月あかりの予感

藤子不二雄、ミュージカル、平原綾香・・・好きなこと、好きなものを気の向くままに綴ります

JASRACの横暴

2006年11月09日 17時15分53秒 | 音楽(あーや以外)
ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕(読売新聞) - goo ニュース

このニュースを見たとき「ひどいなぁ」という感想をもちました。
逮捕されたスナック経営者が、じゃありません。刑事告訴したJASRACがです。

著作権が大切だというのはよくわかります。アーティストも作家も、自分の作品から発生する収入で暮らしているのですから、他人に権利を侵害されることは、それをあらゆる手段で防止しなければなりません。

でも、もともと著作権というのは「他人の著作物を使って勝手に金儲けすること」を防止するための権利じゃなかったのでしょうか。つまり、CDを複製して売ったり、漫画をコピーして売ったり、入場料を取って行うコンサートで他人の曲を勝手に歌ったり、そういうことを防止するのが第一義だったように思います。複製したものを勝手に安く売られると、オリジナルのCDや本が売れなくなるし、作詞作曲した人から見れば、自分の曲を勝手に金とって歌うなんて、権利の侵害だと考えるのも理解できます。著作権と一口に言っても「複製」だけではなく、様々な権利が付随するのは理解しています。著作者人格権、著作隣接権など、保護すべき権利は多岐にわたります。

しかし、それらのことを考慮しても・・・自分のお店で、他人の曲をハーモニカで吹いたから逮捕って、これは一体どういうことなんでしょうか。あまりにもあからさますぎる「みせしめ」に思えます。

法律的に見れば、確かに問題はあるのです。公の場で演奏したり歌うことは、たとえ料金を取らなくても、上演権の侵害になるからです。さらにこの経営者は、既に上演禁止の仮処分を地裁から受けているにもかかわらず、演奏を続けていたのだそうですから、違法性の認識も持っていたと思われます。

それでも・・・やっぱり釈然としないものが残ります。音楽ってそういうもの?という気持ちになります。これじゃそのうち「公の場で鼻歌を歌って逮捕」なんてバカバカしいことも、今のJASRACなら起こり得るんじゃないでしょうか。

権利を管理する側は、それを守るだけではなく、たとえば音楽という文化を健全に発展させる義務も負うのではないでしょうか。ストリートミュージシャンが自由にカバー曲を歌えないような状況になったとして、音楽文化は発展するのでしょうか。

実はホームページ上における歌詞の引用についても、JASRACはがんじがらめに規制する立場を取っていますが、常々これにも疑問を持っています。歌詞というのは、それが「歌われること」を前提に作られているものです。詩集などに収める「」とは性格が異なると思います。

それなのにホームページに歌詞を引用すると「権利侵害」だと噛みついてきます。

「この歌は良い曲ですよ。~~~~こんな歌詞です。お勧めだから絶対に買ってくださいね♪」

JASRACの解釈では、これで「ハイ、権利侵害」です。

「良い歌だから買ってね」と宣伝までしているのに、権利侵害なんです。

権利者(作詞者)から見たら、CDを買ってくれる方が印税が入るんだから、これを見た人がCDを買ってくれる方が、わずかな権利料が入るよりも望ましい結果になるはずです。これは非常に本末転倒な話です。

せめて「タイトルと作詞者を明示すること」を条件として、ホームページ上での引用くらいは自由化してもらえないものかと思っています。もちろん作詞家の総意が必要だし、決して簡単なことではないでしょうけど、これくらいの自由は認めた方が、音楽文化の発展に有効なのではないでしょうか。私だって、あーやの曲を紹介するとき、歌詞を引用できたらどれだけ紹介しやすいかと、ブログを始めた頃からずっと思っています。

法律というのは、拡大解釈しようと思えば、いっくらでも出来ます。家の中でカラオケを歌った。そしたらその歌声が近所中に漏れ聞こえた。これを「公衆送信」※だと権利をもつ側や管理する側(JASRACなど)が解釈すれば、そして裁判所がそう判断すれば、家の中で他人の曲を歌うことまで「権利侵害」だとされてしまうことも、絶対にあり得ないことではないのです。

※もっとも「公衆送信」は、現行の法律では「放送」やインターネット上での配信などを想定して規定されています。それが仮に「第三者が視聴可能とすること」みたいな規定に変更されたとすれば、「家の中で歌ってそれが近所に聞こえること」まで「公衆送信」というような解釈も成り立つという「極端な例」として書いています。もちろん現実的な話ではありません。

そんなことを、つらつら考えてしまったニュースでした。

不快なCM

2006年11月09日 05時11分54秒 | 映画/テレビなど
かつて元嫁と、不快なCM怖いCMの話題で盛り上がったことがあります(笑)。

公共広告機構(AC)は「怖いCM」の代表格ですが、地球温暖化防止のキャンペーン「消える砂の像」なんかは、元嫁はテレビでたまたま目にするたびに悲鳴を上げていたほどで、ものすごく嫌だったようです(笑)。かつて放送されていた、有名な「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」のCMは、その当時子どもだった私の心に、ものすごいトラウマを残してくれました(^^);

さて、先月からCSなどで放送されてるCMがあります。衛星放送協会飲酒運転撲滅キャンペーンと題して展開しているのですが・・・趣旨は理解できるものの、このCMが信じられないほどに不快なのです。

CMはこちらで見られますので、ぜひ一度ご覧頂ければと思いますが・・・新妻と子どもが、それぞれ飲酒運転で人を死なせた夫や父親を、泣きながら激しく責め立てるというものです。

飲酒運転で事故を起こすと、こうなるんだよ」と言いたいのはわかります。私も飲酒運転で罪もない人が犠牲になる事件を目にするたび、いたたまれない気持ちになりますし、怒りも覚えます。過去にこのブログでも飲酒運転を批判する記事を書いたことがあります。でも・・・このCMは駄目ですよ(^^);

何が駄目って・・・私は仕事中、ラジオ代わりによくニュース専門チャンネルを掛けているのですが、夜中に突然、耳をつんざくような女性と子どもの号泣を聞かされるというのは・・・ちょっと恐怖です。ハッキリ言って気持ち悪すぎます。チャンネルを変えたくなってしまいます。

訴求効果という点でも疑問が残ります。要するにこのCMを見た人が、飲酒運転を控えようという気になるかどうかということ・・・。飲酒運転による事故は、あれだけ連日報道されていて、危険運転致死傷罪まで制定されていながら、不思議なことに一向に減る様子がありません。つまり飲酒運転する人は、どこかに「自分だけは大丈夫」「この位の酒量なら大丈夫」と過信した気持ちを持ってしまっているということです。これだけ報道されていながら、そんな気持ちになるような人は・・・結局ニュースを見ようとCMを見ようと、残念ながら意識は変わらないんじゃないでしょうか。むしろ不快なCMだと思われてチャンネルを変えられたら、全くの無意味になってしまいます。

このCMを見て「飲酒運転は怖いな・・・よし、やめよう!」と思うような真面目な人は、飲酒運転など報道だけ見て既にやめてるか、もともとしない人だと思います。そういう人ばかりなら飲酒運転による事故など起きないのですが・・・残念ながら警察がこまめに取り締まってくれる以外に、抜本的な解決策はない気がします。飲酒運転を今になっても平気で行うドライバーの意識を変えるのは、CMくらいでは無理なんじゃないでしょうか。

それなのに、私のように飲酒運転をするはずがない(=運転免許を持ってない!)人間を、不必要にビビらせて、一体どうしろと言うんですか(^^);

このCMが流れてる間、このCMを流してる局は見ないようにしようかな~。そんな本末転倒なことまで考えてしまうほどです。衛星放送協会さん、ぜひ再考を・・・

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