こんばんは。
シャープに入社し、半年近く東京支社の市ヶ谷に出社しました。タイムレコーダーもなければ、いわんやカードシステムもなく、出勤管理は自分でハンコを帳簿に押すシステムでした。ですから何時に出社しても遅刻扱いにされないようにできたわけです。とても自由な会社だと思いました。
流石に奈良工場に転勤したらタイムカードがありましたが、あまり管理者は遅刻に煩くなかったのは逆に驚いてしまいました。係長で入社でき手当もあり、給料は下がりませんでした。おまけに最初は独身寮に入り、家族が来たら転勤者用の工場の社宅に入れると人事が説明してくれました。娘は市の幼稚園に優先的に入園できたのです。シャープ工場の社員を県や市はとても優遇しているようでした。
いろいろ富士通の雑事が残っていたため、家族の異動は年末までにすればいい、私もできるだけ速やかなら良いと言われました。特別なことだったのでしょう。この間、色々なところに転社の挨拶に出かけられました。シャープと言っても松下の兄弟会社かなとか、何だ早川電機かなどと言われたのです。シャープの名称はまだ一般には有名ではありませんでした。暑い夏の日にまず体験入寮しました。
奈良ではシャープは特別大きな会社でした。一番納税額も大きかったようです。シャープの名刺があれば、駅前でつけが効いて月末払いができました。ところが寮に入ったら、周りはほとんど高卒、未成年の新人と思しき人がたくさんいたのです。
当時のシャープは複写機の増産増産で大忙し、高卒の工員さんやコントローラの電子回路の製造に女子社員をたくさん採用していました。昼間工場で見た時は若くて元気がある会社だと思っていたのです。
ところがぎっちょん。夜、部屋で寝ようとしたら夜中まで賑やかでした。増産だったので3交代制で製造していたのかもしれません。大浴場も混雑していました。若い裸は良いものだ、これは嘘。若者同士が水がかかったかからないと言い争いになり、冷や水を頭からかけられた人も見ました。要するにかけた方は暴走族風、かけられた方は普通の工業高校の新人のようでした。暴走族の車の音が工場近くの駐車場で夜中まで結構賑やかでした。
お風呂もおちおち入れず、夜は寝られず困り果ててしまいました。翌日人事担当に社宅に入れてくれとお願いしました。一日でギブアップしたのです。総務はルールでは妻と家族が来ないと入れられないと言ったのですが、何とか誤魔化して処理をしてくれました。ルールより人を大事にする良い会社だと私は安心しました。
高卒の部下の話まで届きませんでしたが、今日はここまでにします。
古都奈良への居住は望んでもできるものではありません。これも天の采配(?)かな。
高卒の部下と東大卒の上司、仕事がはかどりそうないい組合せです。何が出てくるのか、次が楽しみです。