「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2012・10・25

2012-10-25 07:00:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「私はそうは思わない」から、

「腹が立っている時は自分がまっとうな人間である様な気がして元気が出る」と題した小文の一節です。

「 私は気分転換などしない。
 気分転換する必要はない程陽気で幸せな人なのではない。ほとんど常にかぎりなく滅入っている。
 おまけに体が怠けもので、気だけせわしなく忙しいので、ごろりと横になって先から先へと心配
 ばかりしていて体安まって心休まる時がない。趣味もないしお酒ものまず歌もうたわない。何が
 人生楽しいかと言われるとそれが楽しくてやめられない程千年も万年も生きたい。気分転換など
 自分でするものだと思っていない。あちらからやって来る。

 例えば何となく本屋で為になって悧口になりそうな本を買う。読み始めて私はびっくりする程
 腹が立って来る。読みながら叫ぶ、『もうちょっと恥を知って下さい、恥を』あんまり腹が立つ
 ので、腹が立ったところに印をつける。読むのはやめない。読み終わったら憤然と本をたたきつ
 けて、又本屋に行って同じ著者の別の本を買って来る。その人の本を全部読んでしまう。腹立て
 っぱなしで、腹が立っている時は自分が実にまっとうな人間である様な気がして元気が出る。勿
 論好きな本にめぐり逢えば文句なく幸せで、ああ字が読めてよかったと思う。」

  (佐野洋子著「私はそうは思わない」ちくま文庫 所収)




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私はそうは思わない 2012・10・23

2012-10-23 07:00:00 | Weblog




今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「私はそうは思わない」から、「二つ違いの兄が居て」と題した小文です。

  「二つ違いの兄が居た。兄は心臓が右にあって弁膜症で紫色の唇と紫色の爪をもち、やせこけて、目玉ばかりが大きかった。

  私達は手をつないで眠り、父が兄を叱ると私は側で泣いていた。私が失敗すると兄は私のまわりでうろうろし、時には、

  私のおやつを力ずくでうばい取り、私は恨みで身もだえ、やがてケロリとして、一緒に遊んだ。

  私は兄が絵を描くのを誇りと尊敬でほとんど恍惚とし、兄が命令すれば、私は全能力をふりしぼってそれにこたえようと願った。

  私が外でいじめられると、兄はどこにいてもすっとんで来て、『誰だ?』目をむいて細い足をふんばり、全く強そうでないので、

  散っていく子供達の態度は実に歯切れが悪かった。兄がころがされて男の子達にけとばされている時があった。私は太い薪を拾って、

  泣きながら、一人ずつ、男の子達のおしりを力まかせになぐって回った。『すげえ』と言って、男の子達はどこかへ行き、泣きながら、

  兄は立ち上がり、立ち上がりながら私をにらみつけた。

  私は誰に教わったわけでもない。兄も又、知っていたわけではない。私達は共に生きて行くのに助け合わねばならなかった。

  助け合うという気持さえなかったかも知れない。成長して離れて一人ずつの人間になる前に、兄は死んだ。

  『愛』ということばを知らない私達はそうやって生きていた。兄の死はかけがえのないものが、奪われ失われることがあるという事を

  私に教えた。多分私は愛というものの原型を意識化する前に覚えたのだと思う。

  男を愛し子を産んだ。子を産むことで、私は与えるだけの喜びを知らされた。それは私が創ったわけではない。子供が誕生と共に私に

  与えたものであった。

  愛した男を失った。それは私の中で失われ、失われたものをまじまじと見つめる地獄を知った。あらゆる宗教はやがて失われていく愛

  をおそれた人間の知恵が創ったのかも知れない。

  ゆるやかに崩壊していった家庭を営みながら、私は一冊の絵本を創った。一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬという

  ただそれだけの物語だった。『1〇〇万回生きた猫』というただそれだけの物語が、私の絵本の中でめずらしくよく売れた絵本であった

  ことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるという事なのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの

  表われだった様な気がする。('85)」

       (佐野洋子著「私はそうは思わない」ちくま文庫 所収)


    
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2012・10・19

2012-10-19 07:00:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、俳優高倉健さんの「あなたに褒められたくて」から。

「お心入れっていい言葉ですよね。
 お心入れがないんですよね。このごろ....。」

 *お心入れ:人のもてなしにさりげなく気持ちを込めること。

「出さないものがあってもいいんじゃないかなあって思うんですよね。」

「・・・とっても人の温もりを感じますね。」

「・・・そんなことを微塵も言わないところが、またいいなあ。」

「ズバッて言うのもいいなあって思いますけど、その反対もありますね。」



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2012・10・16

2012-10-16 10:40:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、俳優高倉健さんが「あなたに褒められたくて」の中で書いて

 おられる山田洋次監督の言葉。

 「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います。」



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自分らしく死ぬ自由 2012・10・13

2012-10-13 07:00:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文の続きです。

 「 私も、呆けた母を捨てた。金をかき集めて自分の老後を棚上げにして金と共に母を捨てた、

  有料老人ホームに。

   それまでのなりゆきは五冊、六冊分のことばに換えても不充分だと自分は思うだろう。
  これは私だけではなくその様なところへ親を捨てた全ての家族が、ヘドロを腹の底にた
  め込む様にかかえていることだと思う。
   そして、私は、老人が集っているいわゆる福祉の現場にチャンスさえあれば、吸い寄せ
  られる様に行ってしまう。
   老人病院というものにも、ふらふらと吸い寄せられる。友人の親たちが、そこら中にち
  らばっているのだ。
   かっと見開いたうつろなまばたきしない目で天井を見ている、管だらけの、黄色い顔し
  ているおばあさん、その口は例外なく開きっぱなしの肛門の様にしわが中心に向って集
  っている。
   あるいは、車椅子にしばりつけられて、一日中立派なホールに集っている特別養護の老
  人達、誰とも話をしないでじっとしている。
   あるいは、陽がよくあたるガラス張りのきれいなホールで、円陣をつくって、童謡をう
  たっている身ぎれいな有料老人ホームの老人達。本当にうたなんかうたいたいのだろう
  か。
 
   九十過ぎて三カ月ずつ老人保健施設を、出たり入ったりして、顔役になっているやたら
  元気なおばあさん。二十も若いおばあさんの車椅子を押しながらでかい声で説教してい
  る。
 
   パンフレットを持って、宗教の勧誘に来る人達が一様に同じ表情をしている様に、どの
  老人達の集団も一種独特の表情をしている。私はそれを口で云い表わせない。
   あの人達は多分自分の親や姑の世話をしてあの世に送る事は当然のことと思っていた世
  代である。当然自分達の老後をその様に考えていただろう。家族制度も社会も倫理観も
  住宅事情も変わった。

   彼らはモデルのない老後を呆然と生きている様な気がする。

   ワイドショーの『何とも痛ましい事件』のばあさん。老人施設に行けば、便所の板をふみ
  抜いて六十メートルころげ落ちることはなかったかも知れない。でもあのばあさんは、死
  んでも自分の家を離れたくなかったのだ。
   命がけで、腐った家にしがみついたのだ。
   福祉をたった一人で拒否したのだ。
   私も出来ることなら、便所の板をふみ外してころげ落ちて死にたい。
   もしも私にそれだけの肝っ玉があればの事だけど、世間と世の中の流れにたった一人で
  立ち向かう度胸があればだけど。

   世の中は合唱する。自分らしく生き生きと生きましょう。なら、何で自分らしく死ぬ自由
  は無いのだろうか。
   一日でも長く生きることはそんなに尊いことなのだろうか。
   私は取り乱しているだけである。
   死ぬまで取り乱し続けるのだ、きっと。」

   (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)


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2012・10・12

2012-10-12 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文の続きです。

「 忘れられないワイドショーの報道というか、のぞき見というか、うすっぺらなヒューマニズムと
 いうかがあった。
  ばあさんが、こわれかけた自分の家にしがみついて動かなかった。近所の人も福祉関係の人も
 施設に移る様に再三忠告したが、ばあさんは頑として動かない。ばあさんの家は崖っぷちに立っ
 ている。崖がどんどんけずられて家の半分は下が何にもないのである。空中にうかんでいるので
 ある。金が無いのか家の中の床板にはなんにもない明るい穴がたくさんあいている。
  そこら中腐っているのである。
  ある日ばあさんは腐った床板からころげ落ちて六十メートル下の川で、死んでいた。
  便所の床板が抜けたのである。
  ワイドショーはその家の遠景を映し、ぐーっと近づいて、つき出ている家半分と崖を映し、六十
 メートル下の川っぷちを映した。
  コメンテーターは作りものの深刻そうな表情で『何とも痛ましい事件です』。キャピキャピした
 女の厚化粧のアシスタントも『何とか福祉の問題を私達も真剣に考えなくてはいけないと思います』
 と全然本気じゃないヒューマニスト面で云い、私は胸クソが悪くなった。私はばあさんに心から感
 服した。立派じゃないか。肝っ玉がすわっているじゃないか。多分とんでもない強情なばばあだっ
 たのだろう。近所でも嫌われていたのかも知れない。時流に逆う人は迷惑なものだ。
 『楢山節考』のおりんばあさんは、共同体という小さい閉ざされた世間の了解があったから異端の
 人ではなかった。彼女は小さな世間の笑われ者にならないという、拠って立つべき掟に命をあずけ
 ることが、輝かしい自負であった。共同体そのものの存続の為に、貧しい共同体の智恵に従った。
  だから隣の死にたくないじいさんはみっともない恥ずかしい人なのだ。
  しかし、今、日本中が、いや世界中が一つの共同体に拡大した。
  日本中が、世界中が生命は地球より重いと合唱する。世間が世界中になったのだ。便所板をふみ
 外してころげ落ちたばあさんは世間を一人でふみ外したのだ。
  世間はそういう人が居ると居ごこちが悪い。
  厚化粧のワイドショーのアシスタントの女は『ご近所の人はもう少し何とか出来なかったのでし
 ょうか』と無責任なしたり顔をしたあと、すぐ『さて次は芸能トピックスです』と、誰だかの熱愛
 発覚に実にスムーズににっこりと移行して行った。
  あんたね、今、ご近所は無いんだよ。
  ご近所は少しでも他人から迷惑をかけられたくないんだよ。だから福祉にご迷惑を肩代わりして
 もらって、人と関係を持ちたくないんだよ。」

 (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)



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自分らしく死ぬ自由 2012・10・11

2012-10-11 06:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文です。

「 私は五十九で、もう何カ月かで、還暦である。(女に還暦があるのかどうか知らないが。)
 老いの問題となると私はとり乱すしか方法がない。平均寿命が延びて、あと二十年余も生き
 るかと思うと、呆然と立ちつくし、あたりをキョロキョロ見回し、何? 何? 私なんでこ
 んなところで、こんなことしているの? とリツ然とし、短くない六十年が、頭の中をぐる
 ぐるかけめぐる。もう充分生きた。これ以上も以下もない私の人生だった。命を惜しむこと
 など何もない。今すぐ死んだってどーってことない。昔は人生五十年だったのだ。しかし、
 私には八十四歳の呆けた母親がまだ生きているのだ。自分の老いを考えていい年齢であるの
 に、まだ片づかない呆けた母親、あと十年はあのままあの世とこの世の間でさまよっている
 様に生き続けそうな気がする。七十七で母が呆けた時、私はまず、親の片がつかないことに
 は、自分の老いの問題は、棚上げしようと考えた。物事は、順ぐりに順序というものがある
 とその時は考えた。その決心もぐらついて来た。
  私は新聞のどこを読まなくても死亡記事だけは目を通す。そして年齢だけをチェックする。
 九十過ぎはゴロゴロいる。五十代、六十代の人は病死であっても事故死の様にしか思われな
 い。(夭折と今では云うのだろうか。)
  ウーン九十か。
  新聞ばかりではない。私の友人の親はほとんどまだ生きている。
  九十過ぎも全然珍しくない。
  母が九十過ぎたら私も七十過ぎる。
  七十過ぎてどう老いの設計を立てるのだ。
  本当に事故にでも出合って昇天したくなる。
  長生きは本当にめでたいことなのか。
  豊かな老後など本当にあるのだろうか。」

  (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)


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2012・10・10

2012-10-10 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「 二〇〇四年夏

 ×月×日

  私は不思議で仕方ない。そう云えば、私はいつだって同じものが出来ないのである。自分で、
 驚くほどうまいちらし寿司を作り、その次は吐き出したいほどのちらし寿司を作る。本当に吐
 き出す。その間は可も不可もない不安定なちらし寿司を作るのである。いつか、どうして私は
 こうなのだろうと嘆くと、十三歳の男の子が、『だから、家庭料理はあきないんだって。それ
 に女の人は毎日体温とかが変るから味も微妙に変るんだって』となぐさめてくれた。何て優し
 い子だろう。『どうして、そんなこと知ってるの』『こないだ学校で教わった』
 フーン、こないだ性教育受けたんだ。しゃれた事例を引く教師じゃん、とその時思った。
 でもね、私もう更年期もとっくに終わってんだ。なのに、なのに、何ではげしく不安定な料理
 を作るのであろう。むらの多い不安定な性格のためなのにちがいない。性格って、病
 気なのだね。
あのササ子さんの几帳面さも、病気なのだ。見た目だけきれいにかざり
 立て、全く味というものがないミミ子さんも病気なのだ。
  病気になる前のノノ子の料理はたっぷりしてのびのび豊かなひろがりの料理だった。二人の
 息子たちが、馬のように食っていた。その息子もはげ始めている。
  子供が食い盛りの時、ごはんも人生も私達は充実していたねェ。愛だ恋だなんて比べること
 出来ないほど充実してたねェ。
 決して戻らない年月をふり返るって、ひりつくほどの切なさである。」

(佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫 所収)



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2012・10・09

2012-10-09 07:00:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「バカンバカン」と題した小文の冒頭。

「 その時の世の中に無いものを生み出す個人を天才と言うのだと思う。我々日本人はあっちを見
 こっちをうかがい、皆々様と同じにすることを常識とし、皆々様と同じ考えを道徳とさえ致す
 民族である。絶対多数と同じ意見で折り合うことを大人と言うのである。
  若さというものは、そういう大人に反抗するという力を生きることであったが、このごろの
 若いもんは、(あーいい気持ち!! この年齢になるとこのごろの若いもんと言うのに何の抵
 抗もない。いや、むしろそういうことを声高々と口ばしることをもう社会的責任と思うね)社
 会の大人達の不潔なあり様に団結して『イカル』などということをしなくなった。それが平和
 というものである。
  平和とは敵が見えにくいことであり、だらしない、うす汚い若いもんが平気で馬鹿でいられ
 るということが平和というもんだ。ありがたいことだ。我々が平和を、あるいは経済的豊かさ
 というもんを得るために必死で働いたのは、馬鹿を養うことであったのだ。ありがたいありが
 たい。ソマリアや、ボスニア・ヘルツェゴビナではこうはいかないのだ。ありがたい、ありが
 たい。今に見ていろ、ドバッとバチが当たるさ、そのころこちとら天国だい、ヒ、ヒ、ヒ。」

 (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)

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2012・10・08

2012-10-08 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「サササー」と題した小文の一節。

「 蝶々は愛し、ゴキブリを憎んでいいのだろうか。
 ゴキブリだって一生懸命生きているんだ。ヌレヌレと羽根を黒く光らせるまでに、一体どれくらいの危険を
 くぐり抜けて生きて来たことだろう。しかし人間である私はでかい奴をつかまえるほど、ヤッタゼと思うの
 です。ヤッタゼと思う私をあなたは残忍な女と思いますか。
  でかい魚をかかえて、ニッカリ笑っているへミングウエイに世の男達はあこがれるではないですか。あの
 でかい魚は一体人間に何の悪さをしたのでしょうか。人が生存するためにどうしても必要な食物として手に
 入れたからへミングウエイはニッカリ笑っているのではない。
  私が、クログロヌレヌレしたでかいゴキブリをつかまえた時の嬉しさと同じではないでしょうか。そりゃ、
 私しゃ何の技術もないし危険もおかさないけどサァ、殺される側にすれば、関係ないと思います。短いか長
 いかわからん一生を終えねばならぬ。そしてゴキブリの小さなお家をゴミ箱に捨てながら、次に生まれる時
 はゴキブリでもいいが、このお家にだけは近づかないにサササーと一生懸命生きようと思います。とてもシ
 ンプルな生涯のような気がする。やっぱり、人間で死ぬのが一番長く苦しい一生のような気がします。百年
 も生きる動物、他にいるだろうか。そして地球に優しくなどとほざくが、地球の方から考えれば、人間が一
 番の公害ダァ。五月になれば、小さなお家の屋根から中をのぞいて、ニンマリする私です。神は私をゆるす
 でしょうか。」

  (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)


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