今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「岩波はよい本を出来るだけ安く売ってどこが悪いと思っているが、悪いのである。正義だからである。正義は自分をおしつけてなお正義である。五・一五事件二・ニ六事件は政財界の腐敗、汚職を糾弾して要人を殺してなお正義だった。汚職は国を滅ぼさないが正義は滅ぼすのである。正義を売物にするのは最も恥ずべきことなのに、岩波はながくそれを売った。社会主義の正義である。」
「私は岩波の罪の一つは正義を売物にしたことと、日本語を日本語でなくしたことの二つをあげたい。人生教師になるなかれと私は言う。人の患(やま)いは人の師となるを好むにありと古人は言っている。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「岩波はよい本を出来るだけ安く売ってどこが悪いと思っているが、悪いのである。正義だからである。正義は自分をおしつけてなお正義である。五・一五事件二・ニ六事件は政財界の腐敗、汚職を糾弾して要人を殺してなお正義だった。汚職は国を滅ぼさないが正義は滅ぼすのである。正義を売物にするのは最も恥ずべきことなのに、岩波はながくそれを売った。社会主義の正義である。」
「私は岩波の罪の一つは正義を売物にしたことと、日本語を日本語でなくしたことの二つをあげたい。人生教師になるなかれと私は言う。人の患(やま)いは人の師となるを好むにありと古人は言っている。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)コラム集から。
「何を売ってもいい。ただ正義だけは売ってはならない、岩波は終始正義を売物にしたと『岩波物語』に書いたとき、正義を売ってどこが悪いと言われた。かくのごとく分りたくないものに分らせることはできないからただ『聖書にある』と言うにとどめた。」
「旧制一高の寮歌に『友の憂いにわれは泣きわが喜びに友は舞う』というのがあるが、友の不運はどこかかすかに嬉しいものであり、友の幸運は一度はいいが、たび重なるといまいましいものである。友の幸運を何度でも喜ぶのが真の友だというともう分らない。とんでもない、友の悲運を喜んだことなんぞ一度もないと承知しない。それはついぞ自己の内心を見たことのない者の言葉だといえば怒るから言わない。言葉はついにそれを待つ人にしか通じないというゆえんである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「何を売ってもいい。ただ正義だけは売ってはならない、岩波は終始正義を売物にしたと『岩波物語』に書いたとき、正義を売ってどこが悪いと言われた。かくのごとく分りたくないものに分らせることはできないからただ『聖書にある』と言うにとどめた。」
「旧制一高の寮歌に『友の憂いにわれは泣きわが喜びに友は舞う』というのがあるが、友の不運はどこかかすかに嬉しいものであり、友の幸運は一度はいいが、たび重なるといまいましいものである。友の幸運を何度でも喜ぶのが真の友だというともう分らない。とんでもない、友の悲運を喜んだことなんぞ一度もないと承知しない。それはついぞ自己の内心を見たことのない者の言葉だといえば怒るから言わない。言葉はついにそれを待つ人にしか通じないというゆえんである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私はテレビも新聞もろくに見ません。それでいて知ったふりして毎週コラムを書くのは申訳ないので、
時々実物を見に行きます。六本木に行きます。原宿に行きます。行けば得るところがあります。
六本木の『アマンド』は渋谷のハチ公と同じく目じるしだなと分ります。今度はそのハチ公前に立つと、
ハタチそこそこの若者につきあたります。このスキンシップに揉まれたくて若者は盛り場に集まるのだなと
分ります。
アベックはいくらでもいますが羨望にたえないのはいません。ながいながい息もつまるような接吻をしている
男女は、むかしパリでよく見ましたが東京では見ません。街頭の接吻は日本人には馴染まないとみえます。
私は若者の大群を見て、もう一度ハタチの昔にかえりたいとはつゆ思いません。あれは虫けらです。
私は折々女になる、犬になるくらいですから虫けらになるくらいわけはありません。その目で見あげると人間
の雌雄は区別がつきません。
言うまでもなく私は若者をばかにしているのではありません。それどころか私は十年前のハチ公前に立ちます。
若者たちが雑踏していること今と同じです。五十年前のそこに立ちます。ひしめいているのは今の老人のハタチ
の昔で、それは現在只今の、いや百年前の千年前の若者と寸分たがいません。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「私はテレビも新聞もろくに見ません。それでいて知ったふりして毎週コラムを書くのは申訳ないので、
時々実物を見に行きます。六本木に行きます。原宿に行きます。行けば得るところがあります。
六本木の『アマンド』は渋谷のハチ公と同じく目じるしだなと分ります。今度はそのハチ公前に立つと、
ハタチそこそこの若者につきあたります。このスキンシップに揉まれたくて若者は盛り場に集まるのだなと
分ります。
アベックはいくらでもいますが羨望にたえないのはいません。ながいながい息もつまるような接吻をしている
男女は、むかしパリでよく見ましたが東京では見ません。街頭の接吻は日本人には馴染まないとみえます。
私は若者の大群を見て、もう一度ハタチの昔にかえりたいとはつゆ思いません。あれは虫けらです。
私は折々女になる、犬になるくらいですから虫けらになるくらいわけはありません。その目で見あげると人間
の雌雄は区別がつきません。
言うまでもなく私は若者をばかにしているのではありません。それどころか私は十年前のハチ公前に立ちます。
若者たちが雑踏していること今と同じです。五十年前のそこに立ちます。ひしめいているのは今の老人のハタチ
の昔で、それは現在只今の、いや百年前の千年前の若者と寸分たがいません。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「職人と役者は学校教育を受けること最も遅かったので、頭と呼ばれる鳶や棟梁には威風あたりを払うものがあった。大工は設計者であり施工者であり指揮者であり、一人で多くをかねたからその容貌に威信が生じたのである。その威信はいま三十年サラリーマンを勤めても生じない。むかし兼ねたもののすべてが分業になったからである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「職人と役者は学校教育を受けること最も遅かったので、頭と呼ばれる鳶や棟梁には威風あたりを払うものがあった。大工は設計者であり施工者であり指揮者であり、一人で多くをかねたからその容貌に威信が生じたのである。その威信はいま三十年サラリーマンを勤めても生じない。むかし兼ねたもののすべてが分業になったからである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「正月になっても、門松を立てない家が多い。国旗を出さない家が多い。町中かけ回っているタキシーの運転手は、松も旗も年々へるばかりで、もう正月はなくなったようなものです、と言う。
戦後はなぜ松を立てないか、旗を立てないかと以前私は問われて、戦前はなぜ立てたか、当時立てたひとと、いま立てないひととは全く同じ人物だと答えたことがある。」
「門松を立てないで、屠蘇を祝わないで、百人一首をとらないで(以下略)、日本の子供に共通の正月はこない。相変りませず、茶の間でテレビを見物しているなら、または勉強を強いられているなら、それはほかの月のほかの日と同じで、去年と今年の間になんの区別もない。
十年二十年たってそれを回顧すれば、そこには正月さえないのだから、他の年中行事は全くない。ただひたすらのっぺらぼーである。
門松も国旗も、だれも立てない今、立てよと言うには勇気がいる。これしきのことに勇気がいるとは笑止だが、いるのである。」
「以前、我々が戸ごとに門松を立てたのは、隣の家が、またその隣の家が立てたからである。町内の全員が立てるのに、ひとり立てないのは、よほどの貧乏人か、よほどのつむじ曲りか、そのどちらかである。今はだれも立てないから、立てるほうが怪しまれる。
我々はあたりをうかがって、大ぜいのすることを見て、それに従う動物である。隣人が立てれば立てるし、立てなければ立てない。
ただそれだけのことである。理屈は何とでもつくからその理屈を借りて、たとえば『日の丸』を、戦前は立てないひとを、戦後は立てるひとを『村八分』にする。言葉はひとを動かさない。かえってひとに従う。
以前立てたひとも、今立てないひとも別人ではない。全く同一の人物であることを、かねがね私は残念に思っている。それを当人に思い知らせることはできないと知りながら、こうして私は回らぬ筆をあやつっているのである。」
(山本夏彦著「編集兼発行人」中公文庫 所収)
「正月になっても、門松を立てない家が多い。国旗を出さない家が多い。町中かけ回っているタキシーの運転手は、松も旗も年々へるばかりで、もう正月はなくなったようなものです、と言う。
戦後はなぜ松を立てないか、旗を立てないかと以前私は問われて、戦前はなぜ立てたか、当時立てたひとと、いま立てないひととは全く同じ人物だと答えたことがある。」
「門松を立てないで、屠蘇を祝わないで、百人一首をとらないで(以下略)、日本の子供に共通の正月はこない。相変りませず、茶の間でテレビを見物しているなら、または勉強を強いられているなら、それはほかの月のほかの日と同じで、去年と今年の間になんの区別もない。
十年二十年たってそれを回顧すれば、そこには正月さえないのだから、他の年中行事は全くない。ただひたすらのっぺらぼーである。
門松も国旗も、だれも立てない今、立てよと言うには勇気がいる。これしきのことに勇気がいるとは笑止だが、いるのである。」
「以前、我々が戸ごとに門松を立てたのは、隣の家が、またその隣の家が立てたからである。町内の全員が立てるのに、ひとり立てないのは、よほどの貧乏人か、よほどのつむじ曲りか、そのどちらかである。今はだれも立てないから、立てるほうが怪しまれる。
我々はあたりをうかがって、大ぜいのすることを見て、それに従う動物である。隣人が立てれば立てるし、立てなければ立てない。
ただそれだけのことである。理屈は何とでもつくからその理屈を借りて、たとえば『日の丸』を、戦前は立てないひとを、戦後は立てるひとを『村八分』にする。言葉はひとを動かさない。かえってひとに従う。
以前立てたひとも、今立てないひとも別人ではない。全く同一の人物であることを、かねがね私は残念に思っている。それを当人に思い知らせることはできないと知りながら、こうして私は回らぬ筆をあやつっているのである。」
(山本夏彦著「編集兼発行人」中公文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『なぜ作文なんか書かなければいけないの。口で言えばすむのに』『なぜおじぎしなければいけないの。尊敬もしてない人に』。子供は放っておくと自分の都合のいいなぜを無限に並べる。一々答えることは無用である。『作文の時間である。書け』と命じて、その理由をあげてはならないと私が言っても信じないなら、ヘーゲルが言っている。『しつけをするときは理由を言ってはいけない。理由を言うとその子のためにもならないし、社会にとっても迷惑である』云々。
ついでながらデカルトが言っている。『私は十七世紀の読むべき本のすべてを読んだ。その上に加える自分の言葉を発見しなかった』。
投書欄の大人の発言が発言でないなら、その口まねが発言である道理がない。つとに孔子さまでさえ『述ベテ作ラズ』『学ブニ如カザルナリ』とおっしゃっている。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「『なぜ作文なんか書かなければいけないの。口で言えばすむのに』『なぜおじぎしなければいけないの。尊敬もしてない人に』。子供は放っておくと自分の都合のいいなぜを無限に並べる。一々答えることは無用である。『作文の時間である。書け』と命じて、その理由をあげてはならないと私が言っても信じないなら、ヘーゲルが言っている。『しつけをするときは理由を言ってはいけない。理由を言うとその子のためにもならないし、社会にとっても迷惑である』云々。
ついでながらデカルトが言っている。『私は十七世紀の読むべき本のすべてを読んだ。その上に加える自分の言葉を発見しなかった』。
投書欄の大人の発言が発言でないなら、その口まねが発言である道理がない。つとに孔子さまでさえ『述ベテ作ラズ』『学ブニ如カザルナリ』とおっしゃっている。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「まことに投書は記事の生き写しである。これを見るごとに私は我々の『口』は
何のためにあるかを思わずにはいられない。他人と同じことを言うためにある。
ちがうことを言うのは恐ろしい。だからキャンペーンという。
同じことをいっせいに言うことである。」
「投書は掲載されることを欲するから、掲載されないと予想される文を投ずる者は
ない。投書は常に新聞と同意見である。すこし違った意見があっても、それは
色どりに採用されたのである。
新聞と投書の仲は戦前と同じである。二・二六事件の前後の新聞は、政党者流を
利権の亡者、財閥の走狗と書くこと毎日のようだった。それをまに受けて青年
将校は閣僚重臣を殺した。殺したのはよくないがその憂国の至情は諒とすると
新聞は書いたから、諒とする投書が集まった。ほら血書まであると写真入りで
報じたから、投書はさらに集まった。集まったのではない。集めたのである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「まことに投書は記事の生き写しである。これを見るごとに私は我々の『口』は
何のためにあるかを思わずにはいられない。他人と同じことを言うためにある。
ちがうことを言うのは恐ろしい。だからキャンペーンという。
同じことをいっせいに言うことである。」
「投書は掲載されることを欲するから、掲載されないと予想される文を投ずる者は
ない。投書は常に新聞と同意見である。すこし違った意見があっても、それは
色どりに採用されたのである。
新聞と投書の仲は戦前と同じである。二・二六事件の前後の新聞は、政党者流を
利権の亡者、財閥の走狗と書くこと毎日のようだった。それをまに受けて青年
将校は閣僚重臣を殺した。殺したのはよくないがその憂国の至情は諒とすると
新聞は書いたから、諒とする投書が集まった。ほら血書まであると写真入りで
報じたから、投書はさらに集まった。集まったのではない。集めたのである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
今日の「 お気に入り 」は 、山本夏彦さん ( 1915 - 2002 )のコラム集から 。
「 人は年をとったからといって利口になるわけではない 。
もし利口になるならこの高齢化社会である 、利口だらけになっている
はずなのにならない 。ついこの間 私は『 機械アル者ハ必ズ機事アリ 、
機事アル者ハ必ズ機心アリ 』と 古い箴言を引用したら 、少年でも
分る者には電光のように分って 、大人でも分らない者には全く分らなかった 。
私は今ファクシミリで原稿を送っている 。それまでは担当者が毎週または
毎月取りに来ていた 。往復するのに一時間や二時間はかかったろう 。その
時間は全くいらなくなった 。私ひとりではない 。延べ何十人何百人の執筆者
がファックスを使えば延べ何百時間何千時間が倹約になる 。
それだけひまになって 、それだけ給料があがったかというとそんなことは
全くない 。かえっていそがしくなった 。コードレス電話もまた同じである 。
あれは自動車のなかまで追いかけてくる 。機械あれば機事があるのである 。
この考えは産業革命以来の文明の根底をゆるがす危険な考えだから 、たい
ていの大人は耳を傾けない 。委曲を尽せば尽すほど聞かない 。かえって
子供のほうが聞いてくれるのである 。
故に私は子供の友であって大人の友でないことがある 。二人の間に年齢は
ないのである 。生きている人に友が得られないから 、死んだ人を友とする
のである 。古い本を読むことは死んだ人と話をすることで 、生きている
人に友が得難ければ古人を友にするよりほかないのである 。」
( 山本夏彦著「 愚図の大いそがし 」文春文庫 所収 )
「 人は年をとったからといって利口になるわけではない 。
もし利口になるならこの高齢化社会である 、利口だらけになっている
はずなのにならない 。ついこの間 私は『 機械アル者ハ必ズ機事アリ 、
機事アル者ハ必ズ機心アリ 』と 古い箴言を引用したら 、少年でも
分る者には電光のように分って 、大人でも分らない者には全く分らなかった 。
私は今ファクシミリで原稿を送っている 。それまでは担当者が毎週または
毎月取りに来ていた 。往復するのに一時間や二時間はかかったろう 。その
時間は全くいらなくなった 。私ひとりではない 。延べ何十人何百人の執筆者
がファックスを使えば延べ何百時間何千時間が倹約になる 。
それだけひまになって 、それだけ給料があがったかというとそんなことは
全くない 。かえっていそがしくなった 。コードレス電話もまた同じである 。
あれは自動車のなかまで追いかけてくる 。機械あれば機事があるのである 。
この考えは産業革命以来の文明の根底をゆるがす危険な考えだから 、たい
ていの大人は耳を傾けない 。委曲を尽せば尽すほど聞かない 。かえって
子供のほうが聞いてくれるのである 。
故に私は子供の友であって大人の友でないことがある 。二人の間に年齢は
ないのである 。生きている人に友が得られないから 、死んだ人を友とする
のである 。古い本を読むことは死んだ人と話をすることで 、生きている
人に友が得難ければ古人を友にするよりほかないのである 。」
( 山本夏彦著「 愚図の大いそがし 」文春文庫 所収 )
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「徹子の部屋」と題したコラムから。
「年寄のバカほどバカなものはないということわざ、大好きです。まず若い人が喜び次いで年寄が喜びます。今の年寄は自分は年寄じゃないと思っています。
平和なときの平和論――これは何十回も引用したので自分の言葉みたいになってしまいましたが、内村鑑三の言葉です。平和なときに平和論を唱える人は、戦争になったら何を言うか知れたものじゃないと言えば、分る人には電光のように分る。コメントしても四百字で足ります。それでも分らないのは分りたくない人で、すなわち平和なときに平和論を唱える者どもですからこれを説得することは不可能です。もう一つ『ロバは旅に出ても馬になって帰って来るわけではない』。いいですか、このプラカードを掲げて成田空港をねり歩きたい。」
「海外へひとりで行ったら当然受ける文化ショックを、団体で行くから受けません。あんなもの大仕かけな『はとバス』です。知識と学問のないものが旅をしても得るところはありませんよ」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
「年寄のバカほどバカなものはないということわざ、大好きです。まず若い人が喜び次いで年寄が喜びます。今の年寄は自分は年寄じゃないと思っています。
平和なときの平和論――これは何十回も引用したので自分の言葉みたいになってしまいましたが、内村鑑三の言葉です。平和なときに平和論を唱える人は、戦争になったら何を言うか知れたものじゃないと言えば、分る人には電光のように分る。コメントしても四百字で足ります。それでも分らないのは分りたくない人で、すなわち平和なときに平和論を唱える者どもですからこれを説得することは不可能です。もう一つ『ロバは旅に出ても馬になって帰って来るわけではない』。いいですか、このプラカードを掲げて成田空港をねり歩きたい。」
「海外へひとりで行ったら当然受ける文化ショックを、団体で行くから受けません。あんなもの大仕かけな『はとバス』です。知識と学問のないものが旅をしても得るところはありませんよ」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)