市居嗣治の「今日のお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

古人いふ無事是れ貴人 2007・10・31

2007-10-31 09:05:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、河上肇さん(1879-1946)の「老後無事」と題した詩一篇。

  たとひ力は乏しくも
  出し切つたと思ふこゝろの安けさよ。
  捨て果てし身の
  なほもいのちのあるまゝに、
  飢ゑ来ればすなはち食ひ、
  渇き来ればすなはち飲み、
  疲れ去ればすなはち眠る。
  古人いふ無事是れ貴人。
  羨む人は世になくも、
  われはひとりわれを羨む。
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2007・10・30

2007-10-30 08:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、岸田衿子さん(1929-)の詩集「あかるい日の歌」の中から「一生おなじ歌を歌い続けるのは」と題した詩一篇。

  一生おなじ歌を 歌い続けるのは
  だいじなことです むずかしいことです
  あの季節がやってくるたびに
  おなじ歌しかうたわない 鳥のように 
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2007・10・29

2007-10-29 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、岸田衿子さん(1929-)の詩集「あかるい日の歌」の中から「くるあさごとに」と題した詩一篇。

  くるあさごとに
  くるくるしごと
  くるまはぐるま
  くるわばくるえ

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2007・10・28

2007-10-28 07:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、茨木のり子さん(1926-2006)の「わたしが一番きれいだったとき」と題した詩一篇。

  わたしが一番きれいだったとき
  街々はがらがら崩れていって
  とんでもないところから
  青空なんかが見えたりした

  わたしが一番きれいだったとき
  まわりの人達が沢山死んだ
  工場で 海で 名もない島で
  わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

  わたしが一番きれいだったとき
  だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
  男たちは挙手の礼しか知らなくて
  きれいな眼差だけを残し皆発っていった

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの頭はからっぽで
  わたしの心はかたくなで
  手足ばかりが栗色に光った

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの国は戦争で負けた
  そんな馬鹿なことってあるものか
  ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

  わたしが一番きれいだったとき
  ラジオからはジャズが溢れた
  禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
  わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしはとてもふしあわせ
  わたしはとてもとんちんかん
  わたしはめっぽうさびしかった

  だから決めた できれば長生きすることに
  年とってから凄く美しい絵を描いた
  フランスのルオー爺さんのように
                    ね

  (思潮社刊「茨木のり子詩集」現代詩文庫 所収)
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旅 2007・10・27

2007-10-27 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「旅は記憶のためにするものではない。思い出のためにするものではない。記憶と思い出は勝手に残るもので、残そうと心がけるものではない。
 それなのに、残らないことを恐れる。写真にとって痕跡を残し、残っているから記憶していると思いたがる。
 痕跡至上主義は、カメラの普及によって生れた。海外旅行するものは、写真をとるのに追われている。せっかくヨーロッパに来たのである。忘れては残念だと、ぱちぱちうつしてばかりいる。
 カメラを捨て、肉眼で見て、忘れるものは忘れるがいい。いくら名所古跡だろうと、縁がなければ忘れる。残ったものが自分の旅である。
 古人はそうして旅をした。古人の心を心とせよ、カメラの目で見て、自分の目で見ないのは、何よりもったいないし、みっともないからよせ、と何度書いても聞かないだろう。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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2007・10・26

2007-10-26 08:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「父母よ友よ笑え」と題した小文です。

 「ある晩、私は泣いてみた。もうなん十年も泣かないから、泣き方を忘れていはしまいかと、はじめ私は危ぶんで、ひとり声をしのんで泣いてみた。やがて思い出して、高く低く、次第に真に迫って泣いた。そしたら、あとからあとから涙がわいて出て、さっぱりした。
――秋の祭に、片思いの恋人の家に招かれて、(と、嘉村礒多は書いた)、瀬戸の火鉢のふちをかかえて立つと、手からすべり落ち、灰やおきが畳いっぱいにちらばった時の面目なさが、あらたに思い出されては、あるに堪えなく、この五体が筒の中で搗(つ)きくだかれて消えたかった。『あッ、あッ』と、私は奇妙な叫び声を発して下腹をおさえた。両手の十本の指を宙にひろげて机の前であばれ騒いだ、云々。
 嘉村礒多は、己が恥辱を筆舌に尽した作者である。尽さないで、たいていの人は数々の恥ずべき思い出をかくし持っている。だから私はためしに泣いて、その数々を洗い流してみたのである。屈辱の思い出を一つも持たないまま死のうとは図々しい。ところが昨今の親は、子にそれを持たせまいとする。
 すなわち、親子の仲でも、親は子を笑ってはならぬと禁じる。笑うと子の心に深い傷を残すからだそうだ。
 けれども世の中には笑われておぼえることが多いのである。親が子を笑うのだから、そこに悪意はない。思わず笑って、なに悪かろう。これしきのことに傷つくなら、世間へ出たら、どんなに傷つくか知れはしない。そのための準備にも、笑われておいたほうがいい。ところが親は、せめて家にいる間だけでもと、ほとんど無菌状態で育てたがる。
 昔はこれをお乳母(んば)日傘といった。金持のひとりっ子だけにあったことで、おんば日傘で育った子は、ろくなものにならなかった。唐様で書く三代目に終るのが常だった。
 私の知人のひとりに、雪乃丞変化のことを、雪乃丞変カというのがいる。変カじゃあるまい、変ゲだろうと、三十すぎてはもう誰も言ってくれない。私も言わない。
 それを言ってくれるのは、せいぜい中学生までである。親でさえ笑っていけないのだから、友が友を笑ってはなおいけないと、今の中学生は教えられ、それに従って笑わぬとみえ、変カはふえるばかりである。いずれ、日本中変カだらけになって、変ゲは間違いになろう。
 ある日偶然、実はあれは変ゲだったと知ったら、彼は本式に傷つくかもしれない。それを恥辱だと思ったら、とてもあるに堪えないだろう。どうして親が、友が笑ってくれなかったかと、さか恨みするかもしれない。
 しないかも知れない。どうせこのとしまで気がつかないくらいだから、死ぬまで気がつかないかもしれないし、気がついても恥辱に思わないかもしれない。
 人はすべて同じ個所で怒りはしない。また喜びはしない。だから、恥辱に思う個所も、人さまざまである。火鉢をとり落したのを、終生の恨事(こんじ)としない人もあろう。けれども、他を恨事とするから同じことである。
 実を言えば、人が傷つかないところで傷つくのは、才能の一種なのである。だから、どこでも、なんにも傷つかないのは、俗物というより人外の魔物なのである。
 金とひまにあかして、わが子を魔物に仕立てようとしても、それは出来ない相談である。どんな凡夫も傷つく。どこかであるに堪えない思いをする。
 それはいくら防いでも、防ぎきれないことである。保護して及ばないことである。それなら父母よ友よ、遠慮なく笑うがいい。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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2007・10・25

2007-10-25 06:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「新聞雑誌にあらわれる文章は、すべて商品である。新聞雑誌にたのまれて書く人は、原稿料をもらう。故に印刷された言論は、売買された言論である。
 文士や評論家は、文を売って衣食する商売人で、玄人である。玄人なら素人よりうまいにきまっている。素人が、ただでもいいから載せてくれと頼んでも、新聞雑誌は載せない。
 文章は売買されて久しくなる。我々は商品でない字句を、読む機会をほとんど持たない。文士や評論家の修業は、売れる文章を書く修業で、ほかに文化人、各界名士があって、彼らもしばしばジャーナリズムに登場する。
 ジャーナリズムと彼らの関係は、主従に似ている。雇用なら月給をくれるが、くれないで、必要に応じて書かせ、その分にかぎって支払う。
 したがって、彼らの言論は、ジャーナリズムの気にいるものでなければならない。歯に衣(きぬ)着せぬ言論は、家来の口からは出ないものである。金品をもらって、それで衣食して、くれた相手を存分に論ずることはできない。だから、ついこの間まで、文章を売ることは、文をひさぐ(売文)といって、春をひさぐ(売春)と共に恥辱だった。文章は本来志(こころざし)を述べるもので、志なら売買するものではない。
 何によらず、大きなものなら、悪いものだと私は再三書いた。大新聞、大企業、大銀行――およそ『大』と名のつくほどのものなら、悪いにきまった存在だと書いた。その証拠を示せ、といわれても困る。このひと言で分らない人には、いくら証拠をあげても分らないからである。
 文章というものには、右のような性質がある。分る人にはひと言で分るが、分らぬ人には千万言を費やしても分らない。
 同様に私は、大ぜいの言うことなら、眉つばものだと言った。大ぜいが流す涙ならそら涙で、大ぜいが笑うことなら、おかしくないと言った。
 けれども、大ぜいが怒る怒りを、うそいつわりだと論ずることは危険である。ほとんど禁じられている。俗に世論といって、世論は一世をおおうもので、これにさからうのはタブーである。
 言論というものは、大ぜいの言うことを疑うことから発するものだと私は思っている。売買された言論なら、疑わないほうがどうかしている。文はうそなり、と私は思っている。文は人なりと言うが、それは同時にうそなのである。
 新聞雑誌、および電波にのる言葉は、すべてその道の玄人のもので、多年錬磨して一人前と認められたものである。
 私は文章に修業は不要だと言うものではない。それどころか、売文にさえ修業がいるなら、これを論破するには、それ以上の修業がいると思うものである。
 異端を述べる言論は、二重の構造になっていなければならない。すなわち、一見世論に従っているように見せて、読み終ると何やら妙で、あとで『ははあ』と分る人には分るように、正体をかくしていなければならない。いなければ、第一載せてくれない。
 異端を正論だと信じるなら、自費出版、あるいはひとり街頭で弁ずる道もあるではないかと大衆は言うが、それは書生論で、怪文書で、それらを最も信じないのが大衆である。
 かくて権威ある言論は、権威あるジャーナリズムの上にしかない。したがって、私は正体をかくして、あとで分るように言わなければならない。それは理想で、理想だから、めったに成就することはない。げんに私はいま字々激越、うちなるものを包みかね、ほとんど正体を丸だしにしている。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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2007・10・24

2007-10-24 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「戦後は子供が何ごとにも『なぜ』と問うのをいいことだと喜ぶ大人がふえた。したがって、ホーム・ルームでしきりに『なぜ』を連発する子供がふえた。
『なぜおじぎをしなければいけないのだろう、尊敬してもいない人に』『なぜ廊下を走るなと言うのだろう、急ぐときもあるのに』『なぜ作文を書かせるのだろう、口で言えばすむことを』『なぜ掃除なんかさせるのだろう、専門の業者にやらせればいいのに』
 なぜと問われても説明できることとできないことがある。なぜ挨拶をしなければならないかと問われて、イギリス人を見よ、フランス人を見よ、世界ひろしといえども挨拶しない国民はないと、もし答えることができても、答えてはいけないのである。
 子供をしつけるには理屈を言ってはならない。挨拶せよときびしく命じ、もし挨拶しなければ罰するがいい、と私が言っても信じないなら、ヘーゲルが言っている。一度理由を言うと、そのつど子供は理由を求め、理由が得られないと承知しなくなるからである。
 理由なんかそのつど言えるものではない。この世の中のことは九割以上旧慣によって行われている。故に『作文の時間だ、書け』と教師は命じればいいのである。なぜ書かなければならないか問うものはなし、もしあっても答えるには及ばないのである。先生が子供たちに意見を言わせ、それをディスカッションと称して聞くふりをするのは悪い冗談である。意見というものは、ひと通りの経験と常識と才能の上に生じるもので、それらがほとんどない子供には生じない。新入社員にも生じない。そもそも作文が書きたくないから思いついていう言葉は意見ではない。子供は子供なりに身勝手なことを思いつく。それは自分たちに好都合なことだから全員の賛成を得て、多数決だと言いはることがある。こうなってから論破することは教師にも困難である。
 未熟な子供が発するなぜは、そもそもなぜではない。これらすべてを承知した上で、なお釈然としないなぜが本当のなぜである。早くなぜを連発した子供は、大人になって本当のなぜを発することがない。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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ぎらりと光るダイヤのような日 2007・10・23

2007-10-23 07:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、茨木のり子さん(1926-2006)の「ぎらりと光るダイヤのような日」と題した詩一篇。

  短い生涯
  とてもとても短い生涯
  六十年か七十年の

  お百姓はどれほど田植えをするのだろう
  コックはパイをどれ位焼くのだろう
  教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

  子供たちは地球の住人になるために
  文法や算数や魚の生態なんかを
  しこたまつめこまれる

  それから品種の改良や
  りふじんな権力との闘いや
  不正な裁判の攻撃や
  泣きたいような雑用や
  ばかな戦争の後始末をして
  研究や精進や結婚などがあって
  小さな赤ん坊が生まれたりすると
  考えたりもっと違った自分になりたい
  欲望などはもはや贅沢品になってしまう

  世界に別れを告げる日に
  ひとは一生をふりかえって
  じぶんが本当に生きた日が
  あまりにすくなかったことに驚くだろう

  指折り数えるほどしかない
  その日々の中の一つには
  恋人との最初の一瞥の
  するどい閃光などもまじっているだろう

  <本当に生きた日>は人によって
  たしかに違う
  ぎらりと光るダイヤのような日は
  銃殺の朝であったり
  アトリエの夜であったり
  果樹園のまひるであったり
  未明のスクラムであったりするのだ 


  (思潮社刊「茨木のり子詩集」現代詩文庫 所収)
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抜く 2007・10・22

2007-10-22 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、茨木のり子さん(1926-2006)の「抜く」と題した詩一篇。

  抜いたと感じる瞬間がある
  抜こうと思っているわけではないのに
  追いかけているわけでもないのに
  人を抜いたと感じる瞬間の いわんかたなき寂しさ

  父を抜いたと感じてしまった夜
  私は哭いた 寝床のなかで 声をたてずに
  枕はしとど
  父の鼾を隣室に聴きながら

  そういう瞬間を持ってしまう自分が
  おお とても 厭!
  どうみたって その人より 私が
  たちまさるとは真実おもえないのに

  しかし否むことは出来ないのだ
  それは啓示のように
  まるで誰かの居合抜きのように
  見せられてしまう幾つかの断面だった

  いつの日か
  私もまた与えることができるだろうか
  甥や姪らに 年若い友らに
  このような刹那を

  抜いたときには 確かにわかる
  けれど
  抜かれるときには わからないらしいのだな

  

  (思潮社刊「茨木のり子詩集」現代詩文庫 所収)

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