ネパールの首都カトマンズの一夜が明けました。ホテルの窓から、朝の霞に、もやっと浮ぶスワヤンブナート城跡が見えます。
ここのカトマンズが湖の底であったのを、文殊菩薩が盆地に換え、そこに仏の根源である大日如来を迎え入れて、出来た寺院といいます。
日の光に照らされて、浮かび上がる城郭です。
頂上まで参道が付いています。道には、隙間なく並んでいるマニ車を参拝の人は手で回転させながら、道を登ります。京都の高台寺にも並んでいますね。
ここの道はやや下り坂です。途中サルがあちこちに見えます。サル寺とも言われています。
参道沿いには、仏塔が次々と現れます。
人類が平和でありますように、と言う標識がお寺などでよく見かけますが、その団体が建立した釈迦像です。
スワヤンブナートの頂上に来た。
左:目玉寺とも言われますが、巨大なストーバには、大きな目が描かれています。この目は お釈迦様の目であって、万人を慈愛の眼で見ており、鼻の部分は1の数字だそうです。世 界は一つと言う意味だそうです。手前の白い円形のものは、漆喰で出来た土台で、地球を 示します。
右:人々は頂上のストーバに礼拝します。そのときに礼拝を依頼することが出来ます。何か 品物を祈ってくれる人にお礼をします。写真左手前には品物が積み上げられています。
お祈りの世話をしている人は裸足になって、火で身を清め、皆さんの祈りを務めます。
この頂上では、ヒンドウ教のまるいポゴダと、ラマ教(チベット仏教)のストーバ(塔)と、釈迦の大きな像が、同じ場所に同居しています。鳩が多数とまっています。
参道沿いに住みつく、露天商の人たちは信仰心も厚そうに見えました。
値打ちのありそうな物も並んでいます。
少し奥まった所にあったダライラマ若かりし頃の写真です。右はカトマンズを湖から盆地に変えた文殊菩薩でしょう。
ここのカトマンズが湖の底であったのを、文殊菩薩が盆地に換え、そこに仏の根源である大日如来を迎え入れて、出来た寺院といいます。
日の光に照らされて、浮かび上がる城郭です。
頂上まで参道が付いています。道には、隙間なく並んでいるマニ車を参拝の人は手で回転させながら、道を登ります。京都の高台寺にも並んでいますね。
ここの道はやや下り坂です。途中サルがあちこちに見えます。サル寺とも言われています。
参道沿いには、仏塔が次々と現れます。
人類が平和でありますように、と言う標識がお寺などでよく見かけますが、その団体が建立した釈迦像です。
スワヤンブナートの頂上に来た。
左:目玉寺とも言われますが、巨大なストーバには、大きな目が描かれています。この目は お釈迦様の目であって、万人を慈愛の眼で見ており、鼻の部分は1の数字だそうです。世 界は一つと言う意味だそうです。手前の白い円形のものは、漆喰で出来た土台で、地球を 示します。
右:人々は頂上のストーバに礼拝します。そのときに礼拝を依頼することが出来ます。何か 品物を祈ってくれる人にお礼をします。写真左手前には品物が積み上げられています。
お祈りの世話をしている人は裸足になって、火で身を清め、皆さんの祈りを務めます。
この頂上では、ヒンドウ教のまるいポゴダと、ラマ教(チベット仏教)のストーバ(塔)と、釈迦の大きな像が、同じ場所に同居しています。鳩が多数とまっています。
参道沿いに住みつく、露天商の人たちは信仰心も厚そうに見えました。
値打ちのありそうな物も並んでいます。
少し奥まった所にあったダライラマ若かりし頃の写真です。右はカトマンズを湖から盆地に変えた文殊菩薩でしょう。
ちょっとドキッとしました
鼻の形はアラビア数字の1で、1の字の上のほうが、現地独特の図案化されているようでした。
鳩が止まっている台座には、蓮の花弁の模様が付いています。
仏像やマニ車などが並び、土産物も仏具が多いようですね。こういうところへ行くと敬虔な気持ちになりそうですね。
スワヤンブナート。当方も行ったことがあります。
あの目玉寺院はインパクトがあります。訪れた人は
みな記憶に残ることでしょう。ネパール。今一度
行きたい国です。
今からは毛沢東思想の一派が、国を変えようとしていた頃でした。現在どうなっているか心配です。