昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

湯浅城跡

2009-08-04 | 旅の風物
醤油の発祥地湯浅には、湯浅党と呼ばれる武士の一団が、山城を構えていたことがあった。

 南北朝時代に、南朝方に組するなどして、城攻めに遭い、遂にその姿も無くなった。
 しかし、その後も、村の郷士たちは湯浅党を名乗る武士団として、各地で転戦をしていたらしいが、組織的なものではなかったようである。


 近年になって、山城のあった丘の隣りに、立派な天守閣が聳える平成の城が出来た。
 それは地域の財産として、国民宿舎となった城郭である。2箇所の隅櫓は、それぞれ浴場になっており、各部屋の窓からの眺めは大変よろしい。

左:天主閣と右が浴場の隅櫓である。日帰りの温泉になっている。
右:中庭越しに見える小山が、城があったとされる場所である。



左:中庭には手入れの行き届いた前栽になっている。
右:国民宿舎としての入口に立つ湯浅城の石碑と信楽の狸。






天守閣からの眺望は、紀伊水道を望んでいる。この左方の町並みが広川町であり、有名な稲村の火の資料館がある。






天主の最上階の部屋には、湯浅の郷士が、家に伝わる鎧装束などを展示している。町の博物館でもある。





湯浅党の調査結果の資料が展示されている。惣領を取る家が無かったので、それぞれが徒党を組み、戦国の世を生き抜いたのかも。

城址の発掘もそれほど進んでいないが、この場所一帯が城跡であった。






湯浅、広川と街中を、熊野古道が貫いている。史跡や、案内板などが次々とあり、街道を辿る旅人のための、休憩所も出来ている。





稲村の火のおじいさんの名を知りました。彼は濱口梧陵と言います。命より大事な稲に火をつけて、村人を山に呼び寄せ、津波から人命を救った話はここの海岸だったとは。




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4 コメント

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おはよう(^o^)丿 (アガリ)
2009-08-05 05:32:44
「稲むらの火」というのは初めて知りました
村人のために咄嗟に大切な稲を燃やすなんて凄いですね
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アガリさんおはよー (tetu)
2009-08-05 10:23:33
 戦後まもなくだったでしょうか、国語の教科書に出てきていたので、記憶にあったのですが。
 地震の後、潮が海岸線から引いていくのを見て、津波を予見し、裏の山手にある稲を干す垣(いなきとか言いますが)に火をつけた話が、印象に残っています。
 東北地方だとばかり思っていました。

 当時の年貢米を収める百姓にとって、命より大事な米だったことも合わせて知りました。
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稲村の火 (西恋おじん)
2009-08-06 05:30:54
恥ずかしながら「稲村の火」の話は初めて聞きました。浜口さんという方は、徳のある方ですね。
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西恋おじんさんへ (tetu)
2009-08-06 10:52:35
 戦後で、教科書が文部省発行でなくなったときのものかとも思います。

 津波の恐さも、潮が引くことも知った少年時代でした。
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