上ばかり向いて首が痛くなってきた頃、藤棚の上に上がる鉄板の階段を見つけた。
藤棚の藤は、光線の加減で、鮮やかに浮かび上がります。
藤棚の上から夜のしじまを眺めます。フラッシュあり。フジの花の海が広がります。
フラッシュなし。こちらの方が自然の色だが、やや判り難いですね。
梯子で上に上がると、梶本家の中庭が覗けます。昼間はここも開放しています。
藤棚越しに見える、下の照明に浮かび上がるふじの花。
夜間の藤棚を見に来る人もぱらぱらと絶えることがない。
藤の木の手入れは一言では言い尽くせないほどの手が懸っています。当主が育てる要点を書き出しています。
ボードが光って見えない所は、最も肝心の花の紫色には、花穂5㎝位の時に尿素肥料をやるのがいいそうです。
開花する10日ほどの為に手入れが一年中続きます。
左:提灯一つとっても、手書きですね。
右:この屋敷を包んでしまうほどの藤の木はこの一本が源で、ここまでに育てる苦労は大変なものですね。
立ち上がった主の幹の枝分かれはたくましい。
よくぞここまで…。
帰りに駅前商店街の和菓子屋さんがあった。羊羹の形で「村雨」と名が付く和菓子が、お茶受けによろしいようで…。
左:店の看板。
右:買って帰った「村雨」2本。話好きのおかみさんで、藤棚についても、先生が亡くなられてからは房が短くなったなどと言う。
初めて降り立った「和泉砂川」の駅。夜はとっぷりと暮れ、大阪駅まで約1時間です。
熊野街道沿いの見事な「野田ふじ」でした。
藤棚の藤は、光線の加減で、鮮やかに浮かび上がります。
藤棚の上から夜のしじまを眺めます。フラッシュあり。フジの花の海が広がります。
フラッシュなし。こちらの方が自然の色だが、やや判り難いですね。
梯子で上に上がると、梶本家の中庭が覗けます。昼間はここも開放しています。
藤棚越しに見える、下の照明に浮かび上がるふじの花。
夜間の藤棚を見に来る人もぱらぱらと絶えることがない。
藤の木の手入れは一言では言い尽くせないほどの手が懸っています。当主が育てる要点を書き出しています。
ボードが光って見えない所は、最も肝心の花の紫色には、花穂5㎝位の時に尿素肥料をやるのがいいそうです。
開花する10日ほどの為に手入れが一年中続きます。
左:提灯一つとっても、手書きですね。
右:この屋敷を包んでしまうほどの藤の木はこの一本が源で、ここまでに育てる苦労は大変なものですね。
立ち上がった主の幹の枝分かれはたくましい。
よくぞここまで…。
帰りに駅前商店街の和菓子屋さんがあった。羊羹の形で「村雨」と名が付く和菓子が、お茶受けによろしいようで…。
左:店の看板。
右:買って帰った「村雨」2本。話好きのおかみさんで、藤棚についても、先生が亡くなられてからは房が短くなったなどと言う。
初めて降り立った「和泉砂川」の駅。夜はとっぷりと暮れ、大阪駅まで約1時間です。
熊野街道沿いの見事な「野田ふじ」でした。
こんな壮大な藤棚になってるんですか
凄いの一言ですね
もう少し小規模ですが、こんなふうに藤をオープンしていた個人のお宅が近所にありましたが、たいへんな気遣いや世話に、ついに藤の木を切ってやめてしまいましたよ・・。
現在では地域で藤を愛する会が組織され、多くの人たちがかかわっているようです。熊野街道砂川宿の名物になっていました。
2日に花摘みをするということでした。
熊野街道を歩く人たちも増えたことから、この時期に通過する人にとっても慰めになることでしょうね。
北の国にもありますか。
歴史学者が藤というのはつよいですよ。鎌足以来の藤原氏一族の話をしていました。
1本の木がこんなに広く大きく美しく! 私を含めて、多くの人に感動を与えるなんて。素敵な写真とお話、ありがとうございます!
ところで野田藤ですが…。
泉州は「あんかけの時次郎」の生家があるところですね。古いから知らないかな?
「あんかけの時次郎」聞いたことがあると思ったら、「てなもんや三度笠」でしたね。「藤田まこと」「白木みのる」と大人気でした。あれはは泉州の話でしたか。
地蔵堂の前で「あたりまえだのクラッカー」でしたね。懐かしい。白黒テレビでしたか。
和泉国が泉州といいますが、河内の国でもありませんね。騒乱の多い都から距離があるからか、豊かな国であったろうとと思います。