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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

語呂 Long Good-bye 2025・07・17

2025-07-17 05:23:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹/安西水丸 著

 「 日出る国の工場 」(新潮文庫)の中の「 経済動物た

 ちの午後 小岩井農場  」というタイトルの付いた小

 文を読んで得たミニ知

  この本は 、日本に存在する数々のユニークな産業分

 野の企業を対象とした 「工見学記 」で 、中には 、

 「 工場としての結婚式場 松戸・玉姫殿 」なんての

 もあるんだけど 、こと この「 小岩井農場 」につい

 ては 、見学・取材を許した会社側を納得させ 、よろ

 こばせる結果にはらなかったような気がする見学

 記になっている 。

  おもしろうてやがて悲しき鵜舟(うぶね)哉 ― 芭蕉

  (⌒∇⌒)

  引用はじめ 。

  「 【小岩井農場の成りたち】
    小岩井農場は明治二十四年(一八九一)に 、
   当時の日本鉄道会社副社長・小野義真 、三菱
   の当主・岩崎弥之助 、鉄道局長・井上勝の三
   人によって設立された 。だから三人の名前か
   ら一字ずつとって小岩井農場と命名されたわ
   けである 。べつに井小岩農場でも 、岩小井
   農場でもでもよかったのだろうけれど 、どう
   して小岩井になったのかは僕にもわからない 。
   年の順かもしれないし 、ただ単に語呂(ごろ)
   が良かったのかもしれない 。 」

   引用おわり 。

   (⌒∇⌒);

   ( ついでながらの

    筆者註:「 語呂(ごろ)の意味と語源:
        意味:
         言葉や文章を口にした時の調子、響き、
         リズムのこと。
        語源:
         元々は雅楽の旋法『 律呂(りつりょ)』
         または『 呂律(りょりつ、ろれつ)』に
         由来します。
        転じて:
         言葉の調子や響きを指すようになり 、さ
         らに 、ある言葉を別の言葉に置き換えて 、
         覚えやすくしたり 、面白くしたりする
         『 語呂合わせ 』という言葉遊びも生まれ
         ました 。  」

         以上 、生成AIが教えてくれた情報 。

         以下は 、原作の中の一節 。昨今の「 米騒動 」

        にも通じる作家の慨嘆 。

        「  ・・・ 日本の農業政策というのは伝統的に弱者切
         り捨てによって局面を進展させていく傾向がある 。
         国の政策があっち行ったりこっち行ったりしている
         から 、そのフラフラについていけない弱小農家がお
         っこちていくわけである 。そしてその弱者のおっこ
         ちによって結果的に農業の合理化が推進される 。

          小岩井農牧の場合には酪農部が赤字でも 、最終的
         には鶏や山林や観光といった他のセクションの収入
         をあわせて欠損を埋めることが可能なわけだが 、五
         〇頭 、六〇頭といった 、もっと小さな規模の酪農
         場では事態はずっと深刻だろう 。 」
  ) 

 

 

 

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信 知 仁 Long Good-bye 2025・07・11

2025-07-11 05:11:00 | Weblog

 

  井上靖さんの長編小説「 孔子 」を漸く読了 。

  孔子 、論語  、その他 、永年もやもやしてい

 た事柄について 、自分なりに得心のいく答え

 が得られたのは 、大収穫 。

  備忘のため 、頭に残った孔子の詞を 、井上靖

 さんの筆力をお借りして 、以下に書き写す 。

  引用はじめ 。

    ――  ” ” という字は 、人偏(にんべん)に
  ” ニ ”を配している 。親子であれ 、主従で
  あれ 、旅であった未知の間柄(あいだがら)で
  あれ 、兎(と)に角(かく) 、人間が二人 、顔
  を合せさえすれば 、その二人の間には 、二人
  がお互いに守らねばならぬ規約とでもいったも
  のが生れてくる 。それが ” 仁 ” というもの 、
  他の言葉で言うと ” 思いやり ”  、相手の立場
  に立って 、ものを考えてやるということ 。
   子はもう一つ 、 ” 信 ” という字についても 、
  お話をなさいました 。
   ―― 人間は嘘(うそ)を言ってはいけない 。
  口から出すことは 、なべて本当のこと 、真
  実でなければならぬ 。これはこの現世で生き
  てゆく上での 、人間同士の約束 、暗々裡(り)
  の契約である 。人間がお互いに相手の言うこ
  とを信ずることができて 、初めて社会の秩序
  というものは保たれてゆくのである 。
   ―― このように 、人間が口から出す言葉と
  いうものは 、 ” 信ずるもの ” であり 、” 信
  じられるもの ” でなければならない 。それ故
  (ゆえ)に ” 人 ” という字と 、 ” 言 ” という
  字が組み合せられて 、 ” ” という字はでき
  ているのである 。 」

  「 子貢問うて曰(いわ)く 、一言にして以(もつ)て
  終身 、これを行うべきものありや 。子曰く 、
  それ恕(じょ)か 。己の欲せざる所を人に施すこ
  と勿(な)かれ 。
   ―― 子貢がお訊ねした 。ほんの一言で 、生涯 、
  これを行う価値のあるものがありましょうか 。
  子がお答えになった 。それは ” ” 、 ―― 
  他人(ひと)の身になってやることだろうかね 。
  自分の欲しないことを 、他人にやらせてはいけ
  ないということである 。 」

  「 ―― 子曰く 、仁遠からんや 、我れ 仁を欲すれ
  ば 、斯(ここ)に 仁至る
   これも子のお詞で 、 ” 仁 ” は遠いところにある
  理想ではない 。自分が ” 仁 ” を行なおうと思え
  ば 、 ” 仁  ” はすぐそこにある 。すぐそこ 、近い
  ところにある 。
   こういう意味であろうかと思います 。この子のお
  詞などは 、頭に入った時から 、今日まで 、いつ
  も落ち着いた坐り方で 、頭のどこかに坐っており
  ます 。私は時に 、この子のお詞を口に出して唱え
  ます 。心衰えた日は 、そうすることに依(よ)っ
  て 、弱い自分を励ますことができます 。確かに
  村人に対しても 、旅人に対しても 、自分が優し
  い気持を持ち 、彼らの立場に立って考えてやろう
  と思えば 、いつでも 、それはできます 。
   確かに ” 仁 ” は 、いつでも 、自分の手の届く
  ところにあります 。 ” 仁遠からんや ” でありま
  す 。この子のお詞も 、いつ 、誰から教わったの
  か 、全く記憶しておりません 。が 、それはそれ
  として 、いかにも子のお詞らしい 、ぴいんと張っ
  たものが 、短いお詞を 、鋭く貫いているかと思い
  ます 。
   ―― 仁遠からんや 、我れ 仁を欲すれば 、斯(こ
  こ)に 仁至る 。
   子以外に 、こうした烈しく 、美しいお詞を 、口
  から出せる人はないであろうと思います 。 」

  「 ―― 子曰く 、人にして仁ならずんば 、礼を如何
  (いかん)せん 。人にして仁ならずんば 、楽(がく)
  を如何せん
   これも 、 ” 子曰く ” があろうと 、あるまいと 、
  紛れもない子のお詞であろうかと思います 。
   ―― 人間 、 ” 仁 ” の心を持たないとあっては 、
  ” 礼 ” など学んでも 、どうなるものでもない 。
  無駄(むだ)なことである 。 ” 楽 ” の場合も 、同
  じこと 。 ” 仁 ” の心なしに 、 ” 楽 ” など 学んで
  も 、意味をなさない 。なんの足しにもならない 。
   こういう意味であろうかと思います 。気品もあり 、
  格調も高く 、しかも凛々と 、烈しく鳴っているも
  のがあります 。子のお詞でない筈はありません 。 」

  「 ・・・ 子がお説きになる ” 仁 ” なるものには 、
  大きな ” 仁 ” と 、小さな ” 仁 ” と 、二つの
  ” 仁 ” があったのではないかと思われます 。
   その二つの  ” 仁 ” の区別は 、私などにはよく判
  りませんが 、子は相手によって 、そのいずれかの
   ” 仁 ” をお選びになり 、その説き方を変えておら
  れたのではないか 、そういう気が致します 。
   私などのように 、与えられた一生を 、社会の表面
  に立つことなく 、その片隅(かたすみ)で 、ひそや
  かに生きて行く人間には 、子は ” 仁は思いやり ” 、
  相手の立場に立って 、ものを考えてやることである
  と 、そのようにお説きになっておられます 。
   私たち 、名もなき庶民の一生の過し方としては 、
  子が仰言(おっしゃ)るように 、お互いに思いやりを
  持って 、相手のことを考えながら生きることが 、
  最高の生き方であるに違いありません 。お互いに 、
  そうして生きることに依って 、一生貧しく 、さして
  派手な 、ぱっとしたこともないでしょうが 、併し 、
  この乱世に於ても 、まあ 、この世に生れてきてよか
  った! そんな思いを持つことができるのではないか
  と思います 。
   こうした私たちとは異って 、世を 、時代を動かす
  ことのできる立場にある人たちに対しては 、子は同
  じ ” 仁 ” にしても 、世の平和を支え得る 、大きい
  力と 、大きい影響力を持つものとして 、全く異った
  解釈と 、説き方をなさっておられたのではないかと
  思います 。 」

  「 ―― 子曰く 、志士 、仁人は 、生を求めて 、以
  て仁を害することなし 。身を殺して 、以て仁を成
  すこと有り
   こういう子のお詞を聞いたことがあります 。子の
  墓側に於ての心喪三年の一時期 、子貢の館に於て 、
  紛れもない 、このお詞について 、論議を交す何夜
  かがあり 、それを傍聴したことを記憶しておりま
  す 。
   当時 、私は子がお亡(な)くなりになった悲しみに
  包まれていて 、子が遺(のこ)されたお詞の整理など
  ということとは無縁に生きておりましたが 、どうい
  うものか 、この子のお詞なるものだけは 、頭のどこ
  かに入り 、そのまま遺っていて 、この数年来 、時
  折 、思い出されて参ります 。
   苟(いや)しくも志士(仁を志す人)、仁人(仁を己
  が生活信条にしている人)と言われるような人たち
  は 、命惜しさに 、 ” 仁 ” を犠牲にするようなこと
  はない 。それどころか 、 ” 仁 ” を完成させるため
  には 、死さえ厭(いと)いはしない 。必要とあらば 、
  いつでも生命を棄てるだろう 。
   こういう意味であろうと思います 。私などの 、相
  手の立場に立って 、ものを考えてやる  ” 思いやりの
  仁 ” とは 、大きく異っており 、そのために生きる
  とか 、死ぬとか 、生 、死の問題までが絡(から)ま
  って来ております 。
   こうなると 、もう 、私の考えているような  ” 仁 ”
  とは 、 ” 仁 ” なるもの本体が 、大きく異ってきて
  おります 。志士 、仁人と謂われる人たちは 、生き
  んがために 、仁の道を犠牲に供するようなこともな
  いし 、それどころか 、仁を行なうために必要とあ
  れば 、かりそめにも 、死を厭うようなことはない 。
  ―― たいへん 、ものものしく 、厳しい  ” 仁 ” で
  あって 、私などの想像できる世界ではなくなってお
  ります 。
   おそらく ” 仁 ” という同じ言葉で言い現わされて
  いるものではありましょうが 、それが内側に包み込
  んでいる世界は 、大きく異ったものになっているの
  であろうかと思われます 。
   一つは 、われわれ庶民 、それぞれが 、お互いに
  救(たす)け合って生きて行く 、その生き方を説いた
  ものであり 、もう一つは 、この戦乱の時代を平和
  なものにし 、この時代を生きるたくさんの人々を 、
  その不幸から救うべく 、その原動力となる ” 仁 ”
  の力を 、時代を動かすことのできる立場にある人た
  ちに説いたものであろうかと思います 。時代を動か
  す立場にあると言っても 、上は為政者から 、下は
  小さい村の官吏に到るまで 、いろいろな階層に分れ
  ておりますが 、子はそうした人たちには 、それぞ
  れに応じて 、なべて ” 大きい仁 ” を説いておられ
  たかと思います 。
   併し 、世の中を支える ” 大きい仁 ” であれ 、相
  手の立場に立って 、ものを考えてやる 、私たちの
  小さな思いやりの ” 仁 ” であれ 、その核心になっ
  ているものは 、おそらく同じ人間への愛というか 、
  人間として誰もが持っていなければならぬ ” まごこ
  ろ ” というか 、そういうものであろうかと思われ
  ます 。
   そういう意味では 、子はいつでも 、すべての人間
  が生きて行く上に 、人間として持つべき ” まごこ
  ろ ”  、――  ” 仁 ” を説いておられたということ
  になりましょう 。 」

  「  ―― ” 樊遅(はんち) 知を問う 。子曰(いわ)く 、
  民の義を務め 、鬼神は敬して之(こ)れを遠ざく 。
  知と謂うべし 。仁を問う 。曰く 、仁者は難き
  を先きにして獲(う)るを後にす 。仁と謂うべ
  し 。 ”
   ―― 樊遅が 、知者といわれる人は 、民を治め
  るのに 、どういう方法を採るだろうと訊(き)い
  た 。それに答えて 、子は仰言(おっしゃ)った 。
  人民が正義とするところを尊重し 、鬼神とか 、
  なべて信仰問題は 、敬して 、遠ざける 。深入
  りしない 。これが知者の天下を治める態度であ
  る 。次に仁者の場合は 、どうか 、と樊遅が訊
  くと 、子は仰言った 。仁者は最も困難な問題
  に 、真先きに取り組んで行くが 、それに対す
  る報酬というか 、そこから生れる利益というも
  のは考えない 。 」
 

  「 ” 樊遅(はんち) 仁を問う 。子曰く 、人を愛
   す 。知を問う 。子曰く 、人を知る 。 ”  」
 

  「 ―― ” 樊遅(はんち)  仁を問う 。子曰く 、居
  処は恭に 、事を執りて敬に 、人に与(まじ)わ
  りて忠にせよ 。夷狄(いてき)の之(ゆ)くと雖(い
  え)ども 、棄つべからず 。”
   ――  樊遅は仁を訊いた 。子は仰言った 。家に
  居る時には行儀をよくし 、仕事に対しては慎重 、
  人との交際はまごころで 。こうしたことは夷狄
  の国に行っても棄ててはいけない 。 」
 

  「 子曰く 、知者は水を楽しみ 、仁者は山を楽し 
  む 。知者は動き 、仁者は静かなり 。知者は楽
  しみ 、仁者は壽(いのち)ながし 。 」

  「 ――  " 民の義を務め 、鬼神は敬して之(こ)れ
  を遠ざく 。知と謂(い)うべし 。"
   これは古い門弟の樊遅(はんち)が 、 ” 知の政
  治 ” を問うたのに対しの 、子のお答えであり
  ます 。 ―― 民が正しいとするところを尊重し 、
  鬼神相手の信仰問題は敬意を表するも 、まあ 、
  慎重を期して 、深入りしない方がいい 。これ
  が ” 知の政治  ” というものである 。 」

  「 未(いま)だ人に事(つか)うること能(あた)わず 、
  焉(いずく)んぞよく鬼(き)に事(つか)えん
   これは子路(しろ)が 鬼神( 死者の霊 ) に仕える 、
  その仕え方を問うたのに対しての 、子のお返事
  であります 。
   ―― 未だに生きている人間にも仕え得ないの
  に 、どうして死者の霊に仕えることができよう 。 」

  「 ―― ” 未だ生を知らず 。焉(いずく)んぞ死を
  知らん 。 ”
   これは前の問答に続いて 、子路が重ねて 、死
  とはいかなるものであるか 、と訊いたのに対す
  る 、子のお答えであります 。 ―― まだ生の
  何たるかも判(わか)らないのに 、どうして死が
  判ろう 。 」

  引用おわり 。

 

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恕 Long Good-bye 2025・07・06

2025-07-06 05:50:00 | Weblog

 

  今日の「お気に入り」は 、井上靖さんの長編小説

 「 孔子 」に見る 、孔子の弟子「 子貢 」についての

 人物評 。井上靖さんの「 子貢評 」と言っていいか

 と思われる 。

  引用はじめ 。

  「 子貢は 、いつ頃のことかはっきりしません
  が 、己が勉学 、修養といったものは棄て 、
  自分がこの世に生れて来た意義は 、あるい
  はその使命は 、師・孔子にお仕えすること
  であると 、そういう考えの上に 、大きな信念
  を以て坐るようになりました 。
   子貢は自分がこの世に生れ 、そして何十年
  かに亘って生きて行く意義を 、師・孔子に
  結びつけたのであります 。そうしたことが
  一人の人間の生きて行く道として肯定すべき
  か 、否定すべきか 、私には判(わか)りませ
  ん 。若(も)しかすると子貢自身にも判って
  いなかったかも知れません 。
   こうした子貢に 、私が気付いたのは 、師・
  孔子も亡くなられ 、子貢も亡くなり 、一人 、
  この奥山の里に生きている蔫薑の 、ここ五 、
  六年のことであります 。
   この茅屋の 、この炉辺に坐って 、そうした
  子貢のことを考え 、子貢のあれこれに思いを
  致していますと 、みごとに自分の生命を捨て 、
  その生命を師・孔子に捧(ささ)げている子貢が 、
  その一つの信念に徹して動かない子貢のきびし
  い顔が 、多少の怖(おそ)ろしさを以て眼に浮
  かんで参ります 。
   子貢は 、子の生存中 、孔門に関する一切の
  費用を自分が受持つことを 、自分に課してい
  たのではないでしょうか 。
   子貢は蓄財の才能を以て知られ 、多少 、そ
  れが否定的に見られているかも知れませんが 、
  私に言わせて頂けば 、子貢ほど蓄財の才能を
  立派に活(い)かした人は 、他に誰もないので
  はないでしょうか 。
   子貢は 、子が亡くなると 、当時としては考
  えられぬような 、盛大な葬儀を営み 、その
  あと三年に亘っての七十人による服喪の生活
  を取り仕切っております 。すべての費用は 、
  子貢の負うところであるとされております 。
  私自身の眼にも 、間違いなく 、そのように
  映っております 。  」

  「  子に対する子貢の質問の特徴は 、どこにも
  自分を覗(のぞ)かせていないということであ
  ります 。自分の考えも 、自分の見方も 、
  いっさい持ち出さないで 、ひたすら師・孔子
  の言葉を記録し 、記憶しておこうという態度
  であります 。
   子に対しては 、殆(ほとん)ど質問 、質問で
  終始しています 。自分などはすっかり消して
  しまった上での質問であります 。
   ―― 君子とは?
   ―― いかなるものをか 、士と謂(い)うべき 。
   ―― 士について
   ―― 仁について
   こういった質問ばかりで 、時に自分を出す
  こともあるようですが 、その場合でも 、自
  分を材料にして 、師・孔子の詞を引き出して
  います 。自分というものを全く失くした上で
  の 、みごとな師・孔子の詞の祖述者と言えま
  しょう 。  」

  「 子貢問うて曰く 、一言にして以て終身 、こ
  れを行うべきものありや子曰く 、それ恕か 。
  己れの欲せざる所を人に施すこと勿かれ 。

  「 孔子が最も信頼して 、後事を託そうとしてい
  たのは誰であるか 。子路であったか 、子貢で
  あったか 、顔回であったか 。 ―― 今日に限
  ったことではありませんが 、こうした問題で 、
  概して 、大勢の赴くところは 、顔回 、子路 、
  子貢という順序になるようであります 。
   顔回が最も人気を集め 、次に子路 。この二
  人には 、何となく華やかさがあり 、時によっ
  て 、どちらが首位に立とうと 、たいした問題
  にはなりません 。
   ―― その点 、子貢となると 、一人だけ別格
  であります 。顔回的なものもなければ 、子路
  的なものもありません 。そういう意味では華
  やかさがないというのか 、面白みがないとい
  うのか 、いつも片隅に静かに坐っていて 、一
  座を見渡し 、万遍なく注意を払っているといっ
  た恰好ですが 、かと言って 、自分が主張する
  といったところを見せるわけでもありません 。
   ―― 併し 、私たちには 、―― と言っても 、
  この席には二人しか居(お)りませんが 、他の
  方々とは違って 、いつも 、片隅に 、静かに
  坐っている子貢なる人物が 、最も頼もしく見
  えるのであります 。何も喋(しゃべ)らないで 、
  黙って坐っているが 、やらねばならぬことは 、
  みんなやっている 。大騒ぎしてはやらない 。
  黙って 、やらなければならないことだけを 、
  きちんと 、しかも能率的に 、そつなく片付け
  てしまっている
   ―― しかも 、他の応援は求めない 。応援な
  ど求めたって 、さして役に立たないことを知
  っている 。本当にやるのは自分だけ 。自分だ
  けしかないし 、自分だけでいい 。
   他人に手伝って貰(もら)うと 、手伝って貰わ
  ないよりいいこともあるが 、併し 、まあ 、手
  伝って貰わないで 、自分だけでやった方がいい
  に決まっている 。寧(むし)ろ 、初めから応援
  お断り 、お手だすけお断り 、何もかもお断り
  ―― まあ 、こういうのが子貢でありますし 、
  子貢の怖いところでもあります 。
   今更 、ここで 、子貢について 、何を言わな
  ければならぬのでしょう 。何か言わなければと
  考えているうちに 、子貢はさっさと 、どこか
  へ行ってしまいます 。
   ―― 居なくなってから考えてみると 、たいへ
  んなことをやってくれている 。みんなやってく
  れている 。”やる! ”とも言わないし 、”や
  った! ”とも言わない 。そしてどこかへ行って
  しまう 。あとには 、やった仕事だけが遺(のこ)
  っている 。 ―― これが子貢であります 。
   ―― 孔子の一行が 、十四年にも亘(わた)って 、
  中原各地を 、文字通りに放浪することができた
  のも 、一行の中に子貢が加わっていたからであ
  ります 。子貢が居なくて 、子路 、顔回の二人
  だけだったら 、大変なことになっている 。居
  留先きを追い出されること必定 、原野をうろつ
  き廻って 、飢えること必定 、大体 、まともに
  魯都に帰り着いたか 、どうか 、甚(はなは)だ
  怪しいものである 。孔子の一行から 、子貢を
  外してみたら 、あとは中原の大戦乱場などをう
  ろつき廻れる資格は全くなくなる 。
   ―― 子を中心に置いた中原放浪の一団の中で 、
  いつも最も忙しかったのは子貢である 。一行が
  あちこちうろつき廻っている間に 、子貢は人を
  使って商売をしている 。国と国との間に立って 、
  大きな取引きをしている 。好むと 、好まないに
  かかわらず 、商売でもしない限り 、国際的放浪
  人たちを飢えさせないで 、しかも勝手に望むと
  ころへ 、彼らが望むままに放浪させてやるよう
  なことはできなかったのであります 。どうもそ
  うしたことに関する 、子のお詞は蒐集(しゅう
  しゅう)できていないようです 。
   ―― それにしても 、面白いというか 、驚く
  べきことというか 、子貢自身はそうした自分
  に気付かず 、師・孔子もまた気付いていない
  のであります 。子の方は 、子の方で 、これ
  また非常によくできており 、子貢にたいへん
  なことをやって貰ったとも 、やって貰ってい
  るとも 、さして感謝らしい感謝の気持は持っ
  ていなかったのではないかと思われます
   ―― 併し 、おそらく 、世の中の大きい仕事
  というものは 、文明 、とか 、文化とかいうも
  のは 、なべて 、このような人たちによって 、
  このような人たちの組合せによって 、ごく静か
  に 、目立たない形で生み出されて行くものでは
  ないでしょうか 。最近 、しきりに 、子貢のお
  蔭(かげ)で 、このような思いの中に入っている
  自分に気付きます 。   」

  「  子貢の生涯も 、はっきりと判っていない部分が
  非常に多い 。霧に深く閉じこめられており 、そ
  のところどころが 、霧の間からのぞかれている 、
  そんな感じであります 。衛の人 。出生地不明 。
  孔子より三十一歳の年少者 、―― これは子貢自
  身がいろいろな人に言っているので 、そのまま
  信じていいのではないか 。弁舌の巧みなことを
  以(もつ)て称せられているが 、確かに頭脳明晰
  な 、才人であったらしい 。魯に仕え 、衛に仕
  え 、その時々で官吏として 、盛名を馳せている
  が 、主として外交畑の仕事に於てであったよう
  である
   ―― それから 、子貢について特筆しておかね
  ばならないことは 、頗(すこぶ)る理財の道に通
  じ 、一時 、天下の金は子貢の許(もと)に流れて
  ゆくという噂まで行われたということである 。
  それが単なる噂でなく 、事実であったことは 、
  目下 、一部のそうした方面に詳しい人たちによ
  って調べられている 。孔子の中原に於ける遊説
  ・放浪の旅の費用も 、すべて 、子貢が賄(まか
  な)っていたらしく 、それから孔子の葬儀 、多
  勢の門弟たちの三年間に亘っての服喪 、その費
  用は莫大(ばくだい)な額にのぼるが 、みな子貢
  の負うところであったらしい
   ―― 子貢の歿年(ぼつねん)は明らかではない
  が 、孔子が歿してから二十余年生きて 、斉の
  国で 、その生涯を閉じている 。孔門の高弟の
  中で 、現在のところ 、子貢の研究が最もおく
  れているように見えるが 、やがて子貢研究が
  孔門研究のまん中に据(す)えられる時が来るの
  ではないかと 、私は思っています 。 」

  引用おわり 。

 

 

  ( ついでながらの

   筆者註:「 『 恕 』という漢字は 、思いやり 、相手を思いや
       る心 、許す心という意味を持ちます 。特に 、孔子
       の教えでは『 恕 』は『 自分が嫌なことは他人にし
       てはならない 』という相手の立場に立って考えるこ
       と 、つまり思いやりの心の実践を表します 。
       『 恕 』の意味と使い方について 、以下に詳しく説
       明します 。

       意 味 :
          思いやり: 他人の気持ちや状況を理解し 、それに配
             慮する心 。
        許す: 相手の過ちや欠点などを 、大目に見たり 、
            寛容な心で受け入れたりすること。
        相手の立場に立つ: 自分のことだけでなく 、相手の
            気持ちや状況を想像し 、理解しようと努
            めること 。
       使い方 :
         『 恕の心 』: 思いやりの心 、相手を思いやる心を
            表す言葉として使われます 。
        『 寛恕 』: 広い心で人を許すこと 。
        『 宥恕 』: 相手の罪や過ちを許すこと 。
        『 忠恕 』: 真心から相手を思いやること

       孔子の教え :
        孔子は 『 恕 』を最も大切な教えの一つ として 
       おり 、『 己の欲せざる所 、人に施すこと勿かれ 』
       という言葉で表現しています 。これは 、『 自分が
       されて嫌なことは 、他人にしてはならない 』という
       意味で 、相手の立場に立って考えることの重要性を
       示しています 。

       まとめ :
        『 恕 』は 、単なる同情や許しだけでなく 、相手
       を深く理解し 、尊重する心 、そして行動を伴う思い
       やりを表す言葉です 。孔子の教えから 、日常生活や
       人間関係において『 恕 』の心を意識することが 、よ
       り良い関係を築く上で重要であることがわかります 。」

       以上 、生成AI情報 。 )

 

 

 

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耳順 Long Good-bye 2025・06・30

2025-06-30 07:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、井上靖さんの長編小説

 「 孔子 」の中にある 、主人公 で 語り手でもある 蔫薑

 (えんきょう)の言葉  。

 引用はじめ 。

    「  ” 六十にして耳順う ” 、 ” 七十にして心の欲する
   所に従って 、矩を踰えず ” 、――どちらも 、い
   い詞であります 。 一つは 、六十歳になったら人
   の言葉が素直に耳に入って来るようになった 、こ
   ういう意味でありましょうか 。それから 、もう
   一つは 、七十歳になったら 、自分の心の欲する
   ように振舞っても 、道を踏み外すようなことはな
   くなった 。たいへんな自信であります 。 」

    「  六十歳の子について 、七十歳の子について 、い 
   かに子が非凡であったかということを説明するには 、
   この二つの詞は 、非常にぴったりしたものではない
   か 、と思います 。 」

   「 ただ問題は 、この言葉が誰の口から発せられたか 、
   ということであります 。 」

   「 私の場合は 、古今東西に 、そう並ぶ者があろうと
   は思われぬ 、子のお人柄 、その非凡さを説明する
   場合は 、いまのこの詞を使わせて頂きます 。 」

   「 ただ 、いま問題になっているこの詞を 、子御自身
   の詞であるとするのは 、如何(いかが)なものであり
   ましょうか 。 」

   「 私のお仕えした 、私のよく存じ上げている子
   は 、こうしたことは一切 、ご自分の口からは
   出さない方ではなかったか 、と思います 。 」

   (⌒∇⌒)

  引用おわり 。

 

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川上の嘆 Long Good-bye 2025・06・29

2025-06-29 05:29:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、「 論語 」の中から

  いくつかの言葉 。

  「  逝くものは斯(か)くの如きか 、昼夜を舎(お)かず 。 」

  「  朝(あした)に道(みち)あるを聞(き)かば 夕(ゆう)べに
   死(し)すとも可(か)なり   」

  「  憤りを発して食を忘れ 、楽しんで以て憂いを
   忘れ 、老いのまさに至らんとするを知らず 。 」

  「  ああ 、天 、予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり 。天 、
   予れを喪ぼせり 。 」   ( 愛弟子 顔回 の死に際して発した、と伝えられる言葉 )

  (⌒∇⌒)

   無常観を表す「 川上之嘆 」として知られる「 逝くものは

  斯くの如きか 、昼夜を舎かず 」という言葉を 、井上靖

  さんは 、もう少し明るく 、力強く 、とらえられているようだ 。

   長編小説「 孔子 」の中で 、語り手である 蔫薑(えんきょう)

  に 、次のように語らせている 。

   「 川の流れも 、人間の流れも同じである 。時々刻
   刻 、流れている 。流れ 、流れている 。長い流れ
   の途中にはいろいろなことがある 。併し 、結局の
   ところは流れ流れて行って 、大海へ注ぐではない
   か 。
    人類の流れも 、また同じことであろう 。親の代、
   子の代 、孫の代と 、次々に移り変ってゆくところ
   も川の流れと同じである 。戦乱の時代もあれば 、
   自然の大災害に傷めつけられる時もある 。併し 、
   人類の流れも 、水の流れと同じように 、いろいろ
   な支流を併せ集め 、次第に大きく成長し 、やはり
   大海を目指して流れて行くに違いない 。
    その日 、私はその川の土堤に坐って 、子のお詞
   をあれや 、これやと考えていて 、非常に明るい思
   いを持って 、立ち上がりました 。
    子の ” 大きい川の畔(ほと)りにて ” の感慨を 、
   私はこれまで私に解釈してくれた誰のそれよりも 、
   明るく 、力強く受け取りました 。
    ああ 、顔回が居たら 、子路が居たら 、と思いま
   した 。そして最後に 、ああ 、師・孔子が居(お)
   られたら 、と思いました 。
    川の流れが大海を目指すように 、人間の 、人類
   の流れも亦(また) 、大海を理想とする 、大きい社
   会の出現を目指すに違いありません 。 」

   「 逝くものは斯くの如きか 、―― この子のお詞に
   は 、いかなる子のお心が入っているのでしょうか 。
    ―― それぞれ 、考えよ 。
    子は 大きな課題を門弟たちにお出しになったよう
   なもので 、いつかは 、それについてお話しになる
   おつもりであったかも知れませんが 、思いがけず
   顔回 、子路に先立たれ 、恰(あたか)もそれを追い
   かけでもするように 、それに続いて御自分がお亡
   くなりになって仕舞われたのであります 。 」

    引用おわり 。 

 

  

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五十にして天命を知る Long Good-bye 2025・06・28

2025-06-28 05:49:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」の 一つ は 、井上靖さんの長編

  小説「 孔子 」の主人公で 、語り手でもある「 蔫薑(え

  んきょう) 」の自己紹介文 。

   引用はじめ 。

   「  蔫薑(えんきょう)、―― これが私の 、一応
    世の中で通用している名前でございます 。 ” えん
    きょう ”と読みます 。" ひね生薑(しょうが) ”
    とか 、 ” 萎(しお)れ生薑 ” とかいった意味で 、
    あまり香んばしい名前とは言えません 。 」

   「  親から貰った名前は別にありますが 、 ・・・ 」

   「  親から貰った名前の方は捨ててしまう結果になっ
    てしまいました 。こういうところが 、生れながら
    の 、亡国の民の亡国の民たるところでありましょ
    うか 。 」

   引用おわり 。

   井上靖さんは 、 架空の弟子・蔫薑(えんきょう)を設定し 、

  孔子 や 子路(しろ) 、顔回(がんかい) 、子貢(しこう)

  など 孔子の高弟たち を登場させ 、蔫薑の口をかりて

  孔子という人物を 、あたたかい眼差しと尊敬の念をもっ

  て 、ビビッえがいておられるように思う 。

  (⌒∇⌒)

   二つ目の「 お気に入り 」は 、井上靖さんも余程お好き

  と見えて 、蔫薑(えきょう)をして 繰り返し 繰り返し

  語らしめていらっしゃる言葉「 五十にして天命を知る 」 。

   引用はじめ 。

  「 私は子(し)のたくさんのお詞の中で 、一つを選ぶよ
  うに言われた場合は 、この ” 五十にして天命を
  知る ” を採らせて頂くことでありましょう 。凛
  々(りんりん) と 、何かが鳴っております 。いつ
  口遊(くちずさ)んでも 、凛々と 鳴っているもの
  があります 。 」

  「 晩年 、多勢の門下生の居る席で 、子が自分は五
  十にして天命を知ったというお詞を 、口にされた
  のを聞いたことがあると申しましたが 、その子の
  お詞について 、私は次のように解釈しております 。

   子は五十歳の時 、この紊(みだ)れに紊れた世の中
  を自分の周辺から少しでもよくして行こうという
  お考えを 、はっきりと天から与えられた使命とし
  て自覚され 、改めてそれを御自分に課せられたか
  と思います 。誰から頼まれたのでも 、命じられた
  のでもない 。自分が生を享(う)けて 、この世で為
  すことはこれしかないとお考えになったのでありま
  しょう 。

   併し 、天から与えられた仕事であるからといっ
  て 、必ずしもそれを天が守って下さるとはお考え
  にならなかったと思います 。いつ思わぬ障害が起
  るかも知れないし 、いつ中道で斃(たお)れるかも
  知れぬ 。大きい自然の摂理の中で生きている人間
  のすることである 。思いがけぬ障害が 、思いがけ
  ぬ時にやって来ても 、いっこうに不思議はない 。
  だからと言って 、己が天から与えられている使命
  に対して 、いささかも努力を惜しんではいけない 。
  そういう小さい人間の小さい努力が次々に重なって 、
  初めて人間にとって倖(しあわ)せな 、平和な時代が
  来るというものである 。
   ―― 子はこうお考えになっていたと思います 。
   天命を知るということは 、こういうことでござ
  いましょうか 。御自分のお仕事を天から受けた大
  きな使命だとお悟りになったことが 一つ 、それと同
  時に 、その仕事が 天の弛(ゆる)みない自然の運行
  の中に置かれる以上 、すべてが順調に運ばれてゆ
  くということを期待することはできず 、思いがけ
  ない時に 、思いがけない困難に 、いろいろな形
  で曝(さら)されることもあるであろうということ
  を 、確(しっか)りとお悟りになったことが一つ 、
  ―― 、この二つを併せて 、このことが天命を知
  るということになるのでございましょうか 。

  「 いかに正しい立派なことをしておりましても 、
  明日の生命の保証すらありません 。いかなる思
  いがけない苦難が立ち塞がって来るかも知れませ
  ん 。吉凶禍福の到来は 、正しいことを しようと
  しまいと 、そうしたこととは無関係のようでご
  ざいます 。大きい天の摂理の中に自分を投げ込
  み 、成敗は天に任せ 、その中で己が信じた道を
  歩く! 見事なことでございます 。子以外に 、
  どなたがこのように 醒(さ)めたお覚悟 を持てた
  でしょう 。
   子は 十四年に亘った亡命 、遊説の旅の中で 、
  度々御苦難に遭っておられ 、その折 、天があ
  るではないか 、どうして飢えよう 、どうして
  死ぬことがあろう と 、口に出していらっしゃい
  ます 。私も一度 、子が そのようなことを口に
  された席に侍(はべ)ったことがあります 。
   子は 他の者を励ますために 、そのようなこと
  を仰言(おっしゃ)っていたかと思います 。或い
  は 御自身を励ますために 、そのようなお詞(こ
  とば)を口に出しておられたかも知れません 。
  併し 、お心の中では 飢えることもあろう 、死
  ぬこともあろう とお思いになっていたと思いま
  す 。自分の進んで行く道が そんな生易しいもの
  であろうなどとは 、御自分ではこれほどもお考
  えではなかったと思います 。
   そういう時 、子から離れて 、子のお顔を見守
  っていると 、私には 子のお心の内の悲しい響き
  が 、こちらに伝わって来るような 、そんな思い
  になったものであります 。  」

   引用おわり 。

 

 

 

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樂以忘憂 Long Good-bye 2025・06・22

2025-06-22 05:22:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」 。

   井上靖さん は 、長編小説「 孔子 」の第一部で 、

 主人公 蔫薑(えんきょう)に 、次のように語ら

 せている 。子路(しろ) 、顔回(がんかい) 、子貢

 (しこう) など 弟子 と 孔子 の 年齢差 や それぞれ

 の仁のキャラクター の違い がわかって面白い 。

  引用はじめ 。

 「  夕刻になると 、白い月が中天にかかりますが 、その
  頃になると 、子貢が最寄(もより)の集落へ宿泊の交渉
  に出掛けます 。大抵の場合 、この地方の農家の事情
  に多少でも明るい私が一緒に付いて行きます 。
   宿泊場所が決まると 、その家の前庭で 、私たち臨時
  雇いの三人が火をおこし 、夕食の支度にかかります。
  時に集落の女たちが来て 、手伝ってくれることもあり
  ました 。そういう時は 、いかにしてそうなったかは
  見当がつきませんが 、兎に角粗末にはできない一団で
  あるということを先方が承知している場合で 、夕食の
  あと 、村人たちが集って 、この地方の歌を披露して
  くれたりしました 。
   まあ 、いずれにせよ 、こうした生活が半月以上に及
  ぶと 、私たち臨時雇も何となく 、子を中心とする教
  団の一員ということになってしまいます 。そしてこの
  教団の仲間に入ってしまってもいい 、そんな思いにさ
  え捉えられてしまいます 。このような思いを持たせら
  れるところが 、この集団のこの集団たるところであり
  ましょうか 。この時 、子は六十歳の筈(はず)であり
  ます 。すると子路は五十一歳 、顔回は三十歳 、子貢
  は二十九歳 、私が二十五歳 、年齢は ばらばらです
  が 、いっこうに そんなことが気にならないところ
  が 、これまたこの集団の特殊なところであります 。
   それはさて措(お)き 、十何日に亘(わた)った旅を終
  えて陳都に入ると 、城外の東南地区にある賢大夫(け
  んたいふ)を以て聞えた有力者の屋敷に赴き 、一行全
  員が 、そこの世話になることになりました 。そして
  何日か経(た)って 、一応長い旅の疲れが癒(い)えると
  臨時雇の三人のうち 、宋の若者二人は宋都へ向けて引
  き返して行きました 。が 、蔡の遺民である私の方
  は 、私の希望もあり 、また帰るべき国もないという
  こともあって 、雑用係といった形で 、子の一団の中
  にそのまま置いて貰うことになりました 。
   まあ 、このような次第で 、私はこれからずっと子の
  御在世中 、雑用係として子のお傍で子にお仕えするよ
  うになったのであります 。 」

  <(・∀・)>

 「   これからこの子の一行は 、陳都に三年滞留します
  が 、陳国が呉 、楚両国の争奪の的になるに到って 、
  陳国を出て 、楚領の負函(ふかん)なる地に難を避け
  す 。が 、そこにも長く居ることはできず 、結局は曽
  (かつ)て身を寄せていた衛の国に帰って行くことにな
  ります 。そして衛に滞留四年 、魯哀公十一年に故国
  魯から迎えられるに到り 、子の十四年ぶりの帰国が実
  現致します 。そして魯都に於(おい)て 、晩年の教育
  者としての生活が始まります 
。 」

  引用おわり 。

  (^u^)

  孔子の人となりが知れるこんな記述が「 論語 」述而篇にある 。

 「 葉公問孔子於子路 。子路不對 。子曰 、女奚不曰 、
   其爲人也 、發憤忘食樂以忘憂不知老之將至
   云爾 。 」

  読み下し文は 、何種類かあるようだが 、その一つは 、

 以下のとおり 。

  「 葉公(しょうこう)、孔子(こうし)を子路(しろ)に
  問(と)う 。子路(しろ)対(こた)えず 。子(し)曰
  (いわ)く、女(なんじ)奚(なんぞ)曰(い)わざる 、
  其(そ)の人(ひと)と為(な)りや 、憤(いきどお)り
  を発(はっ)して食(しょく)を忘(わす)れ楽(たの)
  しみて以(もっ)て憂(うれ)いを忘(わす)れ老(お)
  いの将(まさ)に至(いた)らんとするを知(し)らず
  爾(しか)云(い)う 、と 。 」

  <(・∀・)>

  「 『 憤 』は 、発憤すること 。怒りの意ではない 。 」とする

 解釈もあるが 、上の読み下し文 や 井上靖さんは 、「 憤 」を

 「 怒り 」と解釈す立場である 。それがわかるくだりが 、長

 編小説「 孔子 」の第一部にある :

  ちょっと長いが 、引用はじめ 。

  「 子路が帰館したのは 、夜になってからでした 。 
  子 、子貢 、顔回 、そして私も入れて貰って 、四
  人が庭に面した廊下に出て 、雑談をしております
  時 、負函から帰って来た子路が姿を見せました 。
   そして負函の長官・葉公(しょうこう)の引見があっ
  たこと 、そこではただ一つ 、葉公から師・孔子の
  人となりについて訊かれたが 、併し、自分は答えら
  れなかった
   子路の報告はこれだけでした 。葉公ともあろう人
  からの突然の質問で 、子路は 、実際にどのように
  答えていいか判らなかったのでありましょう 。
   ―― 今でも 、どのように答えるべきか 、自分には
  判らない 。
   子路は言いました 。子貢も 、顔回も 、それぞれ俯
  いて黙っていました 。自分ならどのように答えるか、
  それぞれ自分の心の内部を索(さぐ)っていたのに違い
  ないのですが 、すぐには答えは出なかったのでありま
  しょう 。
   すると 、この時 、子が口を開かれました 。子路に
  対(むか)って 、
   ―― どうして 、子路よ 、お前さんは言わなかった
  のか 。このように言ってくれれば 、よかったではな
  いか 。
   子はちょっと顔を和(やわ)らげて 、
   ―― ” その人となりや 、憤(いきどお)りを発して
  食を忘れ 、楽しんで以て憂(うれ)いを忘れ 、老いの
  まさに至らんとするを知らざるのみ ” 。
   それから 、少し間を置いて 、
   ―― 余はまさしくこうした人間である 。これ以上
  の人間でもなければ 、これ以下の人間でもない 。そ
  うではないか 、いつも憤りを発して食を忘れる 。楽
  しんで以て憂いを忘れる 。そして 、いい気なものだ
  が 、老いのまさに至らんとするのを知らない 。 」

  「 ―― 憤りを発して食を忘れ 、楽しんで以て憂いを
  忘れ 、老いのまさに至らんとするを知らず 。 」

  「 それから ” 憤りを発して ”の ”憤り ”は、生き
  てゆく人間の道に外れたことに対する怒り ” 楽
  しんで以て ” の ”  楽しみ ” は 、人間の心を安らか
  に 、優しく 、明るく 、楽しくするすべてのこと
  ――  このようなことが 、皆によって論じられ 、論
  じられた上で 、一つ一つ落着いて 、坐るべきところ
  に坐っていきます 。
   さすがに 、年長の子路がすべてを取り仕切って 、
  手際(てぎわ)よく纏めております 。
   私はみなの話を傍聴しながら 、星が降るように鏤(ち
  りば)められてある南国の夜空を仰ぎ 、いま 、この天
  の下で 、一番すばらしいことを話し合っている人々の
  集りは 、この教団ではないかと 、そのような思いに
  揺られておりました 。 」

  引用おわり 。 

 

 

 

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君子固窮 Long Good-bye 2025・06・20

2025-06-20 05:40:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、論語の中の一節 。

 「  在陳絶糧 、從者病 、莫能興 、子路慍見曰 、
  君子亦有窮乎 、子曰 、君子固窮 、小人窮

  濫矣 」

  ( 読み下し文 )

  「 陳に在して糧を絶つ 。從者病みて能く興つこと莫
  し 。子路慍み見えて曰わく 、君子も亦窮すること
  有るか 。子曰わく 、君子固より窮す 。小人窮すれ
  ば斯に濫る 。( 衛靈公第十五 ) 」

  <(・∀・)>

  ( 注釈をまじえた現代語訳 )

  「 孔子の一行が十三年間の旅に出た途中 、陳の国で
  呉との争いに巻き込まれ 、幾日も包囲されて脱出で
  きず 、食糧が尽きて弟子達は飢え苦しみ病人のよう
  に横たえて立ち上がれなくなっていた 。孔子になん
  でもズケズケ言う子路が 怒気を含んで慍みごとを言
  った君子(孔子を指す)でもこんな苦しい目に遇
  うことがあるのですか 』と 。孔子言う君子だっ
  て 時には窮地に陥ることは有るさ 。只 その時 君子
  は平常心を失わず冷静に対処するが 、小人が窮する
  と濫(乱)れてなにをしでかすか知れないよ 』 。

  <(・∀・)>

   三人の王が君臨するこの世界で 、ゴルディアスの結び目

  ( Gordian Knot )を 剣で断ち切る アレキサンダー大王

  となるのか 、トランプさん 。

  尊師は 、 君子 か 小人 か 。大注目の二週間 。

   米国は 、選挙で選ばれた大統領が 、国民や同盟国の支持

  を得て 、対戦相手の敵国に 、核兵器をためらわず使用した 、

  世界で唯一の民主主義国家である 。核兵器ならぬ通常兵器

  を投下するのに 、なんのためらいがあろうか 。宣戦布告が

  あろうとなかろうと 、どう言い繕おうと 、国家間でミサイ

  ルが飛び交うのは 、立派な戦争 。宇露戦争も 、以伊戦争も 。

   B2ステルス戦略爆撃機が向かう先は 、中東か 、はたま

  た 朝鮮半島の奥深くか 。三大国の核の均衡を覆しかねな

  い 、ならず者国家の いかなる試みも 、フセイン・イラク

  のときのように 、これまでの米国は許さなかった 。まして

  やトランプさんにおいておや 、である 。

   アメリカなめんなよ 。

   問題対処の先送りや中途半端が 9.11 をもたらした 。

 

  

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天生德於予 Long Good-bye 2025・06・18

2025-06-18 05:56:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、論語の中の一節 。

 「 子曰く 、天 徳を予(われ)に生ぜり 。桓魋(かんた
 い) 其れ予を如何せん 」( 述而篇7-22 )

  孔子のこの言葉を 、井上靖さん は 、長編小説「 孔子 」の

 第一部で 、主人公 蔫薑(えょう)に 、次のように語ら

 せています

  「 宋国の有力者・桓魋(かんたい)なる人物が子に対し
  て害心を懐(いだ)いていることが 、子に付き添って
  いた衛の人たちの知るところとなり 、それで急遽 、
  子の一行は宋都を避け 、姿をかえて 、一路 、陳都
  に向かうことになったというのであります 。
   この事件に於て 、子は桓魋なる人物のことを耳に
  された時 、” 天 、徳を予(われ)に生(な)せり 。桓
  魋 、それ予(われ)を如何(いかん)せん ” と言われ
  たということであります 。これも子貢から聞いたこ
  とであります 。―― 天は自分にこの世の紊(みだ)
  れを直す使命と 、それを果し得る能力とを授けて
  下さっている 。そうした自分に対して 、桓魋ごと
  きが何ができようか 。―― 私は子が口にされたと
  いうこのお詞(ことば)が好きであります 。最初耳
  にした時は 、勿論なんのことか判りませんでした
  が 、子のお傍にお仕えするようになると 、この詞
  の中に入っている子のお心というものが 、自然に
  よく判って参ります 。子らしい 、子でないと口に
  できないすばらしい詞だと思います 。 」

   因みに 、AIさんは 次のように解説してくれました 。

  博識の AIさん お得意の分野 。

  「 『 天 、徳を予に生ぜり 』は 、『 論語 』述而第七
  篇にある一節で 、『 天は 私に 徳を授けてくれた 』
  という意味です 。これは 、孔子が 自分には天から
  徳が与えられている という自信を表明した言葉であ
  り 、外的な権力や脅威によって その徳が奪われるこ
  とはないという信念を表しています 。
   具体的に この言葉が生まれた背景には 、孔子が桓
  魋という人物から迫害を受けそうになった際に 、弟
  子たちが動揺する中で 、孔子が落ち着いて放った言
  葉であるとされています 。桓魋が 自分をどうするこ
  ともできない 、なぜなら 天が自分に徳を与えてくれ
  たからだ 、という強い自信と信念が込められていま
  す 。
   この言葉は 、孔子の天命観や 、徳のある者が世を
  導く資格を持つという思想を強く反映しています
  また 、後天的に徳を身につけるのではなく 、生まれ
  ながらにして徳を持つという考え方も示唆しています 。

  現代における解釈:
   この言葉は 、現代においても 、自己肯定感や 、困
  難な状況下でも揺るがない信念を持つことの重要性を
  示す言葉として解釈されています 。また 、自分の内
  面にある可能性や才能を信じ 、それを開花させること
  の重要性も示唆しています 。 」

   以上 、生成AI情報 。

 

 

  

 

( 武田双雲さんの書 )

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予欲無言 Long Good-bye 2025・06・17

2025-06-17 05:37:00 | Weblog

 

  最近読んだ本の中に 、「 論語 」の中の言葉が

 出てきたので 、次に読む本は 、井上靖さんの

 「 孔子 」に決めた 。これまでも何度か着手し

 てはいるが 、未だに読了出来ないでいる 本の

 ひとつ 。三部構成の本作の第一部を 、何度

 繰り返し読む破目に陥っている 。

  今日の「 お気に入り 」は 、版元である 新

 潮社のホームページにある 「 本作の紹介文 」

 と AIによる「 本作の紹介文 」のふたつ 。

  <(・∀・)>

  新潮社曰わく :

 「  二千五百年前 、春秋末期の乱世に生きた孔子の
 人間像を描く歴史小説 。『 論語 』に収められた
 孔子の詞はどのような背景を持って生れてきたの
 か 。十四年にも亘る亡命・遊説の旅は 、何を目
 的としていたのか孔子と弟子たちが戦乱の中原
 を放浪する姿を 、架空の弟子・えん薑(きょう)
 語る形で 、独自の解釈を与えてゆく 。現代にも通
 ずる『 乱世を生きる知恵 』を提示した最後の長編 。
 野間文芸賞受賞作 。 」

  < (・∀・)>

  AI曰わく :

 「 井上靖の小説『 孔子 』は 、紀元前5世紀の中国 、
 春秋時代の哲学者・孔子の生涯と 、その教えを架空
 の弟子・蔫薑(えんきょう)の視点から描いた歴史小
 説です 。孔子の思想や 、弟子たちとの関係 、そして
 乱世を生きる知恵が 、蔫薑の回想や対話を通して語ら
 れます 。

 あらすじの概要:
 第一部:
   蔫薑と孔子の出会いから 、孔子が没するまでの十
  数年間を回顧します 。孔子の思想や人間像 、弟子
  たちとの関係性が描かれます 。

 第二部:
   孔子が亡くなってから数十年後 、山中に隠棲する
  蔫薑の元に 、孔子研究会を名乗る若者たちが訪ねて
  きます 。彼らとの問答を通して 、孔子の教えが改
  めて検証されます 。

 第三部:
   蔫薑は 、孔子と共に流浪した故地を再訪する旅に
  出ます 。この旅を通して 、孔子の教えの真髄が明
  らかになります 。

 作品の特徴:
   架空の弟子・蔫薑の視点:
   蔫薑という架空の人物を語り手とすることで 、孔
   子の人物像に独自の解釈を加えています 。

 『論語』の背景:
   『論語』に収められた孔子の言葉が 、どのような
   状況で生まれたのか 、その背景を掘り下げていま
   す 。

 乱世を生きる知恵:
   孔子の教えが 、現代社会にも通じる『 乱世を生
  きる知恵 』として提示されています 。

 野間文芸賞受賞:
   この作品は 、井上靖の最後の長編小説であり 、野
  間文芸賞を受賞しました 。  

  <(・∀・)>

  読み始めの第一部で目をひかれた文章や場面 :

 ◎ 「  天 、何をか言うや 四時行われ 、百物(ひゃくぶつ)
   
生ず 。 」

  「 論語 」の「 陽貨第十七の十九 」にある文章らしい 。

   今回の読書で 、ググった結果は 、以下のとおり 。

   「 漢文
   子曰、予欲無言、
   子貢曰、子如不言、則小子何述焉、
   子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉
 
   書き下し文
   子曰わく、予(わ)れ言うこと無からんと欲す。
   子貢(しこう)が曰わく、子如(も)し言わずんば、
   則(すなわ)ち小子(しょうし)何をか述べん。
   子曰わく、天何をか言うや。四時(しじ)行なわれ、
   百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言うや

   英訳文
   Confucius said,
   “ I won't say a word anymore. ”
   Zi Gong asked,
   “ If you say nothing, about what can we 
       discuss ? ”
   Confucius replied,
     “ Heaven says nothing.
       But the four seasons rotate and lives are 
       born.
       Heaven says nothing. ”

   現代語訳
   孔子がおっしゃいました 、
   『 私はもう何も言わない事にする 。』
   すると子貢(しこう)が 、
   『 先生が何もおっしゃらなかったら 、
    これから我々は何について論じれば
    良いというのですか 。 』
   と言い 、孔子は 、
   『 天は何も語らない 。
    しかし四季は巡り 、生命は誕生する 。
     天は何も語らない 。
    ( 言葉以上に我々に語りかける )
   と答えられました 。 」

 ◎  孔子や弟子たちの一行に出会う前に 、物語の主人公

   蔫薑(えんきょう)が 、生まれ 、住み 、暮らしていた

  「 蔡の国 」や 当時の「 時代背景 」などを語る場面  。

   引用はじめ 。

   「 確かに自分の身は自分で守るより他ありません 。
   自国が他国と闘って勝ったからと言って 、自分た
   ちの生活が少しでもよくなるといった保証はあり
   ません 。その反対に敗(ま)けたからと言って 、特
   に不幸が覆(おお)いかぶさって来るわけのものでも
   ありません 。もともと不幸はこの地上に溢(あふ)れ
   ております 。王宮市場はある意味では 、あらゆる
   国の不幸な庶民たちの溜(たま)り場とも言えました。
   脚を切断(きら)れた男女の 、なんと多いことか 。
   戦闘に加わって脚を切断れたわけではありません 。
   自国に於て年貢(ねんぐ)の納め方が遅いといって脚
   を切断れ 、食糧の供出が遅いといって脚を切断れた
   人たち 。併し 、誰も同情しません 。そんなことに
   同情していたら 、自分がやってゆけないからです 。
   市場には屩(くつ)(麻の履もの)も 、踊(よう)(義足)
   もたくさん並んでいますが 、値段は廉(やす)く 、踊
   は高価です 。 」

    引用おわり 。

   2500年前も 、現代も 、2500年後も たぶん 乱世 。 

 

  

 

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