「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

それはそれはわかりやすい世界 Long Good-bye 2024・09・28

2024-09-28 06:06:00 | Weblog

 

 

 今日の「 お気に入り 」は 、田原総一郎さんと佐藤優さんの

 共著  「 人生は天国か 、それとも地獄か 」( 白秋社 刊 ) から 、

 「 高齢者 」一歩手前の 佐藤優さんから「 高齢者へのネット

 活用のおすすめ 」。佐藤さんにしては 、随分 ぬるい 、のん

 きなコメントをなさってるように聞こえるのは私だけ ?  

  令和の時代になって 、ネットを活用する余裕のない 、その日

 暮らしのお年寄りや 、ジェンダーや老若にかかわらず 、その

 予備軍が 、めっきり増えてしまったような気もします 。

  引用はじめ 。

 「 いまの高齢者を見ていると 、インターネットを
  使いこなしているタイプと 、パソコンに触るのも
  嫌というタイプ 、大きく二つに分かれているよう
  に思います 。ネットツールを使いこなせると 、コ
  ミュニケーションの幅も広がるし 、娯楽や学びの
  面でも選択肢がぐっと増えます 。」

 「 若い世代では 、テレビはほとんど観ずに 、 
  『 YouTube 』や『 Netflix 』、あるいは『 Amazon 
  プライム 』などを観ているという人が多いのです 。
  こうしたツールで話題の作品などを観ていると 、 
  家族と話をする際の共通の話題になると思います 。」

 「 ネットを活用できる人はどんどん生活が便利にな
  り 、情報をたくさん集めて周囲とのコミュニケー
  ションを深め 、また娯楽も楽しむ 。反対に 、ネ
  ットを活用できない人は経済的に不利益を被り 、
  コミュニケーション不足から不安感や孤独感が積み
  重なっていく ―― 。こうした傾向は顕著になって
  いくと思われます 。」

  引用おわり 。

 (⌒∇⌒)

  世代間の意識の隔絶は 、かつてなかったほど 、また埋め

 ようもないほどに拡がっているのかもしれませんね

  以下に引用する文章を読んでいて 、あらためてそう感じ

 ました 。

  引用はじめ 。

 「 ・・・ 物事を知る 、ということに関して言えば 、    
  本当にいい時代になった 。ただそれにより 、世の
  中の曖昧さは 、限りなくゼロになってしまった 。
   例えば 、もし僕が漫画家を目指したいと思ったと
  する 。ふとSNSを開いたら 、自分と同い年 、 
  もしくは年下の衝撃的に漫画の上手い連中が 、秒
  で見つかるだろう 。若かりし頃に誰もが根拠なく抱
  く 、自分への淡い期待 。他人への悪意なき承認欲
  求 。そんなものは 、マッハで木っ端微塵になって
  しまう時代に僕たちは生きている 。」

 「 今日もSNSの中では 、誰かの希望が秒で打ちく
  だかれ 、誰かの承認欲求が秒で否定されている 。
  それはそれはわかりやすい世界になった 。わかり
  やすい世界は 、大して僕たちを幸せにしてくれな
  かった 。結果と事実だけを求めるなら 、たしかな
  のは 、僕たちはみんな死ぬということだけだ 。僕
  たちの人生は光と影の連続で 、その醍醐味は日々
  のグラデーションの中にあるはずだ 。」

  引用おわり 。

  引用元は 、燃え殻 さんの随筆 「 ブルーハワイ 」( 新潮社 刊 )。

 (⌒∇⌒)

  サステナブルな人生を組み立てるのは 、なかなか大変だ 。

 

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人間が生きる意味 Long Good-bye 2024・09・25

2024-09-25 05:33:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、田原総一郎さんと佐藤優さんの

 共著  「 人生は天国か 、それとも地獄か 」( 白秋社 刊 ) の

 中で 、田原総一朗さんが書かれた文章のいくつか 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 世の中に 、完璧な人間などいません 。だから
  こそ 、自分にとって『 好きなこと 』を大事に
  してみるべきでしょう 。すると 、それが仕事
  になったり 、大切な趣味になったりすることが
  あるのではないでしょうか 。
   苦手なことを気にしたり 、人と自分を比べて
  ばかりいても 、道は拓けません 。まずは『 好
  きなこと 』を精一杯 、大事にしてみることが
  大切なのだと思います 。」

   (⌒∇⌒)

 「 かくいう私は 、実は妻を二人亡くしています 。
  二人の命を奪ったのは 、乳がんでした 。」

 「 二度も妻を亡くしたという体験は 、私にとっ
  て過酷な試練でした 。しかし 、人間はみな一
  人で生まれ 、一人で旅立っていきます 。結婚
  していれば 、必ず 、どちらかが配偶者の死と
  向き合う日がやってくるのです 。
   すなわち 、最後は一人なのです 。
   出会って 、愛し 、別れる ・・・ すると 、
  身を切られるような辛い地獄に陥ります 。し
  かし 、それを恐れていたら 、人を愛すること
  すらできない 。これは真実です 。」

  引用おわり 。

  何冊かの本を並行して読み進めているので 、なかなかはか

 がいかない 。

  この本の中には 、他にも本当にたくさんのことが語られて

 いるよう 。 久々に出会う読み応えのある人生案内 。

 

  

( ついでながらの

  筆者註:「 田原 総一朗( たはら そういちろう 、1934年
      〈昭和9年〉4月15日 - )は 、日本のジャーナリスト、
      評論家 、ニュースキャスター。元ドリームインキュ
      ベータ社外取締役 。元東京12チャンネル( 現:テレビ
      東京 )ディレクター 、元映画監督 。日本国際フォー
      ラム参与 、政策委員 。公益財団法人日印協会顧問 、
      一般社団法人外国人雇用協議会顧問 、NPO法人万年野
      党会長 。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと
      業務協力 。

      滋賀県彦根市出身 。血液型はB型 。田原節子は妻(2004年
      死別) 、その妹に古賀さと子がいる 。」

      以上ウィキ情報 。 )

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述懐 Long Good-bye 2024・09・21

2024-09-21 05:25:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、田原総一郎さんと佐藤優さんの

 共著  「 人生は天国か 、それとも地獄か 」( 白秋社 刊 ) から 、

 「 知の巨人 」佐藤優さんの述懐 。備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 世の中を見渡せば 、理不尽な事故や事件に
  巻き込まれ 、肉親が不幸に見舞われている人
  が少なくありません 。なぜ私の子が 、親が 、
  妻が 、夫が ・・・ その悲嘆はいかばかりで
  しょう 。しかし 、思いもかけない不幸は 、
  残念ながら誰の身にも起こり得ることです 。」

 「 私の場合 、命の危険には晒されませんでし
  たが 、身に覚えのない事件に巻き込まれてし
  まいました 。逮捕されたとき 、父はすでに
  他界していましたが 、母はどんな思いだった
  のでしょうか?」

 「 母と私はプロテスタントのキリスト教徒です 。
   キリスト教では 、人間は死ぬと肉体も魂も
  完全に滅びてしまいます 。しかし 、イエス・
  キリストの再臨で復活し 、審判にかけられま
  す 。これが『 最後の審判 』であり 、神を信
  じ 、神の意向にならって生きた者はイエス・
  キリストと共に神の国に行き 、永遠の命を得
  るとされています 。キリスト教徒はそれゆえ 、
  死こそが信仰の完成であると考え 、死という
  ものを恐れません 。
   ですから 、キリスト教徒は 、死や孤独 、そ
  して危機に強いといえるでしょう 。自分の命は
  神のものであり 、命が終われば神のもとに帰る
  と信じているのですから 。
   実際 、私が512日間の拘留と厳しい取り調
  べに耐えられたのも 、信仰を持っていたことが
  非常に大きかったと思います 。ここで受けた試
  練は神の意志であり 、それを乗り越えることで
  神に近づくことができる 、どんな不条理な出来
  事に直面しても 、不条理であればあるほど 、自
  らと自らの信仰を確立する機会だ 、と思いまし
  た 。
   拘置所の外に出て作家として働き 、その後 、
  腎機能が低下して透析を受けることになっても 、
  また新型コロナウィルスが蔓延しても 、どこか
  醒めた目で見ています 。」

  (⌒∇⌒)

  「 ここで『 旧約聖書 』の『 ヨブ記 』の話をし
  ましょう 。
   ヨブは 、信仰が篤く 、たくさんの子どもを授
  かり 、また働き者で 、資産に恵まれた人物で
  した 。そんなヨブに嫉妬した悪魔は 、神に対
  して賭けを持ちかけます 。
  『 ヨブの信仰は 、しょせん財産と子どもに恵
  まれたからだ 。それを奪ったら 、きっと神を
  呪うに違いない 。賭けをしよう 』
   ヨブの信仰を疑わない神は 、『 ヨブの命を奪
  わない範囲で好きにするがいい 』と 、賭けに応
  じます 。
   悪魔は事故を起こし 、ヨブの子どもたち 、そ
  してヒツジなどの家畜をすべて殺してしまいま
  す 。すべてを失い 、打ちひしがれるヨブに対
  し 、悪魔は追い打ちをかけ 、疫病に罹らせて
  しまいました 。
   ところが 、ヨブの口から出てきたのは 、次の
  ような言葉でした 。
  『 私は裸で母の胎を出た 。裸でそこに帰ろう。  
  主は与え 、主は奪う 。主の御名は褒め称えられ
  よ 』(『 ヨブ記 』1章21節 )
   ヨブは神を呪うどころか 、神を称え 、そう叫
  びました 。
   賭けに負けた悪魔は退散し 、ヨブは再び 、家
  族と財産を得ることになります 。
   私は『 ヨブ記 』を読むたびに思います 。生
  きていれば 、神と悪魔の賭けではないかという
  ような 、あまりに不条理な試練に立たされるこ
  とがままあるのだ 、と ―― 。」 

  (⌒∇⌒)

  引用おわり 。

  上の小文のタイトルは「 神と悪魔の賭けにも似た

 不条理な試練に直面することがある 」。

   長く生きれば 生きるほど 、いろんな目に遭います 。 

  (⌒∇⌒)

 ( ついでながらの

  筆者註:「 佐藤 優( さとう まさる 、1960年〈昭和35年〉
       1月18日 -  )は 、日本の作家 、元外交官 。
       同志社大学神学部客員教授 、静岡文化芸術大学
       招聘客員教授 。学位は神学修士( 同志社大学・
       1985年 )。

       在ロシア日本国大使館三等書記官 、外務省国際
       情報局分析第一課主任分析官 、外務省大臣官房
       総務課課長補佐を歴任 。その経験を生かして 、
       インテリジェンスや国際関係 、世界史 、宗教な
       どについて著作活動を行なっている 。」

      「 Wikipedia に対する評価:
        ウィキペディア(日本語版を含む)に対して 、
       百科事典が本来果たすべき『 歴史をある時点
       で切断し 、その時点での体系知の構造を提示
       する 』という目的・機能をウィキペディアは
       果たすことができないとしている 』 また 、
       ウィキペディアへの批判として 、それが『 世
       界大百科事典 』といった従来の事典と比較し
       て『 信憑性が根本的に異なる 』としている 。」

      以上ウィキ情報 。)

      

  

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魔法のチケット Long Good-bye 2024・09・15

2024-09-15 05:23:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、沢木耕太郎さん ( 1947 -   )

 の随筆「 飛び立つ季節 ― 旅のつばくろ ― 」( 新潮社

 電子オリジナル版 )の中から抜き書き 。備忘のため 。

 この文章が入っている小文のタイトルは 、

 「 風景をつなげる 」。

  引用はじめ 。

 「 人生において後悔というものをあまりしない
  私が 、旅において後悔していることがひとつ
  ある 。それは 、都市や国のあいだの移動に
  夜行の乗り物を使ってしまったことだ 。
   たとえば 、二十代における海外旅行の際 、
  イランの国境に近い都市であるメシェッドか
  ら首都のテヘランまでの移動に夜行バスを使
  ってしまった 。そのときの旅は 、ユーラシ
  ア大陸の外縁を地続きで旅するというものだ
  ったが 、夜行で通過したその区間だけは風景
  の記憶が欠落している
   あるとき 、それはずいぶんもったいないこ
  とだったなと思うようになった 。その風景と
  は 、一期一会 、もう二度と巡り会えないか
  もしれなかったからだ 。
   以来 、私は初めての土地を移動する際 、夜
  行の乗り物を利用することがなくなった 。 」

 「 しかし 、人生最初の大旅行である十六歳の
  ときの東北一周の旅では 、夜行列車に乗って
  移動することで一泊の宿代を浮かせられると
  喜んでいた 。」

 「 実際 、私は十一泊のうち 、国民宿舎という
  安い宿に泊まったのが二晩 、駅のベンチで眠
  ったのが二晩 、残りの七晩は夜行列車の中で
  眠ったのだった 。 」

  引用おわり 。

 (⌒∇⌒)

  作家と同学年の筆者も 、十六歳のとき 、すなわち高校二年

 の夏休みに 、人生最初の大旅行である「 東北一周 」をして

 いる 。作家同様 、旧国鉄の「 東北周遊券 」を利用しての

 旅である 。当時 、この周遊券が学生にとって「 魔法の

 チケット 」だったことは 、作家も 、同じ小文の中で 、

 次のように書いておられる 。

 「 私は十六歳のとき 、東北を一周する旅に出た 。
   まず上野から向かったのは秋田だった 。」  ( みちのくひとりたび )

 「 その際 、私は出発点である上野駅で 、何番
  線から 、何という名前の夜行列車に乗って秋
  田に向かったのだろう 。
   いま 、古い時刻表で調べてみると 、私が買
  った旧国鉄の周遊チケットは 、正式には『 均
  一周遊券 』の中の『 東北周遊券 』というもの
  で 、通用期間は十二日間 、値段は『 学割 』
  で二千六百四十円であったらしい
   アルバイトで貯めた金は 、それを買うと三千
  円余りしか残っておらず 、それで十二日間を
  過ごすのは大変だったはずだが 、意気軒昂と
  していた 。それは 、その『 東北周遊券 』が 、
  東北エリア内なら急行も準急も乗り降り自由と
  いう魔法のチケットだったからである 。」

 「 さらにその古い時刻表を調べていくと 、私が
  乗った可能性がある午後九時台までの急行列車
  は二本だということがわかった 。
   上野から東北本線で福島まで行き 、そのまま
  奥羽本線に入って秋田まで行くという夜行列車
  は 、十九時四十五分発の『 おが1号 』か二十
  一時三十分発の『 津軽 』である 。『 おが1
  号 』なら十二番線 、『 津軽 』なら十一番線
  から出ていることになっている
   一人旅だった私は 、うっかり眠り込み乗り過
  ごしてはいけないと思ったはずだから 、青森ま
  で行ってしまう『 津軽 』ではなく 、秋田が終
  着の『 おが1号 』を選んだ可能性が高い 。」 ( てっちゃん ならずとも 興奮するね )

   引用はここまで 。

   学校の夏休みに 、当時の旅好き ( なりかけ ) の若者は 、

 魔法のチケット を買って 、夜行列車やユースホステル

 利用して 、日本全国 、貧乏旅し回ったものである 。

 (^-^)/

 ( ついでながらの

   筆者註:「 沢木 耕太郎( さわき こうたろう 、1947年11月
       29日 - )は 、日本のノンフィクション作家・エ
       ッセイスト・小説家・写真家 。

       人 物
        東京都大田区生まれ 。東京都立南高等学校(当
       時)を経て 、横浜国立大学経済学部卒業 。大学
       時代のゼミの指導教官は 、後に神奈川県知事と
       なる長洲一二だった 。

        大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも 、
       初出社の日に退社した 。出社途中に信号待ちを
       しているときに退社を決めたという 。その後 、
       ゼミの指導教官だった長洲から『 何か書いてみ
       ないか 』と誘われたのをきっかけに文筆活動を
       始める 。

       ルポライターとして 1970年(昭和45年)、
       『 防人のブルース 』でデビューし 、1979年
       (昭和54年)には演説中に刺殺された日本社会
       党委員長の浅沼稲次郎と 、その犯人である少
       年の交錯を描いた『 テロルの決算 』で第10回
       大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した 。以後 、
       スポーツや旅などを題材にした多数のノンフィ
       クション作品 、小説 、エッセーなどを発表し
       ている 。

       名 前
       『 沢木耕太郎 』はペンネームである 。雑誌
       の取材を受け 、『 あなたの本名はあらゆる文
       献を見ても どこにも掲載されていない 。なぜ
       なのか 』と問われた沢木は 、『 ペンネームを
       使う以上 、わざわざ本名を名乗るのなら使う必
       要がない 』と答えている 。実父の没後に その
       句集を出版した際にも 、苗字をつけず『 二郎 』
       とファーストネームだけの名義を用いた 。」

       以上ウィキ情報 。)

 

 

 

 

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万学の祖 Long Good-bye 2024・09・12

2024-09-12 07:23:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、早朝のラジオ番組で耳にした言葉 :

 「 一日でひとは幸福にも幸運にもなりはしない 」

 (⌒∇⌒)

  古人の言葉 。よく引用される もう少し長いこんな文章の一部 。

 「 For one swallow does not make a summer,
  nor does one day; and so too one day,
  or a short time, does not make a man
  blessed and happy.

  一羽のツバメが来ても夏にはならないし
  一日で夏になることもない 。このように
  一日もしくは短い時間で人は幸福にも幸運
  にもなりはしない 。  」

  この古人にはこんなお言葉もあるようです 。

 「 We are what we repeatedly do.
  Excellence, then, is not an act, but a habit.

  人は物事を繰り返す存在である 。
  優秀さとはひとつの行動によって得られるものではない 、
  習慣になってこそだ 。」

 (⌒∇⌒)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 アリストテレス( アリストテレース 、

       古希: Ἀριστοτέλης 、羅:Aristotelēs 、

       前384年 - 前322年 )は 、古代ギリシア

       の哲学者である 。」

       「 プラトンの弟子であり 、ソクラテス 、プラ

       トンとともに 、しばしば西洋最大の哲学者の

       一人とされる 。知的探求つまり科学的な探求

       全般を指した当時の哲学を 、倫理学 、自然

       科学を始めとした学問として分類し 、それら

       の体系を築いた業績から『 万学の祖 』とも

       呼ばれる 。特に動物に関する体系的な研究は

       古代世界では東西に類を見ない 。様々な著書

       を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学 、さ

       らには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた 。」

      「 また、マケドニア王アレクサンドロス3世( 通称

       アレクサンドロス大王 )の家庭教師であったこと

       でも知られる 。

      以上ウィキ情報 。)

 

  

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人生いろいろ Long Good-bye 2024・09・10

2024-09-10 05:54:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

 これらの文章が入っている小文のタイトルは 、

 「 ON BEING FAMOUS( 有名であることについて )」。

  引用はじめ 。

 「 有名人であるのがどういうことかというのは 、
  これは有名人になってみなくてはわからない 。
  そして有名人にもいろんな種類があり 、いろ
  んな側面がある 。でもひとくちで言うなら 、
  有名人になるというのは 、自己を取り囲む好
  意と悪意の総量を両方向に飛躍的に増大させる
  ことなのだ 。誰にも( おそらく )まわりに
  何人かは自分のことを好いてくれる友達のよう
  な人々がいるだろう 。そしてそれと同時にあ
  まり好いてはいない人々も何人かはいるだろう 。
  でも誰が自分を好いていて 、誰が自分を好い
  ていないか 、大体のところは把握できる 。そ
  れは把握可能な範囲の世界なのである 。『 松
  下と本田とはうまくやれるけれど 、鈴木とは
  まず駄目だろうな 、あいつとは相性悪いから 』
  という具合に 。それが普通の人の生活だ 。と
  ころが人は一度有名になると 、まったく把握不
  能な世界から把握不能な種類の好意や悪意を受
  けることになる 。あるときには無意味に罵倒
  され 、あるときには無意味にちやほやされる 。
  一度も会ったことがなく 、一度も関わったこ
  とがなく 、名前さえ知らない相手から 。
  そういう人生が好きな人は有名人に向いている 。
  好きじゃない人は ・・・ あきらめるしかない 。」

 「 僕は僕自身のやり方でそれに対処している 。
  僕は原則的に村上春樹という作家と 、村上春
  樹という個人を完全に二つに分けて物事を考え
  ることにしている 。つまり僕にとって作家・
  村上春樹はひとつの仮説である 。仮説は僕の
  なかにあるが 、僕自身ではない 。僕はそう考
  えている 。そういう風に考えておけばあまり
  傷もつかないし 、頭がおかしくなることもな  
  い 。僕・村上春樹は把握可能な小さなサーク
  ルの中で暮らしているし 、作家・村上春樹
  把握不能な大きなサークルの中で暮らしている 。
  僕が机の前に座るときその両者はかさなりあい 、
  机の前を離れると 、その両者はそれぞれの属
  する世界に戻っていく 。それぞれのささやか
  なエゴを抱えて 。」

 「 でもそういう風にきちんとリアルでクールに
  考えていても 、それでもやはり有名性( fame ) 
  は僕をときどきひどく不思議で物哀しい場所に
  運んでいく 。それは閉鎖された遊園地のよう
  な場所だ 。がらんとして人影もなく 、古いポ
  スターが風にぱたぱたとはためいている 。ペ
  ンキは剥げ落ち 、鉄柵には錆が浮いている 。
  ここはどこなんだ? と僕は考える 。なんで俺
  がこんなところにいるんだ 、と 。でも僕はそ
  こにいる 。入口も出口もわからないその閉鎖さ
  れた古い遊園地に 。 」

  引用おわり 。

  ひとの人生は様々である 。同じ小文の中で 、作家・

 村上春樹 さんは 、次のように語っている 。

  「  考えてみれば 、子供の頃からあまり目立つ
   存在ではなかった 。成績だって目立って良く
   はなかったし 、運動の方もあまりぱっとしな
   かった 。リーダーの器でもなかった 。社会
   的順応力にも問題があった 。人前に出ると混
   乱してうまく喋れなかったし 、ひとりで隅の
   ほうで本を読んでいるのが好きだった 。要す
   るにごく平凡に生きているごく普通の子供だ
   った 。目立ちたいとも思わなかった 。先生
   に目をかけられるというタイプの子供でもな
   かった 。小学校を出て 、中学校を出て 、高
   校を出て 、大学を出るまでそれが続いた 。
   みんな僕をごく普通の少年であり 、ごく普通
   の青年であると考えていた 。僕自身そう考え
   ていた 。そうとしか考えられなかった 。だ
   って自分が普通ではないと考える根拠なんて
   何もなかったのだ 。」

  「 それとは逆に自分が有名であることに馴れた
   人々がいる 。彼らは子供のときから既に有名
   であることに馴れている 。頭が良(い)い 、
   家柄が良い 、顔が良い 、スポーツに優れて
   いる 、ピアノがうまく弾ける 、作文がうま
   い 、人望がある 。学校中の誰もが彼 ( 彼女 )
   の名前を知っている 。『 あいつなんて名前
   だっけ ・・・ えーと 』なんて言われること
   はまずない 。彼らの背後には生まれつきのオ
   ーラのような淡いほんのりとした光が漂って
   いる 。」

  「 そして一目見れば彼らが有名な存在として存
   在していることがわかる 。近所の人々は彼ら
   のことを褒め 、クラスメートは彼らに憧れ 、
   教師は彼らに一目置く 。世の中にはそういう
   子供たちがいる 。僕もそういうタイプの子供
   たち ―― かつての子供たち ―― を何人か
   知っている 。一ダースくらい 。彼らのうち
   のだいたい半分くらいは今でもオーラを有し
   ている 。うまくそれを使っているものもいる
   し 、あまりうまく使えていないものもいる 。
   でもそんな程度の差こそあれ 、彼らは未だに
   オーラを抱えている 。でもあとの半分くらい
   はもうオーラを失ってしまっている 。人生の
   過程のどこかでそれは消えてしまったのだ 。
   どういう加減でそういうのが消えたり残った
   りするのか僕にはよくわからないけれど とに
   かく消えてしまったのだ 。」

  「 自慢するわけでもないし 、卑下するわけで
   もないけれど 、僕にはとにかくそういうもの
   はなかった 。くりかえすようだけれど 、僕
   は本当に平凡で無名の子供だったのだ 。何か
   で一番になったこともなければ 、表彰された
   こともない 。 」

  「 でも二十九の歳に僕は小説を書いて 、それ
   以来なんのかんのと十年近く小説家として生
   活している 。まあのんびり生活できるくらい
   には本も売れているし 、その結果ある種の有
   名人にはなった 。」

  人生いろいろ 、多くのひとは in-between 、ごく普通で 、

  地味で 、平凡で 、無名で 。

   

 

  

 

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耳順 従心 Long Good-bye 2024・09・08

2024-09-08 05:00:00 | Weblog

 

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

 「 英会話というのがあまり得意ではない 。と
  いうよりは はっきり言って 相当に不得意で
  ある 。」

 「 僕はけっこう翻訳の仕事をしているし( あ
  あ 、実に十冊も翻訳書を出しているのだ ) 、
  ここのところずっと年の大半は外国暮らしを
  しているから 、会話のほうもさぞや堪能なん
  だろうと世間で思われがちなのだけれど 、そ
  んなことはなくて 、恥ずかしながらまったく
  苦手である 。何か用事があって外国人と会っ
  て英語で話さなくてはならないような時には 、
  朝からなんとなく胃が重くて仕方ない 。」

 「 でもよく考えてみれば 、これは僕としては
  決して不自然な話ではない 。だって 僕は 日本
  語の会話からして 圧倒的に不得意 なのだ 。
  よほど親しい人が相手ならともかく 、人前に出
  ると 言葉がうまく出てこないし 、すごく緊張
  して声がうわずってしまう 。その結果 ろくで
  もないことを口走ってしまうし 、無茶苦茶な
  間違いもする 。」

 会話というのは生まれつきうまい人とうまく
  ない人がいる 、会話のうまくない人がどれ
  だけ英会話に堪能になろうとしても 、それは
  おのずから限界というものがある 。何故なら
  ばそれは 生き方の姿勢の問題 だからである 。
  日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ
  英作文を習ってもおのずから限界があるのと
  同じである 。」

  ( ^)o(^ )

 「  僕の経験からいうと 、外国語というのは必
  要に迫られれば ある程度は 話せるようになる
  逆に言えば 、必要に迫られなければまず駄目
  だ 。これはとても単純な結論だけれど 、
  然たる真実 です 。必要に迫られれば人間の体
  内には特殊な分泌液のようなものが溢れ出て
  きて 、それが集中力をかきあつめて語学の習
  得を可能にするのではないかと僕は想像して
  いるのだが 、その科学的な真偽は定かではな
  い 。しかし理屈はともあれ必要性というのが
  語学習得のための最も重要な要素であること
  は経験的に言ってまず間違いのないところ
  ある 。」

  (^O^)/

 「  普通の六歳の子供がどうしてバイリンガルに
  ならなくちゃいけないのか僕には全然理解で
  きない 。日本語もちゃんとできない子供が表
  層的にちょこっとバイリンガルができてそこ
  にいったい何の意味があるのだろう? 何度も
  言うようだけれど 、才能かあるいは必要があ
  れば 、子供英会話教室にに通わなくたって英
  会話は人生のどこかの段階でちゃんとできる
  ようになる大事なことはまず自分という人
  間がどういうものに興味があるのかを見定め
  ることだろう 。日本語の真の会話がそこから
  始まるのと同じように 、英語の会話だってそ
  こから始まる 。」

  (^ω^)

 「  たとえば僕は高校時代アメリカの小説ばかり
  読んでいたから 、まず読み書きから英語に入
  り 、そこから少しずつ会話に入っていった 。
  だから会話ができるようになるまでにずいぶん
  時間がかかったし 、初めに言ったように今だ
  ってとても得意とはいえない訥々とした不
  器用な喋り方である 。発音だってヤクザであ
  る 。うまくさっと言葉が出てこない 。でもそ
  れが僕という人間なのだ 。僕には向くことも
  あるし 、向かないこともあるのだ 。そう思っ
  てなんとか間にあわせている 。僕らはとても
  不完全な存在だし 、何から何まで要領よくう
  まくやることなんて不可能だ 。世の中にはい
  ろいろな人間がいる 。ひとりひとり良いとこ
  ろもあれば 、悪いところもある 。得意なも
  のもあれば不得意なものもある 。女の子を口
  説くのがうまい人もいれば 、日曜大工のうま
  い人もいる 。セールスの得意な人もいれば 、
  黙々と小説を書くのに向いた人もいる 。我々
  は自分以外の人間になることはできない
  れは根本的な原則である 。でもそれにあわせ
  て自分にあったスタイルを身につけていくこと
  は可能である 。」

   ( ´_ゝ`)

 「 外国に行くとよくわかることだけれど 、ろく
  に言葉が通じなくても気の合う人間とはちゃん
  と気が合うし 、どれだけ言葉が通じても気の
  合わない人間とはやはり気が合わない 。」

 「 会話にはもちろん技術が絶対に必要だけれど 、
  まず自分という人間の手応えというか存在感が
  なければ 、それはただ構文と単語の丸暗記に
  終わってしまう 。
  そしてそういう会話力はどれだけ意味が通じて
  もそれより先にはまず進まないし 、そういう
  タイプの広がりのない会話力を僕は全然好ま
  ない 。」

 「 例をあげると小澤征爾氏の英語の喋りなんて
  あれだけ外国にいるわりに決して流暢とは言い
  がたいのだけれど 、とても信頼感の持てるいい
  喋りである 。どこがいいのかと訊かれてもうま
  く説明できないが 、聞いていて『 うん 、そう
  だな 』と自然にうなずいてしまうところがある 。
  逆にけっこう流暢に英語をを喋るのにどうも信
  頼できそうにない人もいる 。例をあげるとカド
  が立つのであげないけれど 。」

  ( ´_ゝ`)

  引用おわり 。

  ながながと引用したが 、この小文のタイトルは 、

 " CAN YOU SPEAK ENGLISH ? "。

  中学校 、高校と旧来の読み書き中心の英語教育

 受けた団塊世代には 、英会話 苦手のひとが多い 、

 というより 英語嫌い のひとが多い 。受験勉強で

 苦しめられた所為だ 。

  筆者も英会話苦手の例にもれないが 、勤め人人生

 の大半の期間 、英語の読み書きに携わってきたこ

 とから 、英語アレルギーはない 。いくつになって

 も 内容のある話しをするのが難しいのは 、日本語

 会話とて同じことである 。多くの点で作家と同感 、

 同意見 。日本語会話が不得意なのに 、英会話が得

 意な訳ないではないか 。

  友好的な日常会話なら 、" How are you doin' today ? "

  " I'm just fine, thank you. " だけ覚えて 、あとは笑顔

 で おもてなし 、今どきの AI翻訳機器は俊敏 、優秀 、

 スマート 利用しない手はない 。ほんとに そんなに 会

 話がしたいのならば 。 

 

  

    ( 迷彩服着た🐸くん 、推定年齢3歳くらい 。啼くようだから孤独なオス🐸

  

 (  ついでながらの

   筆者註:「 『 耳順 』は 、男性の年齢を称する語句のひとつで 、
        次のような意味があります 。

        人間は 、六十歳くらいになれば 、人の言うことを
        聞いて すなおに理解できるようになるものだ 、と
        いうこと。」

      「『 論語‐為政 』には 、このほかにも次のような言葉
        が挙げられています。

         志学( 15歳 )
         而立( 30歳 )
         不惑( 40歳 )
         知命( 50歳 )
         耳順( 60歳 )
         従心( 70歳 )」

       「『 六十にして耳順う 』の由来は 、『 論語 ― 為政 』
        にある孔子の言葉で 、この章には『 十有五にして学を
        志す 』、『 三十にして立つ 』、『 四十にして惑わ
        ず 』、『 五十にして天命を知る 』と続き 、最後は
        『 七十にして己の欲する所に従えども 矩(のり)を
        踰(こ)えず 』( 七十にして矩を踰えず )となっ
        ています 。」

         以上ウィキ情報 ほか 。

        (⌒∇⌒)

        われ独り曰く

        七十にして己の欲する所に従い 、矩(のり)を踰える 。

 

   

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格言的例文 Long Good-bye 2024・09・06

2024-09-06 05:36:00 | Weblog

   

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

 「 僕は辞書というものがわりに好きで 、暇で読む
  ものがないときにはごろんと横になって英和辞典
  を読んだりすることがよくある 。辞書というのは
  あれでなかなか面白くて人情味のあるものである 。」

 「 たとえば例文ひとつとってみても 、なかなか含
  蓄のあるものがあってうならされることが多い 。」

 「 僕の人生観( といってもけっこう貧相なもんです
  けど )のかなりの部分は英和辞典の例文で成立し
  ているんじゃないかという気がするくらいのもの
  である 。」

 「『 リーダーズ英和辞典 』の little の項に出てい
  る " Little things please little minds " という
  例文なんか『 そうだな 、たしかにそうだ 』と
  十回くらい一人でうなずいてしまう 。日本語に
  訳すと『 小人は小事に興ずる 』となるが 、も
  う少しわかりやすく言うと 、『 つまらん人間は
  つまらんことで喜ぶものだ 』という風になる 。」"Petty people are absorbed in trivial matters."

                                「 器の小さい人ほど些細なことに執着しがちである 」ってこと?

 「『 どんな髭剃りにもその哲学がある 』というのも
  僕の大好きな格言的例文のひとつである 。高校時  
  代に読んでそのときに『 うーむ 』とうなって 、
  それ以来ずっと頭の中に刻みこまれているわけだ
  が 、残念ながら正確な英文は忘れてしまった 。
  要するに『 どんな些細なことでも毎日つづけてい
  ればそこにおのずから哲学が生じる 』ということ
  です 。」

 「 そう考えていくと 、コム・デ・ギャルソンの洋
  服の中に哲学を発見する思想家がいたとしても 
  ( いたね ) 、それは何の不思議ももない当然の
  ことなのかもしれない 。」

 「 僕の知っている男に『 毎日の髭剃りが嫌で嫌で
  たまらない 。女に生まれりゃ良かった 。髭剃る
  くらいならまだ生理があった方がいい 』と言うの
  がいて 、それを女の子に話したら 、彼女が非常
  に生理の重い人で『 私 、生理がなくなるんなら
  毎日髭を剃ってもいい 』ということになったのだ
  が 、そんなことで意見が一致したところでどうに
  かなるものではなし 、困ったものである 。人と
  いうのはそれぞれの荷を背負って生きていくしか
  ないのだ 。どんな生理にも哲学はあるのだ 。ど
  ういう哲学なのかは僕にはちょっと想像もつきま
  せんけれど 。」

 「 こういう風にいろいろとものを考えながらのん
  びり辞書を読むというのも 、悪くないものであ
  る 。縁側に座ってコブ茶を飲みながらこれをや
  っていると 、気分はもう老後である 。」

  引用おわり 。

  これらの文章が入っている小文のタイトルは「 無

 人島の辞書 」。小文は 、こんな文章で始まる 。

 「 一冊だけ本を携えて無人島に行くとしたら何を
  持っていくか 、という設問がよくある 」。

  因みに ChatGPTさんは 、「 どんな髭剃りにもそ

 哲学がある 」を " Every shave has its own philosophy . "

 と英訳してくれ 、ついでにこんな解説までしてくれました 。

 「 どんな髭剃りにもその哲学がある 」というフレ
  ーズは 、表面的には単なる髭剃りの行為にも深
  い意味や個々の信念が存在するという解釈ができ
  ます 。この表現は次のように考えられます:

  ・個人のスタイルや価値観の反映:髭剃りは 、
    ただ外見を整える行為にとどまらず 、その
    人の美意識やライフスタイル 、ひいては自
    己管理に対する態度を反映します 。たとえ
    ば 、伝統的なカミソリを使う人はクラシッ
    クなスタイルや職人技を尊重しているかもし
    れませんし 、電動シェーバーを使う人は効
    率や最新技術を重視している可能性があり
    ます 。

  ・日々の習慣と心のあり方:髭剃りのプロセスは 、
    日々の生活習慣やルーティンの一部であり 、
    自己を整える儀式のように扱われることもあ
    ります 。その行為自体が 、自己との対話や
    心の整理 、集中力を養う機会と捉えられる
    こともあります 。

  ・技術と道具へのこだわり:髭剃りには道具( カ
    ミソリやシェーバー 、クリームなど )が必
    要であり 、それぞれの道具に対するこだわり
    や選択が 、その人の哲学を反映する場合が
    あります 。より良い刃を求めたり 、肌に優
    しい成分を使うなど 、細かい選択がその人の
    価値観を示しています 。

   このフレーズは 、日常の中の小さな行為にも深い
  意味や個性が宿るということを示唆していると言え
  ます 。」

   解説しようと思えば 、何事も尤もらしく解説できる

  もんだなあ 。

 (*^^*) (*^^)v ( ^)o(^ ) (^O^)/

 

  

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ねじを巻く Long Good-bye 2024・09・04

2024-09-04 06:21:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

 「  ねじを巻くというのは 、面倒だけれどそれなり
  に手ごたえのある行為である 。くりっくりっくり
  っとねじをまわしていくと 、最初は開きっぱなし
  になっていたものがだんだん固まり 、きちっとし
  た形をとりはじめ 、そしてやがてキュッと最終的
  に収束する 。それはささやかな取引きの儀式であ
  った 。私はねじを巻く・君は動け 、というわけ
  だ 。そして我々がねじを巻きさえすれば 、時計
  は少なくとも丸一日はきちんと動いた。」

  引用おわり 。

  この文章が入っている小文のタイトルは「 ささや

 かな時計の死 」。

   

  ほんの50年も前の日本の家庭には 、ねじ巻き式の掛

 け時計や柱時計や置時計が必ずあったりしたものである 。

 いつの頃からか 、電池式にすっかりとって代わられた 。

 ( ´_ゝ`) 

  ご高齢の方が多く暮らす施設 、つまり宿泊型有料老人

 ホームでのことだが 、入居者の90歳代のお爺さんが 、

 左手首に腕時計を着けておられるのに気が付いた 。

  それがきっかけで 、他のご高齢の入居者諸氏諸嬢の手

 許をちらちら見てみると 、今年百歳を迎えられた男性

 も 、現役時代の名残りか 、金属製バンドの付いた腕時

 計を巻いていらっしゃる 。

  お二人とも 、時間感覚を保つ為と 、腕時計着用の日常

 習慣を維持する為に着けておられるんだろうか 。

   着けてらっしゃる腕時計は 、ねじを巻く手間のない 、

 自動きか 、電池時計 、クオーツ時計 なんだろうか 。

 ( ´_ゝ`)

  七十代後半の筆者の場合 、十年来 、腕時計を身に着け

 るのを止めてしまって 、手許すっきり 、せいせいして

 いるし 、時刻を知るには スマホ で足りているから 、

 今更 腕時計を着用する気にはならないが 、電波の届か

 ないところや 、災害時や停電の際には 、現在時刻を知

 るために 、携帯ラジオや腕時計が必要になるかな 、意

 外なところに落とし穴があるかもな 、と思った次第 。

 😊 (⌒∇⌒) (^▽^)/ ( ´_ゝ`) 😊

 

 

      ( 宿泊型有料老人ホームの住民 )

 

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洋風定食・うさぎ亭 Long Good-bye 2024・09・02

2024-09-02 05:49:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から 作家による「 食レポ 」 。

  備忘のため と 今晩作る料理の参考にするために

 抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「『うさぎ亭 』には二種類の料理しかない 。ひと
  つは日替り定食であり 、もうひとつはコロッケ
  定食である 。」

 「 どちらにもしじみの味噌汁とどんぶり一杯の
   キャベツのせんぎりサラダがついてくるのだが 、
   これが滅法うまい 。」

 「 それから ぬかを洗いおとしたばかりの漬物
  たっぷりとついている 。いりたての胡麻をま
  ぶしたホウレン草のおひたしとか 、スパゲッ
  ティーときのこのあえものなんかが小鉢に盛ら
  れて出てくる 。生きているみたいにぴちぴち
  としたスパゲッティーと歯ごたえのある新鮮な
  きのこの酢味噌あえで 、そのへんによくある
  定食屋の間にあわせとはちょっとものが違う 。
  もちろんこういったつけあわせは季節によって
  変化する 。」

 「 それから御飯は麦飯である 。この麦飯がざっ
  くりとした肌ざわりの大ぶりの茶わんで出てく
  ると 、香ばしい麦のにおいが店じゅうにぷん
  とたちこめる 。僕はこの瞬間がたまらなく好
  きである 。お茶はこれもまた香ばしいほうじ
  茶( 夏は冷しはと麦茶 )が出てくる 。わり
  箸は少し深めの色あいのきりっとした杉箸で 、
  箸袋は鶯色の無地の和紙である 。」

 「『 うさぎ亭 』のコロッケのうまさを文章で
  表現するのは至難の業である 。皿にはかなり
  大きめのコロッケが二個盛られて出てくるが 、
  無数のパン粉が外に向けてピッピッとはじけ
  るように粒だち 、油がしゅうしゅうと音を立
  てて内側にしみこんでいくのが目に見える
  これはもう芸術品と言ってもさしつかえない
  だろう 。」
 「 それを杉の箸できゅっと押さえつけるように
  切りとって口にはこぶと 、ころもが かりっと
  いう音を立て 、中のポテトと牛肉は はふはふ
  と とろけるように熱い 。ポテトと牛肉以外
  には何も入っていない 。思わず大地に頬ずり
  したくなるような においたつ じゃが芋 ――
  これは決してオーバーな表現ではない ―― と 、
  主人が厳選して仕入れ 大きな包丁で みじんに切
  った牛肉である 。味つけは材料の良さをいかす
  ためにごくあっさりとしたものになっており 、
  味が足りないと感じる人は自家製のソースをか
  けるようになっている 。ソースは大きな壺に
  入っており 、スプーンでそれをくんでかける
  わけだが 、このソースがまた実にうまい 。
  中にきざんだエシャロットが入っていて 、ち
  ょっと形容のしようのない不思議な味だが 、
  決して味があとに残らないし 、食べ飽きない 。
  僕は二個のコロッケのうち一個をソースなし
  で食べ
もう一個はソースをかけて食べるこ
  とに決めている 。ソースをかけて食べるのも
  もったいないし 、ソースをかけないで食べる
  のももったいないという微妙なところである 。
   食事が終わるとまた新しいほうじ茶が出てく
  る 。」

  引用おわり 。

 (o^―^o) (^▽^)/ (⌒∇⌒)

 ( ついでながらの

   筆者註 :  以下 、作家による「 うさぎ亭 」の説明 。三 、四

      十年前に書かれた作品 ( 小文のタイトルは「『 うさ

      ぎ亭 』主人 」 ) であること 、お引っ越しの多い作

      であることからして 、「 うさぎ亭 」なるおが 、

      2024年の時点で 、現存する可能性はかなり低そう 。

       でも 、そこで出される料理は とてもおいしそう 。      

      「『 うさぎ亭 』は僕のうちの近所にあって 、僕
       はよくここに昼ごはんを食べに行く 。十人客が
       入ればいっぱいになるカウンターだけの小さな店
       だが 、いっぱいになることはまずない 。店構え
       もごく普通の民家みたいだし 、表には看板も出て
       いない 。入口のわきに『 洋風定食・うさぎ亭 』
       という小さな表札がかかっているだけである 。
       要するにすごくひっそりと営業をしているわけだ  。」

      「『 うさぎ亭 』の主人は謎の人である 。歳は
       四十代半ばくらいで 、がっちりとした体つき
       をしており 、愛想は悪くないが無口 、頑固
       だが押しつけがましくないというなかなか好
       ましい性格である 。首筋に五センチばかりの
       長さの刃物によるものらしい傷あとがあるが 、
       自分のことについてはほとんど喋らない 。僕
       としても食べものさえうまければ 、主人の生
       いたちなんてべつにどうでもいい 。」 

      「『 うさぎ亭 』ではいつも主人が一人で働い
       ている 。彼が一人で仕込みをし 、料理を作
       り 、お茶をいれる 。彼の働き方は見た目が
       とても良い 。てきぱきとしていて 、しかも
       あわただしいという感じがない 。」

       以上 。

 !(^^)! 

 

 

( ´_ゝ`)

 

  

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