「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・30

2006-06-30 08:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「私はこれらを面白ずくでしている。まんまと敵の裏をかいたと笑っている。本気ではないからありがたく思う人が少いのである。ふりかえってみれば私は何事にも本気ではなかった。第一『室内』という雑誌を三十年もやっているのだって何故か私にも分らない。物のはずみであり縁である。私が成功しないのは笑うからである。けれどもこれが笑わないでいられようか。笑うのは私がいついかなる席でも『他人』だからである。ずいぶん笑わぬように心がけてはいるものの持ったが病いでこれはなおらない。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・29

2006-06-29 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「私は妻の振袖を米一俵にかえた。スーツを二斗にかえた。ふだん着を一斗にかえた。面白がってみな米にかえた。麹屋へ行くと米さえ持参すれば麹ととりかえてくれる。麹があれば味噌はできる。甘酒もにごり酒もできる。私たちは二年の間にあらかた交換してしまった。米を送るに困って『ぬき板』を買ってきた。木工会社だから板はいくらでもある。そのぬき板をたてに割って洋傘またはステッキのいれもの状の細く長い箱をつくり、そのなかにはいる袋をつくり、ソーセージのように所々を紐でくくって国鉄に持参すると、たいがいのものはずしりと重いから米だと見破るのにこれはあまりに長いのでまんまとだますことができた。
 私は駅員の職務忠実なんて信じない。あれも意地悪である。だから手をかえ品をかえ秘術をつくして送った。」

    (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・28

2006-06-28 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「私は横手で敗戦を知った。その日からあかあかと電気がついた。マイクで古い流行歌を流しだした。平和というものはマイクで『東京音頭』を流すことだとこの町の人は思っている。ああまたあの音頭に悩まされるのかと思ったが、それからというもの私は買いだしばかりした。この土地の人は誰一人食うに困ってない。酒にこまってない。着るものは米と交換すればいい。
 私は妻の着物を米にかえた。二階の四畳半に三俵の米を貯えてちょっと裕福になったような気になったが、一家五人そのうち一人は老女二人は幼な子にそんなに米がいるはずがない。私はそれを八方に送った。」

 「母のところへ送った。旧知の著者のところへ送った。印刷屋の主人に送った。再びまる通の若い衆を手なずけて旅館までとりに来てもらった。郵便局から小包で送った。再三なので怪しまれたが印刷屋に送るときは鉛板だといっておし通した。
 米を送るのは禁じられている。あり余っている所からない所へ送っていけないという法はない。配給計画がたたないからと言いたいのだろうが配給するから足りないのである。売ることを許せば一人ぶん二合や三合は出てくる。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・27

2006-06-27 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「横手では廃業した大石旅館の二階の半分を借りた。十二畳と六畳と四畳半である。専用の台所と梯子段をつくったから独立家屋と変らなかった。
 戦争中は米や餅を送ることは深くとがめられなかった。郵便局から小包で送った。これではたかが知れているからべつに鉄道小荷物で送った。小荷物は二十キロまで送れたからそれを祐天寺の母のところへ送って上京したら私と母の食いぶちにして余りあるようにした。
 六月になってからは東京は焼けるところがなくなってしまった。ある日私は新宿西口の加藤運送店を訪ねてその帰途一面の焼野原で紺がすりのもんぺ姿の四五人の娘たちとすれちがった。なかの一人上背があって満身にホルモンがあふれているのがいた。うしろからトラックが来た。徴用工らしい若者が大ぜい乗っている。若者たちは徐行して口笛を吹き手を振った。娘たちもそれに答えて手を振った。
 私はネオン輝く昭和十二年十三年の銀座街頭を思いだした。男たちが近よってくること、女たちが避けるがごとく媚びるがごとくすること今と同じだと思った。アルタミラの洞窟のなかで男女が半裸でくらしていたころでも気どった女は裸で気どっていたのであり、虎の皮のふんどし一つの女も避けるがごとく挑むがごとくであること今と同じで、もんぺだから哀れだなどということはない。ひとりだけもんぺなら哀れだが皆さんもんぺである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・26

2006-06-26 07:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「秋田に行っても事務所が焼けないうちは出勤した。多く東京にいて時々帰った。事務所は五月下旬に焼けた。その日は横手にいたので私は真の空襲に会ってない。ただし会ってないのは私だけではない。農村とその周辺の都会の住民は会ってない。暖衣飽食している。これよりさき私は製本屋に命じてザラ紙一連で並のノートをつくらせた。帳簿用紙一連で極上の帳面をつくらせた。何百冊できたか忘れた。ザラ紙のノートは小学生の子がいる農家に手土産にした。ほかに安全剃刀の刃を何百枚も買いこんだが、これはどういうわけかついになくならなかった。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・25

2006-06-25 09:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「疎開するとなると荷造りしなければならない。唐草の大風呂敷ならいくらでもあるが、荷造りしてみて私は私のうけた教育が何の役にも立たないことを思い知った。荷造りひとつ出来ないのである。大きなものは『まる通』に梱包させたが小さいものはチッキにした。貨車便は遠回りしていつ着くか分らない。どこで空襲にあうか分らない。チッキなら客車便で、客車と共に行くからその日に着く。夜具ふとん鍋釜のたぐいはその日から必要である。ただし当時チッキは八貫目まで。八貫目は買出しで知っているがつい欲が出て、夜具のなかに鍋をいれると三百匁か四百匁超過する。鉄道の係は超過だからとつき返す。素人の荷造りだから十重二十重にしばってある。それをほどくのはひと骨である。私はいつ空襲があるか分らないせとぎわでも人は意地悪をしなければいられない、その心中を忖度してさぞ嬉しかろうと一再ならずそのポーカーフェイスをながめたものである。
 もうお分かりだろうが私の興味は天下国家になくて些事にある。ここでは意地悪にある。人はみな意地悪である。そして私は怒るより笑うのである。砲弾雨飛の下でも笑うのである。荷造り一つ出来ない私が笑うのである。いつまでも笑ってはいられないから『まる通』の若い衆にワイロをつかってそれにやってもらった。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・24

2006-06-24 05:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「ジャーナリズムに限らず商売の才というのは実はいかさまの才なのである。『保険会社』の発想なんてその最たるものである。私はそれを考えると同時に笑ったからいやしくなることを免れたのである。同時に成功しなかったのである。あれは大まじめにやらなければならないのである。
 二十年三月十日の空襲で麹町隼町は焼け残った。その晩柏の家をほとほとと叩くものがある。柏の家には客はない。ことに夜はない。『だれ』と怪しんで聞いても返事がない。再び三たび問うと『オイさんです』『なにオイさん』『ハイ』『なあーんだ大井さんじゃないか』。
 オイさんは野菜をかついで見舞に来てくれたのである。三月十日までの空襲は高度が高く軍事目標が中心だったが、三月十日以後は違う。もういけないと私はもう一度疎開する決心をした。秋田県横手町である。会社はそこの木工会社に出資して東京側の役員として乗りこめば住むところぐらい世話してくれるだろうとその日から荷造りしてはるばる横手まで行くことになった。柏は戦災をうけなかったからそれには及ばなかったのだが、それはあとになって分った話で当時は明日をも知れなかったのである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・23

2006-06-23 08:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「私はじゃが薯里芋まくわ瓜以下たいていのものが買えるのに熱中して毎週日曜には買出しに行った。そしてそれを麹町の事務所へかこんだ。ほうれん草の如きは八百屋で一円二十銭である。農家でいくらだか知らないが高くないにきまっている。軽くて荷にならないから毎日はこんで客に進呈して喜ばれた。ことにこの篤農家のそれは他とくらべものにならなかった。南京豆や小豆は頼まれれば買ってあげた。ただし薯類は重いからごめんである。
 麹町の事務所はあいてさえいれば誰かが来る。次第に行くところがなくなって立寄るのである。寄れば何かを持ってくる。はじめはサントリーでありニッカであったが次第にオーシャンでありアイデアルになった。しまいにはアルコールになったがすすめられても私はなめるだけで飲まなかった。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・22

2006-06-22 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「闇は私が買っている。まだたいした闇ではないがそれでも闇である。それは家計簿についてない。だから比べようがない。たぶん凡百の家計簿はただつけているだけなのだろう。荷風散人でさえ闇だけつけてまる公をつけてない。やむなく妻の家計簿とつきあわせてみると十九年十月九日芋四貫匁十三円十一月十七日芋四貫匁一円八十銭とあるから前のは闇であとのは配給だと分る。十一月二十五日芋四貫十六円同三貫(田口さん)十円とあって田口さんの名前方々にあるところをみると、この人に分けてもらっていることが分る。してみると妻は妻で近所から分けてもらっているのだ。ただ芋とだけあって何芋だか書いてない。じゃが芋はじゃが薯とあるからたぶんさつま薯だろう。さつま薯とすれば配給の薯は食えたものではない。田口さんまたは米屋から分けて貰う薯は食べられるから必ずしも闇とは言えない。二十年一月十七日卵五個五円とあるから一個一円である。十九年四月十一日荷風散人の闇値覚書によると白米一升は十円醤油一升も十円バタ一斤弐十円玉子一個七十銭とある。これが九月二十七日になると米十五円玉子九十五銭甘藷一貫目九円とあってややあがっている。
 家計簿とつきあわせてみると卵は共に闇であることが分る。もっとも卵の配給というものは絶えてないから一がいにこれを闇というのは正しくない。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・21

2006-06-21 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「妻は家計簿なんぞつける性質の女ではないが、つけたノートが二三冊残っている。私がつけよと命じたというが、私が命じるはずがない。以来四十年つけないでそれに文句を言わないことによってもそれは明らかである。
 けれども今にして思えば家計簿というものは貴重な手がかりである。配給がいくらで闇がいくらと書いてあればそれだけでも彷彿とその時代がわかる。よくNHKテレビは戦前からの家計簿を何十冊もつみ上げて驚いて見せるが、ただ驚いていないで中身に立ちいってくれ。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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