屋島に陣を構えた平家は、ここに陣地の総門を置いたという。佐藤継信が義経の身代わりになって討たれた射落畠に程近い。
陣営の入口の総門は海の方を向いて建っている。
道路に面した正面からの総門。
左:牟礼町の史跡に立っている紅白の旗と円形の碑は地元の人による歌碑である。
右:総門の表示のある石碑、由緒書きがある。
左の「安徳天皇社」とあるのが屋島である。
木材で出来た総門がいかにも仮の陣地を象徴している。侘しいではないか。
平家が滅び、源氏の世の中になって、この総門も、改築を重ねていると思うが、特に粗末に作られた感じがする。
明治時代の総門の風景、周囲は田園風景が広がる。右の立札には射落畠と書いてある。
陣営の入口の総門は海の方を向いて建っている。
道路に面した正面からの総門。
左:牟礼町の史跡に立っている紅白の旗と円形の碑は地元の人による歌碑である。
右:総門の表示のある石碑、由緒書きがある。
左の「安徳天皇社」とあるのが屋島である。
木材で出来た総門がいかにも仮の陣地を象徴している。侘しいではないか。
平家が滅び、源氏の世の中になって、この総門も、改築を重ねていると思うが、特に粗末に作られた感じがする。
明治時代の総門の風景、周囲は田園風景が広がる。右の立札には射落畠と書いてある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます