今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「このごろ全く見られなくなったが、以前は路傍でよく虚無僧を見た。黒の小袖に袈裟をかけ、丸ぐけの帯をしめ、深編笠をかぶって、尺八を吹く有髪の僧である。
普化宗に属し、免許を得て、門付けして歩くもので、ただの乞食ではない。
かりにも僧形の人である。敬してこれを遠ざけるのに、古人は御無用と言った。まにあってますより、味のある言葉だが、今は使う人がない。獅子舞いに使ってみても、ことわられたと知らず、舞いつづけてやめないだろう。
拒絶は承諾よりむずかしいのに、学校でも家庭でもこれを教えぬものとみえ、わが細君ばかりでなく、皆さん『まにあってます』の一点ばりである。
近ごろは堂々たる男子まで言う。また、本来恐縮すべきでないところで、むやみに『すみません』を連発する。かれもこれも語彙の貧困のあらわれである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「このごろ全く見られなくなったが、以前は路傍でよく虚無僧を見た。黒の小袖に袈裟をかけ、丸ぐけの帯をしめ、深編笠をかぶって、尺八を吹く有髪の僧である。
普化宗に属し、免許を得て、門付けして歩くもので、ただの乞食ではない。
かりにも僧形の人である。敬してこれを遠ざけるのに、古人は御無用と言った。まにあってますより、味のある言葉だが、今は使う人がない。獅子舞いに使ってみても、ことわられたと知らず、舞いつづけてやめないだろう。
拒絶は承諾よりむずかしいのに、学校でも家庭でもこれを教えぬものとみえ、わが細君ばかりでなく、皆さん『まにあってます』の一点ばりである。
近ごろは堂々たる男子まで言う。また、本来恐縮すべきでないところで、むやみに『すみません』を連発する。かれもこれも語彙の貧困のあらわれである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)