「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2020・12・31

2020-12-31 07:00:00 | Weblog


  
  今日の「お気に入り」は、「徒然草」の第百五十一段。

   
    「 ある人のいはく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。

     励み習ふべき行末もなし。老人のことをば、人もえ笑はず。衆にまじはり

     たるも、あいなく、見ぐるし。おほかた、よろづのしわざはやめて、暇あ

     るこそ、めやすく、あらまほしけれ。

      世俗のことに携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。ゆかしく覚えんこと

     は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずしてやむべし。

     もとより、望むことなくしてやまんは、第一のことなり。」

  五十になってもダメならダメ

    「 ある人がこんなことを言っていた。『 年五十になってもまだ上手になれな

    いような芸事は、さっさと止めてしまうがいい。いくら懸命になって学ぼうと

    しても、もう先行き時間もない。それに、老人のやることは、たとえ下手でも、

    人は笑うわけにいかない。それをいいことに、いつまでも大勢の中にまじって、

    ふつつかな芸を披露しつづけているのは、まことにいや味で、見苦しい限り。

     大体が、人は年をとったら、仕事でも芸事でも万事を止めて、身をいつも閑

    にしておくのこそ、見た目にもよいし、望ましい姿なのだ。それをそうしない

    で、世俗のことにかかずらわりつづけたまま一生涯を過すのは、下愚の人と言

    うしかない。知ってみたいと思うことがあったら、人に学ぶなり、聞くなりす

    るがいいが、それも大体の様子がわかったら、一通りのことは理解したという

    程度で止めておくのがいい。深い所まで入っていこうとするのはよくない。

    むろんそれよりは、初めから知りたい、習ってみたいなどという欲を起さな

    いでいる方が、ずっといいに決っているが 」


       ( 中野孝次著 「すらすら読める徒然草」 講談社刊 所収 ).




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Long Good-bye 2020・12・29

2020-12-29 05:50:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、「徒然草」の中で最も短い段〔第 百 二十 七 段〕。


    「 改めて益(やく) なきことは、改めぬをよしとするなり。

     改めて 悪しき もの  

           改めても別によいことのないことは、 改めないのをよしとしたものだ。」

     ( 中野孝次著 「すらすら読める徒然草」 講談社刊 所収 ).

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Long Good-bye 2020・12・12

2020-12-12 05:34:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、浅田次郎著 「 流人道中記(下)」から。


  「武は戈を止むるの義なれば、少しも争心あるべからず。」


  「命はひとつきりぞ。うまく使え。」


  「おのれに近き者から目をかけるはあやまりぞ。

    武士ならば男ならば、おのれのことは二の次ぞ。

    まして大身の旗本ならば、妻子のこととて二の次ぞ。 」


  ( 出典: 浅田次郎著. 「 流人道中記(下)」 中央公論新社刊 所収 )


   上に引用した「武は戈を止むるの義なれば、少しも争心あるべからず」は、

  江戸時代後期から幕末にかけての剣術家、斎藤弥九郎 ( 1798 - 1871 )の「神道無念流・練兵館」の道場訓とか。

   「練兵館」は、後に「幕末江戸三大道場」と称された「北辰一刀流・玄武館、神道無念流・練兵館、鏡新明智流・士学館」

  の一つで、かの木戸孝允(桂小五郎)が剣術修行したという道場。

   剣術の特徴として「技の千葉(玄武館)、力の斎藤(練兵館)、位の桃井(士学館)」と評されたそう。

   因みに、北辰一刀流の創始者・千葉周作( 1793 - 1856 )の弟・千葉定吉が「京橋桶町」に開いた北辰一刀流の「桶町千葉」道場には、

  坂本龍馬が剣術修行に通っていたそうです。千葉周作の「玄武館」道場があった「神田於玉ヶ池」という地名も有名。この地名を

  初めて耳にしたのは「赤胴鈴之助」の中だったっけ?

   「 赤胴鈴之助 」と言えば、「 真空切り 」、兄弟子の「 竜巻雷之進 」との確執、幕府転覆を企む「 鬼面党 」との対決、・・・。

   「 真空切り 」と言えば、 千葉周作 の紹介で弟子入りした「 飛鳥 流 」仕込み、「 真空切り 」がバージョンアップした「 十文字切り 」・・・。

   「 飛鳥 」と言えば、十代の頃、筆者が通った中学校は 東京都北区立 「 飛鳥中学校 」、「 飛鳥 」の名前の由来は JR王子駅 近くにある 桜 の名所

  「 飛鳥山 」かな。桜と言えば、 JR巣鴨駅 近くにある「 染井墓地 」や JR駒込駅 近くにある「 六義園 」、 JR上中里駅 近くにある「 旧古河庭園 」

  を思い出す・・・地下鉄も通りとても便利になったとか。

   筆者が通った小学校は、 大阪府豊中市立 「 克明小学校 」、 東京都渋谷区立 「 上原小学校 」、 東京都北区立 「 滝野川小学校 」、

  皆々今もあるのかしら・・・、それにつけても 転校 が多かったなあ。





#克明小学校 #上原小学校 #滝野川小学校 #飛鳥中学校 #北園高等学校 #府立九中 #山手幼稚園
 
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Long Good-bye 2020・12・05

2020-12-05 10:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は。「愛子さま」が中学1年生のときに書かれたという「作文」。


 「 私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、

  今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、

  一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。



  午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい

 太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッ

 と開けると、思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。



  診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか? 



  いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話も

 つながらない。私は途方に暮れてしまった。



  あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが

 一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。

 その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立って行っ

 たのであった。



  それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。



  私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨

 がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。



  愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。

 そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。



  今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。


 ( 出典:学習院女子中等科・高等科『生徒作品集』(平成26年度版))」

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