「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

紅旗征戎ハ吾ガ事ニアラズ 2007・11・30

2007-11-30 07:55:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「『汝(なんぢ)らのうち誰か思ひ煩ひて身の丈(たけ)一尺を加へ得んや』『野の百合を見よ、労せず紡(つむ)
  がざるなり。されどわれ汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)この一朶(いちだ)
  の花に及(し)かざりき』
   私は聖書を文章として読んでいる。だからこれらを口語文に改めたと聞いてほとんど驚倒した。異教徒
  でありながら私たちがその言葉をいくつもおぼえているのは、ひとえに文語文のせいである。それを口語
  文に訳してよく朗誦にたえるだろうか。
   私はベトナム戦争の記事を信じなかった。北ベトナムと中国は一枚岩だと読まされて南北ベトナム統一
  が成ったら、あろうことかあるまいことか中国がベトナムに戦争をしかけた、『中越戦争』と新聞は窮し
  て書いた。当時ベトナムが越南であることを知る読者はないのに、中越戦争といって新聞はごまかそうと
  したのである。
   文学は風流韻事(いんじ)なのである。このことを私たちは忘れすぎた。『世上ノ乱逆追討、耳ニ満ツト
  雖モコレヲ注サズ、紅旗征戎ハ吾ガ事ニアラズ』と若年の藤原定家は日記に書いた。時は頼朝、義仲の挙
  兵、源平合戦の最中である。
   平氏の薩摩守忠度(ただのり)は都落ちするその日、定家の父藤原俊成(しゅんぜい)を訪ねて一門の運早
  や尽き候いぬ。ついては生涯の面目、一首でもとれるものならとっていただきたいと『千載集』の選者
  である俊成に願った。ためにこの一巻を持参したと捧げて今はこれまでと落ちていった。
   忠度の歌は世静まってのちその集に一首いれられている。勅勘の身だから読人しらずとなっている。

    さざ波や志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな

   さざなみは志賀の枕詞、志賀の都は天智弘文二帝の宮の跡、ながらの山は比叡山の南の一峰、これに
  昔ながらをかけた。そんなことは知らなくても分る歌だから今に残っている。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)



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2007・11・29

2007-11-29 08:40:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「 むかし私は『竹の柱に萱(かや)の屋根』というコラムを書いたことがある。私は萱の屋根で結構である。
  門戸(もんこ)を張る気はさらにない、机がなければちゃぶ台でもいい、紫檀(したん)や黒檀の高価な銘木
  (めいぼく)の机の前に坐しても、私に私以上の文章が書ける道理がない。
   結局私は老荘の徒(と)だ。私は武林無想庵を反面教師として拒絶しながら、少年のころの一両年を共に
  過して、やっぱり多くを学んだのである。
   ついこの間私は老子の小国寡民(かみん)が理想だと書いた。国が小さくて民(たみ)が少い、民をして遠く
  へ遊ばせない、舟があっても乗せない、甲冑(かっちゅう)があっても着せない、(略)目の前が隣りの国
  で雞や犬の声が聞えるのに、民(たみ)老死に至るまで相(あい)往来しない。
   二千何百年前の人が今日(こんにち)のことを言い当てている。……民ヲシテ死ヲ重ンジテ遠ク徙(ウツ)ラ
  ザラシム。舟輿(シウヨ)アリト雖(イヘド)モ之(コレ)ニ乗ル所ナク、甲兵アリト雖モ之ヲ陳(ツラ)ヌル所
  ナシ(略)隣国相望ミ雞犬ノ声相聞エテ民老死ニ至ルマデ相往来セズ。
   原文にはこうある。民老死に至るまで相往来せずというのが理想郷なのである。何用あって月世界(げつせかい)へ――と以前私は書いた。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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2007・11・28

2007-11-28 08:00:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「 萩原朔太郎は『月に吠える』『青猫』二巻で、これまで類のない口語で一世を驚かした。地面の底に顔が
  あらはれ、さみしい病人の顔があらはれ――月に吠えるは斬新な口語というより全き詩の言葉である。そ
  れなのに二十年を経た『氷島』では文語に返った。
   新しい日本語を発見しようとして、悶え悩んだあげく、ついに古き日本語に返った。僕の詩人としての
  使命は終ったようなものだ、僕はすでに老いたと書いた。
   朔太郎は「『氷島』の詩語について」自ら語っている。「……憤怒(ふんぬ)と、懐疑と、一切の烈しい
  感情だけが、僕の心のなかに残った。氷島は私の『絶叫』である。しかるに今の日本語は歯切れが悪く抑
  揚に欠け一本調子にすぎるので、絶叫を写すには向かない。いやでも漢文調で書くほかなかった」(大意)
   まだ上州の山は見えずや――さきにあげた二児を抱えて故郷へ帰る詩は昭和四年の作であるが、これが
  収録された詩集『氷島』は昭和九年に出た。
   氷島は全文ことごとく文語である。けれどもそれは文語のなかで生れ育ち、独自な口語を発明した人の
  文語である。藤村、晩翠とはちがう。朔太郎は「すべての詩篇は『朗吟』であり(略)読者は声に出して
  読むべきであり、決して黙読すべきではない」と言った。
   我れはもと虚無の鴉(からす)、いかんぞ窮乏を忍ばざらんや。氷島のなかで『いかんぞ』は出すぎてい
  る。『思惟(しい)』もあらわれること再三である。朔太郎の語彙(ごい)は貧しいとその弟子にまでいわれた、
  可哀想な萩原さん!
   それは欠点ではあるけれど、語彙さえ豊かなら詩は成るというものではない。詩には天才がなければなら
  ない。そして朔太郎にはそれがあった。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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2007・11・27

2007-11-27 08:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「きのふ(昨日)また身を投げんと思ひて
 利根川のほとりをさまよひしが
 水のながれはやくして云々は『利根川のほとり』の書き出しである。

 昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱(かか)へて故郷に帰る――と前書きあって『帰郷』は始まる。

 わが故郷に帰れる日
 汽車は烈風のなかを突き行けり。(略)
 まだ上州の山は見えずや。
 夜汽車の仄暗(ほのぐら)き車燈の影に
 母なき子供等は眠り泣き
 ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。(略)

 かねて死ぬことばかり思って、気心の知れぬ無言の少年だった私は、これらに心を打たれずにいられなかった。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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2007・11・26

2007-11-26 09:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「私は萩原朔太郎の変らぬ崇拝者で、中学一年のとき読んで百雷に打たれる思いをした。

 萩原は天才である、萩原の前に詩人なく、あとにもないだろうと少年の私は思った。萩原

 の初期の詩集に『愛憐詩篇』がある。なかに『旅上』がある、『桜』がある、『利根川の

 ほとり』がある。『旅上』は『ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し』

 という名高い字句からはじまる。知らぬ人はあるまいから、これ以上続けない。少年の私が

 最も心を打たれたのは『桜』だった。


 桜のしたに人あまたつどひ居(ゐ)ぬ
 なにをして遊ぶならむ。
 われも桜の木の下に立ちてみたれども
 わが心はつめたくして
 花びらの散りて落つるにも涙こぼるるのみ。
 いとほしや
 いま春の日のまひるどき
 あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。


(あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを)。これを口語文にしてみれば分る。

 ただ冗漫になるのみである。ここにあるのは文語文の妙である。

 萩原朔太郎は明治十九年上州前橋に生れ、昭和十七年数え五十七で歿した。谷崎潤一郎と

 同い年である。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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2007・11・25

2007-11-25 08:50:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「 文語は不自由である、口語にしたらかゆいところに手が届くと考えたのは欲である。文は書いて委曲を
  尽せるものではない。尽せないで想像の余地を残しておいたほうがいいのである。
   文語というのは平安時代の口語で、それが凍結されたものだという。もう新しくなったり変化したり
  しないから工夫はそのなかでするよりほかない。千年工夫したから洗練されたのである。
   ラテン語に似ていると思えばよかろう。ラテン語で語りあう家庭は十七世紀のデカルトの時代まであ
  ったが今はない。文語として完成したものである。近世まで教育はラテン語で行われた。
   口語は動いてやまないものである。それは詩の言葉にはならない。詩は文語を捨てたから朗誦にたえ
  なくなった。読者を失った。それはいつから失われたか。新聞の『社説』はえらそうでなければならな
  い。したがって記事は口語になっても、社説は大正十年まで文語だった。以後全新聞がこれにならった
  とき文語は全く滅びたのである。詩が全部口語自由詩になったのもこのころである。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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花かげにいくたびか酔ひえんや 2007・11・24

2007-11-24 08:35:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「『花かげにいくたびか酔いえんや』と題したコラムを書いたことがある。べつに『寸心言いつくさず』
  も用いたことがある。戦争をなかにはさんで別れ別れになった恋人が、銀座街頭をとぶが如く走り去る
  うしろ姿を見送って、呼びとめようとして声が出ない、後日『どうして声をかけてくれなかったの』と
  言われて『寸心言いつくさず、あんまり急いでいたからさ』と答えたのである。

   花かげのほうは崔敏童の七言絶句を土岐善麿が訳したのを借りたのである。土岐善麿(明治18年生)は
  哀果(あいか)と号した歌人で、のち朝日新聞論説委員で漢詩文に造詣が深い人だった。

   一年(ひととせ)にひととせの春はあり
   百歳(ももとせ)にももとせの人はなし
   花かげにいくたびか酔ひえんや
   貧しともうま酒を買ひてまし。

   寸心のほうは『侠者に逢う』銭起(せんき)の五言絶句である。

   燕趙(えんちょう)悲歌の士
   相逢う劇孟(げきもう)の家
   寸心言い尽さず
   前路日(ひ)将(まさ)に斜めならんとす。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)

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2007・11・23

2007-11-23 08:45:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「同類は何百人集まっても一人である。」

   (山本夏彦著「不意のことば」新潮社刊 所収)




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2007・11・22

2007-11-22 08:50:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「古人は何かを得れば何かを失うと言った。」

   (山本夏彦著「不意のことば」新潮社刊 所収)
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小僧どこ行く 2007・11・21

2007-11-21 08:50:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 昔はどこの家にもお話の上手な人がひとりはいて、子供たちはその人の膝にむらがって
 『お話して』とせがんだ。」

 「 私の家では『西町のおばさん』が話がうまかった。下谷佐竹の原そばの西町に住んでい
  たから『にしまちの伯母さん』で、父の姉にあたる。
   その伯母さんの話のなかでは『小僧どこ行く』を思いだす。寺の和尚に命じられて小僧
  は毎日味噌を買いに行く。髪床の前を通ると亭主が『小僧どこ行く』と大声で問うので
  いまいましくてならない。蚊のなくような声で『味噌買いに』と答える。帰って和尚に
  訴えると『足にまかせて』と答えよと教えてくれる。
   あくる日『小僧どこ行く』と言われて勇んで『足にまかせて』と答えると『足なきと
  きは』と床屋は言う。窮して『味噌買いに』と蚊のなくような声で言って再び訴えると
  『風にまかせて』と答えよ。
   あくる日小僧はまず『足にまかせて』と言うと、床屋は『足なきときは』と問う。
  ここぞと『風にまかせて』と答えると『風なきときは』と言われて『味噌買いに』と
  再び蚊のなくように答えた。何ごとも自分で考えなければいけないというほどの話である。」

   (山本夏彦著「不意のことば」新潮社刊 所収)
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