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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

よきこときく 斧琴菊 Long Good-bye 2025・03・26

2025-03-26 05:55:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、最近 拾い読みしている

 新約聖書の文語訳「 マタイ傳福音書 」の 第19章 。

  付け加える言葉なし 。

  引用はじめ 。

 「 第十九章
   16 視(み)よ 、或人(あるひと)みもとに來(きた)
  りて言(い)ふ『 師(し)よ 、われ永遠(とこしへ)の
  生命(いのち)をうる爲(ため)には 、如何(いか)な
  る善(よ)き事(こと)を爲(な)すべきか 』17 イエス
  言(い)ひたまふ『 善(よ)き事(こと)につきて何(な
  に)ぞ我(われ)に問(と)ふか 、善(よ)き者(もの)は
  唯(ただ)ひとりのみ 。汝(なんぢ)もし生命(いのち)
  に入(い)らんと思(おも)はば誡命(いましめ)を守れ 』 
  18 彼(かれ)いふ『 孰(いづれ)を 』イエス言(い)ひ
  たまふ『「 殺(ころ)すなかれ 」「 姦淫(かんいん)
  するなかれ 」「 盗(ぬす)むなかれ 」「 僞證(ぎし
  ょう)を立(た)つる勿(なか)れ 」19 「 父(ちち)と
  母(はは)とを敬(うやま)へ 」また「 己(おのれ)の
  ごとく汝(なんぢ)の隣(となり)を愛(あい)すべし 」』
  20 その若者(わかもの)言(い)ふ『 我(われ)みな之
  (これ)を守(まも)れり 、なほ何(なに)を缼(か)く
  か 』21 イエス言(い)ひたまふ『 なんぢ若(も)し
  全(まった)からんと思(おも)はば 、往(ゆ)きて汝
  (なんぢ)の所有(もちもの)を賣(う)りて貧(まづ)し
  き者(もの)に施(ほどこ)せ 、さらば財寶(たから)
  を天(てん)に得(え)ん 。かつ來(きた)りて我(わ
  れ)に從(したが)へ 』、22 この言(ことば)をきき
  て 、若者(わかもの)悲(かな)しみつつ去(さ)りぬ 。
  大(おおい)なる資産(しさん)を有(も)てる故(ゆゑ)
  なり 。
  23 イエス弟子(でし)たちに言(い)ひ給(たま)ふ
  『 まことに汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ 、富(と)め
  る者(もの)の天國(てんこく)に入(い)るは難(かた)
  し 。24 復(また)なんぢらに告(つ)ぐ 、富(と)め
  る者(もの)の神(かみ)の國(くに)に入(い)るよりは 、
  駱駝(らくだ)の針(はり)の孔(あな)を通(とほ)るか
  た反(かへ)つて易(やす)し 』」

  引用おわり 。

  。。(⌒∇⌒)!  。。

  新約聖書の文語訳を読んでいて 、この優れた文章群を

 生み出した先人たちに思いが及び 、ググったところ 、

 答えのひとつと思われるキーワードに行き当たった 。

  以下は ウィキペディアの記事 「 ヘボン塾 」。

  「 ヘボン式ローマ字 」や「 ヘップバーンとは俺のこ

 とかとヘボン言ひ 」の あの ヘボン 。

  ヘボン塾は 、アメリカの宣教師ジェームス・   ( James Curtis Hepburn ,
  カーティス・ヘボンによって横浜居留地に開設    1815 - 1911 )
  された私塾 。明治学院及びフェリス女学院の
  源流

  沿 革
   1859年4月24日に『 サンチョ・パンサ号 』で
  ニューヨークを出帆したヘボン夫妻は 、喜望峰
  回りで香港と上海と長崎に寄港した後 、1859年
  10月17日夜半に神奈川湊に到着した 。夫妻は 、
  アメリカ・オランダ改革派の S・R・ブラウンと   ( Samuel Robbins Brown ,
  同じ神奈川宿の成仏寺に滞在し 、1860年頃に妻     1810 - 1880 )
  クララが5人の少年を集めて私塾を開いた( 米
  国長老教会の宣教師による日本での教育事業の開
  始 )

   1862年 、米国領事館を通じて神奈川奉行所から
  依頼され 、大村益次郎 、原田一道ら幕府の委託
  生9名を教えた 。同年末 、ヘボンは横浜居留地
  に完成した宣教師館( 自ら設計 )に住居を移転
  する 。

   1863年3月 、一時帰国していた妻クララが戻り 、
  同年秋に新しい生徒を募集して私塾を再開した 。
   いわゆるヘボン塾であるクララが英語を教え 、
  ヘボンは医学を教えた( 主な生徒は 、高橋是清
  鈴木六三郎 、林董 、佐藤百太郎 、沼間守一 、
  服部綾雄 、石本三十郎 、益田孝 、三宅秀ら )。

   ヘボン塾は途中 、夫妻の上海滞在(『 和英語林
  集成 』印刷のため )や一時帰国などにより中断
  されたが 、1876年にジョン・クレイグ・バラに引
  き継がれるまで続けられた 。

   このヘボン塾がミッションスクールとして有名な
  明治学院やフェリス女学院の源流となった 。明治
  学院は開学年を 、ヘボン塾開校の年(1863年)に
  定めている 。」

  。。(⌒∇⌒)!  。。 

 ( ついでながらの 「 試験運用中の生成 AI 情報 」:

   「 新約聖書文語訳は 、ヘボン と S.R.ブラウン を中心
   とする『 翻訳委員社中 』によって翻訳されました 。

   【翻訳の経緯】
   ・ 1872年(明治5年)9月に横浜居留地で開かれた宣
    教師会議で 、各教派が共同で聖書の翻訳に当たる
    ことを提案 。
   ・ 1874年(明治7年)に「翻訳委員社中」が組織さ 
    れ、新約聖書の翻訳が開始される
   ・ 分冊で順次出版され 、1880年(明治13年)に完
    成
   ・ 1887年(明治20年)に旧約聖書も完成し、翌年に
    完成感謝の祝賀会が開催される 。
   ・ この翻訳は『 明治訳 』(元訳)と呼ばれ 、その
    旧約聖書は現在も『 文語訳 』として用いられてい
    る 。

   【翻訳委員社中メンバー】
    ヘボン 、S.R. ブラウン 、グリーン 、マクレー 、
    N. ブラウン 、パイパア 、 ライト 。 」

    以上 )

 

 

  

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