前回の長保寺から南に、進むと湯浅町がある。
湯浅の町の醤油は、わが国の醤油の元祖と言われます。全国の醤油の銘柄すべては、湯浅醤油で修行していた職人が、全国に広がっていったそうです。
K醤油もH醤油もM醤油も、説明では、更に多くの全国区の銘柄を挙げていました。
ところが、この醤油は、元はと言えば、湯浅よりも更に南、由良町の禅宗の寺である興国寺のお坊さんが寺内で作った金山寺味噌が元祖だと言います。
お坊さんは中国から習得したものです。
お寺では今でも、昔のままに作った味噌も、寺務所で販売しています。金山寺味噌の元祖です。現代風の味とは少し違っています。
興国寺は、全国の虚無僧の修行者(尺八の修行者)は必ず参詣し、祈願をする寺です。
左:醤油倉の風景。
右:直売店には、さまざまな醤油が並んでいる。
醤油倉では、すべての醤油の味見が出来る。旨い。カレー専用の醤油まである。
隣りには金山寺味噌の老舗の店がある。興国寺の味噌とは全く違う味になってしまった金山寺味噌である。看板は年季が入っている。
店頭に大きな有田焼のような陶磁器の壷があり、その下部の金山寺味噌の由来が、絵入りで書かれている。漢文のようですが、判りやすいので楽しんでくださいね。(醤=ひしお)
左:大きな花瓶であることよ。
右:湯浅醤油の家紋があった。半分の菊は、かつて南北朝の時代に、南朝方に付いた湯浅の武士は、菊水の旗印とともに戦った証しと言う。下部の九曜紋は湯浅武士の家紋である。
全然知りませんでした
でも味噌から変化したというのは何となく分かる気がします
私が小さい時は我が家でも醤油を作ってましたから
伝統的な醤油生産所でも現在は各種味の違うものを作っているのですね。
醤油の味見ってたくさんはできませんね。(笑)
この頃はだしが混じっている醤油や味噌があり、液体の味噌がありと、さまざまの変体にオドロクばかりです。
醤油も世界の味になってきているようで、うれしい気分です・・。
銚子などで今造られてる醤油もここで学んだのですね。元は中国なんでしょうが、調理文化の一大発明
ですよね。これからは、心して味わいます。
もろみを絞って、醤油を作るのも考えられたようですね。
金山寺味噌は鷲峰山興国寺の開基「法燈国師」が中国の宋に渡って禅の修業をした時に習得したと書いてありますね。
今は、味噌の元になる大豆は、丹波の黒豆を使ったとの表記があります。特別に旨いらしい。
アイスクリームのときのようなスプーンで、どれもこれも味見をしましたが、微妙に味が違いましたね。英語でsoiとか言うと聞きました。
イースター島でマグロの刺身が出たときに、キッコーマン醤油が出ました。旨いですね。
その時わさびが出ましたが、袋入りの粉わさびを、水に溶かして、自分で作りましたよ。
ここは紀州路を走る国道42号線沿いで賑わい、渋滞ばかりしていましたが、バイパスが出来てからは、すこしは緩和されたかと思います。
それでも観光バスが、次々と着きますね。
アイスランドの小さな島のレストランで、お醤油(たしかキッコーマン)が出てきて、びっくりしたのを思い出しました。
わが国独特の醤油の味は今や世界ブランドになってきた気がしますね。