「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

命ながければ恥多し 2005・07・31

2005-07-31 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「詩人はその詩藻が涸れると、詩をつくることをやめるが、歌よみはつくることをやめない。詩人は詩を売って

  衣食することができないから自然にやめるのである。歌よみは結社をつくって、雑誌を出して、それで衣食する

  ことができるからいつまでもやめないのである。文士は文を売ってくらすことが、昔はできなかったが今はできるから、

  すでに作者でなくなったのに、なお売ってくらすのである。

   もうなん年も前から書くことがないから、以前の自分の成功した作を、自分で模倣するのである。自分が自分をまねするのは、

  まねのなかで情ないものの一つであるが、ながく生きた芸術家のまぬかれぬところである。そして芸術家の全盛時代がせいぜい

  十年とすれば、多くの芸術家のまぬかれぬところである。その故に作者は互にそれと知りつつかばいあって言わないのである。

  命ながければ恥多しという。」


  「建築家もまたのぼり坂が三年、のぼりつめて三年、あとは自分で自分を模倣して大家などといわれること文士と似たものなのである。

  私はそれをとがめているのではない。ただながめているのである。そして、それなら才能をつかいはたして、再起することがない

  編集者のほうが、あるいは潔いのではないかと思うのである。」


   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)





                   
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2005・07・30

2005-07-30 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前書き留めた与謝野晶子(1878-1942)の短歌ニ首。

  
   鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

   その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
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2005・07・29

2005-07-29 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「旅行けば女ばかりのジャパンかな――と『文藝春秋』はグラビヤで特集したことがある。どこへ行っても女たちに出あって、男たちに出あうことの少ないのを揶揄したのである。
 以前は私も旅をしたが、今はしない。ことに海外へは行かない。行かなくても年中行っている知人がいて、海外の話をしてくれる。それ以上のことは半月やひと月行ったところでわからないから行かない。」

 「海外へ行った男女は私たちの周囲にいくらでもいるが、旅したことによって何ものかを得た人は少ない。
 そもそも、犬は遠くへ行かない。犬をくさりでつないで何日も放さないでおくと、悲鳴をあげて放されることを望む。放してくれたらどこへでも行かれると犬は思っているだろうと察して放してやると、犬は狂喜してしばらくかけずり回るが、それは二日と続かない。以後くさりでつながなければ、それは自然であり当りまえだから、犬は毎日有難がりはしない。のそのそと、または一目散に犬は出たりはいったりする。犬が出かける範囲はきまっていて、それを越えない。
 その範囲は二キロか三キロを出ないのではないか。犬がそうなら同じ哺乳類である人もまたそうである。用もないのに人は遠くへ行かない。パリの住人でエッフェル塔へのぼったことのないひとはいくらでもいる。いつでものぼれると思ってその機会を得ないのである。べつにのぼる必要を認めないのである。それは東京の住人で霞が関ビルを知らないのがあるがごとしである。」

 「その土地の人はその土地のことを知らない。知っているのは一キロか二キロまでの町内のことである。それ以上のことは本当は知らなくてもいいことだと実は私は心得ている。アメリカの新聞がもっぱら町内のことを書いて、天下国家のことを書かないのは理由のあることなのである。私は日本の新聞もそうあるのが本当だと思っている。わが国の地方新聞が、アメリカの大統領選をわがことのように報ずるのは間違っている。あんなものだれも読みはしない。読まないほうが健康で、熱心に読むものがあったら病気だと思っている。」

 「この気違いじみた旅行熱はいずれさめるだろう。何の知識もなく学問もないものが、いくら旅しても得るところがないことは、若年のころ私は旅して承知している。くさりをとかれた犬のように、いくらかの金をにぎってかけ回ってみるが、そのうちかけ回らなくなるだろう。」

   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
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相性 2005・07・28

2005-07-28 05:30:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「美濃部都知事は、婦人票によって当選したと私は思っている。婦人の多くは、この人があらわれただけで動揺する。

したがって私は婦人に選挙権は与えないほうがいいという意見である。」

 「都知事にも見識はあるだろうし、経綸もあるだろう。けれども、婦人たちがホルモンに動かされて投票し、見識に

 動かされて投票しないならば、他を圧するその人気は望ましいものではない。 


  いつぞやの都知事選挙で、自民党は秦野章をたてて失敗した。ホルモンにはホルモンを、

 と私は思っている。この人と争うなら、この人以上のホルモンをつれて来なければならない。

  この発言が、もし選挙を冒涜するものなら、そもそも選挙に婦人を参加させたのがいけないのである。私の言うことは

 理不尽に似ていて恐縮だが、世の中を動かしているのは、この理不尽なのである。

  私は相性というものはあると思っている。いつぞや書いたことがあるが、小学生のとき私は担任の教師に憎まれた。

 十歳の童児を四十を越した教師が憎むのは、大人気ないからかくしてはいるものの、憎いものは憎い。

  私はホルモンのことを言いすぎたが、ホルモンに関係のない相性もある。今にして思えば、二人は相性が悪かったのである。

 少年の私も、中年の教師も、共に苦しんだのである。生徒は先生を選べない。先生も生徒を選べない。

  それは習慣にすぎない。私はこの習慣を破って、遠慮なく選ぶことに改めたほうがいいと思っている。

  どこの会社の『部』にも『課』にも、上役と相性が悪い下役がいる。彼がそこに存在するだけで、上役はじりじりする。

  それはおさえておさえ切れない理不尽な気持である。

  それは大人と子供の間にもある。男と女の間にもある。男と女の間は、互に牽引するものがあるから一般にうまくいくが、

 実は牽引するものが全くないと分ると、男と男の間より憎みあう。

  その原因を当人たちは知らないことがある。知っていても言えないことがある。だから、その気持をかくして、

 無いもののように振舞うが、それは誰にでもあるものだから、あると認めたほうがいいのである。

  私案によれば、年に一度上役は下役を選ぶことができるようにする。そのときその席上で、上役はその下役を敬遠することが

 許される。ただし、理由を言うことは許されない。相性が悪いというサインだけ出せばいいのである。

  捨てる神があれば拾う神があって、一人が敬遠すると、一人が譲りうけてくれる。ついに誰も引受け手がない下役が残り

 はしないかと、この案に反対する重役があるかもしれないが、その心配は無用である。

  それは縁談に似ている。縁談というものはまとまるものである。結婚する意志さえあれば、売れ残るということはない

 ものである。美男美女でなければ、話はまとまらないなら、この世は配偶者にあぶれた男女でいっぱいになるはずである。

  だから、私は美濃部亮吉を下役にすることを、この会議の席上忌避する。理由は言わない。私は相性が悪いというサインを出す。

 そうすると、この人を下役にすることに平気な人が、同じくサインして引受けてくれるのである。
 
  美濃部亮吉の票はホルモン票だと私は書いたが、男子もまたさまざまで、美濃部亮吉がいやでない人がいるのである。

  長谷川一夫がいやでない人がいるのである。

  上役が下役を選ぶのである。先生が生徒を選ぶのである。これを毎年繰返すと、人事は円満になると思う。人は五年十年、

 はなはだしきは一生がまんしなくてもよくなるからである。それでもバットで殴ったり、銃で撃ったりする下役がいる。

 それは、いついかなる時代でもいる例外で、病人かきちがいだから仕方がない。」


   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
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2005・07・27

2005-07-27 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された俳句です。


   挑灯(てうちん)で若鮎を売る光かな

   山葵ありて俗ならしめず辛き物   (炭太祇)
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2005・07・26

2005-07-26 05:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された短歌をいくつか。

   しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ (河野裕子)

   たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか (河野裕子)

   みづからに消臭剤をふきつけて梅雨ふかき日を息子出でゆく     (花山多佳子)

   素足(なまあし)と若きら怖きことを言ふなまくびにくさり光らせながら  (山本かね子)
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卯波 2005・07・25

2005-07-25 05:25:00 | Weblog





 「死にし人別れし人や遠花火」 

 今日の「お気に入り」は鈴木真砂女さん(すずき・まさじょ、本名=まさ、1906-2003)の句です。

 「女三界に家なき雪のつもりけり」

 「春寒くこのわた塩に馴染みけり」

 「ほろほろと百合根煮くづれ花の雨」

 「貸し倒れ一つ残して春暮るる」

 「ゆく春や身に倖せの割烹着」

 「羅(うすもの)や人悲します恋をして」

 「白桃に人刺すごとく刃を入れて」

 「品書きに鰤書き足して鰹消す」

 「今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ)」

 「手をのせし胸の薄さや今朝の秋」

 「草木よりひと足先に人枯るる」

 「落葉焚く悔いて返らぬことを悔い」

 「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」

 「ひとりとは声にはならぬ初笑」

 「一人にも湯気たちのぼる初湯かな」

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2005・07・24

2005-07-24 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された短歌をいくつか。

 バイクよりひらり降りたる青年がヘルメット脱ぎ美少女となる   (阿部綾)

 にわかにも字の巧くなる時期を経て少女らの便り遠のきにけり   (石本隆一)

 尻尾あらば楽しかるべし髪のいろ今日も変りて息子が跳ねゆく  (花山多佳子)

 ひとたびは失せたる幼き面ざしの戻りてゐたり十八の息子に   (花山多佳子)
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2005・07・23

2005-07-23 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された短歌をいくつか。

 思はずも一つもらして幼児(おさなご)はわれと驚き高笑ひせり  (若山喜志子)

 筆を手に初めて書ける幼な子のためらひあらず一といふ文字   (倉沢寿子)

 手を休め心を休めひとときを無心になりてまた立ち上がる    (長沢美津)

 年ふりていくつになりても自らの楽しみ心捨ててはならず    (長沢美津)
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2005・07・22

2005-07-22 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された短歌をいくつか書き留めたものです。

 グランドにしゃがみたるまま動かざる十七歳の老いふかき顔   (岩下静香)

 銀色の文字よく見えず近づけば「つかれた」とだけ学級日誌   (岩下静香)

 少年の言葉ののちに湧く虚脱われか少年のものか分たず     (米川千嘉子)

 青空の光の奥にひらきゐるいと大いなるまなこあるらし     (片山敏彦)
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