「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・05・08

2005-05-08 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「たとえば昭和初年、私がまだ子供だったころ、新聞は毎日財界と政界の腐敗を書いたあんまり書くから、読者は信じたいっそ殺してしまったらと、若者たちは井上準之助を、高橋是清を、犬養毅を、その他大勢を殺した
 古いことでお忘れなら、吉田茂首相を思いだして頂く。彼ならまだご記憶だろう。
 彼は歴代宰相のうち、最も評判の悪い人だった。新聞は三百六十五日、彼の悪口を言った。しまいには、犬畜生みたいに言った。カメラマンにコップの水をあびせたと、天下の一大事みたいに騒いだ。捕物帖の愛読者だと、その教養の低きを笑った。ついには角帯をしめ、白足袋をはいて貴族趣味だと、難癖をつけた。不吉なことを言って恐縮だが、当時彼がテロにあわなかったのは僥倖である。
 わが国の新聞は、明治以来野党精神に立脚しているという義のためなら権威に屈しないという自分で言うのだから、眉ツバものだが、読者は反駁するデータを持たないほんとだと思うよりほかない
 けれどもこれは、悪口雑言である。人をほめて面白く読ませるのは至難である。悪く言って面白がらせるのは容易だから、易きについたのだと私は思っている。
 どんな愚かものでも、他人の悪口だけは理解する。だから、柄(え)のないところへ柄をすげて、読者に取入って、それを野党精神だと自らあざむくのである。」

  (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
 
コメント
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