
今日の「 お気に入り 」は 、最近 拾い読みしている
新約聖書の文語訳「 マタイ傳福音書 」の 第19章 。
付け加える言葉なし 。
引用はじめ 。
「 第十九章
16 視(み)よ 、或人(あるひと)みもとに來(きた)
りて言(い)ふ『 師(し)よ 、われ永遠(とこしへ)の
生命(いのち)をうる爲(ため)には 、如何(いか)な
る善(よ)き事(こと)を爲(な)すべきか 』17 イエス
言(い)ひたまふ『 善(よ)き事(こと)につきて何(な
に)ぞ我(われ)に問(と)ふか 、善(よ)き者(もの)は
唯(ただ)ひとりのみ 。汝(なんぢ)もし生命(いのち)
に入(い)らんと思(おも)はば誡命(いましめ)を守れ 』
18 彼(かれ)いふ『 孰(いづれ)を 』イエス言(い)ひ
たまふ『「 殺(ころ)すなかれ 」「 姦淫(かんいん)
するなかれ 」「 盗(ぬす)むなかれ 」「 僞證(ぎし
ょう)を立(た)つる勿(なか)れ 」19 「 父(ちち)と
母(はは)とを敬(うやま)へ 」また「 己(おのれ)の
ごとく汝(なんぢ)の隣(となり)を愛(あい)すべし 」』
20 その若者(わかもの)言(い)ふ『 我(われ)みな之
(これ)を守(まも)れり 、なほ何(なに)を缼(か)く
か 』21 イエス言(い)ひたまふ『 なんぢ若(も)し
全(まった)からんと思(おも)はば 、往(ゆ)きて汝
(なんぢ)の所有(もちもの)を賣(う)りて貧(まづ)し
き者(もの)に施(ほどこ)せ 、さらば財寶(たから)
を天(てん)に得(え)ん 。かつ來(きた)りて我(わ
れ)に從(したが)へ 』、22 この言(ことば)をきき
て 、若者(わかもの)悲(かな)しみつつ去(さ)りぬ 。
大(おおい)なる資産(しさん)を有(も)てる故(ゆゑ)
なり 。
23 イエス弟子(でし)たちに言(い)ひ給(たま)ふ
『 まことに汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ 、富(と)め
る者(もの)の天國(てんこく)に入(い)るは難(かた)
し 。24 復(また)なんぢらに告(つ)ぐ 、富(と)め
る者(もの)の神(かみ)の國(くに)に入(い)るよりは 、
駱駝(らくだ)の針(はり)の孔(あな)を通(とほ)るか
た反(かへ)つて易(やす)し 』」
引用おわり 。
。。(⌒∇⌒)! 。。
新約聖書の文語訳を読んでいて 、この優れた文章群を
生み出した先人たちに思いが及び 、ググったところ 、
答えのひとつと思われるキーワードに行き当たった 。
以下は ウィキペディアの記事 「 ヘボン塾 」。
「 ヘボン式ローマ字 」や「 ヘップバーンとは俺のこ
とかとヘボン言ひ 」の あの ヘボン 。
「 ヘボン塾は 、アメリカの宣教師ジェームス・ ( James Curtis Hepburn ,
カーティス・ヘボンによって横浜居留地に開設 1815 - 1911 )
された私塾 。明治学院及びフェリス女学院の
源流 。
沿 革
1859年4月24日に『 サンチョ・パンサ号 』で
ニューヨークを出帆したヘボン夫妻は 、喜望峰
回りで香港と上海と長崎に寄港した後 、1859年
10月17日夜半に神奈川湊に到着した 。夫妻は 、
アメリカ・オランダ改革派の S・R・ブラウンと ( Samuel Robbins Brown ,
同じ神奈川宿の成仏寺に滞在し 、1860年頃に妻 1810 - 1880 )
クララが5人の少年を集めて私塾を開いた( 米
国長老教会の宣教師による日本での教育事業の開
始 )。
1862年 、米国領事館を通じて神奈川奉行所から
依頼され 、大村益次郎 、原田一道ら幕府の委託
生9名を教えた 。同年末 、ヘボンは横浜居留地
に完成した宣教師館( 自ら設計 )に住居を移転
する 。
1863年3月 、一時帰国していた妻クララが戻り 、
同年秋に新しい生徒を募集して私塾を再開した 。
いわゆるヘボン塾である 。クララが英語を教え 、
ヘボンは医学を教えた( 主な生徒は 、高橋是清 、
鈴木六三郎 、林董 、佐藤百太郎 、沼間守一 、
服部綾雄 、石本三十郎 、益田孝 、三宅秀ら )。
ヘボン塾は途中 、夫妻の上海滞在(『 和英語林
集成 』印刷のため )や一時帰国などにより中断
されたが 、1876年にジョン・クレイグ・バラに引
き継がれるまで続けられた 。
このヘボン塾がミッションスクールとして有名な
明治学院やフェリス女学院の源流となった 。明治
学院は開学年を 、ヘボン塾開校の年(1863年)に
定めている 。」
。。(⌒∇⌒)! 。。
( ついでながらの 「 試験運用中の生成 AI 情報 」:
「 新約聖書文語訳は 、ヘボン と S.R.ブラウン を中心
とする『 翻訳委員社中 』によって翻訳されました 。
【翻訳の経緯】
・ 1872年(明治5年)9月に横浜居留地で開かれた宣
教師会議で 、各教派が共同で聖書の翻訳に当たる
ことを提案 。
・ 1874年(明治7年)に「翻訳委員社中」が組織さ
れ、新約聖書の翻訳が開始される 。
・ 分冊で順次出版され 、1880年(明治13年)に完
成 。
・ 1887年(明治20年)に旧約聖書も完成し、翌年に
完成感謝の祝賀会が開催される 。
・ この翻訳は『 明治訳 』(元訳)と呼ばれ 、その
旧約聖書は現在も『 文語訳 』として用いられてい
る 。
【翻訳委員社中メンバー】
ヘボン 、S.R. ブラウン 、グリーン 、マクレー 、
N. ブラウン 、パイパア 、 ライト 。 」
以上 )
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