今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は時々外国人の目で、わが国を見ることにしている。その目でみると、日本には新聞は一種類しかない。五大新聞があると、日本人なら言うだろうが、外国人の目には同一に見える。甲社と乙社の社説が、ついぞ対立したことがないからである。互に論争が行なわれたためしがないからである。
そこにあるのは、甲はプロ野球に力こぶいれ、乙は南極探検に身をいれるというほどのちがいだけである。それなら言論の相違ではない。
これら新聞同士のちがいは、青春雑誌『平凡』と『明星』のちがいに似ている。あれなら、日本人の目にも同一に見えよう。歴然と相違があると言いはるのは、その二社の編集員ばかりである。
新聞が一つしかなくなれば、言論も一つしかなくなる。その一種類から、読者は一歩も出られなくなる。たとえば安保改定には、反対だけあって、賛成の社説は一つもなかった。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「平凡」や「明星」は無くなりましたが、「五大新聞」や「社説」は、活字が大きくなった位で、40年前と姿も形も中身も余り変らず続いています。「五大新聞」ってどことどこだったか、四つ目までは何とか思い出しましたが五つ目がどうしても思い出せません。新聞ネタを飯の種にしている芸人・タレント・時事解説者ならともかく、普通の人に、複数紙とって読み比べる必要などあるはずがありません。新聞など久しくとってない、必要ないからという友人がいましたが、最近は私もそんな気がしています。この世にニュースなどないのですから。
「私は時々外国人の目で、わが国を見ることにしている。その目でみると、日本には新聞は一種類しかない。五大新聞があると、日本人なら言うだろうが、外国人の目には同一に見える。甲社と乙社の社説が、ついぞ対立したことがないからである。互に論争が行なわれたためしがないからである。
そこにあるのは、甲はプロ野球に力こぶいれ、乙は南極探検に身をいれるというほどのちがいだけである。それなら言論の相違ではない。
これら新聞同士のちがいは、青春雑誌『平凡』と『明星』のちがいに似ている。あれなら、日本人の目にも同一に見えよう。歴然と相違があると言いはるのは、その二社の編集員ばかりである。
新聞が一つしかなくなれば、言論も一つしかなくなる。その一種類から、読者は一歩も出られなくなる。たとえば安保改定には、反対だけあって、賛成の社説は一つもなかった。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「平凡」や「明星」は無くなりましたが、「五大新聞」や「社説」は、活字が大きくなった位で、40年前と姿も形も中身も余り変らず続いています。「五大新聞」ってどことどこだったか、四つ目までは何とか思い出しましたが五つ目がどうしても思い出せません。新聞ネタを飯の種にしている芸人・タレント・時事解説者ならともかく、普通の人に、複数紙とって読み比べる必要などあるはずがありません。新聞など久しくとってない、必要ないからという友人がいましたが、最近は私もそんな気がしています。この世にニュースなどないのですから。