「ポタラ」とは「観音菩薩が住む場所」という意味だそうである。観音菩薩とは「ダライラマ」を指します。ダライラマは「生き仏」であり、国王のように国を統べる。
代々ダライラマは、指名によって引き継がれていきます。人選はダライラマとはまったく関係のない土地から生まれたての子を指名して育て、後継者とする。それはダライラマ以外の人はできない指名である。
1645年に、「偉大なる5世」と呼ばれるダライラマ5世が宮殿の建設を始めた。
1649年に、政治を司る「白宮」が完成し、市内のデプン寺(後日アップ)から引越しして来たそうである。
赤い建物(紅宮)には宗教部門があり、ダライラマの住まいがあった。
ポタラ宮殿を正面から見ると、左右対称ではないことがわかる。右の階段から登っていく300段がある。
赤い部分では、各階にある階段は、梯子のような感じで勾配が急である上に幅が狭い。
左:宮殿前の広場で、チベットの衣装を着て記念撮影をする中国の観光客らしい娘たち。
右:政府は、この広場を「第二の天安門広場」と呼ぶように指導しているそうだ。
女の子の背後にはロケットのような形の石の碑が立っている。「北京拉薩開通記念塔」と彫り込んである。
また、この広場に面した道路は北京大路という名である。北京に続いているという。
左:お宮の小さな建物があり、その前にこま犬ならぬ唐獅子がいた。
右:人通りの多い歩道で、宮殿と平行の方向に五体投地をする人。
左手には紙幣を握りしめ、服が汚れないように腹側に前掛けをしている。宮殿の周囲をまわっているのだろうか。参詣する人に物乞いをしているのだろうか。
この3人組の女性たちの一人は、手にマニ車を持って、ぐるぐると回しながら歩いている。参詣にやってきたのだろう。
前掛けはこの地の女性たちのおしゃれで実用的なものになろうか。
手持ちのマニ車は、お経を中に入れた筒である。これを廻すことで、お経を読んだことになるという。その時、上から見て右回転だと良いことがあり、左回転だと良くないことが訪れるという。
左:お父さんがマニ車を回しながら歩く。その後ろをお母さんと子どもが付いている。
右:おそろいの帽子をかぶった女性たち3人、皆背中に子供をおんぶしている。右の人はマニ車を回し、中央の人は両手の指に金の指輪をしている。
宮殿入り口は、右の(東側)一階にある。一日の入場者数が制限されていて、かなり厚かましい現地の人もいる。
拝観券である。世界遺産のマークと文字が見える。100元である。
代々ダライラマは、指名によって引き継がれていきます。人選はダライラマとはまったく関係のない土地から生まれたての子を指名して育て、後継者とする。それはダライラマ以外の人はできない指名である。
1645年に、「偉大なる5世」と呼ばれるダライラマ5世が宮殿の建設を始めた。
1649年に、政治を司る「白宮」が完成し、市内のデプン寺(後日アップ)から引越しして来たそうである。
赤い建物(紅宮)には宗教部門があり、ダライラマの住まいがあった。
ポタラ宮殿を正面から見ると、左右対称ではないことがわかる。右の階段から登っていく300段がある。
赤い部分では、各階にある階段は、梯子のような感じで勾配が急である上に幅が狭い。
左:宮殿前の広場で、チベットの衣装を着て記念撮影をする中国の観光客らしい娘たち。
右:政府は、この広場を「第二の天安門広場」と呼ぶように指導しているそうだ。
女の子の背後にはロケットのような形の石の碑が立っている。「北京拉薩開通記念塔」と彫り込んである。
また、この広場に面した道路は北京大路という名である。北京に続いているという。
左:お宮の小さな建物があり、その前にこま犬ならぬ唐獅子がいた。
右:人通りの多い歩道で、宮殿と平行の方向に五体投地をする人。
左手には紙幣を握りしめ、服が汚れないように腹側に前掛けをしている。宮殿の周囲をまわっているのだろうか。参詣する人に物乞いをしているのだろうか。
この3人組の女性たちの一人は、手にマニ車を持って、ぐるぐると回しながら歩いている。参詣にやってきたのだろう。
前掛けはこの地の女性たちのおしゃれで実用的なものになろうか。
手持ちのマニ車は、お経を中に入れた筒である。これを廻すことで、お経を読んだことになるという。その時、上から見て右回転だと良いことがあり、左回転だと良くないことが訪れるという。
左:お父さんがマニ車を回しながら歩く。その後ろをお母さんと子どもが付いている。
右:おそろいの帽子をかぶった女性たち3人、皆背中に子供をおんぶしている。右の人はマニ車を回し、中央の人は両手の指に金の指輪をしている。
宮殿入り口は、右の(東側)一階にある。一日の入場者数が制限されていて、かなり厚かましい現地の人もいる。
拝観券である。世界遺産のマークと文字が見える。100元である。
じっくり見て、じっくり読んでいきました。
楽しめました。
ありがとうございました。
やっぱり中国国内からが多いんでしょうか
それからチベットの民族衣装は華やかで綺麗ですね
五体投地をしたり、マニ車を回したりする人がいたり、
敬虔な信者を見るにつけ、今の日本にどの程度宗教が
存在しているか比較してしまいます。チベットでは
宗教が生活の一部になっている感じがプンプンします。
話の多くは、添乗員と全体の現地ガイドとラサの現地ガイドの話で記憶に残っているものだけです。
今回も利用した「トラベル世界」という旅行社は毎日A3の紙に、毎日、日記風の記録が配られます。
鉄道の開通で、観光客はかなり増えているようです。8割がた中国の人でしたね。日本人の顔をして、日本語がわからない人たちでした。
広場の民族衣装ですが、京都の舞妓さんの貸衣装のようなもので、撮影のためのものでした。どこの女の子も同じですね。
明るく元気な姿にほっとしましたよ。
皆さん敬虔な仏教徒ですね。心の支えであり、生活の一部になっているのでしょうね。
大変幸せそうな人たちのような気がしました。
眼の色を変えているのが、ツアーなどで世話をしている漢民族らしい人たちだけのように見えました。みんなここへ稼ぎに来ているのでしょう。
われわれのツアーのメンバーはどう見えたのでしょう?
ポタラ宮殿、とっても素晴らしいですが、ナンシンメトリーなでチョッと不安定な気が致します・・
300段もの階段を上がり皆さん赤い宮殿目指し上がられるのですね・・
一日の入場制限が・・ウッカリ前で制限に合うと悲劇ですね
民族衣装のカラフルで綺麗な事・・
マニ車を回しながら参拝のお三人さんワンちゃんの一緒で、お洒落な方たちが多くて皆さん裕福なんでしょう・・
素敵な入場券良い記念に成り良いですね。
見ていて、なんとなく気分がよい形などの微妙なものはどうなんでしょうか。
厳しい環境の中で培われてきた文化は、案外抽象的な芸術のような分野は発達しなかったのかもしれませんね。