「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

この世にニュースはない 2006・03・31

2006-03-31 07:30:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。


 「 この世の中にニュースはない、テレビは百害あって一利がないと、私は何回も何十回も言ったが、

  聞いてはもらえなかった。」

 「 天(あめ)が下に新しきものなしと洋の東西を問わず賢人は言っている。ためしに二十年前のテレビ

  を朝早くから見てみよう。二十年前の一月一日から見はじめて、二日三日と毎日見て、一年間、五年

  間見て、ようやく過去二十年を見終って今日(こんにち)にたどり着いたと思ったら、今日は遠く二十

  年さきに去っていて、改めて追いかけるにまた二十年かかる勘定である。

   なに熱心に見るに及ばない。いま諸君が見るが如く見ざるが如く見て、スキャンダルになると膝乗

  りだせばいいのである。

   いくら何でもそしたらこの世にニュースがないことが分るだろう。このさき二十年追いかけるに及ばな

  いことも分るだろう。」


   (山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)




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人間は邪悪な存在である 2006・03・30

2006-03-30 06:30:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から「資本主義には正義がない」と

 題した昨日引用した小文の続きです。


 「 戦争も革命も必須なものである。勝組は負組の大将を殺した、大衆は奴隷に近いものにされた。人は

  金ほど好きなものはないというが、正義はもっと好きだ。即ち『戦争裁判』をして正義だと言いはった。

   原水爆によって本式の戦争ができなくなっていま先進国は困っている最中である。

  わが国でも高度成長以来暖衣飽食するのは大衆になった。冬暖かく夏涼しく着る物も食う物も捨て、居

  ながらにしてポルノを楽しめるようになった。古人が夢みたまたは夢にも見なかった極楽中の住人にな

  った。これが極楽かと不服ならテレビは百害あって一利がないと、とりあげてみよ。しがみついて放さ

  ないからやはり極楽なのである。

   昔は王侯貴族とその取巻を倒せばよかったが、今は大衆がこぞって王侯になったのだから倒すものが

  ない。大衆が丸ごと自分で自分を倒すよりほかないとは前に書いた。

   社会主義には正義があって資本主義には正義がない。社会主義のご本尊は破産したのになおその正義

  で育った若者はいま新聞、学校、裁判所あらゆるところのデスクになっている。『諸君!』六月号(平

  成十年)『紳士と淑女』は書いている。朝日新聞は毛沢東の文化大革命を支持した、ポル・ポトをほめ

  たたえた(昭和五十年四月十九日夕刊)。

   別に岩波書店社長安江良介はT・K生の『韓国からの通信』(「世界」連載)で北朝鮮を十何年ほめ

  ちぎって、あとで問いつめられたらT・K生なる個人は実在しない、正義のためならウソは許されると

  言葉をにごしたと伝えられる。

   故に常に正義なら胡乱(うろん)だと思えと言ったら正義好きは途方にくれるだろうが、人間は邪悪な

  存在である、サギをカラスと言いくるめる存在である。だから資本主義は己がカガミで、清く正しく美

  しいものだと思いたくても思うなと私は言うのである。」


  (山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)

 
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2006・03・29

2006-03-29 06:30:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 私有財産は盗みだと言い放ったのはプルードンだったと覚えている。簡にして要を得て貧乏人には

  好都合な発言だからすぐ信じられた。金持は悪玉で貧乏人は善玉になった。相続税を奪って三代目に

  は一文なしにするのはイイ気味だと思うのは嫉妬である。嫉妬は常に正義に変装してあらわれる。

   自分は年金だけで暮している貧乏人だと言うものがあるが、戦前は年金も健康保険もなかった。人

  は何千年来貧しかったから、貧乏がなくなったと言われると不服なのである。けれどもルワンダやザ

  イールの飢えはわが国には全くなかった。飢えがなくなれば革命はおこらない。おこしたくてもおこ

  せない。

   大昔はひと握りの王侯貴族とその取巻が暖衣飽食して助平のかぎりをつくした。大衆は食うや食わ

  ずだった。だから百年に一度二百年に一度革命をおこした。正義は革命党にあったから、王侯を殺し

  て革命家たちの天下になったら善政をしくかと思うと、五年もたたないうちに同志を粛清して暖衣飽

  食して助平のかぎりをつくすこと前の王朝の如くだった。大衆は食うや食わずであることも旧の如く

  だった。

   かくて百年に一度二百年に一度革命や戦争を繰返して何千年来人類は健康を保ってきた。健康とい

  うものはイヤなものだ。」


  (山本夏彦著「寄せては返す波の音」新潮社刊 所収)






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2006・03・28

2006-03-28 06:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、斎藤茂太さんの著書「いい言葉は、いい人生をつくる」(成美文庫)から。

 「最近の若い人には、思うようにいかないことに耐える力、専門的にいえばフラストレーション・トレランスの急激な低下が見られる。原因は、家庭で我慢することを教えなくなったからだと、私はにらんでいる。
 われわれの時代、子どもとは、ひたすら我慢を強いられる存在だった。何かがほしいといえば、正月になったらとか、成績がよかったらなどといわれ、その日まで欲望を抑えて待つことを教えられた。
 二番目、三番目に生まれた子など、上の子の使い古しの『お古』を使わされた。一度でいいから新品を使いたかったと、大人になっても述懐する人がいるほどだ。
 昔は貧乏でモノが不足していたからだろうか。私はそうではないと思う。昔の親は、辛抱させる、我慢させることがいかに大きな意味をもっているかを、体験上、熟知していたからだと思う。
 最近の子は、おもちゃ屋が引っ越してきたのかと思うほどの玩具に囲まれ、多くの場合、二人の両親と四人の祖父母からかわいがられ放題にかわいがられる。
 ほしいものは何でも手に入り、足らざることを知らぬまま育った子どもに、フラストレーション・トレランスが発達するわけがない。ちょっと気に染まないことがあれば簡単にキレたりしてしまうのだ。
 だが、子どものようにヌクヌクした環境で、一生を過ごせる人は、そうはいない。
 私がそうだ。東京でも指折りの大きな病院の跡取り息子として生まれ、世間的にいえば、何不自由ない身の上であるはずだった。だが、震災や戦争に見舞われ、人生は山あり、谷ありの波瀾万丈だった。お金の苦労もイヤというほどしてきた。
 だが、だからこそ、いま私は『自分の人生はおもしろかった』といえるのだと思う。何ひとつ波風がなかったら、人生は実に味けないものになってしまうだろう。
 もし、あなたがいまトラブルの渦中にあり、悩んでいるのだとしたら、トラブルは人生を発展させるためのチャンスなのだと考えるとよい。」

 この文章には「人生に失敗がないと、人生を失敗する」というタイトルがついており、タイトルのすぐあとに紹介されている言葉が今日のもう一つの「お気に入り」。

 「どんなにベッドが温かくても、そこから出なくちゃいけない。
               ――アメリカの歌手 グレース・スリィック」
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2006・03・27

2006-03-27 09:00:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は、イギリスの詩人、W.H.オーデンの言葉。


  「 君の心の庭に辛抱を植えたまえ。その根は苦いが、実は甘い。」


  もう一つ、同じくイギリスの哲学者、ヒュームの言葉。

  「 ものごとの実は、それをじつと見つめる人の心の中にある。」


  この二つの言葉は、斎藤茂太さんの「いい言葉は、いい人生をつくる」(成美文庫)という本の中で

 紹介されています。同書の中には著者のこんな文章もあります。

 「 望みが明快になると、自然にそのことに関する情報に目や耳が奪われるようになる。情報が豊富に

  なれば、自然にその道に関しては人並み以上の見識をもつようになり、しばらくたつと、何も望ま

  なかった人より高い位置に立っていることに気づく。

   これが、望めばかなうということなのだ。」

  同じ本の中で紹介されているもう一つの言葉、今日のもう一つの「お気に入り」。

 「 事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。

                             ――勝海舟」
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夜はねむるときです 2006・03・26

2006-03-26 08:35:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。


 「 電気も電話もない国が南方にはまだある。国というより島に近いからこういうところがあるのだろう。天然

  の木の実やくだものを食べて、金はあっても使い道がほとんどない。飛行機も素通りして行く。

   どこにあると問われても、世界の地理に暗い私には答えられない。むかし神経衰弱といった病いをわずらっ

  ている私の親しい友が、そこへ何度も往復してもたらした話である。

   そういう国へもこのごろは日本の商社が進出して、発電所をつくろうとする。発電所へいたる道をつくって

  トラックを走らせ、こんどは乗用車を売りこもうとする。

   そこの国の大臣はひとかどの人物で、西洋で学んでたいていは西洋の人になって島に帰らないのに帰ってき

  た人だそうである。商社の社員が大臣に許可と協力を求めると、なぜ道ぶしんをなさると問う。トラックを通

  すためです。トラックを通して何をなさる。発電所をつくるためです。なぜ発電所をつくる。夜を明るくする

  ためです。夜を明るくして何をなさる。働くためです。

   夜も働くのですかとその大臣は問う。働くのは昼だけで沢山だと言うので、あわてて働くだけではない、学

  んだり遊んだりするためですと答えたら、大臣は笑って夜はねむるときですと言って、道ぶしんの労役の提供

  をことわったという。

   商社々員はそんな返事をきいたことがないので、手をかえ品をかえ説得を試みたが、ここでは日本の言葉は

  通じなかった。文明と文明国なら知らないではないと大臣は言うので、社員は返す言葉がなくヤバン国じゃ仕

  方がないと本国にひきあげてその旨報告した。本社はその社員をほかの発展途上国に派遣して、幸か不幸かそ

  の国は夜を明るくする主旨を理解して発電所もでき自動車も走ってわが国の二の舞を演ずることになりそうで、

  社員の本社のおぼえもめでたいと聞いたが、友はそれからも夜はねむる国に行って夜ごとねむって病いを養っ

  ている。」


   (山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)





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帰雁 2006・03・25

2006-03-25 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「属目という字はよく見るが、私はめったに使わない。どういうところで見るかというと、俳句の雑誌で見る。俳句の雑誌は『ホトトギス』をはじめ沢山あるが、私の知っているのは『春燈』である。」

 「春燈の女流には鈴木真砂女がいる。この人の句はいくつかおぼえている。

  御身思ふこといかばかり雁かへる

 真砂女は安房鴨川の人で、その海岸の大きな宿屋の女あるじだった。ご亭主でない男を思い思われて、夫婦別れして家を捨て今は銀座で『卯波』という名の小料理屋を出している。卯波は卯月のころ立つ波のことだという。銀座へ出て久しくなるが、真砂女は故郷忘じがたく、小料理屋にこの美しい名をつけたのである。心に波立ち騒がぬ日とてはなかったのだろう。
むかし私はこの春燈に、何度か短文をのせてもらったことがある。題のつけようがないので『日常茶飯事』とつけた。『室内』連載の日常茶飯事は、この題を踏襲したものである。
 その縁で私はこの春燈の寄贈を受けている。私はこの雑誌のよき読者ではないけれど、それでも二十なん年その句を見ていると、見ず知らずの真砂女のこれだけの有為転変が分るのである。
 けれども、この句を特におぼえているのは、小説めいた文章に私が無断でこれを借りたことがあるからである。それは夫のある女に送る恋の手紙である。怪しまれてはならないから、手紙には月並な字句だけを並べてある。ただ最後に突然、御身思ふこといかばかり雁かへる――いつぞやお問合せの句の作者は安房の鈴木真砂女でした。思いだしましたからお知らせまで云々と書いて結んだのである。」

 「属目はしょくもくと読んで、よく見る注目することをいう。俳句のほうでは席題でなく、目にふれたものを吟じることをいう。句会でいくつか題が出てその他属目いっさいとあれば、その題以外にいま眼前を去来するものを詠んでいいというほどのことである。」


   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)
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視ることを学べ 2006・03・24

2006-03-24 07:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「西條八十は少年のとき新体詩を学んでようやく一人前になったと思ったら、時代は口語自由詩の時代になってしまったと嘆いていた。佐藤春夫は最後まで文語を捨てなかった。永井荷風の文章がいまだに愛誦されるのはその骨格が文語だからである。

 ――先生がなくなって三年たった。今年の命日もまたすぎた。月日のたつのは何と早いことだろうと書けばただの日記である。先生逝きてすでに三年今年の忌日もまたすぎたり。駒光(くこう)何ぞ駛(は)するが如きやと書けば『荷風日乗』である。

 これらを私は何度か書いた。『山月記』を残した中島敦は昭和十七年数え三十四で死んだ。現代人である。ただ中島の小説は文語文の殿(しんがり)をつとめた。ためにいまだに文庫本に残って中学高校生に読みつがれている。文語文は平安の昔の京都の言葉を洗練したものと漢文くずしである。中島は漢文くずしの最後の人で、共にながい歴史があるから年少の読者は血が騒ぐのである。

 ――次には、視(み)ることを学べ視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微(び)を視ること著(ちょ)の如くなったならば、来(きた)って我に告げるがよい。(中島敦『名人伝』)

 昨今の文脈の混乱は範を横文字にとるようになってから生じた。何らかの形で文語は回復されるだろう。」

  (山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)
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起きて半畳寝て一畳 2006・03・23

2006-03-23 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『ホモ・モーベンス』という言葉がある。『動く人』というほどのことだそうである。その土地で生れその土地で育ち

 その土地で死ぬのは過去の人で、自動車で新幹線でジェット機で出没自在な人が現代の人であり未来の人なのだそうである。

  いかにも我々は動いてやまない。海外を旅するといたる所で日本人に会って、まことに人は動く存在かと思われる。
 
  けれどもいくら動いてもあれは短きは四、五日ながくもひと月を越えない。あっというまに行ってあっというまに

 帰ってくる。

  人には帰巣本能があることは前に言った。いくらかけ回っても帰るべき家があって、そこへ帰ってはじめて枕を高くして

 寝られるのである。

  人はどれだけの土地がいるかとトルストイは問いかけた。落語では起きて半畳寝て一畳という。食う寝るところ住むところ

 という。
 
  食う寝るところ住むところさえあれば人はそんなに動かない存在なのではないか。」


   (山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)






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女房と財布はかくし置くべし 2006・03・22

2006-03-22 06:25:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 中江兆民が訳した西洋の金言にいわく。

  ○ 女房と財布とはつとめてかくし置くべし。あまりしばしば人に見せるときは一日借りられる恐れあり。

  ○ わがフランス人は人前にて妻のことについて一言も発せざるを常とす。座中あるいはわが妻の素性及び

   人となりを知ること我よりはるかに委しき者あるを慮るが故なり。」


  (山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)
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