼から雨なら朝からは曇天かなと思っていたのですが、予想外でした。

樫野の地磯は歩く距離が長いので昨日は疲れたこともあって、阿野木漁港に出かけました。9月の釣りでは私はイガミの3連発でしたが、Y君はマルハゲ2匹と不調だったのでリベンジの釣りでした。

             

前回と同じポジションを取るY君、まずは前回と同じ赤い魚を釣り上げていました。

この日の満潮は5時、干潮が11時ごろでしたから、9月の時とは逆で潮が引いた状態での釣りになります。元々浅い釣り場なので干潮時の釣りは辛いものがあるとは思っていました。

             

Y君は前回同様、赤い魚2匹、マルハゲ2匹、木っ端グレ数匹を釣り上げていましたが、10時ごろになると全く釣れなくなり、波止を諦めてもっと先端の岩に上がっていました。

                  

そこで釣りをすると海金剛の三角岩と2ショットが撮れますが、釣果はありませんでした。

だんだん雲が広がってきています。

             

私はというと、底が浅いのでいつものポイントでは根がかりばかりするので、先端の波止に出て澪筋を狙ったのですが、木っ端グレが釣れるばかりです。

12時になって突然雨が降り出しました。天気予報がピッタリ当たりましたね。

             

結局、持ち帰れたのはY君のマルハゲ2匹だけ、大きい方は25~6cmはありましたよ。

             

夜はもちろんハゲの鍋、2匹で2人十分の量がありました。肝も結構大きかったですね。もう1匹追加していれば、ハゲの薄造りが食べれたのですがねぇ・・・。私の踏ん張り不足でした。

            gooリサーチモニターに登録!

10/31の釣果

2009-11-05 05:00:00 | 田舎
10月31日から11月3日まで4連休にして約1ヶ月ぶりに釣りに行ってきました。前回一緒に釣りに行った釣友Y君は今回「どうしようかな?」と躊躇っていたのですが、この日はなんとY君の方が先に串本に着いていたのです。Y君が「串本におる」と電話があった時、私は未だ白浜の郵便橋を渡ったところ、串本までは1時間半ぐらいはかかります。エサだけ買ってもらって待ってもらうことにしました。

9月の連休での釣りは海が荒れていたので阿野木漁港で竿を出したのですが、今回は波も高くはないと思い、Aコープで弁当を買い、まずは樫野の地磯へと向かいました。この日は大潮で、干潮が10時ごろ16時ごろが満潮になり、竿を出したのは12時ごろでした。


先客が4人、竿を出しています。空いたところで良さそうなポイントを探しますが、磯が広いので竿を出すのには困りません。写真右で釣りを始めたのがY君、真ん中の岩の先で写っている人は知らない方です。カゴ釣りをされてました。その人よりもっと右側で1人釣りをされていましたが、私の位置からは全く見えません。

             

こちらが私の左側で釣りをされている方、以前Y君が釣っていた所です。その向こう側にもう1人釣りをされている方がおられました。

グレは手のひらサイズばかりで、もの足りません。

                  

釣ったグレの写真を撮るのにY君も入れてあげようと狙うのですが、魚の元気が良くて、なかなかうまく撮れません。でもこのくらいならUPできますよね。

             

そうこうしている間に竿を曲げてくれたのがこのタカノハ、こいつが釣れると釣果は良くないと言われます。30cmぐらいの大きさでしょうか。魚屋で売ってるのを見かけることもありますが、私は優しく逃がしてあげます。

             

次に大きく竿を曲げてくれたのがこのイズスミ、タモの直径が50cmなので、このイズスミも30cmぐらいです。こちらの方が馬力があって、良く引きます。

             

タイミング良くY君が近寄って来ていたので、タモで掬ってもらいました。もちろんこの魚も海へお帰りいただきました。このサイズのグレなら持ち帰っていますね。

             

私の釣座の前、サラシが適度にあっていい感じなのですが、目的の40cmオーバーのグレはなかなか釣れてくれません。1度グレかと思われるいい感じの引きに出会うことが出来ましたが、残念ながらハリス切れで釣り上げることが出来ませんでした。

結局、この日は私の持ち帰る魚はありません。Y君は干物用に4匹だけ持ち帰っていました。

            gooリサーチモニターに登録!

西明石駅 Ⅱ

2009-11-04 05:00:00 | 神戸にて
ここはJR山陽本線・西明石駅の西側、南畑踏切と呼ばれているところですが、踏切は山陽本線のもの、高架になっているのは山陽新幹線です。あの離れていた新幹線と山陽本線は、この地点で交差しています。

             

これは新幹線の高架下、線路を切断したものが置かれています。線路の幅が広いので新幹線の線路かと思います。

             

何故このようなところに、このようなものを置いてあるのか推理できませんが、新幹線の線路の幅(軌間=ゲージ)と在来線のそれが見比べれるようになっているのかも知れません。それにしても見比べることが出来るのは近隣の方か、私のように仕事で仕方なく来た者だけでしょう。

             

ということで、山陽本線の線路も撮っておきました。ほぼ同じ高さから撮っているので、比べることは出来ると思うのですが、どうでしょう。心持ち新幹線の方が広いように思うでしょう。

調べてみると、新幹線の軌間は1435mmで欧米の標準規格だそうで、在来線は1067mmしかなく、狭軌と呼びます。時速200Kmを越えて走る新幹線は軌間が広くなくては安定しませんよね。でも在来線の新快速電車などは狭軌にも係らず、これでもかと思うぐらいスピードを出します。

                  

「線路内で非常の際は、この非常ボタンを押してください」とありますが、非常事態に陥った本人しかいない場合は、誰がボタンを押すのでしょう?ボタンを押せる状態なら非常の際ではありませんものね。

             

新幹線の西明石駅のホームはここまで伸びています。連結車両が多いからなのでしょうね。

                  

迂回のお願いとあり、この踏切は遮断時間が長いとされていますが、書かれている藤江23号線や駅東自由通路に行くには、相当な時間がかかりますよ。この踏切の正面向こう側に用事のある人が、そんな言葉に従うとは思えません。

            gooリサーチモニターに登録!

ノルウェイの森

2009-11-02 05:00:00 | 読書
このBlogを始める前であっただろうか、村上春樹の『海辺のカフカ』という小説を読んだことがあった。難解すぎて感想文を書けなかったのかも知れないし、本当にBlogを始める前だったのかも知れない、どちらにしても私のBlogに『海辺のカフカ』の感想はありません。

『海辺のカフカ』は抽象的な表現で何を言わんとしているのか解らなかったので、村上春樹の本は敬遠していたのですが、夏休み前に同僚のN君がこの『ノルウェイの森』を貸してくれたので、夏休みが終わってから読み始めてみました。電車の中でしか本を読む機会がない私ですが、私の青春時代と同時代の設定の話は、以外に早く読むことが出来、僅か4日で読了してしまいました。

主人公のワタナベ君は1969年に20歳前という設定で当時の恋人・直子との過去を17年後のハンブルグの空港で振り返るところから始まります。

          

またまた抽象的な書き出しで始まったこの『ノルウェイの森』ですが、はるかなる草原を歩く二人の行く手の何処かに囲いの無い井戸があるという直子、落ちると必ず助からないというのですが、「ワタナベ君、あなたは大丈夫、その井戸には決して落ちないの」・・・上下刊最後まで読んで、この序章が全体を抽象的に表現していたことが解ります。

このとき直子が願った二つの約束、「私に会いに来てくれたことに感謝していることを分ってほしい」「私が存在していたことを覚えていて」、そして約束したワタナベ君は17年経った今「いつか記憶は薄らいでゆく」ことを直子は知っていたし、直子は「ボクを愛してもいなかった」と気付くのです。

こう書くと愛憎劇かと思ってしまうのですが、『愛』はあっても『憎』はないのです。私も含めて1970年前後に青春を過ごした若者にとって、学園紛争や日米安保問題が大きな事件だったのですが、この小説では紛争に係った人達も内心は案外無関心だったように描かれています。
その後の世の中の推移は、そうだったのかとも思わせます。

          

主な登場人物はボク=ワタナベ君:どこかで1度だけフルネームが出てました。ワタナベトオル・・・郁恵チャンの旦那と同じですね。

キズキ:苗字なのか名前なのか判りませんが、ワタナベ君の同級生で、当時直子の恋人。

直子:キズキを通じて知り合ってはいたが、卒業後偶然にバッタリ出会い親しくなっていく。

永沢さん:ワタナベ君と同じ寮に住む頭のいい先輩。

ミドリ:ワタナベ君に興味を示し、どちらもお互いに惹かれていくのですが・・・

レイコさん:ピアノの先生、直子と同じ病室にいて直子に慕われる、ワタナベ君とも仲良くなる。

純愛小説かと思わせる序盤ですが、終わってみると官能小説でもあったようで、ノーベル賞候補にノミネートされる作家の書く内容がこんなものなのかと思うと、村上春樹はいつまでたっても候補であり続けるのかも知れないなどと思ってしまいます。

なお、この本文は9月初旬に綴ったものですが、完結できずに放っておいたので、今日の配信になりました。

             gooリサーチモニターに登録!