「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

いかなる星のもとにわれ生れけむ 2005・09・30

2005-09-30 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「  囚われの醜鳥(しこどり)
    罪の、凡胎の子
    鎖は地をひく、闇をひく、
    白日の、空しき呪い……

 昭和初年に死んだ文士葛西善蔵(かさいぜんぞう)は、その弟子の嘉村磯多(かむらいそた)にこう口述した。嘉村は怪しんで凡胎の子とは何かと聞いた。それまで寝そべっていた葛西はガバとはね起きて『凡人の胎内から生れ出た、どこの馬の骨とも分らぬ、おれたち下司下郎のことだ』と言い放った。
 そのとき葛西の双眼には、涙に似たものがあったという。どんな男でも顧みてこの思いをしないものはないだろう。
 私は電車のなかで、若いが少しも美しくない女を見ることがある。若くも美しくもない女を見ることがある。その車輛のなかの女が、全部そうであるのを見ることがある。
 そこへ十人並の女が乗りこんで来ると、ちらとあたりを見てその女はひそかに得意である。けれども次の駅でその女よりもう少し美しい女が乗りこむと、今度はその女が得意である。男たちはもう前の女を見ない。さらに次の駅でもう少し美しい女が乗りこむと――きりがないからやめるが、さっきからそれを見ていた若くも美しくもない女たちの胸中はどんなだろう。
 戦後の子は人はみな平等だと教わって育ったから、器量や才能が平等でないことを認めたがらない。だから『星』と言って騒ぐ。星なら舶来だから信じる。かくて星占いに関心のない女はない。それが男に伝染したのが『天中殺』のたぐいだろう。
 いかなる星のもとにわれ生れけむ――という。この嘆きを嘆かないものはない。それかあらぬか易者の前に立つ男女は跡をたたない。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005・09・29

2005-09-29 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「大人は子供の口まねをするのが常で、古い言葉を残すものではない。やっぱりのことをやっぱと言うのはごく最近の十代の若者にあることだと思っていたら、二十三十代も言う。近く四十代も言うようになるだろう。天下の大勢に従うのである。四十代五十代が見れる出れる、と言って育ったはずがないのに言うのは若者に従わないととり残されやしないかと恐れるからである。または争うのが面倒だからである。」


   (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005・09・28

2005-09-28 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「つぶれた会社のもと社員は、どういうわけか仲好しである。時々同窓会に似たものを開いている。『満鉄』はそのなかの大きなものの随一で、独立した事務所があるくらいである。もと社員は死ぬまで満鉄の社員で、ほかの何ものでもないようである。
 けれどもそこにあるのは『過去』である。四十年ぶりでめぐりあった男は、老人のなかに青年の面ざしをさぐりあて、何度も発した同じ驚きの声を発して久闊を叙すのである。
 改造社の社員も折々は集まっているのだろうか。十年ほど前、改造のつぶれた経緯を書いたパンフレットが出たと聞いて、芝の某ビルまで買いに行ったことがある。改造と満鉄では会社の性質も規模も違うから、そこは独立した事務所ではなくて、もと社員がいま重役をしている某会社の一隅だった。それでも旧社員にとってはよりどころなのだろう。
 つぶれた会社は美化される。だから何かにつけて集まろうとする。経営よろしきを得ないでつぶれた会社なら、社長は責任者だからのけものにされるかというと、必ずしもそうでない。社長が再起してくれれば、いつでもはせ参じるという社員がいる。言っては悪いがそれは有能な社員ではない。つぶれてもう十年になるなら、有能な社員はとうの昔に四散してどこかで活躍中である。いまだに旧社に恋々としているのは有能でないからで、薄情なようだがそれと縁を切らなければ再起はおぼつかないのである。
 けれども縁を切れる人ばかりではない。切れない人もいる。そのダメな人を捨てきれないのは、自分にダメな部分があって、彼我のそれが呼応するからである。ダメのかたまりである私は、そのほうに親しみを感じないわけにはいかない。」


   (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かくの如き新聞にわざわいあれ 2005・09・27

2005-09-27 06:06:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「 戦前毎日新聞ニューヨーク特派員に福本という特派員がいたと、同じ新聞社の林三郎氏が回顧していた。

   福本氏は日米は戦ってはならぬと、アメリカの軍事力生産力士気以下あらゆる情報を原稿にして本社に送った

  という。けれどもそれらはすべて没書になった。そのころ日本の新聞はドイツ礼賛の紙面ばかりつくっていた。

  ヒットラー・ユーゲントの眼は澄んでいたというような記事に満ちていた。 

  全体主義国の少年は一つことしか教わっていないから、その眼は澄んでいるにきまっている。今はすこし濁った

  かもしれないが、紅衛兵の少年の眼も澄んでいたはずである。上役は日独防共協定を結べという紙面をつくりた

  いのに、それに水をさすような原稿を送ってくるとはどうかしている、没書にすれば送ってこないだろうと思っ

  たのにまだ送ってくるとは理解に苦しむと怒る。当時のナチス礼賛の紙面は当局に強いられてつくったのではな

  い。社をあげて進んでつくったのである。福本特派員の記事はのせようと思えば、まだのせられた時期なのに

  のせなかったのである。

   ただし福本氏が打電しつづけたのは稀な例外だと私は思う。こういう人物が各界に何十人何百人いたら、ある

  いは戦争は避けられたかもしれない。それにしてもえらい特派員だと思うのは今の考えで、当時はだれもそうは

  思わなかった。むしろニューヨークの同僚はやめろと忠告したのではないかと思われる。どうせ没書になる原稿

  なら送るな、上役の機嫌を損じて左遷されるのがおちだぞ。

   原稿というものは掲載されることを欲する。今も昔もこれが鉄則である。その代表的なのが投書である。いま

  新聞は核持ちこみに驚いているが、いかにもわざとらしい。あんなことはとうの昔日本人の大半は知っている。

  ライシャワー発言の記事の大きさには驚いても、その内容に驚いたものはないはずである。けれども新聞が驚い

  てみせれば投書家は驚く。非核三原則を堅持すべしと新聞が大々的に書けば、おうむ返しに堅持すべしという投

  書が集まる。投書は掲載されることを欲するから、これは集まったのではなく集めたのだと私は思うが新聞は思

  わない。集まったのだと思うのは、思いたいからである。

   新聞の特派員と投書家は、その書いたものが掲載されることを望むことにかけて同じである。小説家も評論家

  も同じである。プロはそれで衣食するものだからなおさらである。新聞が気にいらないことなら決して書かない。

  何が気にいるかさき回りして書く。それが書けないでどうしてプロだろう。

   これで当時のまた今の新聞がひとたび何かに一辺倒になると、朝日毎日読売をあげてなるわけが分っただろう。

   バスに乗り遅れるなと昔は互にいましめた。」



  「 鈴木商店の名は米騒動と共に歴史に残っている。商店なんていうと小売店のようだが、明治十年三井三菱の

   あとから登場して、大正年間には両者を凌いだ商社である。それが米を買い占めたと新聞に書かれて大正七年

   八月十二日焼打された。鈴木商店の主人鈴木岩治郎は明治二十七年になくなって、未亡人鈴木ヨネがながく主

   人だった。店は金子直吉という番頭が取りしきっている。鈴木を大きくしたのもつぶしたのもこの金子直吉だ

   から、鈴木商店といえば金子直吉とその名は今でもとどろいている。」


  「 鈴木商店が米を買占めたというのは事実無根である。それは城山三郎が証拠をあげて当時の大阪朝日新聞の

   記事の一つ一つを論破している。私はそれを信じるが世間は信じない、というよりもう関心をもたない。

   米騒動といえば富山の女房一揆、神戸の焼打、焼打といえば鈴木商店、鈴木といえば買占めときまった定評を

   くつがえすことはできない。鈴木商店は焼打事件で大きくつまずき、昭和二年の恐慌でつぶれた。」


  「 私が簡単に金子の無実を信じるのは、今も昔も新聞は誤るからである。誤っても訂正しないからである。訂正

   しても豆粒大なら誰の目にもとまらないからである。人を善玉と悪玉に分けるからである。鈴木商店は悪玉に

   されたのである。

    何年か前のトイレットペーパー、洗剤騒ぎならご記憶だろう。主婦連はスーパーや問屋にのりこんで、ほら

   こんなにかくしている出せと迫った。新聞はそれに味方して書いた。だれがトイレットペーパーなんか買占め

   るだろう。バカバカしいとは書かなかった。ケタは違うが似た例で、鈴木が米を買占めたという噂はあったの

   だから、風評があると書くのはうそではない。」


   (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核家族 2005・09・26

2005-09-26 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「去年(五十四年)一月大阪の銀行であった猟銃強盗事件のことは『太陽』に書いた。テレビラジオは猟銃とライフル銃

 の区別を言わなかった。拳銃もライフル銃の一種で一弾ずつ発射する。猟銃の弾は散弾で、一発のなかに何十何百の小さな

 散弾がはいっていて、五十メートル以内の近距離から撃つと、直径三十センチ大の弾幕ができて、それに当るといちどきに

 身に何十粒もくいこむ勘定で、それを言わなければどうして何十発なのか茶の間の主婦には分らない。

  この事件の犯人梅川は奪った金で借金を返している。してみれば借りたものは返さなければならぬと思っている律義な男だ

 ということが分る。机のかげでひそかにダイヤルを回して何人かの友に電話をかけている。友というのはスナックのマスター

 と、そこへ出はいりする麻雀仲間で、これで彼は手帳を持参していたことが分る、それには麻雀仲間の電話番号がこまごま書

 いてあったことが分る。このごに及んで彼は別れを告げる友を一人も持たなかったことが分る。スナックの友が友だろうか。

 思いもかけぬ梅川から電話をもらったマスターは声をのんだ。『ま、がんばってしっかりやれや』と犯人に言われても返す

 言葉がない。

  梅川は四国の母親を訪ねると、マスターに土産を持ち帰ったそうで、私たちは戦後数多くの習慣を失ったが、旅をしたら

 必ず土産を持って帰るというこの習慣だけは失わないと改めて痛感するのである。

  私がここで言いたいのは、この犯人は私たちと酷似しているということで、大会社の社員だって定年でやめれば一度は

 会社を訪ねることは許されても、二度と訪ねることは許されない。互にあわせる顔もなし、言うべき言葉もないから、本当は

 一度も訪ねないのが礼儀なのである。そして五年たち十年たつと会社は全く彼を忘れるが、彼は忘れない。けれども電話を

 かける相手はなく、死んでも知らせる人がなく、知らせても来る人がない。

  日商岩井の島田という重役はおびただしい遺書を遺したが内容はなかった。彼は電話をかける相手がなかった。並の会社員

 は以前は定年でやめても、帰って安住できる家族を持っていたが今は持たない。成人した子供たちは去って久しくなる。だし

 ぬけだが、私たちが核家族を選んだのは重大な選択だったのではあるまいか。



   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)




  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

治まる御代 2005・09・25

2005-09-25 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集「恋に似たもの」の中の

 「グリーン・カード」と題した昭和55年12月初出のコラムから。

 「国民の所得を全部把握したいというのは税吏の夢である。税務署にはよかろうが国民にはよくない。息ぐるしく耐えられ

 ないことである。税吏というものは木を見て森を見ない。それをチェックする機関がないからこんな愚かな夢(*)が実現され

 るのである。」

 「税吏は税金が公平に洩れなくとれるのが理想だと思う。それが正義だ公平だと思う。けれども納税者はそうは思わない。

 いくらかでも免れたい。治まる御代というのは免れられる御代だと思っている。

  たとえば旧幕のころ取立てがきびしい代官は悪い代官だった。四公六民ならその通り取る。殿様にはいいかもしれないが、

 百姓にはよくない。百姓は純朴だということになっているが、現代の百姓が純朴でないのにどうして当時の百姓が純朴だろう。

 いつの時代でも百姓はずるいものである。百姓がずるいというより人間はずるいものなのである。その百姓の代表である庄屋

 は今年は不作だと泣きごとを言って、いくらかでも年貢を負けさせようとする。それは自分のためでもあり、村の衆のためで

 もあるから必ずしも悪いとばかりはいえない。だからよい代官は豊作のときでも余分にとろうとしない。

  新田といって百姓が荒地を耕して農地にしてそこから収穫があっても、よい代官は知らん顔をしている。そこからも年貢を

 とるのは悪い代官である。新田から年貢をとれば殿様は喜ぶだろうが百姓は恨むだろう。ばかりか今後とも新田を開発する欲

 を失うだろうから、見て見ぬふりをするのがいい代官で、殿様のため今なら天下国家のため取立てるのは悪い代官なのである。

 表高五万石だが実は六万三千石だというような大名がままあるのはこのせいだろうと私は思っている。

  これを目こぼしという。百姓は見て見ぬふりをしてくれる代官には賄賂をおくりたいが、おくれば汚職になるから盆暮の

 おつかいものを過分に持って行く。盆暮の進物ならたといそれが少し多くても賄賂ではない。故に中元歳暮の進物というのは

 日本人の知恵だと思う。いまだにすたらないのはこのせいである。

  代官だって盆暮ならとりいい。とっても俯仰天地に愧じない。殿様も新田が開発されれば結局はトクである。かくて治まる

 御代というのは目こぼしがある御代である。社会主義国にはそれがない。ソ連は革命して六十年になるというのにいまだに

 饑饉がある。農産物はお天気に左右される。わが国では左右されない。ずいぶん冷害や干害があって、昔なら凶作であり饑饉

 であるだろう年でも、今はそのことがない。ソ連では『自由畠』といって、そこで作ったものは高く売れる畠があるそうで、

 それを許したら百姓は勇んでいいじゃが薯をいい玉葱をつくって高く売って満足しているそうである。

  くだくだしくは言わない。人は欲と道づれなのである。いいものを作って高く売りたいのである。よくも悪くも同じ値段なら、

 だれもいいものを作らないのである。すなわち生産は低下するのである。

  社会主義は公平で正義で、正義は人の欲するところだというがうそである。」

 「税吏は正義であり公平のつもりだろうが、金というものはそもそも正義でも公平でもないものである。金には人目をしのぶ

 性質がある。まがまがしい性質がある。俗に不浄というではないか。いま金が郵便局へ流れるのはその性質のせいで、もし

 グリーン・カードが行われたら金はカードからのがれようとするだろう。」


   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)

    (*)筆者注:グリーン・カード導入の発想のこと

  そう言えば、グリーン・カードなんてものがありました。すっかり忘れていましたが、今でも夢を忘れかねているみつぎとり

 の人たちがいるんでしょうね。

  唐突ながら、このコラムが書かれたころには、共産主義、社会主義を身をもって体現する「ソ連」やその衛星国があって、

 社会経済体制の内部矛盾の故にことごとく崩壊の途を辿ったことは記憶に新しいところです。共産党一党独裁のプロレタリ

 アート国家が未だ残って頑張っているというひともいるようですが、看板は同じようでも、とっくに宗旨変えして、官僚主導・

 現実容認型の社会経済体制に変化をとげているのです。





 20年後の2025年には、税吏念願の「グリーンカード」はきっと実現していることでしょう。2025年を待つこともなく、とっくのとうに「別の名前」で世間に出回ってましたっけ、か。


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一茶 2005・09・24

2005-09-24 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、小林一茶(1763-1827)の数多ある句の中からいくつか。


   「あの月を取つてくれろと泣く子かな」

   「ふしぎ也生た家でけふの月」

   「名月をとつてくれろとなく子哉」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福沢諭吉の遺訓 2005・09・23

2005-09-23 06:06:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から昨日と同じテーマで。これも大のお気に入り。

 「むかし税金はわが国では殿様が、西洋では王様がとった。四公六民といって官が四を民が六をとることになっていたが、実際は

 そんなにとらなかった。百姓は秘術をつくしてごまかした。それを見て見ないふりをするのがいい代官だった。知らないのでは

 ない。知って知らぬふりをするのである。いつの世にも目こぼしというものがあって、目こぼしをしない役人は悪い役人である。

 ギリシャローマの昔から、税金をとりすぎると、社会はその重みにたえかねて崩壊した。その限度はいくらだか知らない。まあ

 五割だろう。五公五民を原則とする藩もあったが、励行できなかった。励行すると百姓は一揆をおこした。なかには将軍に直訴

 するものがあった。直訴すると苛斂誅求していることが表沙汰になって、自分たちもしているくせに、その藩はお咎めをうけた

 から、結局は四公六民あたりにおちついた。西洋では革命をおこした。

  いま税金をとるのは王様ではない。ゆりかごから墓場まで世話しろというのは、国民である。義務教育だから月謝はただ、

 教科書もただ、年をとったら乗物もただ、医者もただ、しまいにはただで老後の世話をせよと言って、国は次第にそれに応じる

 ようになる。結局それだけ税金はふえる。もしそれを給料からさし引くなら、五十万は二十五万に、三十万は十五万になる。

 すなわち五割で、五割とられれば国民は目がさめるかと思うとさめない。少なくともさめない国民が沢山いて、さめた少数は困る。

  昔は悪いのは殿様か王様だったから、彼らを倒せばよかったが、今は悪いのは自分自身だから、どこへも尻のもって行きどころ

 がない。それに私たちは悪いのは他人だと思う訓練なら受けているが、悪いのは自分だと思う訓練なら受けてない。そう思うこと

 をほとんど禁じられている。

  福沢諭吉の遺訓に、一、世の中で一番楽しく立派な事は生涯を貫く仕事をもつ事。一、世の中で一番みじめな事は人間として

 教養のない事。一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事。一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事

 一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事。一、世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事。

 一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事――という七条がある。

  本当のことをいうと、福沢全集のどこにもこの言葉はないそうである。弟子のひとりがほうぼうから拾い集めて七条にしたの

 ではないかといわれている。私はこのなかで、一番みにくいのは他人の生活をうらやむ事だという一条が気にいっている。この

 一条を紹介したいために全部を写したようなものである。

  民主主義というものは嫉妬心を開放して正当化すと、私が言っても信じないだろうから、諭吉の言葉を借りたのである。以前は

 人が恥じたねたみとやきもちが、正義になるのだから、こんな嬉しいことはない。

  以前私はデノミをすすめたことがある。千万だの億だのというから羨望にたえないのである。千万円を千円、一億円を一万円に

 すればそんなに腹はたたないだろう。私は個人の運命の責任は個人にあって、国にないと思っている。これも私の言葉ではない。

 プロテスタントの言葉で、今は時流にさからう言葉で、故に私の好きな言葉である。」

   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世の中はやきもちで動いている 2005・09・22

2005-09-22 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「この世の中はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。」

 「利息に課税してはいけないと、私は論じたことがある。預金はあらゆる税金を払って残ったカスである。あるいは宝である。

 それを定期にして生ずる利息は零細である。さらにそれに課税すれば、二重三重に課税したことになる。課税するのは銀行では

 ない。国だと銀行は言うかもしれないが、銀行が熱心に抵抗したと聞かないから銀行と国は一つ穴のムジナである。

  定期預金できるものは持てるもの、持てるものから奪っていいと思うのは嫉妬である。わが国の税制は国民の嫉妬心に便乗し

 て、とうとう私たちの住宅をウサギ小屋といわれるまでにしたのである。」

 「税金なんて一割ぐらいがいいのである。その代り世話にならなければいいのである。失業したら、毎日自分でかけずり回る。

 貧乏したら親戚知人に助けてもらう。老後は子供と共に住む。死水は子供にとってもらう。養老院へははいらない。親子は互に

 助けあう。助けなければ、親不孝と言って世間が爪はじきする。個人がするのではないから、それには力がある。すこしばかり

 の病気なら、医者にかからない。安静にして治す。怪しやそれで治るのである。治らなければ死ぬ。人生五十といって、四十

 五十で死ぬから、惜しんでくれるのである。医者は午前宅診午後往診といって、午前中四、五人の患者をみて、散薬と水薬を

 与えると、どういうわけかそれがよく効くのである。午後からは、これも二、三の患家を回ってそれでおしまいで、結構食べて

 いかれるのである。そのかわり長者番付に出ることはない。絶対にない。

  国は何もしてくれない。してくれないから税金をとらない。そして橋の下には乞食がいる。本当のことをいうと、私は乞食は

 いたほうがいいと思っている。貧乏はあったほうがいいと思っている。」


   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)

 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川賞と直木賞 2005・09・21

2005-09-21 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「むかし芥川龍之介は勲章を馬鹿にして、あの名高い『侏儒の言葉』のなかに書いた。

  軍人は小児に近いものである。……この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似てゐる。緋縅の鎧や鍬形の兜は

 成人の趣味にかなつた者ではない。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔はずに、勲章を下げて歩

 かれるのであらう?

  芥川は昭和二年数え年三十六で死んだ。今から五十二年前である。当時の文士は社会的には全く認められていなかった。

 若きは不良少年、壮なるは破落戸(ごろつき)とみられていた。文士に勲章が授与される見込は絶無だった。漱石に博士号を

 くれようとしたのは、漱石が一高や帝大の教師の経歴があったからである。鷗外が尊敬されたのは軍医の親玉だったからで

 ある。文士で無位無冠だったら誰も相手にしなかっただろう。

  芥川の友である菊池寛はそれを遺憾として、文士の社会的地位をあげようとして、自分が国会議員になろうとした。当時

 は代議士になれば尊敬してくれたのである。また菊池は若くして死んだ芥川龍之介と直木三十五の名を冠した賞を設けて、

 新聞記者を招いて、辞を低くして記事にしてくれるように頼んだ。第一回の賞だから少しでも大きく書いてくれとたのんだ

 のに、新聞は意地悪して書かなかった。

  芥川、直木の両賞は文藝春秋社のもので、公私をいうなら私事である。公器である大新聞が、一雑誌社の宣伝になる記事

 が書けようかと一行も書かなかったのである。

  新聞が芥川賞を記事にするようになったのは、昭和三十年第三十四回『太陽の季節』(石原慎太郎)以来のことである。

 それからというもの一雑誌社の私事であることを忘れて、大騒ぎするようになったことはご存じの通りである。

  太宰治はこの賞の第一回(昭和十年)の選にもれて、次回にはぜひ当選させてくれと審査員に頼んだ。おがみます頼み

 ます一生恩に着ますと佐藤春夫に頼んだと佐藤自身が書いている。川端康成にも頼んだと、近ごろその手紙が公表された。

  第一回から第三十三回までの芥川賞は、もらったところで新聞が騒いでくれるわけではなし、原稿料があがるわけでは

 なし、世間が名士とみてくれるわけでもないのに、太宰がこんなにほしがったのは彼が異常なのではない。

  その見込が生じると、人は一変するのである。見込がなければほしがらないが、見込が生じればほしがるのである。

 ほとんど実利がない賞をほしがるのは、太宰がいやしいせいかというと、そうでないのである。もし彼がいやしいなら、

 人はみないやしいのである。太宰とちがって多くの人は、おがみます頼みますと、ただ口にだして言わないだけである。

 出来たばかりの芥川賞や直木賞を、どうしてそんなにほしがるのかけげんに思うのは、想像力がないのである。かりに

 自分をその業界においてみれば、すぐ分ることである。

  絵かきは芸術院会員になりたがる。文化勲章をもらいたがる。文士はそれを笑う。芥川龍之介のように笑う。文士は

 芸術院会員なんかになれっこないと思っていたからである。昭和十二年幸田文さんは電光ニュースで、コウダロハンと

 一字ずつ読んで、てっきり父が死んだと思ったという。それでなければ露伴の名が電光ニュースに出るわけがないと思

 っていたからである。それが芸術院会員だったか文化勲章だったかを受章したニュースだと知るまでは時間がかかった

という。

  芸術院会員になるのは絵かきに限ると文士は思っていた。それが文士もなれると分ったら、なりたくてたまらない人

 が出てきた。絵かきは会員になると、これまで号当り○万円という絵の相場が一躍して高くなる。高くなるからなりた

 がる。絵かきは暮夜ひそかに審査員の自宅を訪ね、何十万何百万の金を置いて、よろしくたのむという。それだけの金

 をつかっても引きあうのだという。

  文士は会員になってもにわかに小説がうまくなるわけではなし、原稿料があがるわけではないから、手土産の底に

 現金をひそませて審査員宅を訪れるとはまだ聞かない。

  それでもなりたいのは同じことで、賞というものは魔ものなのである。そしてそれは『八百長』なのである。それ

 を非難する人があるが、授賞も人間のすることだから仕方がないのである。」

   (山本夏彦著「来いに似たもの」文春文庫 所収)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする