「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

金欲しつけあい Long Good-bye 2023・11・30

2023-11-30 05:40:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典

  「 ウィキペディア 」掲載の記事「 狂歌 」 。

   ( ´_ゝ`)

   引用はじめ 。

  「 狂歌( きょうか )とは 、社会風刺や皮肉 、滑稽を盛り込み 、

   五・七・五・七・七の音で構成した 諧謔形式の 短歌( 和歌 )。

   歴 史

    狂歌の起こりは 古代・中世に遡り 、狂歌という言葉自体は

   平安時代に用例があるという落書( らくしょ )などもその

   系譜に含めて考えることができる 。独自の分野として発達した

   のは江戸時代中期で 、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳など

   が知られる 。

    特筆されるのは 江戸の天明狂歌の時代で 、狂歌がひとつの

   社会現象化した 。そのきっかけとなったのが 、明和4年( 17

   67年 )に 当時19歳の 大田南畝( 蜀山人 )が著した狂

   詩集 『 寝惚先生文集 』 で 、そこには 平賀源内 が序文を寄

   せている 。明和6年( 1769年 )には 唐衣橘洲( からころも

   きっしゅう )の屋敷で 初の 狂歌会 が催されている 。これ以後 、

   狂歌の愛好者らは 狂歌連 を作って創作に励んだ 。朱楽菅江

   ( あけらかんこう )、宿屋飯盛( やどやのめしもり 、石川雅望 )

   らの名もよく知られている 。

    狂歌には 、 『 古今和歌集 』 などの名作を諧謔化した作品が

   多く見られる 。これは 短歌の 本歌取り の手法を用いたものと

   いえる 。

    明治以降は 、1904年( 明治37年 )頃から 読売新聞記者

   の田能村秋皐( 筆名は 朴念仁 もしくは 朴山人 )が流行語

   などを取り入れた新趣向の狂歌を発表し 、 『 へなぶり 』 という

   呼称で人気ジャンルとなった 。( へなぶり百人一首 天智天皇 秋の夜の 借着の夜具の 肌を寒み 己が子供等は 風をひきつゝ
                                〈 本歌・小倉百人一首 〉秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ )
 

    現代でも愛好者の多い川柳と対照的に 、狂歌 は 近代以降

   人気は衰えた 。しかし 石川啄木をはじめ近代の大歌人たちも

   『 へなぶり 』 に感化をされており 、近代短歌の精神の中に狂歌

   的なものは伏流している という指摘が 吉岡生夫らによってなされ

   ている 。

   狂歌の例

    ほとゝぎす 自由自在に 聞く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里

   ( 頭光( つむりのひかる ))

    花鳥風月を常に楽しめるような場所は 、それを楽しむための

    酒肴を買う店が遠くて不便だという意味で 、風流趣味を揶

    揄している 。

    ほとゝぎす 鳴きつるあとに あきれたる 後徳大寺の 有明の顔

   ( 大田蜀山人 )

    百人一首の徳大寺実定の歌( ほととぎす鳴きつる方をなが

    むれば ただ有明の月ぞ残れる )が元歌 。

    歌よみは 下手こそよけれ 天地の 動き出して たまるものかは

   ( 宿屋飯盛 )

    古今和歌集仮名序の 『 力をもいれずして天地を動かし … 』

     をふまえた作 。

    世わたりに 春の野に出て 若菜つむ わが衣手の 雪も恥かし

    百人一首の光孝天皇の歌( 君がため 春の野に出でて 若菜

    つむ わが衣手に 雪は降りつつ )が元歌 。

    はたもとは 今ぞ淋しさ まさりけり 御金もとらず 暮らすと思へば

    享保の改革の際に詠まれたもので 、旗本への給与が遅れた

    ことを風刺している 。

    百人一首の源宗于の歌( 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人

    目も草も枯れぬと思へば )が元歌 。

    白河の 清きに魚の すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき

    寛政の改革の際に詠まれたもの 。白河 は松平定信の領地 。

    定信の厳しい改革より 、その前の 田沼意次 の多少裏のあっ

    た政治の方が良かったことを風刺している 。大田南畝作という

    評判もあったが 本人は否定した 。別の寛政の改革批判の狂

    歌である 『 世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといふて

    夜も寝られず 』 も 『 詠み人知らず 』 とされているが 、大田

    南畝作の説が有力である 。

    泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず

    黒船来航の際に詠まれたもの 。上喜撰とは 緑茶の銘柄で

    ある 『 喜撰 』 の上物という意味であり 、『上喜撰の茶を四杯

    飲んだだけだが( カフェインの作用により )夜眠れなくなる 』

    という表向きの意味と 、『 わずか四杯( ときに船を1杯 、2

    杯とも数える )の異国からの蒸気船( 上喜撰 )のために国

    内が騒乱し夜も眠れないでいる 』 という意味をかけて揶揄して

    いる 。

    名月を 取ってくれろと 泣く子かな それにつけても 金の欲しさよ

    下の句を 『 それにつけても金の欲しさよ 』 に付け合うことで 、ど

    んな風雅な句も狂歌の体に収斂させてしまう言葉遊びを 『

    欲し付合 ( かねほしつけあい ) 』 という 。江戸中期に流行した 。

    世の中に 寝るほど楽は なかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く

   ( 読み人知らず )

    道教 、足るを知ること 、等に通じる高尚なところもあり 、怠け

    者の自己弁護のようなところもある有名な歌 。

   狂歌連

    大田南畝の率いる 山の手連 、唐衣橘洲らの 四谷連 など武士

   中心の連のほか 、町人を中心としたものも多く 、五代目市川團

   十郎とその取り巻きが作った 堺町連 や 、蔦屋重三郎( つたや

   じゅうざぶろう )ら吉原を中心にした 吉原連 などもあった 。

   著名な狂歌師

    狂歌師は洒落に富んだ狂名を号した 。

   狂歌三大家

   ・ 朱楽菅江( あけらかんこう ) - 山崎景貫 、幕臣 狂名は

     “ あっけらかん ” の捩り 。歌人・内山椿軒門下

   ・ 大田南畝( おおたなんぽ ) - 太田覃 、内山門下

   ・ 唐衣橘洲( からころもきっしゅう ) - 小島謙之 、田安徳川家

     家臣、内山門下

   狂歌四天王

   ・ 宿屋飯盛( やどやのめしもり ) - 石川雅望 、日本橋小伝馬

     町の宿屋

   ・ 鹿都部真顔( しかつべのまがお ) - 北川嘉兵衛 、数寄屋橋

     の汁粉屋

   ・ 頭光( つむりのひかる ) - 岸文笑 、日本橋亀井町( 現:

     日本橋小伝馬町 )の町代 、浮世絵師 狂号は 若禿 に

     因む

   ・ 馬場金埒 、( 銭屋金埒( ぜにやのきんらち ))、物事明輔

    ( ものごとあきすけ ) - 大坂屋甚兵衛 、数寄屋橋の両替商

   その他の狂歌師

   ・ 平秩東作( へずつとうさ く) - 立松懐之 、内藤新宿の煙草

     業 、内山門下 、号は書経に由来

   ・ 花江戸住( はなのえどずみ ) - 山手連 、山口政吉 、京橋

   ・ 便々館湖鯉鮒( べんべんかんこりう ) - 琵琶連 、大久保

     正武 、牛込山伏町 、幕臣

   ・ 大屋裏住( おおやのうらずみ ) - 元町連 、久須美氏孫

     左衛門 、日本橋金吹町の貸家業

   ・ 腹唐秋人( はらからのあきんど ) - 元町連 、中井嘉右衛門 、

     日本橋本町

   ・ 元木網( もとのもくあみ ) - 落栗連 、金子喜三郎 、京橋北紺

     屋町 、のちに 芝西久保土器町

   ・ 加保茶元成( かぼちゃのもとなり ) - 吉原連主宰 、岡本姓

   ・ 浜辺黒人( はまべのくろひと ) - 芝浜連 、本芝三丁目の本   

     屋 、色黒でお歯黒をしていたことに因むという

   ・ 文々舎蟹子丸( ぶんぶんしゃかにこまる ) - 葛飾連 、久保有

     弘 、与力 、『 ブンブン蚊に困る 』 に因む

   ・ 桐雅雄( きりまさお ) - 水魚連 、大谷( 通称は 桐屋 )三右

     衛門 、上野の商人

   ・ 花道つらね( はなみちのつらね ) - 堺町連 、5代目市川團十

     郎 、歌舞伎役者

   ・ 蔦唐丸( つたのからまる ) - 吉原連 、蔦屋重三郎 、浮世絵版

     元

   ・ 竹杖為軽( たけつえのすがる ) - 森島中良 、医者 、蘭学者

   ・ 酒上不埒( さけのうえのふらち ) - 恋川春町 、駿河小島藩士

   ・ 門限面倒( もんげんめんどう ) - 高橋徳八 、館林藩士

   ・ 土師掻安( はじのかきやす ) - 榎本治右衛門

   ・ 多田人成( ただのひとなり ) - 多田金次郎

   ・ 筆の綾丸 - 喜多川歌麿 、吉原連 、浮世絵師

   ・ 紫檀楼古喜( したんろうふるき ) - 落語家の2代目朝寝坊

     むらく の門下でもあり 狂歌を織り込んだ狂歌噺を得意とした 。

     本人を主人公とした 『 紫檀楼古木 』 という落語もあり 、六代

     目三遊亭圓生 、八代目林家正蔵 、六代目春風亭柳橋など

     が演じた 。圓生の枕によると 、蔵前で羅宇問屋を営んでいたが 、

     狂歌三昧で身代を崩し 、露天の羅宇商となり 、のちに噺家に

     なったという 。

   ・ 花村政一( はなむらまさいち ) - 江戸時代の狂歌師 。勾当 。

     伊達政宗から与えられた屋敷跡地が現在の勾当台公園であ 

     る 。 」

   引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

  「 どうする家康 」で耳にしたこんなうたも 狂歌 の一例 。

  「 御所柿は ひとり熟して 落ちにけり 木の下にいて 拾う秀頼 」 。

   ( ´_ゝ`)

   どなたかのブログで見掛けた「 金欲し付合 ( つけあい ) 」の例 。

  「 菜の花や 月は東に 日は西に それにつけても カネの欲しさよ 」

  「 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 それにつけても カネの欲しさよ 」

  「 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 それにつけても カネの欲しさよ 」

   こんなのもありました 。「 死して屍( しかばね )拾う者なし 」

  というコピーを 、俳句のあとにつけた例 。

  「 古池や 蛙飛びこむ 水の音 死して屍( しかばね ) 拾う者なし 」

  「 やせ蛙 負けるな 一茶これにあり  死して屍 拾う者なし 」

  「 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 死して屍 拾う者なし 」

   ユーモアあふれる狂歌の例 二つ 、好きだなあ 。

   秋山真之の狂歌
   「 雪の日に 北の窓開け シシすれば あまりの寒さに ちんこちぢまる 」

   大田南畝 、辞世の狂歌
   「 今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん 」 。

  「 Ⅹデー 」はいつか来る 。でも 、今じゃなさそう 、能天気 。

 

 

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溶き玉子 Long Good-bye 2023・11・29

2023-11-29 05:01:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から 、「 つめたい茶碗むし 」

 のレシピ 。ぎんなん 、鶏肉 、椎茸 、竹の子蒲鉾 、三つ葉 ・・・

 入れなくても 、好き 。 

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。 

 「 卵一個につき百三十cc のだし 、二、三滴醤油 、酒 、塩 。いったん

  ざるで濾 ( こ ) して碗に注ぎ分け 、蒸籠 ( せいろ ) で十三分ほど蒸す 。

  中身はとくに入れない 。碗のまま冷やせば 、真夏のおつな味ができあ

  がる 。  」

  引用おわり 。

 ( ´_ゝ`) 

  鳥インフルもあって 、この一年 、たまごの値段もずいぶん上がったが 、

 それでも毎日の食卓に欠かすことの出来ない 、とても大事な万能食材 。

  生卵で 卵かけご飯 、にぬき  、・・・ 。 幼い頃 、「 にぬき 」と言ってた

 ゆでたまご 。

 ( ついでながらの

   筆者註: 「 にぬきたまご 日本語 名詞 【 煮抜き卵 、煮抜き玉子 】

        固茹で卵の別名 。 翻訳・ 英語 :  hard-boiled egg

        関連語

        ・ 主なゆで卵 : ゆで卵 、 固茹で卵 、 半熟卵 、 温泉卵

        ・ 主な卵料理 : オムレツ 、

          オムライス ( 語源 : オムレツ + ライス の和製英語 。 ) 、

          スクランブルエッグ ( 語源 : 英語 scrambled egg からの借用語 。) 、

          炒り卵 、卵焼き 、だし巻き 、目玉焼き 、伊達巻き ・・・ 」

       「 煮抜き ( にぬき ) あるいは 煮貫 ( にぬき ) とは 、固ゆで の ゆで卵

        のこと 。 関西地方では 『 煮抜き卵 』 と呼ばれている 。

         京都の老舗 『 瓢亭 』では 半熟卵 であるなど 、ある程度のバリエ

        ーションが見られる 。 」

         以上 、ウィキ 情報 ほか 。 )

   ( ´_ゝ`)

 

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倦まずたゆまず ほどほどに Long Good-bye 2023・11・27

2023-11-27 05:27:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。 

 (「 倦まずたゆまず と題した小文の一節 )

 「 だいじなともだちが亡くなったその通夜の帰り 、数人で

  ちいさなレストランに寄った 。報せを受けて準備を あれ

  これ 手伝った者どうし 、ひとまず腰を落ち着けましょう

  という話になったのである 。とはいえ肉を食べる元気は

  でてこず 、焼いた熱いチーズをのせたサラダ 、自家製の

  ハムなどをえらんだ 。『 じゃあ献杯 』と唱えながら白

  ワインでくちびるを湿らせると 、冷たさと酸味がひとすじ

  の流れとなって胃の腑へ滑り降りてゆき 、すると 、はっと

  我に返るような衝撃があった 。驚いてふたくち 、みくち

  続けて飲み 、塩漬けのオリーブにも手を伸ばすと 、熟成

  した黒い実の濃厚なこくが口腔を充たす 。とたんに血が

  どくんと波打って指先まで命脈が通じたことにふたたび

  衝撃をおぼえた 。

   飲み 、噛み 、嚥下する 。生まれてから半世紀以上 、数か

  ぎりなく繰り返してきた日常の行為なのに 、わたしはうろた

  えた 。飲み 、噛み 、嚥下する 、そのたびに硬直が揉みしだ

  かれてほぐれる 。自分がほぐれていると気づいてはじめて知っ

  た 。たったいままでどんなに強ばっていたかを 、何者かに強

  引に手をひっぱられて 、遠い場所から一気に引きもどされた

  格好だった 。このとき唐突に思ったのである 。『 わたしは生

  きている 』 。その場に仁王立ちになりたいような生々しい揺

  さぶりであった 。だいじなともだちは死んでしまったが 、い

  っぽう 、生きている者はこうして食べて生きていくのだ 。食

  べて 、生き抜いていかなくてはならないのだ 。そして 、こん

  な思いに突き動かされた  ―― 生きているかぎり 、おわりが

  くるまで倦まずたゆまず食べていかなければならないのだ 、

  このさきずっと

   しかし 、味覚にはそんなひりついた神経を笑い飛ばす鷹揚さ 、

  気楽さが備っていた 。おずおずとテーブルについたはずの

  わたしたちは 、飲み 、噛み 、嚥下するうち 、つまり食べ

  るうち 、しだいに緩んで心地良くなり 、ワインをお代わり

  し 、あまつさえデザートまで頼んで平らげてしまったのであ

  る 。 」

  ( 中 略 )

 「 食べなくては生きていけないが 、食べなければけっして味

  わい得ない人生のおもしろみやうまみがある 。おかしみも 、

  せつなさもある 。それらがない交ぜになった ごった煮こそ

  が生きることなのだろう 。

   店を出てみんなで肩を並べて夜道を歩き 、それぞれに家路

  についた 。いい月が出ていた 。 」

  ( ´_ゝ`)

 

  (「 はるかな故郷へ と題した小文の一節 )

  「 現在を支えているのは 、おびただしい過去の堆積である 。

   だからこそ 、たったいまを生き抜けば 現在は更新され 、明日

   へ連なってゆく 。おのずと足もとに現れるのは自分なりのひと

   すじだ 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

 

   最近 目にした「 食 」をテーマにした エッセイ の一節 。

   引用はじめ 。

  「 人の心の中にひそむ さまざまの欲のうち 、最後に残るのは

   食欲 ―― とよく言われる 。 」

  「 食欲というのは 、ほんとにすさまじいもの 、と 我ながら 呆

   れるけれど ・・・ ちょっと 、いじらしいところもあるよう

   な気がする 。お金や権力の欲というのは 、どこまでいっても

   かぎりがないけれど 、食欲には 、ほど というものがある 。

    人それぞれ 、自分に適当な量さえとれば 、それで満足する

   ところがいい 。おいしいものでおなかがふくれれば 、結構 、

   しあわせな気分になり 、まわりの誰彼にやさしい言葉の一つ

   もかけたくなるから ―― しおらしい 。 」

   ( ´_ゝ`)

    二十年来 、わが家の食卓は朝と夜だけ ―― おひるは

   おやつ程度になっている 。従って 、私たちの今後の食事

   の回数は 、残りの年月に2をかけただけである 。うっかり 、

   つまらないものを食べたら最後 ・・・ 年寄りは 、口なおし

   が利かないことだし  ・・・ 。

    さて 、そうなると 、一体 、なにをどう食べたらいいのだろう

   か ?  あれこれ悩んだあげくの果てに ―― こう考えた 。

   (  いま 、食べたいと思うものを 、自分に丁度いいだけ ――

   つまり 、寒いときは温かいもの 、熱いときは冷たいものを 、

   気どらず 、構えず 、ゆっくり 、楽しみながら食べること )

    なんとも 、月並だけれど ―― どうやら 、それが私たち

   昔人間にとって 、最高のぜいたく ―― そう思っている 。

   (  さあ 今日も 、ささやかなおそうざいを 一生懸命こしらえ

   ましょう ・・・ ) 

    ( 沢村貞子著 「 わたしの献立日記 」中公文庫 所収 )     

   引用おわり 。

    平松洋子さん 、沢村貞子さん 、

   お二人が 、日々を ていねいに 生きておられる ( た ) のがよくわかる 。 

   永年 、台所担当 を務める 筆者にとって 、沢村さんの「 献立日記 」は 、

   レシピはなくとも 、ヒントが貰えて有り難い 。

 

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寝るほど楽はなかりけり Long Good-bye 2023・11・25

2023-11-25 05:44:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 背後の気配 」

  と題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「  がさり

  背中のうしろでかすかな音が鳴った 。

   辻角のちいさな駐車場にひとりで立っている 。連れはさっき料

  金を支払いに行ったから 、ほかに誰もいないはずなのに 、あわ

  てて振り返ってみるとやっぱりだれもおらず 、空耳だったのだと

  思い直す 。

   ばさっがさがさ

   こんどは風を孕んだ 、ふくらみのあるおおきな音だ 。どうやら

  空耳ではなかったようだ 。急に落ち着きをなくし 、音の正体を

  捕まえようとあたりを見回す 。

   用心ぶかく背後をにらみながら 、はんぶん脅えて視線を彷徨わ

  せると ―― 。なーんだ 。スーパーのレジ袋がふくらんで転がっ

  ており 、内側に風が吹きこむたび宙に浮いて騒いでいる 、その

  音なのだった 。

   風が止めば 、音も止む 。けれども 、いったん気配を感じてし

  まったから 、もうたったひとりではなくなってしまった 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

   よその国と比べれば 、比較的 平和な この日本でも 、年寄りにとって

  気の抜けない社会状況があるのは 悲しいが 、現実 。

   日々 気を張って 、心深く 、目配り怠りなく 、暮らさねば 。

   食品価格の高騰は 、高齢の年金生活者の生活を直撃し 、蝕んでいく 。

  ( ´_ゝ`)

   以下 、沢村貞子さんのエッセイ「 老いの楽しみ 」( 筑摩書房 刊 )

  の中の「 老いを思い知る 」と題した小文の一節 。もひとつ 、今日の

  「 お気に入り 」 。

   引用はじめ 。

  「 老いるということは 、なんとも悲しい 。齢ごとに頬はこけ 、

   眼はくぼみ 、髪は白く薄くなるばかり 。手馴れた家事をしよ

   うとしても 、掃除器さえ思うように動かせず 、煮ものの鍋は

   重いし 、柱の釘も 、まっすぐには打てない 。ときおり ・・・

   雑巾をもってヨタヨタと歩く自分の姿が姿見にうつったりする

   と 、ぞっとする 。何をしても疲れが烈しく 、もの忘れはます

   ますひどく ・・・ つい 、愚痴のひとつも言いたくなる 。

   『 まったく 、ひどいねえ 、若いときはこんなことはなかった

   のに ・・・ いくらなんでも 、もうすこし 、なんとかならない

   ものかねえ 』

    わが家では ・・・ どちらか一人がそう言って嘆いたりすると

   ・・・ 相手はすぐ 、冷たい顔でハッキリ言うことになっている 。

   『 だめですねえ 。なんともなりませんよ 。失礼ですけれど 、

   あなた 、おいくつですか 』

    そのトタンに 、嘆いた方は 、

   『 え? あ ・・・ そうか 、そりゃあそうだ 』

    とニヤリと笑って 、すぐあきらめて ―― それでおしまい 。

   つまり 、お互いに ―― 人間は二十歳ごろから 、一日十万

  個の脳細胞が失われてゆく 、ということを 、耳学問で知って

  いるからである 。

   その勘定でゆくと 、私たちの場合 ―― 十万個を三百六十五倍

  して 、さらに 、六十何倍かしただけの脳細胞が 、すでにもう 、

  なくなっているわけだから ・・・ 残りの細胞は 、どっちみち 、

  いくらもないはず 。どんなに丈夫な金属でも 、使いすぎれば 、

  金属疲労という現象がおきるということ ―― 私たち老人が 、あ

  っちこっちガタガタしてくるのは 、ごく当り前 ―― というわけ

  になる 。

  『 ま 、仕方がないでしょう 、お互いに ・・・ 』

   そうあきらめれば 、すっと 、気が軽くなる 。夫婦とも寝つきが

  いいのは 、そのせいかも知れない 。

   床の上に脚をのばして 、

  『 ヤレヤレ 、今日もなんとかすぎました 。無事でけっこう ――

  寝るほど楽があるなかに 、浮世のバカが起きて働く 』 ( 「 寝るほど楽はなかりけり 、・・・ 」とも )

  などと ―― 働きものだった亡母の口真似をしているうちに 、もう 、

  ぐっすり眠ってしまうから ―― まことにもって 、後生楽 ( ごしょ

  うらく ) 。( 後 略 )

  ( 沢村貞子著 「 老いの楽しみ 」 ちくま文庫 所収 )」 

  引用おわり 。

   子どもの頃 「 世の中に寝るほど楽はなかりけり 起きて働くバカもいる 」

  と聞いたことがある 。五・七・五・七・五 ( ん? みそひともじじゃない ) 。

  ( ついでながらの

    筆者註:「 沢村 貞子( さわむら さだこ 、旧字体:澤村 、1908年
        11月11日 - 1996年8月16日 )は 、日本の女優 、随筆家 。
        本名は 大橋貞子( おおはし ていこ )。
         生涯に350本以上の映画に出演し 、幅広い役柄と個性的な
        演技で名脇役女優として活躍した 。日本女子大学在学中に
        新築地劇団へ入り 、左翼演劇運動に加わって 2度逮捕され
        る 。その後 日活に入社して 映画女優となり 、東宝を経て
        戦後は フリーとなる 。エッセイスト としても知られ 、 
        半生記 『 貝のうた 』『 私の浅草 』 などを発表している 。」

       「 配偶者 今村重雄(1931年 - 1933年)
            藤原釜足(1936年 - 1946年)
            大橋恭彦(1968年 - 1994年)死別

        著名な 家族  ( ん? ) 
         父:竹芝傳蔵  狂言作者 ( 本名:加藤伝九郎 )
         姉:矢島せい子
         兄:四代目澤村國太郎 ( 本名:加藤友一 )
         弟:加東大介 ( 本名:加藤徳之助 )   
         甥:長門裕之
         甥:津川雅彦
         姪:加藤勢津子 

        以上ウィキ情報 。

         晩年は 、逗子の海浜のマンションにお住まいだったかと 。

         そう 、作家の川端康成さん ( 1899 - 1972 ) がお住まいだったマン

        ションと同じとこ 。

         明治41年生まれの 沢村貞子さん 、明治39年生まれの 杉村春子

        さん 、ともに戦前・戦中・戦後 を渋とく生きた 女優さん 。

         時々お二人を混同してしまうが 、共通してるのは 男どもとは 比べ

        ものにならない 気の強さ 。生命力でも 、鈍感力でも 、オスはメス

        に敵わない 。)  

 

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冬景色 Long Good-bye 2023・11・23

2023-11-23 04:33:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 冷える 。冴える 。晴れる 。」と

 題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  露こおるような日ふと口ずさみたくなる歌もある 。それが『 冬

  景色 』 。

   一番はちりちりとした冷え冴え渡り 、いっそすがすがしい 。

 

    さ霧 ( ぎり ) 消ゆる湊江 ( みなとえ ) の

    舟に白し 、朝の霜 。

    ただ水鳥 ( みずとり ) の声はして

    いまだ覚めず 、岸の家 。

 

  『 冬景色 』は大正二年『 尋常小学唱歌 』に載せられた文部省

  唱歌なのだが 、口ずさむたび 、明治から大正へ引き継がれた日

  本人のこころの情景がしたしげに立ち現れる 。

   つづく二番は 、胸に冬のおだやかな陽ざしが射しこんでくるよ

  うだ 。

 

    烏 ( からす ) 啼 ( な ) きて木に高く 、

    人は畑 ( はた ) に麦を踏む 。

    げに小春日の のどけしや 。

    かえり咲 ( ざき ) の花も見ゆ 。

 

   切れ切れにつぶやきながら歌いたいときもある 。ひとのすがた

  のない植物園とか公園などで 、はりきって おおきな声で歌って

  みたいときもある 。どちらも 、すき 。こどものころからずっと 、

  冬はこの歌を口ずさんできた 。

   なぜかしら 、冬めいてくるほど 、晴れやかにせいせいとした

  くなる 。  」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

  ( ついでながらの

    筆者註:「 『 冬景色 』( ふゆげしき )は 、歌曲 。文部省唱歌 。

        作詞 、作曲ともに不詳 。4分の3拍子 。

         初出は1913年発行の尋常小学唱歌教材第5学年用

        ( 第13曲 ) 。        ( 絶滅危惧曲 のひとつ )

        歌 詞

        1. さ霧消ゆる 湊江( みなとえ )の  ( ずっと「 港への 」だと思って歌ってた )

         舟に白し 、朝の霜 。

         ただ水鳥の声はして

         いまだ覚めず 、岸の家 。     ( そらで歌えるのは一番だけ )

        2. 烏( からす )啼( な )きて木に高く 、

         人は畑( はた )に麦を踏む 。

         げに小春日の のどけしや。

         かへり咲( ざき )の花も見ゆ 。

        3. 嵐吹きて 雲は落ち 、

         時雨( しぐれ )降りて 日は暮れぬ 。

         若( も )し 灯火( ともしび )の漏れ来( こ )ずば 、

         それと分かじ 、野辺( のべ )の里 。」 ( いまの子らには難しすぎる文語 )

         以上ウィキ情報 。

        朝 、昼 、夕 、今はなき 日本 の 冬景色 。 )

 

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気散じ Long Good-bye 2023・11・21

2023-11-21 05:31:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 冷える 。冴える 。

 晴れる 。」と題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 口にするだけで 、すっきり洗われるような気分になる言葉が

  ある 。

  『 ああ 、せいせいした

  自分が言うときも 、だれかが言うのを聞くときも 、勢い

  よく風が吹き抜けてゆく爽快を感じて『 せいせいする 』 。

  長くごたついた離婚話にようやく片がついたともだちが 、役

  所に届けを出して外にでた瞬間 、飛び出た科白がこれなのよ

  と言っていた 。よくわかる 。ぜんぶを振りきって残滓の一滴

  さえまとわりつかせない 。きれいさっぱりとした快感がこの

  言葉にはある 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 森鷗外の小説に『 寒山拾得 』という一編がある 。

  どうにも気晴らしをしたくなると 、むしょうに この『 寒山拾得 』

  を読みたくなるという知人がいる 。

   みじかい一編である 。唐の時代に閭 ( りょ ) という官吏がおり 、

  遠く天台へ向かう 。逢いたいのは国清寺にいるという拾得と寒山 。

   じつは 拾得 は 普賢延命菩薩 、寒山 は 文殊師利菩薩 。閭がぶじに寺

  に着き 、僧に案内を請うと 、痩せてみすぼらしい格好ををした小

  男ふたりが火に当たっているので 、閭が名乗りでる 。二人は同時

  に閭を一目見た 。それから二人で顔を見合わせて腹の底から籠 ( こ )

  み上げてくるような笑声を出したかと思うと 、いっしょに立ち上が

  って 、厨 ( くりや ) を駆け出して逃げた 。逃げしなに 寒山が『 豊

  干 ( ぶかん ) がしゃべったな 』と云ったのが聞えた 。

   読むたび 、自分らの意のままに次元を超えるようすが痛快で 、わた

  しも関を破り宙を駆けるような自由を味わう 。気が晴れるのだ 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

 

  ( ついでながらの

    筆者註:「『 寒山拾得 』( かんざんじっとく )は 森鷗外の短編小説 。
        1916年(大正5年)1月 、『 新小説 』 に発表された 。

        あらすじ

         貞観の頃 、台州の知事職に相当する 主簿 を務
        めることとなった 閭丘 胤( りょきゅう いん )は 、
        求道者でもなければ 、反対に無頓着な人でもなく 、   
        道を求めている他者に 「 盲目の尊敬 」 をもって接
        する人間であった 。赴任の当日 、リュウマチ性の頭
        痛に悩まされていた彼の元に一人の乞食坊主が訪
        れる 。閭( 鷗外の誤りで 、正確には 姓が 閭丘
        =以下訂正 )の頭痛を まじないによって 見事に
        治癒したこの男は 台州・天台山国清寺 の 豊干
        ( ぶかん )と名乗り 、これから同地へ赴く 閭丘が
        会いに行くべき偉い人はいないかと尋ねると 、それ
        ぞれ 文殊菩薩 と 普賢菩薩 の化身 だという寒山
        と拾得の名を挙げて去っていった 。この出来事のた
        めに 、閭丘は 台州につくと 間も無く 二人が暮らし
        ている 国清寺 を目指したのであった 。丸二日かけて
        やってきた 閭丘 は 道翹( どうぎょう )と言う僧に
        案内されるかたわら 、豊干や拾得についての話を
        聞く 。実際に 二人と対面するため 台所へ通され
        ると 、みすぼらしい身なりをした二人の小男が火に
        当たっていた 。閭丘 は 聖人に接する意識で 自ら
        の官職を述べる拝礼をしたが 、寒山と拾得は 大
        声で笑ったかと思うとその場から逃げ去ってしまった 。」 

        以上ウィキ情報 。

       「 全体世の中の人の 、道とか宗教とかいうものに
        対する態度に三通りある 。自分の職業に気を取
        られて 、ただ営々役々 ( えきえき ) と年月を送っ
        ている人は 、道というものを顧みない 。これは読書
        人でも同じことである 。もちろん書を読んで深く考え
        たら 、道に到達せずにはいられまい 。しかしそうまで
        考えないでも 、日々の務めだけは弁じて行かれよう 。
        これは全く無頓着 ( むとんじゃく ) な人である 。
         つぎに着意して道を求める人がある 。専念に道を
        求めて 、万事をなげうつこともあれば 、日々の務め
        は怠らずに 、たえず道に志していることもある 。儒学
        に入っても 、道教に入っても 、仏法に入っても基督
        ( クリスト ) 教に入っても同じことである 。こういう人
        が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのも
        のになってしまう 。つづめて言えばこれは皆道を求め
        る人である 。
         この無頓着な人と 、道を求める人との中間に 、道
        というものの存在を客観的に認めていて 、それに対
        して全く無頓着だというわけでもなく 、さればと言っ
        てみずから進んで道を求めるでもなく 、自分をば道
        に疎遠な人だと諦念 ( あきら ) め 、別に道に親
        密な人がいるように思って 、それを尊敬する人があ
        る 。尊敬はどの種類の人にもあるが 、単に同じ対
        象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると 、道を求
        める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬す
        ることになり 、ここに言う中間人物なら 、自分のわ
        からぬもの 、会得することの出来ぬものを尊敬する
        ことになる 。そこに盲目の尊敬が生ずる 。盲目の尊
        敬では 、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠 ( せ
        いこく ) を得ていても 、なんにもならぬのである 。 
        ( 森鷗外著 「 寒山拾得 」 青空文庫 所収 ) 」)

 

   ( ´_ゝ`)

 

    早朝にイヤホンで聞くラジオの聞こえが悪いように感じる

  ことが増えてきた 。かけている メガネの度 が合ってないように感

  じることも増えた 。

    気のせいではない 、老いるショック 。

    もの みな 上がる 2023年 の 秋 。

    今年 締めくくりの 打ちおさめに 、ロシア仕込みの ICBM が 南に

  向かって飛ぶそうな 。ロシアのは 、サルマタ でしたっけ ? 

   北極 、南極を周回する 衛星軌道は 新たな脅威か 、はたまた単なる

  デモンストレーション ? 偵察のみでは 、コスパが合わず 、ロシアのパシリ 。

    気散じに 、増税くそ眼鏡減税うそ眼鏡 と言ってみる 。(「減税おそ眼鏡」「減税せこ眼鏡」もあるそうな )

    つい 中間人物 に八つ当たり 。ああ 、せいせいした 。

   政界は 、おカネを巡る 安倍派と岸田派の泥仕合 。

   シン・ゴジラ か 地震が 来れば 、ガラガラポン 。)

 

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溶き辛子 Long Good-bye 2023・11・19

2023-11-19 05:55:00 | Weblog

 

 小春日和の 、今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 辛子をぴしり 」と題した小文 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 辛子を溶くのは久しぶりのことだ 。

  ぱかっと缶を開けてすくった黄いろの粉を小皿に入れ 、用心深く

  湯滴をちょろりとたらす 。そこへ箸を一本だけ差し入れ 、くるく

  る手早く回して溶くと 、つーんと鼻に抜けるあの鋭い香りが立ち

  昇ってくる 。

   辛子の香り! なつかしいような 、うれしいような 。でもせっか

  くまた会えたのに 、そんなに急いでどこへ消えてしまうの 。鼻先

  から脳天へ駆け抜けてゆくところへ 、声をかけたくなる 。ここで

  遭ったが百年目 、ゆめ逃すものか 。小皿を逆さにひっくり返す 。

  辛子片手に思わず前のめりになってしまうのは 、菜の花のお浸し

  のためである 。洗って切り分けた菜の花を 、湯を沸かした小鍋で

  さっとゆでる 。冷水に取るなり 、ぱきんと冴え渡る緑いろ 。掌の

  なかでやわらかく搾 ( しぼ ) ってほぐすと 、菜の花がああこれで

  ひとしきり終わったと息をつく 。だから 、おおあわてで溶き辛子 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

  つーんと鼻に抜けるあの鋭い香り 、簡便なチューブ入りにはない 。

  ( ついでながらの

    筆者註:「 ねりからしの作り方( 3~4人前 )

        ①小さめの器にヱスビーからし小さじ2 (  3g  )

         を入れ 、水 ( ぬるま湯 ) 小さじ1 ( 5ml ) を

         加えてよく練ってください 。

        ②ラップをして 、4~5分間おいてからご使用

         ください 。

         【 使用上の注意 】

          水で練った後は早めにお召し上がりください 。

           ● 開封後は吸湿・虫害・退色を防ぐため 、上ぶたを

            しっかり閉めて冷暗所に保管してください 。

           ● 上ぶたを開ける際 、缶切りは使用しないでください 。

           ● 中のアルミ箔は 、スプーンなどを使用し 、指のケガに

            注意して開けてください 。

        以上 円柱状の小さな缶の胴に書かれた「 ヱスビーからし

        の使用法 」 。)

 

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ぎんのうを サヨリ Long Good-bye 2023・11・17

2023-11-17 05:09:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 ぎんのうを 」と

 題した小文の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 サヨリは うすい

  サヨリは ほそい

  ぎんのうを サヨリ 

  きらりと ひかれ

 

  つきよの かはに

  だれだれ でてる

  さざなみ こなみ

  ちらりと ひかれ

 

  サヨリの うちは

  まみずか しおか

  つめたい サヨリ

  みづのたま はけよ

 

  サヨリは うすい

  サヨリは ほそい

  ぎんのうを サヨリ

  おねえさまに にてる

            『 サヨリ 』 北原白秋

   さより を見るたび 、白秋 のこの詩を思い出す 。 」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

 

  ( ついでながらの

    筆者註: 「 サヨリ( 鱵 、細魚 、針魚 、針嘴魚 、水針魚 、
         竹魚 、長鰯 、学名:Hyporhamphus sajori )
         は 、ダツ目・サヨリ科の海産魚 。沿岸の海面近くに
         生息する細長い魚で 、食用魚でもある 。季語 、三春 。( さんしゅん )
        特 徴
         全長は 最大40センチメートルほどで 、同じ ダツ目 の
        サンマ とよく似た細長い体型をしている 。
         サヨリ科 一般の特徴として 下顎が長く突き出し 、
        上顎は小さな三角形の弁状にしか過ぎないが 、
        この一見アンバランスな形の口器の適応的意義は
        よくわかっていない 。ただ 、同じ トビウオ上科のトビ
        ウオ類も 、稚魚のときに同じような下顎の伸張が
        起こることが知られている 。この下顎の先端は生き
        ているときには赤い 。背中は青緑色だが 腹側は
        銀色に輝き 、筋肉は半透明である
         腹膜は真っ黒で 俗に 『 見かけによらず腹黒い人 』
        の代名詞 とされることもあるが 、これは筋肉が
        半透明で光を透過しやすい魚によく見られる現
        象で 、恐らく腹腔内に光が透過するのを防ぐ適応
        とみられる 。( 後 略 ) 」

       「  中国でも 、山東省で 『 針涼魚( 簡体字 针凉鱼 )
         チェンリアンユー 』 、『 馬歩魚( 马步鱼 ) 
         マーブーユー 』 と称して 、渤海湾や黄海で
         漁獲され 、流通している 。中国語の標準名は
        『 小鱗鱵( 小鳞鱵 )xiǎolínzhēn シアオリンチェン 』 。」

        以上ウィキ情報 。)

 

 

     

   ( サンマのかしら )

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オノマトペ Long Good-bye 2023・11・16

2023-11-16 04:54:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典

 「 ウィキペディア 」掲載の記事「 擬声語 」から 。

  備忘のため 、適宜 抜粋して 抜き書き 。

 ( ´_ゝ`)

  引用はじめ 。

 擬声語( ぎせいご )とは 、声などを字句で模倣したものである

   本稿では便宜上 、擬音語( ぎおんご )擬態語( ぎたいご )

  の2つの総称として『 擬声語 』 を見出しに使う 。

   一般的に 、擬音語 と 擬態語 を総称して オノマトペ という

   擬音語は人 、動物 、物が発する音を表現し 、擬態語は音がない

  雰囲気や状態を表現する

   日本語では 、擬音語や擬態語は副詞であるが 、形容動詞と

  しても用いられる ( 例 『 お腹がぺこぺこだ 』 ) 。なお 、声帯

  模写( 物真似 )は 、人や動物の声や様子を真似することで

  あり 、擬音語ではなく擬態語でもない 。

 ( ´_ゝ`)

 「 擬音語

  例

  ・メーメー( 羊の鳴き声 )

  ・ブーブー( 豚の鳴き声・ブーイング )

  ・ドキドキ( 心臓の鼓動 )

  ・ガチャン( ガラスの割れる音、錠がかかる )

  ・チリーン( 鈴が鳴る音 )

  ・チン( 電子レンジ )

  ・ドカン( 爆発音、衝撃音 )

  ・ズズー( ラーメンを啜る音 )

  ・カリカリ( サクサク )( スナック菓子の咀嚼音 )

  ・ゴロゴロ( 雷 )

  ・トントン( 肩たたき 、ドアのノック )

  ・ドン( ドーン )( 花火・衝突など )

  ・バタン( ドアの閉まる音など )

  ・ガタピシ( 機械や道具の滑らかでない動作 )

  ・ピッ( ポチッ )( 機械のボタン動作音など )

  ・ピポパ( 電話番号の入力 、DTMFなど )

  ・ガタン( ゴトン )( 電車など )

  ・ジュー( 加熱調理 )

  ・パチパチ( 拍手 、焚き火 )

  ・プシュー( 気体の吹き出す音 )

  ・ズルッ( 滑る )

  ・ビリビリ( 紙が破れる音など )

  ・ブリブリ( 排便する音など )

   なお 音声を発する主体が同一の場合であっても 、言語が

  違えば 表現も当然違うものになる 。また 言語によっては

  存在しない物もある( 日本語の号泣表現 『 うわーん 』 は

  英語には存在しない )。

  例:犬が吠える声

  ・日本語 …… wan-wan( ワンワン )

  ・中国語 …… wang-wang( 汪汪 )

  ・ドイツ語 …… wau-wau

  ・オランダ語 …… waf, woef, waf waf, woef woef

  ・広東語 … wou wou

  ・英語 …… bow-wow, bark-bark, woof-woof,

       arf-arf, ruff-ruff

  ・ラテン語 …… bau bau

  ・ハンガリー語 …… vau-vau

  ・イタリア語 …… bau-bau

  ・ノルウェー語 …… voff-voff

  ・スウェーデン語 …… voff

  ・サモア語 …… baw-gaw

  ・ヒンディー語 …… bhu-bhu

  ・カタルーニャ語 …… bub-bub

  ・ポルトガル語 …… au-au

  ・ポーランド語 …… hau-hau

  ・フィンランド語 …… hau-hau

  ・アラビア語 …… hau-hau

  ・ヘブライ語 …… hav-hav

  ・タガログ語 …… hao-hao

  ・タイ語 …… hong-hong, wob-wob

  ・ベトナム語 … gâu gâu

  ・スペイン語 …… guau-guau

  ・ロシア語 …… gaf-gaf

  ・インドネシア語 …… guk-guk

  ・スワヒリ語 …… gon-gon

  ・韓国語 …… meong-meong

  ・フランス語 …… ouaf-ouaf

   擬音語が動詞化・一般名詞化する用例も多数存在する

   例えば 、幼児期において 擬音語をもって 対象物を表現する

  用例が挙げられよう( 例:『 ワンワン 』=犬 、『 ブーブー 』=自

  動車 )。 この他にも コンピュータのマウスのボタンを押下する

  動作を 『 クリック ( click ) する 』 、その鳥が発する鳴き声

  から カッコウ ( en:cuckoo ) 、タミル語におけるカラス   

  ( kaakam ) などが挙げられる 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 擬態語

   状態や感情などの音を発しないものを字句で模倣したもの

  である 。( 本来 、擬声語には含まれない )。 『 擬態語 』を

  さらに下位区分して 、『 きらっ 』『 ひらひら 』『 ぶるぶる 』のように

  外面的なありさまを表す 『 擬容語 』 、『 ガーン 』『 ぎくり 』のよう

  に内面的な感情を表す 『 擬情語 』 に分類する立場もあるが、

  厳密な区別は難しい 。 また 、日本語には 『 たっぷり 』『 ちょう

  ど 』 のように 擬態語と一般語彙の中間的なものもある 。

  例

  ・ばらばら - 散らばっている様

  ・めろめろ - 惚れ込んでいる様

  ・たっぷり - 豊かで余裕のある様

  ・じろじろ - 何かを見る

  ・うようよ

  ・ふらふら

  ・ゆらゆら

  ・くねくね

  ・きゅん - ( 感情 )

  ・じーん - ( 感情 )

  ・むらむら- ( 感情 )

  ・キラキラ - 光 、輝き

  ・ギラギラ - 強烈な光 、強烈な輝き

  ・そよそよ - 穏やかな風

  ・メラメラ - 火

  ・モクモク - 煙 、漢語由来のモウモウ( 濛々 )もある

  ・ぴかぴか - 光 、新しさ 、きれいである様

  ・ぬくぬく - 温かいさまを表す 。または 怠惰な環境に甘んじるさま 。

  ・ぐずぐず

  ・ぴんぴん

  ・よろよろ

  ・よぼよぼ

  ・へなへな

  ・ぎゅっ( と )

  ・ぞっ( と )

  ・ふわふわ

  ・ほんわか

  ・くるくる

  ・ツルツル

  ・さらさら

  ・ちょうど - 『 丁度 』 は 当て字で 、元来は 刀が鞘に収まる擬

       態語 、または 擬音語 。

  ・しいん/しーん - 静寂 。漢語由来の 『 しんしん 』( 深々、

       森々 、沈々)や、 それが変化した 『 しんと 』 が

       由来とされるが 、生理的耳鳴りの擬音語であると

       する説もある 。

  ・◯ぶ◯ぶ - 山口仲美は 、歴史的に 、この形の擬音語・擬

       態語 ( がぶがぶと・ざぶざぶと 、など ) は どれも

       水分に関係のある音や状態をうつした語であること

       を発見した 。 」

  引用おわり 。

  日本語は多彩だなー 。 

  ( ´_ゝ`)

 

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固唾をのむ Long Good-bye 2023・11・15

2023-11-15 05:22:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、平松洋子さんのエッセイ

 「 なつかしいひと 」( 新潮社 刊 ) から「 競馬新聞の中身 」と題した 小文 。

  思いがけず出会った 、サスペンス ドラマ 。

  擬音語 、擬態語 の多用が 、この方の文章の一つの特色か 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 逢 ( お ) う魔が時には魔物が通る 。あの日 、わたしは私鉄の始発

  新宿駅で電車に乗りこみ 、出発を ぼんやり 待っていた 。発車まで

  まだ三分 、乗客はひとりだけだ 。

   ぶらりと 男が入ってきた 。痩せぎすの小柄な中年の男である 。席は

  いくらでもあるのに わざわざ 近くに立ち止まるから奇妙に思ったが 、

  理由はすぐわかった 。ちょうど網棚に競馬新聞が放置してある 。それ

  を目ざとく見つけてつかみ 、そのまま どかりと 座席に腰を下ろしたの

  である 。

   と 、そのときだ 。男が四つ折りの新聞を開いた瞬間 、バネ仕掛けの

  人形のように全身が ぴょんっと 浮いたのである 。

  おどろいて横目をやると 、男は板のように背を硬直させ 、息を詰めて

  中身を凝視している 。つられて首を伸ばし 、わたしも思わず『 あっ

  と声を洩らしそうになった 。競馬新聞のうちがわにむきだしの札束が挟ま

  れているのである 。

   競馬新聞 。札束 。沿線の競馬場 。

   にわか探偵になって推理を働かせる ―― 落とし主は競馬場で大当たり

  をとったものの 、配当金が財布に入りきらない 。おさめ場所に困って新

  聞のあいだに挟みこみ 、電車に乗った 。ところが下車する際 、いつもの

  習慣で用なしの新聞を ひょいと 網棚に放り投げてしまったのだ 、うっかり

  札束を入れたまま 。

   落とし主は地団駄踏んでいるにちがいない 。いや 、すぐ気づいていまに

  も駆け戻ってくるだろうか 。想像をたくましくしていると 、男が顔を上

  げてこちらへ振りむいた 。

  ( おまえ一部始終を見たな )

   びくついた顔にそう書いてあった 。

   とはいえ 、男の頭のなかは金のことでいっぱいだ 。こんどはあわてて札

  束を数えはじめる 。紙幣をめくる指 、同時に上下する頭 、小刻みにから

  だを揺らして全身全霊で勘定する 。さいごの一枚をめくり終えると 、

  と ちいさく息継ぎをした 。

   さあ 、どうでる 。固唾を飲んでいると 、男は意表を衝いてきた 。尻だけ

  浮かせて一メートルほど横移動し 、こちらへ すっと 寄る 。さらに上半身だけ

  ゆらりと 傾け 、顔をそらしたまま声色ひくく囁いたのである 。

  『 五十四枚ある 。五十四万だ 。あんたにも分けてやるからさ 』

  語尾がうわずっている 。数字がリアルな緊張を運んできたのだろう 、

  札束を握った指がかすかに震えている 。通路へ投げ出した両足は貧乏

  ゆすりをはじめている 。

   なるほど 、たしかにわたしは 目撃者 なのだ 。目撃者に交渉をもちか

  けて共犯に引き入れようというのが 、男がとっさに思いついた魂胆な

  のだった 。しかし巻きこまれてはかなわない 。

  『 それ落とし物でしょう 。駅の事務室に届けなきゃだめですよ 』

   男が幼児のように ぷいと 横を向いた 。いやなこった 、ぜったい離す

  もんか 。そのとき窓ごしにホームを歩く駅員のすがたが見えた 。男

  は動揺して札束を新聞でくるみ 、ジャンパーのふところにしまいこん

  で長居は無用とばかり席を蹴った 。

   あわてふためいて身を翻し 、ぴょんぴょん ぎくしゃく 駆けてゆく後

  ろすがたは 、やっぱりバネ仕掛けの人形みたいだった 。

   発車のベルが じりじりと 鳴った 。だれも乗ってこない 。深海魚の

  ような車両にわたしひとりが残った 。

   引用おわり 。

   ( ´_ゝ`)

    見知らぬ男に「 一緒に 毒まんじゅう 食おうぜ」「 猫ばば しようぜ 」と

  言われて 、「 それ落とし物でしょう 。駅の事務室に届けなきゃだめですよ 」

  と冷静に切り返せるのは 、なみなみならぬ胆力の持ち主 、

  ・・・ というか 怖いもの知らず 。

   痩せぎすの小柄な中年の男が 、自分のカネだと主張したら 、 本当の

  落とし主がその場に現われない限り 、いや現われても 、水掛け論に

  なるおそれはある 。占有者の勝ち 。

    五十四枚の諭吉さんは 、いずれJRAに戻るか 、マルハンに行き着く

  かしたでしょうね 、多分 。・・・ 風の便りに 、海を渡って半島行って 、

  巡り巡ってミサイルに生まれ変わったとさ ・・・ めでたし 、めでたし 。

  それにつけても 、どうしてあんなにおカネがあるんだろ 。ワシントンさん

  や諭吉さんを印刷するだけじゃないよね 。

 

 

  ( ついでながらの

  筆者註:・「 雨が 『 ザーザー 』 降る 、犬が 『 ワンワン 』 ほえるなど 、

        音や声を直接表わす言葉を 『 擬音語( 擬声語 )』 、

        星が 『 きらきら 』 光る 、子どもが 『 にこにこ 』 笑うなど 、

         ものや人の様子を直接表す言葉を 『 擬態語 』といい 、

        こういった言葉をまとめて 『 オノマトペ 』 といいます 。」

        ( ´_ゝ`)

      ・「 しーん もこ もこもこ にょき もこもこもこ にょき

        にょき ……  詩人 の 谷川 俊 太郎 と 画家 の 元永定正 のコンビ

        による、 超ロング・ベストセラー 絵本『 もこ  もこもこ 』 に

        登場するフレーズである 。『 しーん 』という 、音のない静寂を

        表すオノマトペ 。そこから『 もこ 』と一言 。地面がちょっと

        だけ盛り上がる 。 ページをめくると盛り上がりが何倍になって 、

        『 もこもこ 』と 。次に『 にょき 』と 、小さいモノが顔を出す 。

        盛り上がりはさらに巨大になり 、『 もこもこもこ 』 と 。にょ

        きっと伸びたモノは食べ られてしまうが 、『 つん 』と盛り上 

        がりの頭部からまた出てくる 。最後は再び『 しーん 』となる 。

         音のリズムに 、鮮やかな色と単純で力強いフォルム 。ストー

        リーはあるともないとも言える 。赤ちゃんは 、そして幼児は 、

        この物語をどのように受け取るのだろう 。子どもの絵本は 、

        オノマトペにあふれている 。子どもはオノマトペが大好きだ 。

        子どもを育てたことがある人 、子どもが身近にいる人は 、

        彼らがオノマトペを口ずさむ姿を思い出すかもしれない 。

        子どもはなぜオノマトペが好きなのだろう? オノマトペには

        子どものことばの発達に 、何かよい効果があるのだろうか? 

          ⦅ 今井むつみ ; 秋田喜美 著 『 言語の本質 ことばはどう生まれ 、

         進化したか  』 中公新書 所収 ⦆ 」

        ( ´_ゝ`)

       「 古代ギリシア語の 『 ὀνοματοποιία( オノマトポイーア )』

        を由来とする 英語の 『 onomatopoeia( オナマタピーァ )』

        および フランス語の 『 onomatopée( オノマトペ )』 を日本

        語発音にした オノマトピア 、オノマトペア 、オノマトペ を用いる

        場合もある 。 日本語訳は数多い 。 」

        ( ´_ゝ`)

       「 逢魔時( おうまがとき )、大禍時( おおまがとき )は 、夕方の

        薄暗くなる 、昼と夜の移り変わる時刻 。黄昏どき 。魔物に遭遇す

        る 、あるいは 大きな災禍を蒙ると信じられたことから 、このよう

        に表記される 。

        時 刻

         逢う魔が時( おうまがとき )・逢う魔時( おうまどき )ともいい 、

        黄昏時( たそがれどき )のことで 、古くは『 暮れ六つ 』 や 『 酉

        の刻 』 ともいい 、現在の18時頃のこと 。黄昏時は 黄が太陽を表

        し 、昏が暗いを意味する言葉であるが 、『 おうこん 』 や 『 きこ

        ん 』 とは読まないのは 、誰彼( 『 誰そ 、彼 』 の意 )時とも表記

        し 、『 そこにいる彼は誰だろう 。良く分からない 』 といった薄暗

        い夕暮れの事象をそのまま言葉にしたものであるのと 、漢字本来の

        夕暮れを表す文字を合わせたものだからである 。」

        以上ウィキ情報 ほか 。

       ひとは 逢う魔が時に「 不穏 」な気分におそわれることが多い 。  )  

 

 

 

 

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