今回のアップは14年前の写真です。以来その記憶がしっかりと焼きついています。東北の夏祭り巡りは、何はともあれの願いでした。
ねぶたの多くの山車が眼前を通過しました。
光る紙の人形は、1年間かかって造るといいます。しかも題材が、遥かな都の物語が多く伝播していることに驚きました。
今なら日本国中、すべてお隣りさんのようなお付き合いですが、都の話が地方に拡がるのには、お芝居や、琵琶法師もそうであったろうし、都の便りを持って帰る旅人が情報をもたらしていたことでしょう。
源平の合戦で、屋島で戦う源義経ですね。腹巻のササリンドウの紋章、派手な兜がよく出ています。優さ男といわれる義経が豪傑になっています。琵琶法師が語っていたのでしょうか。
「はねと」が山車の周りを包みながら、踊ります。この写真では女性ですが、若い男性も同じ姿で、もっと派手な花飾りを付けて、踊り狂います。文字どうり「跳ね人」です。
六連太鼓で、音はお腹に響きます。
これも源平の戦いで活躍する三浦義澄です。彼は頼朝の挙兵で、いち早く三浦半島から駆けつけた武将です。
戦国時代、北国の柴田勝家の軍と戦った豊臣秀吉には、賎が岳の七本槍でよく知られる決戦がありました。秀吉はここで、天下を掌握したといわれます。
京都堀川にかかる戻り橋は、死後の世界との境にある橋といわれます。
源氏の武将、渡辺の綱が馬で渡りかけた時、老婆が馬に乗せてくれという。馬に乗せてやると、老婆は鬼に変身し、襲ってきます。渡辺の綱は、とっさに、刀で鬼の腕を斬り落とします。
やがて鬼は綱の許へ、腕を取り返しに来るという話。
左が鬼婆です。あわれ左腕が斬られています。
本邦五大お伽噺、桃太郎の鬼退治です。
これも、渡辺の綱が羅生門で、鬼の片腕を切り落とす話です。能にでてきます。左端の目玉は馬の目玉です。
京の五条の橋の上…♪
ねぶたの多くの山車が眼前を通過しました。
光る紙の人形は、1年間かかって造るといいます。しかも題材が、遥かな都の物語が多く伝播していることに驚きました。
今なら日本国中、すべてお隣りさんのようなお付き合いですが、都の話が地方に拡がるのには、お芝居や、琵琶法師もそうであったろうし、都の便りを持って帰る旅人が情報をもたらしていたことでしょう。
源平の合戦で、屋島で戦う源義経ですね。腹巻のササリンドウの紋章、派手な兜がよく出ています。優さ男といわれる義経が豪傑になっています。琵琶法師が語っていたのでしょうか。
「はねと」が山車の周りを包みながら、踊ります。この写真では女性ですが、若い男性も同じ姿で、もっと派手な花飾りを付けて、踊り狂います。文字どうり「跳ね人」です。
六連太鼓で、音はお腹に響きます。
これも源平の戦いで活躍する三浦義澄です。彼は頼朝の挙兵で、いち早く三浦半島から駆けつけた武将です。
戦国時代、北国の柴田勝家の軍と戦った豊臣秀吉には、賎が岳の七本槍でよく知られる決戦がありました。秀吉はここで、天下を掌握したといわれます。
京都堀川にかかる戻り橋は、死後の世界との境にある橋といわれます。
源氏の武将、渡辺の綱が馬で渡りかけた時、老婆が馬に乗せてくれという。馬に乗せてやると、老婆は鬼に変身し、襲ってきます。渡辺の綱は、とっさに、刀で鬼の腕を斬り落とします。
やがて鬼は綱の許へ、腕を取り返しに来るという話。
左が鬼婆です。あわれ左腕が斬られています。
本邦五大お伽噺、桃太郎の鬼退治です。
これも、渡辺の綱が羅生門で、鬼の片腕を切り落とす話です。能にでてきます。左端の目玉は馬の目玉です。
京の五条の橋の上…♪
このデザインは凄いと思います
観光するのに、ツアーでなければ、いい座席が取れないと、考えて参加しました。
丁度開催が、この順で一日ずれていたようで、大変効率的でした。
全国各地。話題を提供、注目を集める祭りは
多々ありますが、青森のねぶたもその一つで
すね。この山車は一年がかりとのこと。つまり
これが終わったらもう次の作成準備と言うこと
ですねぇ。関わる皆さんは毎日飲めるんじゃな
いでしょうか?祭り好きが夜な夜な集まるんだ
から..(笑)。
順々に開催日が、ずれていく所など、誰が言い出したか、なかなかの知恵ですね。
借り物でない手作りの催し物が、ずらーっと並ぶのは壮観ですね。