蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

たはけの果て黄泉戻り、イザナギの2回目HP上梓

2010年02月06日 | 小説
イザナギの2回目上梓です。左ブックマークの部族民通信(HP版) をクリックするかhttp://www.tribesman.asia/に直接入って下さい。
「瀕死ながらも一人生き残ったナギ(イザナギ)は巫女の姉ナミの渾身の介抱で息をとりもどした。死んだと思われたナギが味方も欺く作戦でヤマチのニニギ(長)一味全員を殺した」が大まかなあらすじ。では渾身の介抱とは、
「それは秘儀である。邪儀とも言える。巫女ではない姉でもない一人の女のナミがナギにだけ施行する暗い儀式だ。それは生理的治療である。水垢離滝行で冷水に打たれたあと全身は火が燃えるように熱くなる。その熱さを儀式に使う。ナミは新妻のごとく裸で、下帯も外した白裸で一つ褥でナギに=中略=妾の熱を奪え、妾の汗と脂をお前の肌に練り込め。さあ息を助けるぞ、なんとかわいいお前の口だ。その口、少しの開きに息が通る。その息の通りを広げ、妾からの精を体に与えるぞ」ねっとりと舌を絡ませた。」これは上古の話なので、こうでもしませんと、瀕死の重病人を助ける事はできなかった。今じゃこうした療法はない。
さて蛮族のヤマチはナミを「ニギホの側室に差し出せ」と言い出した。ナミは戻らぬ決意で一人ヤマチに旅立つ。宴で両族の弥栄を祈る舞を奉納するのである。その舞とは、
「すり足運び、にじり寄り迫り来る。狂い面が近づく。狂い面こそ喜びだ。喜びと狂い影が迫り威圧し圧倒する。喜びが迫るそれは脅しの面だ。もはやこの宴広間で舞が演じられているのではない。謡の呟き、舞管の鳴り、鳴子での神楽拍子も宴広間で奏でられるのではない。ニギホの頭脳、麻痺した脳天、舞空間がニギホ頭脳に形成され、そこに薪炎が燃えくり、面が炎に揺らぎ照らされ、狂い面が跳梁していた。喜びの面が狂いの影に替わり、近づきさらに近づきニギホを脅迫している。怖れよと脅迫しているのだ。ニギホは何もかも忘れた、ナミに見入った=中略=面が圧倒する狂いの影で迫って来た。
「ニギホ、儂がわかるか」
ニギホは身がふと震えた、何故震えたのか。それが聞き覚えある声だったからだ。誰の声か思い出せない。命取られる間際、この世別れの最期に聞いた声ならそれは地獄の声なのだ。また面が囁いた「ニギホ、儂がわかるか」。
その時舞管が調子を急に高めた。ビューピッィ最高音のヒシギ調子が広間に渡り鳴いた。危険な音だ。
と宴が惨劇に変わります。
以上よろしくHPに立ち寄りサイバー立ち読みしてください。
筆者後記:舞の場ですが手の内明かすと、かつて新井達矢氏の新作面でシテ中所宣夫師が華麗に舞う羽衣に出会い、「能とは頭で観るのだ」と勝手解釈しちゃいました。それを取り入れたのですが、手の内はこれだけにします。
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