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テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



 ロバート・モーグ博士の映画があるようだ。私が参考にしたBlogはこちら
映画案内はこちら

 モーグ博士はシンセサイザーの発明者として著名だが、テルミン界(どこにその「界」があるのか聞かないで)ではイーサウェーブ・テルミンの開発者として有名である。テルミン博士と違って世界的に有名だし、晩年は不遇に終る、というわけではないが、生涯技術屋で、どうも世渡りはうまくなさそうなところも何やら共通点を感じる。
 
 イーサウェーブテルミンは、その安定性と楽器としての完成度により、広く世界に普及する現代テルミンの標準機といってよい。
 モーグ博士は、映画「テルミン」にも詳しいが、中・高生の頃、しきりにテルミンを製作し、シンセサイザーを発明した後も、シリーズ91やイーサウェーブのようなテルミンを開発して、世に出し続けた。なぜだろうか。
 テルミンが電子楽器の祖先であり、シンセサイザーが電子楽器の「より進化した姿」であるとすれば、シンセサイザーも発明当初から大きな進化を遂げた今、テルミンは過去のもの、シンセサイザーより劣ったもの、として実用品としてはこの世から葬られていてもおかしくないはずである。
 しかし、テルミンは細々とではあるが、生き永らえ、未だに新たな演奏者を生んでいる。これは、電子楽器としては異例なこととして、生身の人間の関わりを極限的に要求するということの面白さ、難しさが人を惹きつけて放さないからである。そのことをなによりも雄弁に物語っているのが、シンセサイザーの発明者がテルミンの新製品開発を最近まで継続していたことである。
 電子楽器としては、音程、音量はもちろん、ビブラート等による音色のコントロールまで(リアルタイムで)任されるという奏者に過酷な要求をする不便な楽器だが、このことは他の楽器と比べれば、至極あたりまえのことでもあり、逆にテルミンが珍しく変わった楽器ではなく、「普通の」楽器たりえる根拠でもある。

 ※渋谷で上映されるこの「MOOG」の上映前に、テルミン大学の佐藤教授のテルミン演奏が聞ける。

(2005.2.26追記)
佐藤さんの演奏の感想記事がありました。
ハミングそしてサミング

(2005.3.17追記)
火曜日の佐藤さんの演奏を聞かれた方がまた。こちらの記事、コメントにはテルミン(主に映画)のお話がされています。
Black Pepper's Blog

私も見に行きました。「映画MOOGを見た

テルミン演奏あり。追加日程(4月)

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 ニ胡をやっておられる方のBlogで楽器の知名度をGoogleでのヒット数でランク付けしておられた記事があった。興味深かったので、そのなかでテルミンの位置づけは?、と思い、検索してみたら、35,400HITだった。 このヒット数はその方の記事のランキングによると、チューバより下でシタールより上位にあった。
 二胡の86,100にはるかに及ばないものの、シタールより上にあるというのは大したものだと、私は感じた。ちなみにマトリョミンは1,680HIT。
 この話、もう少し膨らみがあったと思ったが、gooさん調子悪く、いったん投稿した記事が消えてしまった後の書き直しなので、またもやオチなし(最初の記事にもなかったかも)。 
 
 以前の記事を見返していたら「テルミンの知名度」ということを書いていた。それと比べて本記事のタイトルに(客観的)を加えた。

(消えていた記事が復活していたが、内容重複なので、前記事削除した。2004/12/14)

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昨日、酒の席で、元会社の先輩(現在退職済・私より10歳くらい年長の男性・基本的には常識人であり、当時の仕事振りは私の尊敬するところであった)にテルミンの説明をした。テルミンのことを全く知らない方だった。すると、、
「何それ?。ちょっと(アタマ)大丈夫?。なんだか話聞いてると新しい宗教か何かかと思うぞ。」
・・・私の説明がよほどヘタなのか。こう言われて、「いやいや、そうではなくて、こういう原理でウンヌン・・・」と力説し始めると、ますます不思議そうな、また、心配そうな顔をするその先輩。
私とその先輩のやりとりを聞いていた、もう一人の同じく退職済の先輩(さらに年長)が、「まあー、世の中にはいろいろ、わからんもんがあるさ。」と話をひきとり、テルミンの話はThe End。
ふー。

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以前、テルミンが「不思議な楽器」と思われたままではよくない、と書いたことがあった。一方、不思議なものを操ってますよ、という優越感的なものも自分の心のなかにある、とも書いた。
昨日、私も参加する計画の、とあるイベント用に「楽器テルミンについて簡単な紹介文を」との依頼があり、私自身、「・・・演奏する姿は、初めて眼にするものにとっては、空中で両手を操る不思議な形態と写る」と書いている。つまり、抑制的には書いているが、不思議を売り物にしたい、という気持ちが出ている。
その紹介文はまだ未完であるが、主催者の手により「・・・電磁波を手で操ることによってメロディやリズムをつくる、摩訶不思議な楽器」となりそうである。よく考えたが、この点につき私は異論をはさまなかった。「摩訶不思議」にひっかかるものがあるが、テルミンを全く知らないか、よく知らないヒトをひきつけて、会場に足を運んでもらうためにはインパクトが必要と自分を納得させた。
となると、その場でテルミンを初めて見聞きする方々に、「ただ、不思議というだけのモノではないのだな」と思って帰ってもらえるよう、努力するしかない。・・・と、気負うほどのことでもないのだけれど。ちょっと考えてしまいましたとさ。

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 テルミンをやっている方には「どうして始めようと思ったのですか」と聞きたくなるし、よく聞かれる。映画がなんらかのきっかけになっている方は多いが、映画そのものが直接的きっかけかというとそうでもなかったりすることも多い。
 私も映画テルミンは大きなきっかけになったが、どうしてその映画を知ったのか、その後レッスンを受け始めるまで突進していったのか、我が事ながら今一つはっきりしない。
 ただ、楽器は何かやりたいと常々思っていたことは確かである。家に放置されているピアノはどうか、ウクレレは手軽で面白そうだ、など。でも、どれも実行するまでには至らなかった。
 想像だが、テルミン弾き共通の心情的特性として「普通では面白くない」ということがあるのではないだろうか。もっとはっきり言えば、変わり者?(私およびこれをお読みになっているあなただけは違います)。
 今はテルミンが「変わった珍しい楽器」ではなく、「普通の楽器」として広く認識されることを望む気持ちと、「珍しくて弾く人の数も少ない楽器をやっている自慢の心」が同居しているかな。(最後はテーマが変わってしまった)

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 私は小学校のときにトランペット、中学でホルンを少し吹いていた。真剣に楽器と向き合っているのはこのとき以来である。つまり、楽器演奏ブランク25年超。
 金管楽器との共通点につき少し思っているのは、まず頭に次の音が鳴っていないと、その音が出せないということだ。別の観点からいうと、音を出してからでも微妙に唇や口の形をコントロールして音程を合わせている管楽器とテルミンのピッチコントロールに共通点を思うことがあるということである。(ホルンではベルに突っ込んだ右手のひらでも音程と音色をコントロールしている。)
 たぶん、フレットレスのギター類やチェロ弾きなんかも同じかな。そういえば、テルミン博士はチェロの名手だったそうだし。バイオリンはどうなんだろうか。
 もうひとつ思い出したのは、管楽器の練習はロングトーンに始まりロングトーンに終わることである。まっすぐに音程を安定させて大きな音で一つの音を鳴らす。これがキレイにできるようになれば、曲を演奏してもうまくいく。テルミンも上達するごとにロングトーンを安定させられるようになる。
 今日は話しにオチなし。(昔、大阪勤務時、毎日朝礼で話しをしていたが、「○○さんのハナシにはオチがないなー」と所属員から大阪弁でダメ出しされてたことを思い出した。)

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 テルミンでブログ検索してみると、未だに映画テルミンのことが結構書かれている。
 最初に映画館で観た時は、少しとっちらかった印象であった。楽器そのものに対する興味で映画を観たせいもあるだろう。
 その後しばらくしてDVDを購入し、見返してさらに相当期間経過した。今、頭に残っているのは、あの映画がドキュメンタリーであると同時に、いやそれ以上に、ラブストーリーであったということである。
 テルミン博士とクララの愛は時空を超えている。あれだけ長い時間と場所を隔てた2人の間にはご当人にしかわかりようのない、深いものが流れていた。饒舌なクララと静かに佇むテルミン氏、切なくも暖かい。それが作り物でないことに言いようのない深い感動を覚える。
 今の私にも、テルミンに出会わなければなかったであろうヒトとの出会いがあるが、テルミンの導きに感謝である。

興味深い内容紹介を見つけた。「B級映画」とのカテゴリーにちょっと危ないものを感じつつ読んでみたら、内容はきちんとしたものであった。(2005.1.7)


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 ロシアでのコンサートやテルミンさんゆかりの地への訪問は、強く心に残るものであった。特に強く感動したのは、サンクトペテルブルグ工業大学のなんの変哲もない、ある部屋に足を踏み入れたときであった。そこは1920年、テルミンさんが楽器テルミンを発明した部屋であった。彼がそのときその楽器を発明していなければ、私がテルミンを楽しむことはなかった。また、私がロシアの地を訪ねることもなかったことを思うと、何か、テルミンさんやテルミンという楽器に導かれてここに来た、そしてテルミンを楽しむ私が今ここにある、という感慨に包まれたのである。
 思えば、楽器の演奏者がその楽器の発明者のことを強く意識するということ自体、すごく稀なことであろうと思う。世界最古という枕詞がつくものの、たかだか80数年前に発明され、約10年前までは発明者も存命だったのである。少しだけ古いけど新しい楽器。バイオリンなどの歴史に比べれば、まだ楽器テルミンの歴史は始まったばかり。竹内先生がお考えのように「テルミンが普及する環境が今まさに整ってきた」のかもしれない。そういう時代に身をおけて幸せである。早すぎず、遅すぎず、何事にもタイミングは重要である。

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 テルミンという楽器の形はとても魅力的だと思う。テルミン博士の手になるRCAテルミンおよびその系列の楽器は木製キャビネットで、重みと風情がある。現在発売されているテルミンはやはり電子楽器的であるが、それでも独特の風格というべきものを持っているように見えるのは贔屓目であろうか。
 木製キャビネットのテルミンに風情があるといっても、垂直、水平に出ているアンテナの輝きが、やはり先進的な、あるいはSF的な科学性を感じさせる。ここがまたたまらない魅力である。
 我が家の居間にいつも鎮座するイーサウェーブは既に部屋の一部分と化してしまった感があるが、なにかこう、いるだけである種のオーラを放っている。ときにはボリュームアンテナがネクタイかけになったりもしているが、垂直と水平の輝くアンテナがなにかの意思を持っているかのように感じることがある。
 私はテルミンの音、うまく弾いたときのその音楽性、とともにテルミンという楽器そのもののカタチにも魅せられているのだということをあたらめて感じている。この魅力に大きく寄与しているのは水平に突き出しているボリュームアンテナだとふんでいる。

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 おもしろい、不思議、???、テルミン演奏を初めて目の当たりにした人が漏らす感想である。当然のことと思う。自分もそうであった。ただ、できれば、そこから一歩先に進んで、テルミンが奏でる音、音楽、演奏そのものにもっと耳を傾けてもらいたいものと思う。誰にか。多くの人にである。
 生れて初めてバイオリンの演奏やトランペットの演奏を実際に聞いたと想定すれば、やはり、テルミン演奏を初めて実際に見たときと同じ不思議感を持つのではないだろうか。テルミンの演奏をテレビで見る機会や実際に聞く機会を多くの人が持つようになれば、不思議感はだんだん減っていくだろう。私もアマチュア演奏家としてテルミン不思議感減少活動(?)の一端を担えるようになりたいものである。

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