「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2012・09・30

2012-09-30 07:00:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、畑村洋太郎さんが「失敗学」で仰っていることをいくつか。
 地震や津波などの「自然災害」だけではなく、「年を取ること」に伴って起きてくる様々な問題、「人災」に
 ついてもあてはまりそうです。

  人は「起こって困ることは考えない」ものである。

  自分たちが困ることは考えないための理由をたくさん並べて、結局、考えない。

  見たくないものは見えない。

  聞きたくないことは聞こえない。

  失敗学では起こらないと証明できるならば起きないだろうが、証明できないならばそれは起こる。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・29

2012-09-29 06:00:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」。


 「 人は『聞きたくないもの』は『聞こえにくい』し、『見たくないもの』は『見えなくなる』ものです。」


  (畑村洋太郎著「失敗学のすすめ」講談社文庫所収)


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・28

2012-09-28 07:00:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」は、2005年4月10日付けの朝日新聞「天声人語」で紹介された
「ボイコット」という言葉の由来。

 「 19世紀末、アイルランドにチャールズ・ボイコットという名の農地管理人がいた。強権
  ぶりに小作人たちが反発し、示し合わせて、彼の発する命令はおろか朝夕のあいさつも無
  視する作戦に出た。不参加とか不買の抗議行動を意味するボイコットはこれに由来する。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・27

2012-09-27 07:00:00 | Weblog




今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された歌を二首。


  世の中を知らざる耳がとらへたる
        弱含んでゐるとかいふ語

  間違ひのFAXびつしり数式の
        ありてとどめの∴はわかる

               (今野寿美)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・26

2012-09-26 07:00:00 | Weblog





今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された歌を二首。


  七回忌済みしといふを夫の部屋に
      まだ片づかず片づけぬもの

  花の名前聞きては忘れこの頃は
      聞くこともなし美しければよく

             (川合千鶴子)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・25

2012-09-25 07:00:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された歌を二首。


  吾子ながら男は分からぬと言う妻の
       半分は我へのあてつけらしき

  妻にさえ言わざれど子は若き日の
       我さながらのことに躓く

              (清原日出夫)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・24

2012-09-24 07:00:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された歌を一首。


  わが母のひとりのときの顔を見し
        擦れ違いたる車の中に

              (中川佐和子)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・23

2012-09-23 07:00:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」。


  「養花三年看花三日」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・22

2012-09-22 07:00:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」から。

 「私は今が生涯で一番幸せだと思う。
  七十歳は、死ぬにはちょうど良い年齢である。
  思い残すことは何もない。これだけはやらなければなどという仕事は嫌いだから当然ない。
  幼い子供がいるわけでもない。
  死ぬ時、苦しくないようにホスピスも予約してある。
  家の中がとっちらかっているが、好きにしてくれい。
  あの世などあると思わないが、もしあって親父がいたら、私は親父より二十も年上なので、
  対応に困ると思う。
  すっげえ貧乏をした。私が学んだことは、全て貧乏からだった。
  金持ちは金を自慢するが、貧乏人は貧乏を自慢する。
  みんな自慢しなければ生きていけないんだな。
  夕食の時の訓辞にもう一つあった。
  『一番大事なものは金で買えない』
  私にとって一番大事なものは何だったのだろう。
  『情』というものだったような気がする。」


 (佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊)






  大事なものは只では得られない・・・か。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・09・21

2012-09-21 07:00:00 | Weblog




今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」から。

 「 そして老人の居場所も役目もあった。
  老人の経験による情報がナマのまま役に立ったのであるが、今や情報は電波にのって、
  チラチラピーピーというコンピューターが全て引き受けている。だからもう役に立た
  ないのだ。ゴミと同じなのだ。
   政府は明らかにゴミと同じ扱いをしている。例外は、金を持っている老人はゴミで
  はない。政治家は、六万円の年金で暮らす人ではないから、下々ののことはわからな
  いのである。
   たぶん政治家の見えるところに下々の六万円の人たちがうろついていることはない
  だろう。ナマの下々は見たことはないと思う。
   でも今、老人は働いている時は税金を払い、役人達もその税金で一生安泰に暮らし、
  天下り二年でまた退職金を何千万ももらい、また違うところに移ってまたもらったり
  している。
   俺は長老になると言っていた男がいたが、今や長老を存在させる集団がない。
   老人ホームで長老になってどうする。
   で、金と命は惜しむなを家訓として来た私は、したがって、腫瘍マーカーがなんぼ
  であるかなんぞ一度も考えたことがなく、ほとんどガンのストレスは皆無だった。そ
  したら腫瘍マーカーが通常人と同じになっていた。ガンは気に病んじゃいけんのよ。
  その時、医者が『よかったネェ』と本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれたので、私は
  感動した。本当に医者は可能な限り病気をよりよくしようと心から働いている。
   私はこの医者の笑顔のために、元気でいたいと思った。
   医者は聖職者なのだ。
  (教師も聖職者だった。教師が自ら、労働者だと言いだしてから日本の教育が変にな
  ったと思う。それ、かかって来い、日教組。私は保守、反動と言われてもいい。)

   というわけで、毎週点滴をしにゆく。よくわからないが、免疫力を強める薬と、
  骨を強化する薬を点滴するが、痛くもかゆくもなく、気分が悪くなることもない。
   いくら死ぬ気まんまんでも、なかなか死ねないのかと思うと、気落ちがする。
   私はあと十年でも十五年でも生きるかもしれないそうだ、ヤダナァ。」

    (佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする