テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



2005.1.16のライブについて備忘録的まとめのつづき
初めての完全自前ライブ(プラーレ松戸さんに場所とPA機器の提供を受け、ポスターを作ってもらって宣伝してもらった)となった今回の経緯につき、その演奏前までの事項ををまとめると・・・。

1.演奏が決まるまで
・ 演奏させてくれそうな近場の施設をホームページなどで物色し、プラーレ松戸の担当者と最初にコンタクトを試み始めたのは昨年8月下旬か9月に入った頃だったか。なかなか連絡つかなかったがプラーレの販促担当者の指示によりデモMDとCD(同じ演奏を2つのメディアで送付した)、プロフィール文書を送付したのがロシア演奏旅行から帰ってきてからだったので10月中旬頃(だったと思う)。
・ デモMDはMTRによる自宅における一発ライン録りで、涙そうそう、北の国から、白鳥を入れた。CDはMTR(ZOOM MRS-4)のメディアのメモリーカードをPCに読ませて作成。MDへの録音の際はMTR内蔵のミックスダウンエフェクトで極くわずかにリバーブ(Small Room)をかけた。CDはエフェクトなしで作成した(しか、作れなかった)。とてもしょぼいデモ音源であったが、ダメモトの精神であった。何事もやってみなければ始まらない。

2.演奏日時が決まってから
・ デモMDは受け入れられ、11月に入って話が具体化してきたが、イベントが詰まっているということで、日程は話し合って1月16日とした。このときが一番気持ちが高揚したときである。
・ 11月27日(土曜14:00)、会場初下見。プラーレ販促担当者にも挨拶し、倉庫に案内してもらい、PA機器を見せてもらった。

3.ポスターの話
・ 昨年12月下旬、主催家主(プラーレ松戸)の代理店からポスター用の写真を用意するよう指示があり、Eメール添付で提出。
(Hさんがモスクワ音楽院、ホワイトホールの演奏時に撮影してくれたものと、演奏したフリのものを自宅で撮影して何枚か送ったが、モスクワのものが採用された。さすが、プロ級の腕前と機材。「Hさん、ありがとうございました。」Hさんには事後承諾を得た。)
・ ポスター原稿が1月7日夜あがり、Eメール添付にて送られてきた。校正を依頼されるも、何もなし。12日夜から現地2箇所に張り出された由。

4.当日進行予定の決定など
・ 11日夜、当日の進行予定表とPA等セッティング図が同じくEメールにて代理店より送付されてきた。
・ 演奏曲目を真剣に考え出したのは年明けから。ほぼ決定したのは7日(金曜)。8日からの3連休で、伴奏音源をMDに整理して、必要なものは録音し、前後のスペースなどを作った。
・ 練習時にはミキサーの調整も試行錯誤した。久しぶりに演奏する曲目や、あまり真剣には練習したことのない曲もあり、あせる。曲ごとのレベルはなるべく合わせようと努力したが、どうしても凸凹があり、本番でミキサーのフェーダーを操作するしかない。(竹内先生のアドバイスのありがたみ、再認識。)
・ 11日~12日で当日の自分の進行表(曲の時間と曲間のMCの案を分単位で考えたもの)を作成。
・ 平日は練習の余裕ほとんど無く、通勤電車のなかで、伴奏音源を聞きながら、楽譜とにらめっこして、仮想練習。無意識にもシャドウテルミン。

5.CATVの取材
・1月13日夜、地元(松戸市、流山市がエリア)ケーブルTV会社=コアラテレビより当日の取材申し入れを受ける。(申し入れを受ける、といっても、昨年末に同社ホームページの連絡先にEメールで売り込んでいたもの。)その日まで何の反応もなかったので、この時期の申し出にはやや意外感があったが、よかった。ただし、我がマンションにはCATV引かれておらず、見られない(嘆…だが、お願いして放送されたビデオをいただけることになった)。翌17日のニュースで放送された。当日は演奏風景の撮影他、インタビューを終演後15分ほど受けた。
・ 取材担当者との電話の話で、テルミンさんの写真やその他の私の演奏ビデオなどを貸して欲しいとの依頼も受けたので先生にも相談して対応を決めた。(すぐに貸せるものはなし)
・ どんな放送に出来あがるのか、ビデオを見るのが楽しみ。

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