五条市西吉野地区の図面です。国道168号線は新宮に続いています。そして国道沿いの緑の線が見えますが、これが五新線の未完の鉄路のようです。
かなり写実的な後醍醐天皇の木像。
天皇愛用の笛が、収納袋とともに展示されていました。塗りも豪華です。堀家は現在皇居に住んでいる現地の人である。
左:後醍醐天皇は、自分のしていることを先例として、世を治めなさいという言葉で南朝は支配されました。
そして南朝の歴代の天皇は、これを忠実に護ることに努力をしました。そして、忠烈の臣という言葉で、国体を維持しようとしました。
その忠臣の一人に北畠親房がいます。彼は後村上天皇に仕え、最後はここ賀名生の里で命を全うし、賀名生に墓地があります。彼の業績のひとつに「神皇正統記」の執筆がよく知られています。
どこかで見たことがあるような気もしますが、歴代天皇の肖像画の一覧がありました。現在の第126代の天皇まで、かなりのリアル感があります。よく描いたものです。顔見知りの天皇様が居られるでしょうか。
さて、国道から梅の咲く里山に向う坂道が左方に分かれています。
かなり写実的な後醍醐天皇の木像。
天皇愛用の笛が、収納袋とともに展示されていました。塗りも豪華です。堀家は現在皇居に住んでいる現地の人である。
左:後醍醐天皇は、自分のしていることを先例として、世を治めなさいという言葉で南朝は支配されました。
そして南朝の歴代の天皇は、これを忠実に護ることに努力をしました。そして、忠烈の臣という言葉で、国体を維持しようとしました。
その忠臣の一人に北畠親房がいます。彼は後村上天皇に仕え、最後はここ賀名生の里で命を全うし、賀名生に墓地があります。彼の業績のひとつに「神皇正統記」の執筆がよく知られています。
どこかで見たことがあるような気もしますが、歴代天皇の肖像画の一覧がありました。現在の第126代の天皇まで、かなりのリアル感があります。よく描いたものです。顔見知りの天皇様が居られるでしょうか。
さて、国道から梅の咲く里山に向う坂道が左方に分かれています。
凄いですね
ビックリです
室町初期の歴史の古さを感じています。
一時は建武の新政を現出するも、結局
は京の都を追いやられる。鎌倉末期か
らの朝廷内部での統派争いがなければ、
ずいぶん立場が異なっていたものと思
うのですが..。
笛の図柄なども、よくは知りませんが、こんなに立派な装飾は見かけませんね。
後醍醐天皇が笛を吹いていたなんて、優雅なものですね。
後醍醐帝は確か2回目の吉野入り後、数年で、なくなったと記憶しますが、その時の子孫への遺言が、南朝を存続させることになりましたね。