おはようございます。
妻の再手術が始まり、また1日静かに待合室にいました。慣れない主夫の仕事があり、日々多忙でした。今回は学士会報のバックナンバーを読みながら待ちました。手術は夕方までに終わるはずでした。でも、なかなか終わりません。11時を過ぎてやっと先生方が白衣を血に染め、手術室から出てきました。こりゃ大変だ、と私はびっくりしました。
腫瘍摘出手術の最初の段階で血管と神経を一緒に1本切ってしまったそうです。血を止める緊急処置をして、輸血をたくさんしながら手術をすることになったそう。鼻の傍の網状の毛細管も止血、目から下る静脈の流れを止めたそう。医療ミスと言えるかもしれませんが、深夜まで白衣を真っ赤にして4人の先生が処置をしたと見えました。終了後の先生の説明には文句を言えませんでした。
おまけに腫瘍を摘出のために切り取った硬膜に替わり、貼った豚の硬膜がはがれてしまい、またもや再手術。接着剤をたっぷりつけ、しっかりと張り付けたそう。今回は剥がれないと先生は言いました。接着剤のアレルギーのためか、このため高熱が数日続きました。
接着剤のアレルギーは珍しい症例とのこと。抗菌薬からステロイドの処方に変えたのは数日後。その間、傷口からばい菌が入ったかと心配。高熱が続く理由を先生も分かりませんでした。試した短期のステロイド治療に効果があり、熱が下がりました。
話を少し戻します。手術の翌日から集中治療室に通いました。今回の回復は遅れ、1週間丸々集中治療室にいました。手術の翌日、小学校の時の担任の先生によく似た方とその知人と思しき人が来ていました。話し方も顔も体型も恩師にそっくりの人でした。
奥様が集中治療室に再入院したよう。脳外科のベテランのよう。症状の経過を他の人に話していました。今回は2度目のクモ膜下出血、手術はもう難しく、状況は厳しいようでした。お見舞いできるのが嬉しい、命さえあれば十分、などと話していました。
岩手の方ですか、及川さんといいますか、小学校の担任だった及川先生は盛岡の出身、話し方も顔も貴方にそっくり、親戚の方と思いましたと、私は言いました。彼は、東北弁が抜けない、及川は岩手に多い名前ですが、私は違います、と色々話してくれました。
この方は1週間ほど毎日早い時間に待合室に来ていました。一緒に集中治療室に入りました。でも、病棟で再会できませんでした。奥様が集中治療室から旅立ったのか。待合室で出会った人は、戦友でした。でも、ほとんど病棟や外来診察では再会できません。
次に紹介したい人が例外の人、運が良かった人の話です。それは次回、今日はここまでにします。