秋田から青森に入ってすぐの十二湖で感動的な青池を見た。そして下北半島の北の果てに赤池を見た。
恐山は火山性の色彩が豊富である。これはまた、一部の隙もない赤である。池の中央には弁天様ならぬお地蔵さんが鎮座まします。
血の池であるという。そのとおりだと思う。これほど赤の鮮やかなのは他にあまり見ない。温泉でなく冷たい水だったが、誰かが夜な夜なこの池で水垢離をしているのではないか。
この池の横の樹木には手拭いが巻きつけてある。
自分がここで水浴びした証しをここに置くように、皆さん手拭いを木に巻きつけたのかも知れない。かれらが山に帰って行った道が、獣道のように林の奥へと続く。
かつては地底から水蒸気が出たことのある岩塊である。名付けて「無間地獄」。
人があの世に行くと、生前の行いによって、六道の世界に振り分けられる。その道の中のひとつの地獄は八大地獄に別れ、その第八番目の地獄を無間地獄というのである。最も苦しい地獄とされている。
無間地獄の岩塊の後ろに、三本になっている岩が見える。これは三尊石ではないかと思われる。地獄に阿弥陀三尊が救いに来たのであろうか。
温泉が流れる。温泉の湯が流れている。川は下流にある賽の河原に繋がっている。
ここも火山性の亜硫酸ガスを含む水蒸気が出ている。写真の上のほうで、虫がガスにやられて昇天しているのが見えるだろうか。地獄に行ったのか極楽に行ったのか。
ここの岩石は、最近の研究で、質のよい金鉱石があることが判ったそうだ。しかし、採掘は難しいでしょう。
賽(さい)の河原である。子供はいなくて、大人たちがぞろぞろと歩く。
ところで、賽の河原の稚児の和讃(歌)がある。聞かれた方も居られると思いますが抜粋してみます。12番までありますが、読むときに「いたこ」になったつもりで読むと気分が出ます。
1 これはこの世の事ならず 死出の山路の裾野なる
賽の河原の物語り 聞くにつけても哀れなり
2 二つや三つや四つ五つ 十(とお)にも足らぬ幼子が
賽の河原に集まりて 親を尋ねてたち巡り
3 峰の嵐の音すれば 父かと思いよじ登り
谷の流れを聞く時は 母かと思いはせ下り
4 西や東とかけめぐり 手足は血潮に染めながら
父上恋し母恋し 恋し恋しと叫べども
6 河原の石を取り集め これにて回向の塔を積む
一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため
8 地獄の鬼が現われて 積みたる塔を押し崩す
9 紅葉の様なる手を合わせ 許したまえとふし拝む
10 大悲大慈の地蔵尊 現れ出でさせたまいつつ
お坊さんは、「あの世に行った子供を偲んで、残された親が嘆き悲しむといつまでたっても、子供たちはこの賽の河原にいることになる」と説きます。
あちこちに小石の塔が見えます。
恐山の浄土の世界の中で、ここが極楽浜である。周囲十キロメートルとある。小さな小さなお地蔵さんが立っている。
歌人「大町桂月」の歌が立て札になっている。
「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も蓮華なり 桂月」
恐山は火山性の色彩が豊富である。これはまた、一部の隙もない赤である。池の中央には弁天様ならぬお地蔵さんが鎮座まします。
血の池であるという。そのとおりだと思う。これほど赤の鮮やかなのは他にあまり見ない。温泉でなく冷たい水だったが、誰かが夜な夜なこの池で水垢離をしているのではないか。
この池の横の樹木には手拭いが巻きつけてある。
自分がここで水浴びした証しをここに置くように、皆さん手拭いを木に巻きつけたのかも知れない。かれらが山に帰って行った道が、獣道のように林の奥へと続く。
かつては地底から水蒸気が出たことのある岩塊である。名付けて「無間地獄」。
人があの世に行くと、生前の行いによって、六道の世界に振り分けられる。その道の中のひとつの地獄は八大地獄に別れ、その第八番目の地獄を無間地獄というのである。最も苦しい地獄とされている。
無間地獄の岩塊の後ろに、三本になっている岩が見える。これは三尊石ではないかと思われる。地獄に阿弥陀三尊が救いに来たのであろうか。
温泉が流れる。温泉の湯が流れている。川は下流にある賽の河原に繋がっている。
ここも火山性の亜硫酸ガスを含む水蒸気が出ている。写真の上のほうで、虫がガスにやられて昇天しているのが見えるだろうか。地獄に行ったのか極楽に行ったのか。
ここの岩石は、最近の研究で、質のよい金鉱石があることが判ったそうだ。しかし、採掘は難しいでしょう。
賽(さい)の河原である。子供はいなくて、大人たちがぞろぞろと歩く。
ところで、賽の河原の稚児の和讃(歌)がある。聞かれた方も居られると思いますが抜粋してみます。12番までありますが、読むときに「いたこ」になったつもりで読むと気分が出ます。
1 これはこの世の事ならず 死出の山路の裾野なる
賽の河原の物語り 聞くにつけても哀れなり
2 二つや三つや四つ五つ 十(とお)にも足らぬ幼子が
賽の河原に集まりて 親を尋ねてたち巡り
3 峰の嵐の音すれば 父かと思いよじ登り
谷の流れを聞く時は 母かと思いはせ下り
4 西や東とかけめぐり 手足は血潮に染めながら
父上恋し母恋し 恋し恋しと叫べども
6 河原の石を取り集め これにて回向の塔を積む
一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため
8 地獄の鬼が現われて 積みたる塔を押し崩す
9 紅葉の様なる手を合わせ 許したまえとふし拝む
10 大悲大慈の地蔵尊 現れ出でさせたまいつつ
お坊さんは、「あの世に行った子供を偲んで、残された親が嘆き悲しむといつまでたっても、子供たちはこの賽の河原にいることになる」と説きます。
あちこちに小石の塔が見えます。
恐山の浄土の世界の中で、ここが極楽浜である。周囲十キロメートルとある。小さな小さなお地蔵さんが立っている。
歌人「大町桂月」の歌が立て札になっている。
「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も蓮華なり 桂月」
「いたこ」の存在も拍車をかけたことでしょう。
昔に来た時の写真がないか探しています。
「恐山」、名前を聞いただけでも、なぜか、恐いですね。
情のこまやかな「はな」さんに>恐ろしい気<を起こさせたようで、ごめんなさいね。
北の果ての気候の厳しい879mの山の上で、冬は道路閉鎖をする火山なので、人間の気配が薄いかもしれませんね。
見せて頂く程に恐ろしい気が致します・・
別府温泉の血の池地獄は、回りの緑などで少し緩和され恐る恐るながらも見学できましたが、此方の血の池地獄や樹林の様子や無間地獄など見させて頂くとタダタダ恐ろしいの一言につきます。
恐山と言う先入観が余りにも強すぎる為でしょうか?其れとも私が罪深過ぎるのでしょうか?
暖かいガスの噴気が出ているところが数ヶ所あります。
境内には温泉場が4ヶ所あり、すべてが泉質が違うそうです。
かなり前に、ここの宿坊に泊まった時は掘っ立て小屋が100m程はなれて2ヶ所でしたが、今は4ヶ所になっていました。
散策している間、常に亜硫酸ガスの臭いがしていました。
温泉の空気風呂に入っているようで、皮膚がつるつるになるといいかなあと思いましたが、駄目でしたね。あまりにも濃度が薄いですね。
雲仙・別府の地獄巡りのほうが、規模がはるかに大きいです。
見ることはありませんでした。
恐山。行ってみたいものです。
血の池。本当に真っ赤です。
火山らしい荒涼とした風景が広がっていますね
小さい頃に行った雲仙の地獄を思い出しました