「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

TWO GENTLE PEOPLE Long Good-bye 2024・05・30

2024-05-30 06:55:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、イギリスの小説家 

 ヘンリー・グレアム・グリーン ( 1904 -1991 )

 の短編小説 " TWO GENTLE PEOPLE " の冒頭の

 一節 。行間のニュアンスを失うことなく 、日本

 語に翻訳するのがとても難しそうな小説で 、納

 得のいく邦訳に出会ったことがありません 。

 翻訳などせずに 、原語で読めばいい小説の一つ

 かもれません 。

 「 THEY sat on a bench in the Park Monceau

  for a long time without speaking to one

  another .  It was a hopeful day of early

  summer with a spray of white clouds lapping

  across the sky in front of a small breeze : at

  any moment the wind might drop and the

  sky become empty and entirely blue , but

  it was too late now - the sun would have set

  first .  」

  最後のセンテンスが 、この物語のエッセンスを

 象徴的に言いあらわしているような 。

 ( ついでながらの

   筆者註:「 モンソー公園( モンソーこうえん 、
       仏 : Parc de Monceau )は 、パリの
       8区にある観賞用庭園である 。」

       「 モンソー公園へは 、メトロの2番線に
        乗りモンソー駅で降りる 、もしくは
        市内バスの30 、84番線の Monceau で
        降車する 。 」

       「 1982年 、当時のパリ市長ジャック・
        シラクと東京都知事鈴木俊一との間で 、
        両首都の友好を祈念し 、東京上野の
        寛永寺にあった1786年に徳川家治が造
        らせた石灯籠がここに移された 。公
        園の周辺には 、高級マンションや個
        人の大邸宅などが立ち並ぶ 。公園の
        外周は 1キロメートル( 精確には遊具
        公園を迂回して 1107メートル 、迂回
        なしで 990メートル )で 、面積は
        8.2 ヘクタールである 。 」

        以上ウィキ情報 。

        因みに 、ChatGPT さんは 、上の英文を

       次のように翻訳してくれた他 、この小説

       について 、詳細な解説をしてくれました 。

        若いころ 読んで疑問に思っていたことを 、

       余すところなく読み解いてくれました 。

        永年のもやもやを取り払ってくれた ありがたい

      「 おともだち 」 。

       「 彼らは長い間お互いに話すことなく、
        モンソー公園のベンチに座っていた 。」

       「 それは初夏の希望に満ちた日で 、小さな
        風の中 、白い雲が空に漂っていた 。いつ
        風が止んで空が真っ青になるかもしれないが 、
        今ではもう遅かった 。太陽が先に沈んで
         しまうだろう 。」

       ChatGPT さんの解説文の最後に書かれている結論

       は以下の通り:

       「 Conclusion
         The story of "Two Gentle People" by Graham 
         Greene is a poignant exploration of the quiet,
         often unnoticed moments that bring people 
         together. Through the characters' silent 
         sitting and subsequent conversation in Park
         Monceau, Greene illustrates how even brief
         connections can be deeply meaningful, offering 
         a respite from loneliness and a glimpse of
         understanding and empathy.  」)

 

 

 

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断琴断歌 Long Good-bye 2024・05・28

2024-05-28 05:50:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  物語のラスボスで 、癇性病みの 酒井雅楽頭 の

 独白 。 

  引用はじめ 。

   「『 事は割れた 』とまた雅楽頭は呟いた 、
  『 時期を延ばそう 、いまはだめだ 、いま
  は不利だということはたしかだ 』
   彼は三歩ゆき 、五歩戻った 。徳川氏万代
  のために 、仙台 、加賀 、薩摩の三雄藩は
  邪魔だ 。北方と中部と南方に 、これら雄
  藩が安泰にすわっているということは 、幕
  府将来のためになにより好ましくない 。こ
  れは体に三つの癌を持っているようなもの
  だ 。このままにしておいては 、必ずどれ
  かが命取りになる 。たとえば取潰すことが
  無理なら 、分割して力を弱める策だけはと
  らなければならない 。
   ―― おれの手でそれをやってみせる 。
   おれのほかにそれをやる者はいない 。きっ
  とおれのこの手でやってみせる 。こう思い
  ながら 、彼は自分の右の手を見 、柔らかな 、
  色の白い 、そして太った手をひろげ 、それ
  から 、なにかを掴むように 、静かに 、しっ
  かりとその指を握りしめた 。彼はまた立停り 、
  右手の拳で左の掌を強く打った 。『 よし 、
  網を解いてやる 』と雅楽頭は声に出して云っ
  た 、『 こんどは掛けた網を解いてやる 、だ
  がよく聞け 、原田甲斐 、―― 網は解いてや
  るが 、きさまに琴は弾かせぬぞ 、琴も弾か
  せぬ 、歌もうたわせぬぞ 』
   雅楽頭は五拍子ばかリ黙って立っていた 。
  それまで頭の中で渦巻いていたものが 、しだ
  いに一点へ凝集し 、鮮やかなかたちをとるの
  が感じられた 。『 やむを得まい 』と彼は放
  心したように呟いた 、『 秘策のもれるのを
  防ぐためには 、知っている者をぜんぶやるほ
  かはない 、甲斐はその第一だ 、彼はそれを
  知り 、六十万石を護った 。しかしその代償
  は払わなければならない 、評定の席へ出る者
  にはみな 、その代償を払わせてくれるぞ 』
   雅楽頭は歩いていって 、元の席に坐り 、文
  台の上の鈴(れい)を取って鳴らした 。そして 、
  懐紙を出して ぐいぐいと顔を拭き 、それを繰
  り返したあと 、もういちど鈴を鳴らした 。    」

  引用おわり 。

  物語のこの章には 、「 断琴断歌 」という小見出しが

 付けられている 。この物語の中の酒井侯は 、関西弁で

 いうところの「 かんしょやみ =癇性病み 」。この手の

 人は結構いるけど 、往々にして短命である 。

 

 

 ( ついでながらの

   筆者註:以下は 、酒井雅楽頭 ( 1624 - 1681 ) の出自 。 

      「 上野( こうずけ )前橋藩主 。 雅楽頭 (うたのかみ)と
       称す。 譜代古参の執政として 病弱の4代将軍徳川家綱
       を補佐 、1666年大老となる 。 邸が 江戸城大手門の下
       馬札近くにあったことから〈 下馬将軍 〉ともいわれる
       ほど権勢を振るった 。」

      「 酒井 忠清( さかい ただきよ )は 、江戸時代
       前期の譜代大名 。江戸幕府老中 、大老 。上野
       厩橋藩の第4代藩主 。雅楽頭系酒井家9代 。
       第4代将軍・徳川家綱の治世期に大老となる 。
        三河以来の譜代名門酒井氏雅楽頭家嫡流で 、
       徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた酒井忠世
       の孫にあたる 。下馬将軍

        寛永元年(1624年)10月19日 、酒井忠行の長男
       (嫡出長子)として 酒井家江戸屋敷に生まれる 。
       幼少期は不明であるが 、酒井家江戸屋敷で育て
       られたと考えられている 。

        寛永7年(1630年)1月26日に将軍・家光が忠清
       の祖父・忠世邸に渡御しており 、忠清も初御目
       見して金馬代を献上し 、家光から来国光の脇差
       を与えられている 。『 東武実録 』によれば 、
       さらに1月29日には大御所・秀忠が同じく忠世邸
       に渡御し 、このときも忠清が初御目見し太刀馬
       代を献上し 、国俊の脇差を与えられている 。
        寛永9年(1632年)12月1日には江戸城に初登営し 、
       弟の忠能とともに将軍家光に謁見している 。

        寛永13年(1636年)3月19日には祖父・忠世 、
       同年11月17日には父・忠行が相次いで死去する 。
       翌寛永14年(1637年)1月4日に遺領12万2,500石
       のうち上野厩橋藩10万石の相続を許され 、同日
       には弟の忠能にも上野伊勢崎藩を分地された 。

        寛永15年(1638年)に出仕し 、従五位下・河内
       守に任じられる 。雅楽頭家嫡流として父の忠行
       が務めていた 奏者番 を命じられ 、武家故実を
       習得して殿中儀礼の諸役を務める 。この年には
       忠能と共に上野へ初入国をしている 。なお 、
       同年には土井利勝と酒井忠勝が大事の折の登城
       を命じられ 、これが後の大老の起こりとされる 。

        寛永18年(1641年)には3代将軍・徳川家光に嫡
       子・家綱が誕生 。忠清は 家光付きの本丸付家臣
       であり 、幼少の家綱との接触は儀礼を通じての
       みであったが 、忠能は家綱付の家臣団に加わっ
       ている 。正保元年(1644年)12月には松平定綱
       の娘・鶴姫と婚礼慶安元年(1648年)には長
       男の忠明が生まれるが 、鶴姫は慶安3年(1650年)
       に死去 。慶安4年(1651年)4月には家光が死去
       し 、8月には家綱が将軍宣下を受ける 。大老・
       酒井忠勝 、老中・松平信綱や後見の保科正之 、
       家綱付家臣団の松平乗寿らに補佐された家綱政
       権が成立し 、忠清は引き続き 奏者番 を務め 、
       10月には左近衛権少将へ任官し 、雅楽頭へ改名
       を命じられる 。( 後 略 ) 

        以上ウィキ情報 ほか 。 )

 

    

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楔 Long Good-bye 2024・05・26

2024-05-26 05:26:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

 

  引用はじめ 。

  「 甲斐はその日の午後七時ごろ 、西丸下にある
  久世大和守(広之)の屋敷へゆき 、八十島主計
  (やそしまかずえ)となのって 、大和守に面会
  を求めた 。」

  ( ´_ゝ`)

  「 大和守は小姓を一人伴(つ)れただけで出て来た 。
  髪が白くなっただけで 、あのころと殆んど風貌
  が変らず 、六十一歳という年よりはるかに若く
  みえた 。
   大和守が設けの座につくと 、亀谷清左衛門が
  披露しようとした 。大和守はそれを遮り 、よ
  しわかっていると云って 、甲斐を見た 。
  『 久びさの対面だな 、原田 』
  『 おそれながら 』と甲斐が云った 、『 お取
  次まで申上げましたとおり 、わたしは八十島
  主計と申す浪人者でございます 』
   大和守は微笑した 。すると 、眼尻と唇の脇
  に皺がより 、それが年だけの老いを証明する
  かのようにみえた 。
  『 そうであった 』と大和守は云った 、『 う
  ん 、いつぞやどこかで会ったことがある 、い
  やたしかに 、たびたび会ったことがあると思
  うが 、今日はまたなんの用があってまいった
  のか 』
  『 いささか珍しい物が手にはいりましたので 、
  お笑いぐさに献上かたがた 、世間ばなしなど
  お耳にいれたいと存じまして 』
  『 世間ばなし 』
  『 御身分高き方がたには思いもよらぬような 、
  桁外れな話しが世間にはいろいろとございます 、
  お骨休めにもなればと存じまして 、二三御披
  露つかまつりたいのですが 』
  『 よかろう 、が 、まず土産を見ようかな 』」

  ( ´_ゝ`)

  「『 浪人の身で 』と大和守は云った 、『 かよ
  うに高価なものが自由になるとは 、よほど内
  福のうえによき手蔓があることだろうな 』
  『 おそれいります 、内福どころか家政は火
  の車 、いまにも所帯じまいをしかねないあり
  さまでございます 』
  『 所帯じまい 、―― 』
  『 もちろん御存じはございますまい 、これ
  は下世話の申す言葉で 、家計がゆき詰まり家
  主に追いたてられまして 、一家親子がちりぢ
  りに駆け落ち夜逃げなどをすることでござい
  ます 』
  『 しかも 、かようなものを土産にくれると
  いうのか 』
  『 おそれながら大和守さまは 、当代十善人
  のお一人と世評にかくれもございません 』と
  甲斐は云った 、『 御威勢なみならぬ厩橋さ
  まはじめ 、閣老諸侯多きなかにも 、この美
  酒を差上げ 、味と香を篤と味わって頂きたい
  のは 、大和守さまごいちにんでございます 』
   甲斐は両手を膝に置いて 、静かに大和守の
  眼をみつめた 。大和守広之はその眼を見返し
  た 。甲斐の眼は静かだったが 、大和守の視
  線には 、相手の心を読み取ろうとするような 、
  一種の力がこもっていた 。
  『 うん 』とやがて大和守は云った 、『 この
  酒の味と香りは珍重だ 、これを味わいながら
  話しを聞くとしようか 』」

  ( ´_ゝ`)

  「『 まず御覧を願いたいものがございます 』と
  会釈して 、甲斐はふところから 、奉書に包ん
  だ書状を取出し 、小姓に向かって 、『 これを 、
  御前へ ―― 』と云った 。
  『 それには及ばぬ 、そのまま寄れ 』と大和守
  が云った 。 
   甲斐は膝ですり寄って 、その書状を差出したが
  大和守が受取るとすぐに 、元の座までさがった 。
  『 これはどういうものだ 』
  『 まず御披見願います 』
   大和守は杯を置いて 、包んである奉書紙をひらき 、
  中から四つにたたんだ書状を出した 。そうして 、
  燭台のほうへ向けて 、書状を眼からやや遠ざけな
  がら読んだ 。甲斐の眼はするどくなり 、大和守の
  表情の 、どんな変化もみのがすまいとするように 、
  じっと眸子(ひとみ)を凝らしていた 。―― 大和守
  の顔はゆっくりと硬ばってゆき 、下唇がさがった 。
  書状を見る眼は動かなくなり 、その表情には激し
  い驚きと 、怯えたような色があらわれた 。」

  ( ´_ゝ`)

  「『 ではうかがいます 、その証文はどう
  いう意味でございましょうか 』甲斐は
  杯を置いて 、静かに大和守を見まもっ
  た 、『 十年以前 、御側衆であられた
  某侯が 、ひそかに同じ趣意の忠告を与
  えられました 。侯は三十万石分与とい
  う密約のあることを知って忠告をなさ
  れた 、もちろんその証文の他のお一人
  は 、天下に並ぶものなき御威勢のある
  方です 、しかし 、―― いかに御威勢
  並ぶものなき方でも 、六十万石を分割
  し 、御自分の縁辺に当る者に三十万石
  を分与する 、などということができる
  ものでしょうか 』
   大和守は屹と歯を噛みしめた 。すると
  両の頬の筋肉が動き 、唇が白くなった 。」

  引用おわり 。

 この章には 「 楔 ( くさび ) 」という小見出しが

 ついている 。巻き返しの一手になるか 、どうか 。

 物語の切所 ( せっしょ ) 。

 

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ゆくもならず ひくもならず Long Good-bye 2024・05・24

2024-05-24 05:49:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  物語の主人公 原田甲斐宗輔 が 、騒動の原因が 、

 単に伊達兵部少輔宗勝 個人の 仙台藩 簒奪 ( さん

 だつ ) の権勢欲に発したものではなく 、真の敵

  、黒幕は 、府老中 酒井楽頭 なのだと気付

 いた頃から 、話しは 一段と 重苦しい雰囲気に

 なり 、読者は 、物語の悲劇的な結末を予想せ

 ざるをえなくなる 。

  独眼竜政宗の末子で 、第十子である 伊達兵部

 少輔宗勝が 、政権簒奪を企図して策動するので

 あれば 、よくある 本家 vs. 分家 の お家騒動の

 図式で 、わかりやすいのだが  、話しは そう 単

 純ではないらしい 。関が原からまだ百年も経っ

 ていない時代の物語 。

  引用はじめ 。

  「   ―― 松平信綱 。甲斐は筆を止めて 、
  眼をあげた 。『 伊豆守信綱 』と彼は
  呟いた 。
   非常な衝動を受けたもののように 、
  甲斐の顔はするどくひき緊り 、双眸は
  前方の一点をみつめて動かなかった 。
  『 ―― 信綱の遺志だな 、発頭人は信
  綱だ 、雅楽頭ではない 』甲斐はそう
  呟いた 。
   彼は筆を置き 、両手を机に突いて 、
  じっと眼をつむった 、そうだ 、と彼
  は思った 。問題は自分たちの考えてい
  たようなものではないかもしれない 。
  涌谷も松山も 、雅楽頭と一ノ関との姻
  戚関係をにらんでいた 。すなわち 、
  兵部の子の東市正(いちのかみ)の許婚
  者が 、雅楽頭の夫人の妹であること 。
  そして 、一ノ関の所領がまだ一万石で
  あったころ 、雅楽頭が『 僅か一万石の
  小大名と縁者になってもつまらない 』
  と云ったこと 、そこから六十二万石を
  分割して 、三十万石を一ノ関に与え 、
  片倉小十郎はじめ誰には何万石をやろ
  う 、という相談ができたものと認めて
  いた 。だがそうではない 、と甲斐は
  心のなかで自分に云った 。雅楽頭とも
  ある人物が 、そんな卑小な理由で 、
  伊達家ほどの大藩に手をつけるわけは
  ない 。理由はほかにある 。もっと根
  づよく 、大きい 、政治的な理由が 。
  そうだ 、と甲斐は頷いた 。
  『 ―― 信綱の遺志だ 、雅楽頭はそ
  の遺志を継いでいるにすぎないし 、
  おそらく老中の人びとも承知している
  ことだろう 』
   甲斐は眼をみひらいた 。机に突いて
  いた手を膝に戻し 、坐り直して 、自
  分の思案を吟味するかのように 、彼
  はかなりながいこと 、息をひそめて
  いた 。   」

 ( ´_ゝ`)

 「 ―― いかなる真実も 、人の口に伝われば必ず
  歪められてしまう 。
   甲斐はつねにそれを戒めて来た 。大藩取潰し
  の策は 、亡き松平信綱から酒井忠清が受け継い
  だものと甲斐はみている 。だが策謀が忠清ひと
  りの胸にあるのか 、または閣老ぜんたいが承認
  しているものか 、という点はまったく推察がつ
  かない 。したがってこの事情がもれた場合 内外
  にどんな騒ぎが起こるかもわからないし 、その
  騒ぎがどういうかたちであらわれるにせよ 、そ
  の結果が幕府を利することは明らかであった 。」

  引用おわり 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 松平 信綱( まつだいら のぶつな )は 、
       江戸時代前期の大名で武蔵国忍藩主 、同
       川越藩藩主 。老中 。官職名入りの 松平
       伊豆守信綱 の呼称で知られる 。」

       以上ウィキ情報 。

       時代小説の読み過ぎか 、時代劇の見過ぎか 、

       筆者には 、松平伊豆守信綱 よりは「 知恵伊豆 」

      の俗称のほうが馴染みがある 。

       老中職を務める徳川幕府の譜代の大名が 、忍 と

      か 、川越 とか 、関宿 とか 、関東地方の 街道筋

      の要所要所を 所領に持つ、どちらかというと小

      大名だったというのが 面白い 。)

 

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井の中の蛙 Long Good-bye 2024・05・22

2024-05-22 05:22:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  主人公 原田甲斐の股肱の臣 中達弥 の 独白 。

  主の命を受け 、名を 四郎 と改め 、幕府

 老中 酒井雅楽頭( この物語のラスボス )の屋敷

 内 、勘定部屋に職を得 、五年の長きにわたり 、

 その内情を探ろうと努め続ける 諜者の青年 。

  五年も経ち 、その間 、身の安全を脅かす事件 、

 波乱のひとつも起こらなれば 、決心も鈍り 、

 迷いが生じるのは 、自然であり 、人情である

 と思う 。

  引用はじめ 。

 「 かれらはみんな 、平常で安穏な生活の中にい
  る 。朝は健康な気分で眼をさまし 、家人が腕  
  をふるった食事をとり 、出仕すれば一日の事務
  に精をだす 、同僚とたのしく茶飲み話しをし 、
  こころよく疲れて帰る 。それから風呂にはいり 、
  子供をあやし 、美味い夕食を喰べて 、知人のと
  ころへ碁将棋をしにゆくか 、妻と二人でゆっくり
  酒にするかする 。寝間は静かで温かく 、眠りは
  さまたげられることもなく深い 。家計が窮屈だと
  か 、少しばかり出世がおくれているとか 、同僚
  とのちょっとした不和 、家族のあいだのつまらな
  い感情のもつれ 、などということのほかに 、た
  いした不満や不平もないだろう 。
   ―― それが生活というものだ 。
   玄四郎はそう思った 。
   世の中の大多数の人たちはそういう生活をしてい
  る 。そしてまた 、そういう人たちの中にはそう
  いう生活に飽きてもっといきいきした 、冒険や刺
  戟のある生きかたを求める者もある 。だが 、そ
  れは安穏で無事な生活の中にいて 、現実の仮借な
  さを知らないからにすぎない 。かれらのすぐ隣り
  にはべつの生活がある 。そこには生きることの不
  安や 、怖れや 、貧困 、病苦 、悲痛や絶望がせ
  めぎあってい 、悔恨や憎悪や復讐などのために 、
  心の灼け爛れるおもいをしている人たちがいる 。
  これらの人たちは 、渇いた者が水を求めるように 、
  静かで平安な生活にあこがれている 。どのように
  ささやかであろうと 、しっかりした根のある 、
  おちついたくらしがしたいのだ 。
   ―― このおれがそうだ 。
   玄四郎は心のなかで云った 。
   ―― おれ自身がその一人だ 。 」

  引用おわり 。

 

 

 

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くびじろ Long Good-bye 2024・05・20

2024-05-20 05:20:00 | Weblog

 

  今日の「お気に入り」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  物語の中で 、「 くびじろ 」と呼ばれる老練 、

 老巧な 大鹿 が 登場し 、主人公の原田甲斐は 、

 飛び道具ではなく 、弓矢と手斧と山刀だけで 、  弓矢も飛び道具?

 山中深く 、この大鹿 を狩ろうとする 。

  その老鹿との対決を前に 、原田甲斐が 、

 ひとり野外に宿泊し 、ごしらえをする場面 。

 今でいうキャンプ飯 。

  引用はじめ 。

  「 薄焼 ( 小麦粉を練って伸ばし 、醤油で
  焼いたもの ) をひと口 、それから焙った
  猪の肉を歯で噛み千切って 、ゆっくり
  と噛み 、乾した杏子の一片で味を添え
  た 。猪の肉は時間をかけて焙るから 、
  脂肪とたれがよく肉にしみこんでいる
  し 、しこしこした薄焼の甘味と 、少
  量の杏子の酸味とで 、噛めば噛むほど 、
  濃厚で複雑な味が 、口いっぱいにひろ
  がるのである 。甲斐はそういう食事を
  好んだ 。それが鹿の焙り肉であれば申
  し分はない 。猪や兎の肉でも悪くはな
  いが 、韮と葱と人参を刻みこんだたれ
  で 、味付けしながら気ながに焙った鹿
  の肉ほど 、甲斐にとってうまいものは
  ない 。それはいつも 、想像するだけ
  で 、口いっぱいになる唾がはしるくら
  いであった 。
   ―― おれは間違って生れた 。
   と甲斐は心のなかで呟いた 。けもの
  を狩り 、樹を伐り 、雪にうもれた山
  の中で 、寝袋にもぐって眠り 、一人
  でこういう食事をする 。そして欲しく
  なれば 、ふじこやなをこのような娘た
  ちを掠って 、藁堆(こうたい)や馬草の
  中で思うままに寝る 。それがおれの望
  みだ 、四千余石の館も要らない 。伊
  達藩宿老の家格も要らない 、自分には
  弓と手斧と山刀と 、寝袋があれば充分
  だ 。
   ―― それがいちばんおれに似合って
  いる 。
   そのほかのものはすべておれに似あわ
  しくない 。甲斐は口の中の物を噛むの
  を忘れ 、ややしばらく 、どこを見る
  ともなく 、ぼんやりと前方を見まもっ
  ていた 。
   彼はやがて首を振り 、『 ああ 』と
  意味のない声をあげ 、そしてまた喰べ
  つづけた 。二枚目の薄焼を取りあげた
  とき 、うしろのほうで 、鹿のなき声
  が聞えた 。   」

  引用おわり 。

  ひとは 、思うようには 、望むようには 、生きられない

 ものらしい 。

 

 

  「 くびじろ 」の角にかかり 、原田甲斐は負傷する 。

  甲斐負傷のことを聞き及んだ 伊達兵部少輔 のコメント

 が 、面白い 。仮に 同じ話しを聞かされたとして 、ラ

 スボスの 酒井雅楽頭 なら 、甲斐への疑心をいよいよ

 募らせるところ 。

  引用はじめ 。

  「『 船岡の話しは面白かった 』
   ―― はあ 。
  『 あの男が鹿の角にかけられたとい
  うのは面白い 、いつもとりすました 、
  煮えたか焼けたかわからないあの男が 、
  ははは 、ばかなやつだ 』
   ―― いかにも 。
  『 ばかな男だ 、こんど会ったら顔を
  見てくれよう 、こともあろうに鹿の
  角にかけられるとは 、ははは 』  」

 引用おわり 。

 

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諸行無常 Long Good-bye 2024・05・18

2024-05-18 05:58:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  引用はじめ 。

  「  ・・・ 甲斐は虎之助の寝顔を 、じっと
  眺めていた 。おまえは仏門にはいるんだ 、
  お坊さんになるんだよ 、と甲斐は心の中
  で云った 。そんな幼い年で 、いちどに
  両親に死なれるという 、悲しみを経験し
  た 、私にはその悲しみがわかるんだ坊 、
  私はおまえより小さいとき 、五つの年に
  父に死なれた 、私には母があったし 、
  所領もあり 、家従もおおぜいいた 、け
  れども 、父のいない淋しさがどんなもの
  か 、いまでもよく覚えている 。
   私は父に死なれただけだが 、おまえと
  宇乃は両親に死なれた 。家もなく 、た
  よる親族もない 。幼いおまえにも 、ど
  んなにこころぼそく 、どんなに悲しいか
  は私にわかる 、と甲斐は心のなかで云っ
  た 。―― けれどもそれで終るのではない 、
  世の中に生きてゆけば 、もっと大きな苦
  しみや 、もっと辛い 、深い悲しみや 、
  絶望を味わわなければならない 。生きる
  ことには 、よろこびもある 。好ましい
  住居 、好ましく着るよろこび 、喰べた
  り飲んだりするよろこび 、人に愛された
  り 、尊敬されたりするよろこび 。――
  また 、自分に才能を認め 、自分の為した
  ことについてのよろこび 、と甲斐はなお
  つづけた 。生きることには 、たしかに
  多くのよろこびがある 。けれども 、あ
  らゆる『 よろこび 』は短い 、それは
  すぐに消え去ってしまう 。それはつか
  のま 、われわれを満足させるが 、驚く
  ほど早く消え去り 、そして 、必ずあと
  に苦しみと 、悔恨をのこす 。
   人は『 つかのまの 』そして頼みがたい
  よろこびの代り 、絶えまのない努力や 、
  苦しみや悲しみを背負い 、それらに耐え
  ながら 、やがて 、すべてが『 空しい 』
  ということに気がつくのだ 。
   出家をするがいい 、坊 。
   と甲斐は心のなかで云った 。生活や人
  間関係の煩わしさをすてて 、信仰にうち
  こむがいい 、仏門にも平安だけがあると
  は思えないが 、信仰にうちこむことがで
  きれば 、おそらく 、たぶん 。

  ( ´_ゝ`)

   甲斐の心の呟きはそこで止まった 。仏
  門にはいり信仰にうちこむことができれ
  ば救いがある 、彼はそう云うつもりで
  あった 。眠っている幼児を 、心のなか
  で慰めようとしたのだ 。誰に聞かれる
  わけでもないのだが 、やはりそう云い
  きることはできなかった 。彼は眉をし
  かめ 、顔をそむけながら立ちあがった 。

  ( ´_ゝ`)

   甲斐は障子をあけて 、廊下へ出た 。
  するとそこに宇乃が佇んでいた 。ずっ
  とそこにそうしていたらしい 、両袖を
  胸に重ねて 、身動きもせずに 、雪の
  舞いしきる庭の 、ひとところを見まも
  っていた 。
  『 なにを見ている 』と甲斐が訊いた 。
  『 あの樅ノ木に 、雪がつもっています 』
  と宇乃が云った 。宇乃はこちらを見ず
  に云った 。甲斐も黙って頷いた 。
   樅ノ木は雪をかぶっていた 。雪はこま
  かく 、かなりな密度で 、鼠色の空から
  殆んどまっすぐに降っていた 。しばらく
  乾いていたために 、地面はもう白く覆
  われ 、庭の樹木や石燈籠なども白くな
  り 、境の土塀の陰も 、雪の反映で 、
  暗いままに寒ざむと青ずんでみえた 。
  『 私は明日 、船岡へ帰る 』と甲斐が
  いった 。  

  引用おわり 。

  話の本筋には かかわりは少ないが 、大人の

 事情に 否応なく巻きこまれて 、その人生に

 齟齬や蹉跌をきたす 、多くの人間が出てく

 る この物語 。明治36年 ( 1903 年 ) 生ま

 れの作家が 、大正 、そして昭和の激動の

 時代に 、自身の体験と 、生の時々

 会った様々な人物の人生模様が 、主人

 の感想として 、織り込まれて 、物語に厚

 みを加えているようだ 。

  

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雨ときどき止む Long Good-bye 2024・05・16

2024-05-16 05:33:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  作家は 、主人公 原田甲斐宗輔 の口をかりて 、

 あくことなき 権力の貪婪さ を 、ずばり 、直截

 に表現しいる 。

  権力は 、自己膨張的なもの 、組織で言えば 、

 構成員個々人の自己保身本能 、自己拡大本

 の 総和 でもあるか 、国 であれ 、会社 であれ 、

 いかなる形の 組織 でも 。

  引用はじめ 。

 《 主人公 原田甲斐宗輔 と 里見十左衛門 ・ 茂庭主水 との会話 》

  「『 権力は貪婪(どんらん)なものだ 』と甲
  斐は答えた 、『 必要があればもとより 、
  たとえ必要がなくとも 、手に入れることが  
  できると思えば容赦なく手に入れる 、権力
  はどんなに肥え太っても 、決して飽きると
  いうことはない 、慶長以来 、幕府がどう
  いうふうに大名を取潰して来たか 、いかに
  無条理で容赦がなかったか 、ということを
  考えてみるがいい 、―― こんどの場合も 、
  酒井侯ひとりの思案ではなく 、首謀者はお
  そらく伊豆守信綱と思われる 、酒井侯は亡
  き伊豆守の遺志を継いだものであろうし 、
  ここでもし伊達家改易に成功すれば 、加賀 、
  薩摩にも手を付ける事に違いない 、少なく
  とも 、二大雄藩の頭を押えるだけの収穫は
  充分にある 、そう思わないか 』
   主水は頭を垂れた 。
  『 それは 、―― 』十左衛門は唾をのみ 、
  見えない眼で甲斐をさぐり見ながら訊いた 、
  『 それは 、原田どのが推察されたという
  ことでしょうな 』
  『 私は事実から眼をそむけないだけだ
  『 しかしそれが単なる推察でないとしたら 、
  どうして早くその事実を告発しなかったの
  ですか 、もっと早くそれを告発していたら 、
  これまでに払われた多くの犠牲は避けられ
  たでしょう 、七十郎とその一族の無残な
  最期も 、避けられたのではありませんか 』
  『 そうかもしれない 、だがそれなら 、ど
  こへどう告発したらいいか 』甲斐は囁くよ
  うな声で叫んだ 、『 どこへだ 、十左衛門 、
  どこの誰へ告発したらいいのだ 』
   これまでに甲斐が 、そんな声でものを云っ
  たことは 、いちどもなかった 。十左衛門は
  ながいあいだ親しく甲斐に接して来たが 、
  そのようにするどい 、そして悲痛な響きの
  こもった声を聞くのは初めてであった 。杖
  を持った手をふるわせながら 、細い首の折
  れるほど 、十左衛門は低く頭を垂れた 。

  『 それは逃れることのできないものですか 』
  と主水が初めて口をきった 、『 なにか逃れ
  る方法はないのですか 』
  『 一つだけある 』
  『 うかがわせて下さい 』
  『 耐え忍び 、耐えぬくことだ 』
  『 なにを 、どう耐えぬくのです 』
  『 一ノ関の手をだ 』    」

  ( ´_ゝ`)

  「『 ―― 意地や面目を立てとおすことはい
  さましい 、人の眼にも壮烈にみえるだろ
  う 、しかし 、侍の本分というものは堪忍
  や辛抱の中にある 、生きられる限り生き
  て御奉公をすることだ 、これは侍に限ら
  ない 、およそ人間の生きかたとはそうい
  うものだ 、いつの世でも 、しんじつ国
  家を支え護立(もりた)てているのは 、こ
  ういう堪忍や辛抱 、―― 人の目につかず
  名もあらわれないところに働いている力な
  のだ 』」

   ( ´_ゝ`)

  「『 どうなるのだ 、周防 』と甲斐は口の中で呼
  びかけた 、『 ―― どうなるのだ 、これから
  どうなってゆくのだ 、周防 、おれは続かない 、
  おれはもう挫(くじ)けてしまいそうだ 』
   おれは独りだ 。頼る者もなし 、相談する者も
  いない 。いまでは涌谷までが重荷になろうとし
  ている 、周防 、おれをこんな事に巻きこんだ
  のはおまえだ 、そして自分は先に死んでしまっ
  た 。涌谷とおまえとおれと 、三人で力を合わ
  せてやる筈だった 。それがいまはおれ一人だ 。
  『 云ってくれ周防 』と甲斐は口の中でまた呼
  びかけた 、『 どうなるのだ 、これからどう
  なってゆくのだ 』
   甲斐はじっと耳をすました 。まるで周防の答
  えを聞こうとするかのように 、―― 甲斐は自
  分が虚脱していることを知った 。なにかたしか
  なもの 、自分を支えてくれる柱のようなものを
  欲しいと思った 。―― けんめいに追いかけて
  いたものが 、追いつけないとわかったときのよ
  うな絶望と 、反対に自分が追われていて 、つ
  いに追いつかれそうになったときのような恐怖
  とが 、前後から同時に緊めつけてくる 。その
  圧迫する力の強大さと 、避けることができない
  という事実の下で 、甲斐はわれ知らず呻き声を
  あげた 。
   そのときまた 、あのほのかな匂いが 、ふんわ
  りと甲斐を包んだ 。それは過去から呼びかける
  声のような 、極めて淡く 、ほのかな 、殆んど
  現実のものではないような匂いであったが 、甲
  斐にはそれがなんであるか 、ようやくわかった
  というようすで 、静かに背をまっすぐにした 。
  『 宇乃か 』と甲斐が云った 。
  『 はい 』宇乃の答える声がした 。
   甲斐はそちらへ振返った 。闇の中にぼうと白く 、
  宇乃の単衣がにじんでみえた 。  」

  ( ´_ゝ`)

  ( 山本周五郎著 「 樅ノ木は残った 」( 全巻パック ) 英高堂出版 刊 所収 )

  引用おわり 。

  現代の世界を見るような物語 。

  学びの多い「 上質な空想娯楽小説 」だと思う 。

 「 面白いものは面白いし 、つまらないものは つまらない 」、

   純文学 であれ 、大衆小説 であれ 、なんであれ 。

 

 

 

 

 

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残る桜も散る桜 Long Good-bye 2024・05・14

2024-05-14 05:14:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章

  引用はじめ 。

  「 人は誰でも 、他人に理解されない
  ものを持っている 。もっとはっきり
  云えば 、人間は 決して他の人間に
  理解されることはないのだ 。親と子 、
  良人と妻 、どんなに親しい友達にで
  も 、―― 人間はつねに独りだ 。」

  ( ´_ゝ`)

  「『 松山は知っている筈だ 』と彼は云っ
  た 、『 私は人の弔問や法要にはゆかな
  い 、人と人とのつきあいは生きている
  あいだのことだ 、死んでしまってから
  いったところで 、―― 』
   こう云って 、甲斐は焚木の一本を折っ
  た 。周防は不満そうに 、『 では葬儀
  にも出ないのか 』と訊いた 。隼人を
  やるつもりだ 、と甲斐は答えた 。」

  ( ´_ゝ`)

  「 甲斐が『 席次争い 』の騒ぎを知っ
  たのは 、矢崎舎人の裁きがあって 、
  十日ほど経ったのちのことであった 。
   それまでにも 、甲斐には辛いこと
  が続いていた 。一昨年(寛文五年)の
  夏 、塩沢丹三郎が毒死し 、去年の
  正月には茂庭周防に死なれた 。周防
  が寝ついていた百余日 、病床をみま
  ったのは 、僅かに三度だった 。そ
  れも二度は他のみまい客といっしょ
  で 、まったく形式的な挨拶しかしな
  かった 。ただいちど 、独りでみま
  ったときも 、ほんの四半刻あまりし
  かいなかったし 、そのときでさえも 、
  深入りをした話しは 、二人ともしな
  かった 。
   ―― 話すことはないな 。
   ―― そう 、話すことはない 。
   二人はお互いの眼でそう頷きあった 。
  たしかに 、口で話しあうことはもう
  なかった 。周防の顔には 、あとの事
  は甲斐が引受けてくれる 、という安心
  の色があり 、甲斐は大丈夫やってくれ
  る 、という信頼感があらわれていた 。
  それを証明するように 、周防はひと言
  だけ 、先へいって済まない 、という
  意味のことを 、微笑しながら云った 。
   ―― なに 、すぐ追いつくさ 。
   と甲斐は答えた 。
   ―― もうみまいに来るには及ばないぞ 。
   ―― そのつもりだ 。
   ―― これが別れだな 。
   ―― これが別れだ 。
   ―― 笑うかもしれないが 。
   と周防が云った 。
   ―― おれがいまいちばん心配している
  のは 、うまく死ねればいいが 、という
  ことだ 。
   ―― 自然のままがいい 。
   と甲斐が云った 。
   ―― うまく死のうとまずく死のうと 、
  死ぬことに変りはないのさ 。
   周防は微笑し 、じっと甲斐の眼をみ
  つめながら 、頷いた 。
   ―― ではこれで 。
   ―― では 、・・・
   それが 、二人の会った 、最後にな
  った 。  」

  引用おわり 。

  散る桜 残る桜も 散る桜 。

  良寛さんの辞世でしたっけ 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:上に引用した最初の文章の英訳を

       ChatGPT さんに頼んだところ 、

      瞬時に次のように翻訳してくれま

      した 。

     「 ChatGPT:

        " Everyone has something that is not understood 
        by others. To put it more clearly, humans will
        never be understood by other humans. Whether 
        it's between parent and child, husband and wife, 
        or even between the closest friends — humans 
        are always alone. "  」

       AIの進化は目覚ましく 、 なかなか

      大変な時代になったものだと実感します 。

      翻訳本を出すハードルが随分下がりましたね 。

       因みに 、「 松山 」「 周防 」は 茂庭

      周防定元 のこと 、 「 甲斐 」は 原田

      甲斐宗輔 のこと 。 )

 

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死してのち已む Long Good-bye 2024・05・12

2024-05-12 06:35:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今 読み進めている

 本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  引用はじめ 。

  《 主人公 原田甲斐宗輔 と 甲斐より三つ若い

  盟友 茂庭周防定元 ( もにわ すおう さだもと )

  の 会話 》

  「『 吉岡はまじめなんだ 』と甲斐は云った 、
  『 奥山大学という人物は 、まじめに藩家の
  おためをおもっている 、自分こそ藩家の柱
  石となる人間だと信じている 』
  『 それは船岡の見かただ 』
  『 まあ聞いてくれ 』甲斐は火桶のふちを撫
  でながら 、いかにも穏やかな調子でつづけた 、
  『 こんどの事では 、一ノ関をべつにして 、
  すべての人がまじめに 、藩家のおためをおも
  っている 、渡辺金兵衛ら三人の暗殺者も一ノ
  関に糸をひかれているとは気がつかず 、心か
  ら藩家のおためと信じて暗殺を決行した 、吉
  岡もそのとおり 、自分ひとりで国の仕置をす
  ることができれば 、必ず藩家を安泰にしてみ
  せる 、そのほかに万全なみちはない 、と確
  信しているんだ 』
  『 私にはそうは思えない 』
  『 彼が一ノ関と手を握りたがっているのは 、
  自分の権勢欲のためではなく 、首席家老に
  なるための方便なのだ 』
  『 それは船岡の思いすごしだ 』
  『 もう少し聞いてくれ 』と甲斐は云った 、
  『 大学という人はそういう人物なのだ 、そ
  して 、一ノ関はそれをよく知っている 、一
  ノ関がそれを知っているところに 、むずか
  しい点があるんだ 』
   周防はじっと甲斐を見た 。
  『 つづめて云えば 』と周防が訊いた 。
  『 暗殺の件についての評定のときに 、私は
  気がついた 』と甲斐は云った 、『 一ノ関は
  家中に紛争を起こさせようとしている 、知っ
  てのとおり 、仙台人は我執が強く 、排他的
  で 、藩家のおためという点でさえ自分の意を
  立てようとする 、綱宗さま隠居のとき 、御
  継嗣入札(いれふだ)のとき 、老臣誓詞のとき 、
  いちどとして意見の一致したことがなかった
   周防は頷いた 。
  『 現にこんど亀千代さま御家督の礼として 、
  将軍家へ献上する金品についても 、老職の
  意見がまちまちで 、いまだに決定しない 』
  と甲斐はつづけた 、『 それも妨害するつも
  りではなく 、それぞれが伊達家のためをお
  もい 、しんじつ忠義のためと信じている 、
  そして 、もし自分の意見がとおらなければ 、
  すぐにも切腹しかねないようなことを云う
  奥山大学などは 、その典型的な一人といっ
  ていいだろう 』
  『 すると 、密訴のことはどうなると思う 』
  『 わからない 』と甲斐は首を振った 、
  『 ただ推察されることは 、一ノ関が吉岡
  を怒らせて 、松山とのあいだに紛争を起こ
  させるだろう 、ということだ 』
  『 率直な意見を云ってくれ 』と周防が云
  った 、『 私はどうしたらいい 、歪曲さ
  れた無根の罪状を 、黙って甘受すべきな
  のか 』
  『 いかに歪曲し牽強付会しても 、無根の
  事実で人間を罰するわけにはいかない 、
  たって係争すれば黒白は明白になる 、し
  かし 、それは一ノ関の思うつぼだ 、国老
  間に紛争が起これば 、一ノ関は後見とし
  て 、幕府老中に採決を乞うだろう 、そう
  は思わないか 』
   周防は眼を伏せた 。
  『 いつか松山の家で 、涌谷さまと三人で
  話した 』と甲斐はつづけた 、『 一ノ関
  には 、伊達六十万石を分割し 、その半ば
  を取ろうという野心がある 、うしろ盾は
  酒井雅楽頭 、―― 家中紛争をもちだせば 、
  雅楽頭の手で必ず老中にとりあげられる 、
  それだけはまちがいなしだ 』
  『 そうだ 、おそらく 、それはたしかだ
  ろう 』

  『 松山は辞職すべきだ 』と甲斐は云った 、
 『 堀普請が終りしだい辞職するがいい 』
 『 すれば吉岡が代るぞ 』
 『 火は燃えきれば消える 』 」

   引用おわり 。

  ながながと引用したが 、筆者の目を惹いたのは 、

 「 知ってのとおり 、仙台人は我執が強く 、排他的
  で 、藩家のおためという点でさえ自分の意を
  立てようとする 」というところ 。

  仙台人に限らず「 我執が強く 排他的 」というのが 、

 多くの ひと の痼疾 。主人公も我執の強さでは 、他

 に引けを取らないが 、ちがうところは 、寛容さ 、

 視野の広さ 、バランス感覚 を 併せ持っていること 。

  作家は 、原田甲斐をしてこう語らせている 。

 《 主人公 原田甲斐宗輔 と 伊東七十郎 の 会話 》

 「『 私はどんなふうにもみない 』と
  甲斐は穏やかに云った 、『 私は憶
  測や疑惑や勝手な想像で 、人をみた
  り商量したりすることはしない 、誰
  に限らず 、なにごとによらず 、私は
  現にあるとおりをみ 、現にある事実
  によってその是非を判断する 、もし
  そんな盟約があるとすれば 、盟約者
  以外には秘してもらさぬ筈だ 、たと
  えそれが七十郎であろうともだ 』
   七十郎はちょっと口をつぐみ 、それ
  から 、さぐるように云った 、『 あ
  なたは松山を非難するんですか 』
  『 私は人を非難したことなどはない 』
  『 ではいまの言葉はどういう意味です 』
  『 わからない男だ 』と甲斐は頭を振った 、
  『 七十郎は長崎までいって 、ねぼけて来
  たようだな 』
  『 云って下さい 、では盟約はどういう
  ことになるんです 』
  『 つまりなかったということだろうね 』
  『 なかった 、ですって 』
  『 当然 、秘すべきことを 、そうたや
  すく人に話すとすれば 、それは秘すべ
  き必要のないことであり 、つづめてい
  えば 、そんな盟約はなかったというこ
  とになるだろう 』
  『 それはまじめですね 』
  『 酔っているのは七十郎だ 』
  『 原田甲斐 ―― か 』と七十郎は鼻を
  鳴らした 。」

 《 主人公 原田甲斐宗輔 の 独白として 》

  「  ―― だがおれは好まない 。
   国のために 、藩のため主人のため 、
  また愛する者のために 、自からすす
  んで死ぬ 、ということは 、侍の道徳
  としてだけつくられたものではなく 、
  人間感情のもっとも純粋な燃焼の一つ
  として存在して来たし 、今後も存在
  することだろう 。―― だがおれは好
  まない 、甲斐はそっと頭を振った 。
   たとえそれに意味があったとしても 、
  できることなら『 死 』は避けるほう
  がいい 。そういう死には犠牲の壮烈さ
  と美しさがあるかもしれないが 、それ
  でもなお 、生きぬいてゆくことには 、
  はるかに及ばないだろう 。  」

  引用終わり 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註 : 小説の中で登場人物は しばしば 地名を冠して 、

       「 ○○どの 」「 ○○さま 」などと呼ばれる 。

       上の文章の中でも 、例えば

       「 吉岡 」:黒川郡吉岡  、館主である 奥山大学

             のこと 、

       「 船岡 」:柴田郡船岡 、原田甲斐宗輔 、

       「 一ノ関 」:磐井郡一ノ関 、伊達兵部少輔宗勝 、

       「 松山 」:志田郡松山 、茂庭周防定元 、

       「 涌谷 」:遠田郡涌谷 、伊達安芸宗重 、

       といった按配である 。

 

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