どこかで旭川紋別道路がかなり出来上がってきたと聞きました。地図で見ると旭川から200kmもないようだし、サロマ湖までが近くなったらしい。
北海道の真ん中を南北に走る大雪山系から南へと続く日高山脈の山並みは、文化の繋がりさえも不便だったのではないかとも思う。
サロマ湖は、琵琶湖・霞ヶ浦の次に大きな湖といいます。湖面の高さとかの調節もあり、1929年(昭和4年)海と繋ぐ努力をした。それが、息子の学校の教科書にも出てきました。
一度は見たいものと。地図で言うと砂洲の先端の龍宮台展望台まで走ることにしました。
サロマ湖の沖合いに延びる細長い陸地から、湖の展望です。
浅瀬にはカモメがたむろしています。
落葉樹の木立の中へ、大きな鳥が飛んでいきました。白い尾をしていたことから、あっ!オジロワシ、と叫んだものでした。それが、前方の木立の枝に止まっていました。
ズームをかけて撮ったのですが、この天気の悪さでは期待できません。
岬の先端まで行けると思っていたら、ここに門番が居て、立ち入り禁止でした。
そこが高さが10mくらいの展望台がある。これが龍宮台展望台でした。海に面して防潮堤があり、龍宮の絵物語が書いてありました。そしてここが龍宮台だという由縁が書いてありました。
これが記念碑です。
今日のオホーツクは波穏やかで、流木が砂浜にごろんと横たわる。
ここに来ればホタテを食ってと店を探しました。新鮮でコシコシして甘くてうまいホタテでした。
壁にあったポスターです。見事な夕景です。湖畔の景勝・探索は次に機会を作りましょう。
北海道の真ん中を南北に走る大雪山系から南へと続く日高山脈の山並みは、文化の繋がりさえも不便だったのではないかとも思う。
サロマ湖は、琵琶湖・霞ヶ浦の次に大きな湖といいます。湖面の高さとかの調節もあり、1929年(昭和4年)海と繋ぐ努力をした。それが、息子の学校の教科書にも出てきました。
一度は見たいものと。地図で言うと砂洲の先端の龍宮台展望台まで走ることにしました。
サロマ湖の沖合いに延びる細長い陸地から、湖の展望です。
浅瀬にはカモメがたむろしています。
落葉樹の木立の中へ、大きな鳥が飛んでいきました。白い尾をしていたことから、あっ!オジロワシ、と叫んだものでした。それが、前方の木立の枝に止まっていました。
ズームをかけて撮ったのですが、この天気の悪さでは期待できません。
岬の先端まで行けると思っていたら、ここに門番が居て、立ち入り禁止でした。
そこが高さが10mくらいの展望台がある。これが龍宮台展望台でした。海に面して防潮堤があり、龍宮の絵物語が書いてありました。そしてここが龍宮台だという由縁が書いてありました。
これが記念碑です。
今日のオホーツクは波穏やかで、流木が砂浜にごろんと横たわる。
ここに来ればホタテを食ってと店を探しました。新鮮でコシコシして甘くてうまいホタテでした。
壁にあったポスターです。見事な夕景です。湖畔の景勝・探索は次に機会を作りましょう。
買って帰った毛がにが、昨日宅急便で送られてきて、今夜賞味しましたが、カニの王者の味でした。
しょっぱい湖です。
最果てまで行ったものですね~!
オートバイは好きでしたね。S34年から5年間ほど近畿一円を走り回りましたよ。楽しいけれど体力が要りますね。
観光バスも、稚内から下ってきて、層雲峡のほうに回りますね。それが、旭川紋別自動車道は、最短距離でありながら、とんでもない山岳道路だったようです。
それが、今や、トンネルだらけですいすいと走れましたよ。
湧別側にはあまり店も少なかって、やっと見つけた一軒でした。
太陽さえ出ればと言う思いでした。
若い自分にオートバイを駆って北海道一周の旅へ。
その際、サロマ湖も通りました。いわゆる潟湖
(セキコと読みます)、あるいはラグーンと言わ
れるタイプの湖です。大きな湖でした。
オホーツクでは当方も霧に包まれ、真夏であるのに
寒いツーリングでした。途中立ち寄った食堂で
地元の人に温かいものをごちそうになり、励まさ
れるという心が温められる出会いもあったりして
思い出深い土地です。
さて、いよいよGWも最終日です。
凄いですね
それから「ホタテちらし」とっても美味しそうです