「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・05・25

2005-05-25 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集「茶の間の正義」の中の「言論すべてが空しくきこえる」と題したコラムから。

 「二十年来、私は他人の文章を読んで暮してきたものである。雑誌の経営者として、読んで品さだめして、雑誌にのせてきた。すなわちジャーナリストで、ジャーナリストとは言論を売買するものの謂(いい)である。そして私は、言論は売買してはならぬものだと心得ていた。
 いくら心得ても、ながくそれで糊口すれば、ついには売買して何が悪いと、思うようになるものである。ところが私は、いつまでたってもそう思うようにならない。内心にその矛盾を蔵したまま、自他の言動をながめてきた。
 そして次第に、私は言論の自由というものを疑うようになった。言論は人を動かさない、だから自由なのだな、と思うようになったのである。」

 「この世は道理ある説に満ちている、辻褄のあった説が多すぎる」

 「もっともな言論は、執筆者の生活から独立して、ひとりで勝手にもっともなのだ。
 新聞の社説は年中無休で、もっとも千万な説を印刷している。人は読んでいちいち反駁する煩に耐えない。その暇と能力がない。」

 「おびただしい言論のすべてが、私にむなしく聞えるのは、それらが実際から遊離して、ひとりで辻褄があっているせいである。
 ジャーナリストという職掌がら、私は無数の文章に接した。その結果、言論はむなしく、読書は悪習慣にすぎないのではないかと、疑うようになった。
 私はよきジャーナリストではなかったが、それにしても、二十年この道で衣食して、この結論に達したのである。心中落莫たる思いがある。」


 40何年来、新聞というものを読んできて、もっとも目を通すことの少なかった欄のひとつが「社説」です。社説に続くのが「投書」欄と「新聞小説」。

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