「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2018・08・15

2018-08-15 07:55:00 | Weblog



      今日の「お気に入り」。


        「 構(かま)へて構へて所領を惜(おし)み妻子を顧りみ又人を憑(たの)みて・あやぶむ事無かれ

         但偏(ただひとえ)に思ひ切るべし、今年の世間を鏡(かがみ)とせよ若干(そこばく)の人の死ぬるに今まで

         生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多(せた)を

         渡せし所よ・名を揚(あぐ)るか名をくだすかなり 」


                ( 宮本輝著「骸骨ビルの庭」 講談社文庫 所収 )






     日蓮上人が、建治3(1277)年8月4日、56歳の時に、

    沼津に住んでいた斎藤弥三郎に宛てて認めた手紙の一節とか。


 



   「 日蓮が、門下の者にあてた手紙の中に、『日輪のごとき智者たれども、若死あらば生ける犬に劣る』という

    一節がある。また別の手紙では、『百二十まで持(たも)ちて名を腐(くた)して死せんよりは、生きて一日

    なりとも名をあげん事こそ大切なれ』とも書いている。 」


          ( 宮本輝著「命の器」 講談社文庫 所収 )

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2018・08・09

2018-08-09 07:00:00 | Weblog
  



   今日の「お気に入り」。



     「 人は嫉妬する生き物なのよ。

      どこで誰が何を理由に、ひとりの人間に

      嫉妬の心を抱いているかわかったもんじゃない。

      人間が抱く嫉妬のなかで最も暗くて陰湿なのは、

      対象となる人間の正しさや立派さに対してなの。 」

         
           ( 宮本輝著「骸骨ビルの庭」講談社文庫 所収)









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2018・08・06

2018-08-06 09:40:00 | Weblog




    今日の「お気に入り」。


       「 ―――― われわれは他者の人生に意味を与えることはできません。

         ―――― われわれが彼に与えることのできるもの、人生の旅の餞(はなむけ)として

           彼に与えることのできるもの、それはただひとつ、実例、つまりわれわれの

           まるごとの存在という実例だけであります。

           というのは、人間の苦悩、人間の人生の究極的意味への問いに対しては、

           もはや知的な答えはあり得ず、ただ実存的な答えしかあり得ないからです。

           われわれは言葉で答えるのではなく、われわれの現存在そのものが答えなのです。―――― 
       

                 ( ヴィクトル・フランクル「意味への意志」より ) 」


              ( 宮本輝著「骸骨ビルの庭」講談社文庫 所収 )








   フリー百科事典「ウィキペディア」には、ヴィクトル・フランクルさんのことが次のように

  記述されています。

   「 ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 - 1997年9月2日)は、

    オーストリアの精神科医、心理学者。

     著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、特に『夜と霧』で知られる。

    来歴;

     1905年にウィーンに生まれる。

     ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。

     ウィーン大学医学部精神科教授、

     ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。

     『第三ウィーン学派』として、また独自の『実存分析』を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。

     フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。

     精神科医として有名であるが、脳外科医としての腕前も一級であった。

     1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、

    ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。

     1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、

    父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。

     フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、

    1945年4月にアメリカ軍により解放された。

     その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。

     1947年に再婚している。

     ナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、

    60年以上にわたって読み継がれている。

     発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で

    『私の人生に最も影響を与えた本』のベストテンに入ったという。

     他に読売新聞による2000年の『読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊』のアンケート調査で、

    翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

     よく誤解されるが、フランクルのロゴセラピーは収容所体験を基に考え出されたものではなく、

    収容される時点ですでにその理論はほぼ完成されており、はからずも収容所体験が理論の正当性を検証する

    こととなった。

     極限的な体験を経て生き残った人であるが、ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。

     学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。 」





                       
                  





 
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