
今日の「 お気に入り 」は 、最近 拾い読みしている
新約聖書の文語訳「 マタイ傳福音書 」の 第15章 。
イエスの言葉を直接的にせよ 、間接的にせよ 、伝え
聞けば 、「 偽善者 」と決めつけられた相手方 ( パリ
サイ人や宗教学者 ) が 怒るのは 当り前 。怒りを買う
こと先刻承知で 、挑発していらっしゃる 。
質問に質問で返し 、頭の悪い相手を 煙に巻いて 、
最後にとどめを刺す。 頭のいいひとがよく使う 、
相手をおちょくるためにする 会話技法 。
「 食事の前に手を洗う 」という形而下的な教えは 、
ちょうど 現代の幼稚園 、小学校の教室や洗い場の壁
に貼りだしてある「 標語 」のようなもの 。
引用はじめ 。
「 第十五章
1 ここにパリサイ人(びと)・學者(がくしゃ)ら 、
エルサレムより來(きた)りてイエスに言(い)ふ 、
2 『 なにゆゑ汝(なんぢ)の弟子(でし)は 、古(い
にし)への人(ひと)の言傳(いひつたへ)を犯(をか)
すか 、食事(しょくじ)のときに手(て)を洗(あら)
はぬなり 』、3 答(こた)へて言(い)ひ給(たま)ふ
『 なにゆゑ汝(なんぢ)らは 、また汝(なんぢ)らの
言傳(いひつたへ)によりて神(かみ)の誡命(いまし
め)を犯(をか)すか 。4 即(すなは)ち神(かみ)は
「 父母(ちちはは)を敬(うやま)へ 」と言(い)ひ
「 父(ちち)または母(はは)を罵(ののし)る者(も
の)は必(かなら)ず殺(ころ)さるべし 」と言(い)
ひたまへり 。5 然(しか)るに汝(なんぢ)らは「 誰
(たれ)にても父(ちち)または母(はは)に對(むか)ひ
て 、我(わ)が負(お)ふ所(ところ)のものは供物(そ
なへもの)となりたりと言(い)はば 、6 父(ちち)ま
たは母(はは)を敬(うやま)ふに及(およ)ばず 」と
言(い)ふ 。斯(か)くその言傳(いひつたへ)により
て神(かみ)の言(ことば)を空(むな)しうす 。7 僞
善者(ぎぜんしゃ)よ 、宜(うべ)なる哉(かな) 、
イザヤは汝(なんぢ)らに就(つ)きて能(よ)く預言
(よげん)せり 。曰(いは)く 、
8 「 この民(たみ)は口唇(くちびる)にて我(われ)
を敬(うやま)ふ 、
されど其(そ)の心(こころ)は我(われ)に遠(とほ)ざ
かる 。
9 ただ徒(いたづ)らに我(われ)を拜(をが)む 。
人(ひと)の訓誡(いましめ)を教(をしへ)とし教(を
し)へて 」』
10 かくて群衆(ぐんじゅう)を呼(よ)び寄(よ)せて言
(い)ひたまふ『 聽(き)きて悟(さと)れ 。11 口(く
ち)に入(い)るものは人(ひと)を汚(けが)さず 、さ ( 21世紀の現代は 、口に入る
れど口(くち)より出(い)づるものは 、これ人(ひと) ものも 、口より出づるものも
を汚(けが)すなり 』12 ここに弟子(でし)たち御許 人を汚すみたいだ )
(みもと)に來(きた)りていふ『 御言(みことば)をき
きてパリサイ人(びと)の躓(つまづ)きたるを知(し)
り給(たま)ふか 』 13 答(こた)へて言(い)い給(た
ま)ふ『 わが天(てん)の父(ちち)の植(う)ゑ給(たま)
はぬものは 、みな坺(ぬ)かれん 。 14 彼(かれ)ら
を捨(す)ておけ 、盲人(めしひ)を手引(てびき)する
盲人(めしひ)なり 、盲人(めしひ)もし盲人(めしひ)
を手引(てびき)せば 、二人(ふたり)とも穴(あな)に
落(お)ちん 』 15 ペテロ答(こた)へて言(い)ふ『 そ
の譬(たとへ)を我(われ)らに解(と)き給(たま)へ 』
16 イエス言(い)ひ給(たま)ふ『 なんぢらも今(いま)
なほ悟(さと)りなきか 。17 凡(すべ)て口(くち)に入
(い)るものは腹(はら)にゆき 、遂(つひ)に厠(かはや)
に棄(す)てらるる事(こと)を悟(さと)らぬか 。18 さ
れど口(くち)より出(い)づるものは心(こころ)より出
(い)づ 、これ人(ひと)を汚(けが)すものなり 。19 そ
れ心(こころ)より惡(あ)しき念(おもひ)いづ 、すなは
ち殺人(ひとごろし)・姦淫(かんいん)・竊盗(ぬすみ)
・僞證(ぎしょう)・誹謗(そしり) 、20 これらは人(ひ
と)を汚(けが)すものなり 、されど洗(あら)はぬ手
(て)にて食(しょく)する事(こと)は人(ひと)を汚(け
が)さず 』」
引用おわり 。
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